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一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。

第五章




 その日の午後。
参加者は一次試験で全体の約三分の一ほどに絞られたが、二次試験の視聴者はホールに立ち見がでるほどの賑わいになった。二次試験から聞きに来ると言う一般の音楽ファンも多く、学園内も大勢の人々がおしかけていた。
 二次試験は自由曲の演奏である。
 学生といえどもその演奏は、一次試験に比べて、個人の音楽の色とでもいう個性が明らさまに表に出てくる。
 何度もこのコンクールを聴きにくる人にもそれはわかるらしく、その様子は、演奏後の拍手の数を聞けばだいたいの察しはつくものなのらしい。
 アルフォンスの順番は三十三番。最後の演奏だった。
 控え室で待っていると、順番に演奏者が呼ばれ、いなくなっていく。
 演奏の終わった参加者は控え室にはもどらず、他の演奏を聴く為に、そのままホールに向かう。
 控え室には、とうとうアルフォンス一人になった。
 アルフォンスは、一人になった控え室で考えていた。
 編入して約半年。いろんなできごとがあった。田舎から上京し、オスカーと知り合い、やさしくしてくれるマーロウ教官やルイズ教官。教官らのおかげで今、自分はここにいることができる。
 そして本当なら、オスカーはここにいたのかもしれない。
 オスカーの分まで、頑張らなくちゃ。そう思うと、コンクールで優勝だとかはどうでもいいことのように思えた。
フランツだけには負けたくない。
 フランツ以上の演奏をすること。それだけがアルフォンスの心を突き動かした。
「三十三番の方、どうぞ」
 番号を呼ばれ、舞台の袖まで移動した。それから自分の順番が回ってくるのはあっという間だった。
「次の演奏は、三十三番。アルフォンス・シュバッツさん」
 紹介されて舞台中央まで移動する。ぺこりとお辞儀をして、すぐにピアノの前の椅子に座った。
 ……オスカーの分まで頑張るから。
 アルフォンスはゆっくりとピアノを弾き始めた。
 自由曲はショパンの『幻想即興曲 嬰ハ短調』ショパンの残した楽曲でも有名な部類に入るだろう。
 正確な右手のパッセージ。
 大胆かつ優雅な旋律。
 ピアノの前に座るまでは、フランツへの怒りで頭がいっぱいだったのに、弾き始めると、どうでもよくなっていく。
 アルフォンスの思考が、ショパンの旋律と重なり、ピアノを奏でる喜びと楽しさで気持ちがいっぱいだ。
 もっと、透明に。
 もっと、のびのびと。
 弾いていくうちに、まるで鍵盤と自分の指が一体になった感触がして、ピアノが身体の一部になった感覚があった。
 課題曲でのアルフォンスの演奏とは違い、非常に細やかな音と情熱的で歌い上げるかのような十六分音符の連打は、聴いているものを飲み込み、心地よい気分にさせる。
 アルフォンスの演奏が終わると同時に、拍手の嵐が起きた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかったが、オスカーが客席で立ち上がると、周りのみんなも立ち上がって拍手をした。
 アルフォンスはお辞儀を何度もして、舞台から去った。


