日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理 -368ページ目

鍛錬はいくつ迄可能か

若い頃の僕は、50歳に近い先輩が、
後輩とともに練習をする姿を見るのが好きでした。


尊敬してしまうのです。
それに引き換え30を越えたばかりのまだ若く、
身体が悪い訳でもない先輩が、指導にまわり、偉そうなことを云い、
組み手もしない事を見るのが、とても不愉快でした。


俺は、体力の続く限り、幾つになっても皆と頑張ろう。
そう心に決めていたのです。
武張る(威張るにおなじ)先輩も嫌いでした。
礼儀正しく常に涼しく。そして強いが僕の理想でした。



いまだに武張る空手家は好みません。
弟子にはそれを許していません。

本当の辛さ、苦しさを経験して来れば自然武張る意識は消えて行くものです。
さらに威嚇したり、威圧を加える必要は武道にはありません。
吠え、唸るのは獣に任せたい。その思いです。


人生を春夏秋冬に分けるなら、僕は既に冬の時代に入っています。
基本、型はともかく、組み手こそ流石に一般の黒帯とは辛いものがありますが、
若し必要とあれば、まだやるでしょう。


自慢になりますが、試し割りやウエイトで、
特にレップ数(重さではなく)では
まだ道場で僕に並ぶ弟子は数少ない筈です。
部位鍛錬では決して負けない自信は今もあります。


果たしてそれがいつ迄続くでしょうか。
弟子達は僕を基準に年と鍛錬がいつ迄可能かを計っています。


僕が頑張れば、彼らもそれに習わなければなりません。

楽しみです。


葉隠塾  成嶋弘毅


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追憶

”桜吹雪舞う季節”

父との再会の季節として、著書『サムライの言葉』で、
数少ない父との想い出を書きました。


プライベートな追憶にお付き合い願うことを心苦しく思いつつ、
また、此処でお知らせする事にお耳をお借りします。


春、まさに今の季節。親子三人山梨県、甲府の湯本温泉に行きました。
多分、僕は4、5歳だったのでしょうが、
今は確認すべき人はすでにおりません。



露天だったのか、浴槽の窓が開かれていたのか、入浴中の親子に花吹雪が舞い、
子供の僕の濡れた身体に花びらが付きまとった美しい絵が思い出されます。


今一つの想い出に、僕の心に残る母の教えがあります。


のどかな今頃の季節、二人散歩をしていると、
田植え前の田んぼにれんげ草がそれは美しく咲いていました。
母は、僕がそれを摘む姿を微笑みながら見ていました。


帰宅し、花瓶にさして見たのですが、
さっきあれほど美しかった花々が少し違がって見えるのです。


その様子を見ていた母は云いました、
「田んぼで見たお花の方が綺麗でしょ。
お花は咲く場所によって美しくも、またそれほどでもなく見えるのですよ。
だから ”やはり野に置けれんげ草” と云われるのです。」


綺麗、欲しい、それを摘み自分のものとして持ち帰り、家の花瓶にさす。
その欲は、必ずしも期待した結果を招きません。


子供心にそこから学び感じた事は大でした。いまだにその心を大切にしています。
これは一種の思想です、ビジネスにもまた武道にも形を変え応用して来たつもりです。


サブジェクトは、

周囲の環境、状況により変化し、必ずしも独占すべきではない

選択を教えられたのです。

葉隠塾  成嶋弘毅


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国旗、国歌

何処の国でも、国旗,国歌を大切に愛しています。


日本では一時、先の大戦での忌まわしい思い出から、
一部の国民により、それを軽視して来た時期がありました。
国旗掲揚を禁止する学校も数多ありました。


しかし、時が経ち、時代が移り
今はスポーツの世界がそれを再び呼び戻してくれたのには
大きな喜びを感じます。


会社ですら社旗も、社歌があり、それは会社設立の精神を表し、
社員の拠り所とする理念となっています。


空手の各流派もそれに代わるロゴを持ち、
道場訓をその誇りとし、日夜鍛錬を続け、
くじける心の支えにしているのです。


僕は常々愛国者でありたいと思ってはおりますが、
国粋主義者ではありません。

しかし、人間は好きなものを愛し、守り、誇りとして生きる動物なのです。

誰に気兼ねなく、日章旗も君が代も大切にしたいものです。それが国民の誇りです。



葉隠塾  成嶋弘毅


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年代の表現

『年代の表現法』

これは僕が年を表す方法として使って来たいくつかの表現です。

あいつはまだ南に入ったばかりだけど、お前は大ラスだぞ。
とか、麻雀用語で表したり。

一日の、日の出から日没を使い、
まだ朝で希望が膨らむね。そろそろ黄昏時を迎えるな、あのかたも。
とかです。

僕にとっては、直接的に云われるよりサウンドが心地良く響くのです。
若いね。もう年。老人。何か嫌なのです。

そこで考えた成嶋弘毅流、年代表現をご紹介致します。

幼年期を持って(春の季節)

青年期は(夏の季節)

壮年期は(秋の季節)

老年期は(冬の季節)


その中には思いが詰め込められています。


まさに成長期である春

燃え盛る夏

不惑の年。実りの秋

すべての季節を生き、経験した大成の齢。冬


今後、武士道を伝えるに当たって、
この季節的年代表現を多用したいと考えております。





葉隠塾  成嶋弘毅


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一貫不惑

葉隠に、『ものが二つになるが悪しきなり』とあります。
多くを念頭におくことにより、迷いが生じるからでしょう。


そこで、僕の好きな言葉が登場します。


『一貫不惑』



それは、一事を貫き通し、迷いなしと云う意味で、
まさに迷いを振り払う最善策だと信じ、いままでやって参りました。


それは、図に当たらないこともありますが、
思いに思い、迷いに迷い、悩みながらの間違いに比べれば、
ぶざまでもなく、いっそ潔いと僕は思います。


親鸞上人が残した和歌に、



明日あると
   思う心の仇さくら
     夜半に嵐の吹かぬものかは





優柔不断がもたらす”罪”を示唆しております。
明日の事は誰も知るよしもありません。


今がその時、その時が今なのです。



後悔は、やってする方がやらずにするより、数倍気が晴れるのです。





葉隠塾  成嶋弘毅


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