to be  continued……

第五章



 ……終わった。
 たぶん上手くいったと思う。アルフォンスはピアノを弾き終わり、顔を上げたが、会場は、しんと静まり返っていた。
 集中してピアノを弾いたせいか、興奮して息が上がっていた。アルフォンスは息を整えつつ席を立つと、舞台中央に立ってお辞儀をした。
 反応がないで、こんなものかとゆっくりと顔を上げたとたん、割れんばかりの拍手が聞こえてきた。
 舞台からライトが眩しすぎて、客席はよく見えないけれど、「ブラボー」という声と共に、拍手の嵐だった。
え? 僕のピアノに、こんなにも拍手してくれる人がいる。アルフォンスは、正直、びっくりしていた。
 いままでアルフォンスは、ピアノのコンクールというものに、参加した経験がなかった。
 田舎の学校では、生徒でピアノが弾ける子は二、三人しかいなかったし、その中では弾けるほうだとは思っていたけれど、よくわからない。
 自分の実力もよくわからいまま、舞台に上がったというのが、正直な気持ちだ。学区内とはいえ、こんなにも自分のピアノを聞いて、拍手してくれる人がいると思うだけで、アルフォンスは嬉しくて堪らなかった。
 まだ興奮が冷めない。
 アルフォンスは再度、客席にむかって丁寧な礼をすると、舞台の下手に歩き出した。
 アルフォンスが控え室に戻り、ほっと一息つくと、オスカーとルイズ教官が、これから一次試験の発表だからと呼びに来た。
「よく弾けていたぞ」
「頑張ったな」
 いつもは厳しいルイズ教官が、優しい言葉をかけてくれる。
 アルフォンスはそれが嬉しくて、一次試験でこのまま落ちてもかまわないなと、発表の掲示板に向かいながら考えた。
 二次試験は上位者のみの発表なので、ホールで直接名前を呼び出されるが、合格人数の多い一次試験は掲示板に合格者のみ番号が張り出される。
 人だかりのあるホールのホワイエを進み、人の垣根をかきわってボードの前に陣取った。
「百十六番、百十六番……」
 番号を探すが、人混みが多くてボードに近づけない。しばらく待っていると、番号を確認できた人が去り、ようやくボードに近づけた。
 一足先に番号を見つけたオスカーが、「あったぞ!」と、教えてくれたが、自分の目で番号を確認しないことには落ち着かない。
「あ、あった!」
「よかったな。アルフォンス」
「うん。ありがとう」
 アルフォンスは礼を言いながら、自分より二つ前の番号を探す。百十四番。 その番号は当然のごとく、そこにあった。
 アルフォンスは百十四番の演奏者だけには負けたくないと、午後の二次試験に挑むことにした。


to be  continued……

第五章

 


とうとうコンクールの日がやってきた。
 学園内の学生が皆意気揚々とし、興奮しているのがわかる。それはホールに集まった参加者にはたまらない刺激となり、度をこして必要以上に緊張してしまう輩も多くいた。
「アルフォンス。しっかりな」
「あまり気負いすぎるな。いつものように弾けばいい」
「はい」
 オスカーとルイズが、控え室にいたアルフォンスの激励に来てくれた。
 正直、ここに知っている顔があるというだけで、アルフォンスはありがたかった。控え室は他人はみなライバルだという殺伐とした雰囲気が充満していて、それだけで歳下のアルフォンスは飲まれそうになる。
「次はアルフォンス・シュバッツさん」
 アルフォンスの順番はまだ先だが、プログラム三番先ほどで名前を呼ばれ、舞台の袖で待機するように言われている。
「はい。今行きます」
「客室から応援してるぞ」
 オスカーとルイズは、アルフォンスを見送った。
 アルフォンスが舞台の袖に用意された椅子に腰掛けると、二つ手前の椅子にあの学生が座っていた。フランツだ。彼は緊張しているのか、片足を床に着けたまま、貧乏揺すりをしていた。
 ライバル視していたオスカーはここにはいないというのに。
 自分より年齢も上、きっと今までにコンクール経験もアルフォンスよりもたくさんあろうかという学生が、ここまで肝の小さい男なのかと思ったら、アルフォンスは少しおかしくなった。
 不思議と緊張が解けてきた。この男だけには負けたくない。あんな卑劣なやり方でオスカーを陥れたヤツだけには。
 ……オスカー、絶対、約束を果たすよ。
 アルフォンスは静かな闘志を燃やしていた。
「次の演奏は、百十六番。アルフォンス・シュバッツさん」
 アルフォンスは思った以上にリラックスして、自分の順番を迎える事ができた。
 名前をよばれ、舞台中央へ歩いてお辞儀をする。
 曲目は課題曲のシューベルト作曲、ピアノソナタ第十六番イ短調。アルフォンス鍵盤の上に手を構えると、いつものように落ち着いた態度で弾き始めた。
 悲壮感のあるメロディだが、アルフォンスは丁寧に音を奏でた。どんなに小さく弾いても、会場中の隅々まで音が届く。バランスのとれたタッチは、音の強弱の差があればあるほどよくわかり、聞いているものが思わず見入ってしまう。集中して音を大事にしている姿勢は、誰もがアルフォンスに好印象を与えた。




to be  continued……

第四章



 アルフォンスがアパートに戻ったのは、すでに夜中だった。
 食事の仕度は朝出る時にしてきたけれど、怪我人をずっと部屋に一人にさせておくには心苦しい。昼間誰もいない部屋で、オスカーを一人留守番させるのはなにかと不自由だろう。
 オスカーをイジメた相手もわかった事だし、昼間誰もいないアルフォンスのアパートで待つより、奥さんが居るマーロウ教官の家へ戻ったほうが彼にとっては過ごしやすいはず。アルフォンスはアパートに戻ったら、オスカーに話をするつもりだった。
「ただいま。遅くなってごめん」
 アルフォンスが部屋に戻ると、オスカーの姿が見えなかった。灯りはついているのに、どこにも居ない。一体、彼は何処に行ったのだろう。もしかして、フランツがここを突き止めて、どこかへ連れて行ったのではないか。一瞬、悪い考えがよぎり、慌てて部屋を出た。
 地下までつくづく階段を下りていた途中、小さいけれど、ピアノの音が聞こえた気がした。
 確か今日はお店は休みのはず。まさか泥棒じゃないよね。
 アルフォンスは、ジャズ・バーのある地下まで降りていった。
 近づくと、やはり音はここからのようだ。ドアのノブに手を伸ばすと、鍵はかかっておらず扉が開いた。アルフォンスは用心深く、ゆっくりと中に入った。グランドピアノの側まで近づくと、弾いていたのはオスカーだった。
「オスカー! なんでここに? 腕は大丈夫なの?」
「お、アルフォンスか。お帰り。昼間暇そうに窓の外を眺めてたら、バーのオヤジが来るのを見かけたんで、ピアノを貸してもらった」
 オスカーはぶっきらぼうに言うと、悪びれもせずニカっと笑った。
 そんな事より、「怪我は大丈夫なのか?」と再度尋ねると、当然のごとく「リハビリ。リハビリ」と答えが返ってきた。
 こんな明るい態度をとっているが、きっと内心はオスカーも気が気ではないのだろう。本当ならば、今頃、ルイズ教官の猛特訓のレッスンの真っ最中だったはずなのに。それが判るだけに、アルフォンスは何も言えなかった。
 アルフォンスはピアノの前に座るオスカーに近づくと、火傷を負った方の指をとった。
「オスカー。あんまり無理はしないでね」
 包帯の上からゆっくりなぞる。オスカーの性格からすると、無理をしてしまうのは仕方のない事だろう。焦らない方がおかしい。ピアニストにとって、一日ピアノに触らない事が、どれだけ後々、悪影響を及ぼすか。それを考えると自分も同じ目にあったら、オスカーと同じ事をするかもしれない。ならばせめて自分に出来る事ができたなら――。
 しばらく指さえ動かさなかった為か、包帯から見えるオスカーの指がむくんでいた。
 アルフォンスはオスカーの指をとると、包帯から出ている部分だけゆっくりとマッサージを始めた。少し驚いた顔をしたオスカーに、「これくらいしか、ボクにはできないから」と言うと、嬉しそうな微笑みが返ってきた。
「悪いな……」
「どうしたの? 今日はやけに素直だね」
「オレにだって素直な日ぐらいあるんだ。それよりお願いがある」
「なに?」
「オレの代わりに、今度のコンクールはお前が優勝してくれ」
「ボクに?」
「お前なら出来る」
 オスカーはマッサージしていたアルフォンスの手の上に、火傷をしていない指を重ねた。重ねた指が、ぎゅっとアルフォンスの手を握る。
 オスカーの真剣な双眸に、アルフォンスは目を反らせなかった。
 本当なら、自分で優勝を狙いたいところだろうが、現実には厳しい。今の現状が、どれだけオスカーにとって苦しいものなのか、同じピアニストを目指すアルフォンスには、痛いほどわかり、断ることなどできなかった。
「うん。わかった」
「約束だぞ?」
「うん。約束する」
 アルフォンスはオスカーの指をマッサージしながら、絶対にアイツだけには負けたくない。と思った。

to be  continued……

第四章




 翌日、オスカーは大学を休んでアルフォンスのアパートで過ごしていた。 アルフォンスは大学に向かい、マーロウとルイズに昨日の話をした。
 話を聞いている側から、ルイズは「けしからん!」と指をぽきぽきならすのを、横で聞いていたマーロウが「落ち着いてください」と何度も窘めた。
 まるで檻の中のライオンのように、うろうろと教官室の中をルイズが歩き回る。アルフォンスが全てを話し終わると同時に、食ってかかった。
「アルフォンス。その話は本当なんだな?」
「はい。名前もはっきり言ってましたし、なにしろルイズ教官を呼びに学生が来た時、ボクもそこにいましたから確信があります。それに、オスカーにも確かめました」
 アルフォンスが自信を持って答えると、側で聞いていたマーロウが「オスカーがよく話しをてくれたね」と感心しながら言った。
 マーロウが感心するくらい、筋金入りの頑固者のオスカーの心を砕いたかと思うと、アルフォンスは少し照れ臭かった。
 脳裏には、オスカーのハグをしたのを思い出したからかもれない。
 アルフォンスが「……最初は嫌がっていましたけど」と、心持ち小声で頬を赤くしていたが、幸い、マーロウとルイズは気にも留めていなかった。
 ルイズがたたみ掛けるようにマーロウに尋ねた。
「フランツというと、もしかして四年にいるフランツ・クルップの事か?」
「ええ。たぶんそうでしょう。確か彼の家は相当な資産家だと聞いています。ルイズ教官。彼のレッスンを了解しなかった事を覚えていますか?」
「うーん」
 ルイズは腕組みをして思い出そうとしているようだったが、無理なようだった。そもそも、オスカーがここまでの暴行を受けるようになった経緯は、ルイズにも責任もあるのだ。
「悪い。そんな事もあったようだが、私の所にくる学生も多いからな。正直覚えていない」
 アルフォンスが聞いた学生同士の話だと、イジメのきっかけは、希望したルイズのレッスンを断られ、代わりにレッスンを受ける事になったのがオスカーだったと言う。客観的に言えば逆恨みだ。
「「オスカーが可哀想……」」
 ルイズの様子を見たマーロウとアルフォンスは目で合図したが、それをお互い言葉には出さなかった。
「それでどうする?」
「それなんですけど、お二人に相談があります」
 アルフォンスはルイズとマーロウに話を始めた。


to be  continued……

第四章



 部屋に戻ったアルフォンスは、オスカーに先程の話をした。
 オスカーは話を聞くとしばらくの間、顔を歪ませて黙っていた。
「どうして黙っていたの? そしてこのまま黙っているつもり?」
 アルフォンスは犯人の糸口を見つけたとばかり、オスカーに報告したが、文句を言うわけでもなく、じっとアルフォンスの話に耳を傾けている。
 我慢しているのか。それとも、年上ばかりの学生のイジメが怖いのか。
 アルフォンスは、オスカーが無言でいる理由を考えてみたが、解らなかった。暴言の一つでも行ってくれれば、少しは楽になるのに。と、アルフォンスは思っていたが、オスカーは頑なに何も言わない。だんまりを続けるオスカーに、アルフォンスは静かに言葉を繋げた。
「ボクじゃ頼りにならないかな。貴方の支えにならない?」
 アルフォンスは怪我をしたオスカーの手に自分の手を重ね、じっと返事を待った。
 オスカーはゆっくりと双眸を閉じた。
 何か思い詰めているのはよくわかる。オスカーのことだ。何か理由があるはずだ。
 アルフォンスは重ねた手に力を込めると、オスカーは目を閉じたまま、ゆっくりと声を絞り出した。
「ごめん。今まで話さなくて悪かった。お前の事が当てにならないとか、支えにならないとかは全然思ってない。もし、オレが名前を上げたとしたら、お前はヤツに黙っているとは思えなかったし、お前までイジメにあう事になったらと考えると、話せなかったんだ」
 やっぱり。
 一緒に過ごすこすことが多くなってわかったことだが、オスカーは、いつでも自分よりアルフォンスを優先してくれる。理由はわからないけれど、アルフォンスが困ることがあるより、自分が痛みを感じることを選ぶ人なのだ。
「そんな事、心配しなくてもいいのに」
 アルフォンスは、オスカーの気持ちが聞けて、心底嬉しかった。
 今まで何度尋ねても、火傷の犯人や、イジメを我慢している理由を教えてくれなかった。気持ちを吐露してしてくれるくらいには、アルフォンスを信頼してくれているということだ。
 少なからず、オスカーとの距離が少し縮まった気がして、アルフォンスは嬉しかった。
 一つ吐き出してしまえば、楽になったのだろう。オスカーは、決心したようにアルフォンスに向き合った。
「アルフォンス。家族になってくれるっていったよな?」
「うん。言った。覚えているよ」
「図々しいことは、百も承知だ。これから辛い事があったら、お前にだけは全部話す。だから……家族にしてくれるか? 支えてくれるか?」
 オスカーははっきり言うと、アルフォンスは即答した。
「もちろん」
「そのかわり、お前も何かあったら話せよ」
「わかった」
 アルフォンスが大きく頷くと、オスカーは急にほっとした顔つきになった。慌てて顔を背けたが、きらりと頬を光るものを、アルフォンスは見逃さなかった。
 アルフォンスは背けたオスカーの頬を伝う涙を、指でそっと触れた。触れた手が、ゆっくりと頬をなでる。
 それはとても自然だった。
 母親が子供にするように。
 子供が母親にねだるように。
 そっと触れるだけのキス。
 唇がふれたとたん、二人ともすぐに離れた。心臓がどきどきしたが、これはただのハグだからと言い聞かせる。
「えへへ」
「なんだよ」
 お互い、照れくさいのか、苦笑いになった。
「オスカーはボクより一つ年上だから、兄さんだね」
「そうだな」
「案外泣き虫な兄さんも可愛いよ」
「こら! 年上のオレを捕まえて、泣き虫言うな!」
 すぐにいつも調子にもどったオスカーを見て、アルフォンスは少し安心したと同時に、決意をした。
『ボクはこの人を支える家族になりたい』
口には出さなかったが、心からそう思った。


to be  continued……


第四章

 

 4



「お茶でも入れようか。それともお腹が減ってる?」


 部屋に荷物を運び終わったアルフォンスが、オスカー尋ねると、すかさず「お前のシチューが食いたい」と答えが返ってきた。


「シチューか」


「無理かな……」


 急にオスカー声のトーンが小さくなった。まるで小さな子供だ。しゅんとなるオスカーを見ると、なんとなく可笑しくなった。


「無理じゃないよ。オスカーらしいね」


 アルフォンスは小さく笑った。


「なんだよ。シチューが食いたいというのが、そんなに可笑しいか?」


「ううん。よかった。食欲があるのは、いいことだよ。少し時間がかかるけれど、待てる?」


「おう!」
 

アルフォンスはシチューを作る材料を確認し、「足りないものを買ってくるから」と部屋を出た。
 

よかった。一時オスカーは、必要以外は口も利かない。食事もほとんど取れなくて、心配したけれど、こ


れで少しは元気になるだろうか。
 

 出来るだけ早く戻って、おいしいシチューを食べさせてあげたい。アルフォンス少しは表通りを出て店を


まわり、シチューを作るのに必要な食材を急いで調達し、アパートへの帰路を急いだ。


       *


帰り道の途中だった。


いつの間にか、学生らしい青年二、三人が、自分の前を歩いていた。どこだったかこの後ろ姿は見覚えがある。


 アルフォンスは彼らを追い越さず、知らない振りをしながらしばらく後を歩いていった。彼らは後ろを歩く


アルフォンスの存在に気づかず、楽しげに会話をしていた。


「しかし、まだアイツ口を割らないんだって?」


「ああ。ある意味、すげーよな。だから余計にフランツがイジメるんだよな」


 ……イジメ?
 

 学生の会話に『イジメ』という単語が出てきて、アルフォンスは聞き耳を立てた。


「そうそう。そう言うお前も、今回は手伝ったんだろ?」


「まあな。手伝えはフランツのヤツがコンクールの一次試験はパスしてくれるよう、故意にしている教授に頼んでくれるって話しだからよ」


「お! それいいな。なんでもっと早く俺にもその話を教えてくれなかったんだよ」


「わりぃわりぃ。でも、お前の実力じゃ、一次予選はパスだろ?」


「まあな。それよりもフランツはやけにあの金髪の餓鬼を目の敵にしてないか?」


「それな。元々、アイツはルイズ教官にレッスンを申し込んでいたんだと。それを却下されたのが元らしい

ぞ」


「でも、それだけで火傷まで負わせるか?」


「ああ。それ知ってる。それには別の理由もあるらしい。なんでも先日、用があってルイズ教官を呼びに言ったら、金髪坊主がすごい演奏をしていたらしいぞ。しかもその弾いてた曲がラフマニノフ!」


「あ! わかった。もしかして、自由曲がフランツと同じとか」

「お前、よくわかったな」


「それだけで? ひでーな」


「アイツ、マジで優勝狙っているからな。なんせ俺ら四年生だろ? 先々の事が心配なんじゃね?ここで


優勝しとけばなんたって国際コンクールに出場出来るからな。それくらいあのお坊ちゃまだったらするか


もね」


「おお! 怖い! 俺、絶対アイツを敵に回したくねーぇ」


「それ言えてる!」

 前を歩く学生は、後ろにアルフォンスがいるとも知らず、話に夢中でゲラゲラ笑い合った。


 学生の話を聞きながら、アルフォンスは拳を握りしめていた。

きっと今の話は、オスカーのことだろう。アルフォンスには確信があった。 


名前は出さなかったが、金髪の坊主や、ルイズ教官の名前があがり、そして決定的なのは、オスカーのラフマニノフの演奏だ。


 先日、ルイズ呼びに来た学生がきっとフランツなのだろう。彼は練習室の外で、ルイズの演奏を聴いていたのかも知れない。

今の話が本当なら、フランツというヤツはなんて卑劣なヤツだろう。

優勝を狙っているのなら、正々堂々とコンクールで優勝すればいいものを、年下のオスカー大火傷を負わせてでまで、優勝したいとは。絶対許せない。


それまでにオスカーのピアノの才能は驚異だったのかもしれないが、非道にもほどがある。今の話では、学園内の教官も、汚職まがいの事をしている者がいるのだろう。


アルフォンスは大急ぎでアパートに戻った。



to be  continued……


第四章



「マーロウ教官、オスカーをどう思います?」
 オスカーをアルフォンスのアパートに送り届けた帰りの車の中で、ルイズが尋ねた。
 以前から、一度聞いてみたいと思っていた。
 オスカーの下宿先がマーロウ教官の家だと知ったのは、オスカーが編入してからすぐだ。
 ルイズは夫と二人暮らしだ。部屋も余っていたし、一度妊娠中に過労がたたり流産して以来、子供もこの先出来る予定もない。寂しい夫婦生活に、オスカーのような才能のある子供の面倒を見るのも悪くない一時期考えたこともあった。
ルイズはオスカーの編入試験に立ち会っていたし、オスカーのピアノの腕なら、すぐに合格だとわかっていた。応募書類のオスカーの連絡先を見て、なんならルイズがオスカーの面倒を見てもよいとさえ思っていたけれど、マーロウが先に下宿を申し出たので、様子を見ていた。
「そうですね」と前置きしてしばらく考えた後、マーロウは話を始めた。
「オスカーにしろ、アルにしろ、才能はあるばかりに、まだ子供さが残る年ごろなのに大学という枠に入れられて、可哀想な気がするのは俺だけでしょうか。可哀想の一言で片付けるによくないかもしれないけれど、時々あれでいいものかと思うんです」
 マーロウは車を運転しながら続けた。
「オスカーの方は、他の学生にイジメにあっているようです。ああ、これはここだけの話にしてくださいね。アイツは意地っ張りだから、絶対自分からイジメにあっていると言いませんが、体の傷が年中耐えないようで……」
 ルイズは眉を潜めた。
「じゃあ、今回の件も?」
「はい、おそらく。今回も名前を言わないところを見ると、いつもの相手なんじゃないかと思いますが、オスカーが自分から話さない限り、判らないでしょうね」
「それじゃ、やられ損じゃないか!」
 ルイズは興奮して答えた。
「なんとかならないんですか? 今回はイジメにしては度を超している。警察沙汰になってもおかしくないでしょう」
 マーロウの言うことが本当なら、これは一大事だ。ルイズは腹立たしくてしかたがなかった。
「確かに、ルイズ教官の言う事はもっともです。私も今までオスカーの希望を尊重して黙っていましたが、今度ばかりは……。学園長にも働きかけてみます」
「ああ。私からも、是非お願いする」
 ルイズは運転するマーロウに向かって頭を下げた。


to be  continued……


第四章

 


 二週間後、オスカーは無事に退院する事が出来た。
 アルフォンスは、マーロウ、ルイズと共に退院の迎えに行くと、オスカーは思ったより元気だった。
 右腕のほとんどを巻く白い包帯が痛々しいが、入院中よりも顔色がいい。アルフォンスは、少しだけ胸をなで下ろした。
「今夜はアルフォンスの家に泊まらせてもらいますから」
 オスカーはいきなりマーロウに向かって言うと、隣にいたアルフォンスに「いいよな?」と真顔で尋ねた。
 こんな状況で嫌だと言えるはずもない。
 アルフォンスは「うちでよければ、もちろん」と二つ返事で答えた。
 マーロウは心配したようだったが、オスカーが所望するのなら、しかたがない。ならば「せめてアルフォンスのアパートまで車で送らせてくれ」と、荷物をのせアパートへ向かった。
「我が儘言ってすいません。なるべくアルフォンスには心配かけないようにしますから」
 車を降りるなり、片腕が包帯で殆ど見えないオスカーが、頭を下げた。
 身よりのない自分を心配してくれるマーロウとルイズの心配は、アルフォンスからみても良くわかったが、こんなに礼儀正しいオスカーを見るのも初めてだ。
 マーロウは苦笑いしながら「あんまりむりするなよ」とだけ言った。
 今まで黙って見ていたルイズも、思う所があったのだろう。いつもは厳しい苦言しか言わないけれど、今日ばかりは、優しい顔をしていた。
「我が儘言える元気があるなら、大丈夫だな。アルフォンスには言ったが、多少ピアノの腕がよくて飛び級で大学生になっているとはいえ、お前達はまだ子供だ。甘えられる大人がいる時には、甘えろ。もっと大人を信用してもいいんだぞ?」とオスカーの頭を優しくなでた。
 いつものオスカーなら、そんなことを言われたら反抗しているだろうし、黙って自分の頭をなでられているようなことはないだろう。だが、今日ばかりは違っていた。オスカーは下をうつむき、ルイズに黙って頭をなでられている。それだけ、心が弱っているのかもしれない。
「アルフォンス。悪いがオスカーを頼むな」
「オレはアルフォンスよりも子供か!」
 ルイズの言葉を聞いたオスカーは苦笑しながら愚痴ったが、アルフォンスは「はいはい。けが人はさっさとベッドへ。部屋に入って」と右から左に受け流した。
「ちぇ」
 小さく舌打ちするオスカーは、いつものオスカーだ。 
 その様子に安心したのか、マーロウとルイズは黙ってその場を立ち去った。


to be  continued……


第四章 



「アルフォンス、ぼやっとするな」
 アルフォンスがぼんやりピアノの前でしていると、ルイズから喝が飛んできた。
「すいません」
 ピアノの演奏中に、ルイズの悲しげな顔がちらつく。ルイズに演奏を止められたのは、当然だった。
「またオスカーの事を考えていたのか?」
「……はい。やっぱり今回のコンクールには間に合わないんでしょうか」
 わかっていても、気になるのは、コンクールの件だ。あんなに一緒に頑張ってきたのにと思うと、やりきれない。
「そうだな。少なくとも入院している間はピアノを触れないだろうし、退院してもリハビリしながらになるだろうからな。残念ながら難しいだろう」
 予測はしていたものの、ルイズにはっきり言われると、アルフォンスは余計に気が滅入った。
 次に考えるのはなぜあの時に。という自分への罵倒と、このまま自分だけコンクールに出てよいものか考えてしまう。
「気持はわかるが、考えても仕方がないだろう。お前までコンクールに出ないとは言わせないぞ」
 はっとして顔を向けると、真剣な目をしたルイズと目があった。今はアルフォンスの思考を先読みして言葉をかけてくれるルイズの存在が嬉しかった。
「お前まで出ないと言ったら、オスカーが悲しむぞ」
 ルイズ言葉を聞いて、はっとする。アルフォンスは、涙を浮かべた。
 泣くつもりなどなかったのに、今、オスカーの件をを言われたら涙が勝手にあふれてくる。止めようとするのに、勝手に涙が出てきて困った。
「夜もろくに寝れていないんだろう?」
 珍しく優しい。
 いつもは鬼教官と言われているのに、優しい言葉をかけてくれるルイズの態度に驚いた。
 ルイズは立ち上がると、ピアノ椅子に腰掛けたままのアルフォンスを優しく抱きしめた。
 頭をゆっくりとなでられると、まるで田舎の母にそうされているみたいで、余計に涙があふれてきた。
「……す、すいません」
 泣いてしわがれた声でそういうと、「無理せんでいい。オスカーもお前も、ピアノが上手くて飛び級で大学生になったと言っても、まだまだ子供だ。あんまり無理するな」とルイズに軽く頭をなでながら諭された。
正直、ありがたかった。田舎から上京してきて、気を抜く暇などなかった。大学でも、家での生活でも常に気を張りつめていて、あまつさえ誰かに甘える事など出来なかった。
「泣き終わったら、ビシビシしごくぞ」
 アルフォンスは黙ってうんうんと、頭だけ振った。
 泣きながらオスカーにも、こうして甘えさせてくれる人。頼れる大人ががいればいいのに。と思った。

to be  continued……