【すき家】「強い使命感と超人的な労働」と「労働法の無力」 | なか2656のブログ

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ある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

すき家の問題は、労働者のひとりとしていろいろと考えさせられます。
前回のブログ記事でも取りあげてみたところ、コメントを頂いたため、またいろいろと考えました。前回のブログ記事などはつぎのとおりです。

・牛丼の「すき家」に第三者委員会が調査報告書を提出

・弁護士ドットコム:過重労働指摘の「すき家」 小川会長「成功体験を持つ幹部の意識は変えられなかった」

・ゼンショーホールディングス:調査報告書(PDF)

この問題はいろいろと悩ましいと思いました。今回の第三者委員会の調査報告書が指摘するとおり、すき家の経営幹部達は、「24 時間、365 日営業」の社会インフラ提供という強い使命感超人的な長時間労働で、すき家を日本一にしたという成功体験を共有していた」そうです。

この、経営理念に対するこのなかば崇高とも言える強い使命感超人的な労働は、何もすき家の経営幹部だけの独占物ではないと思います。

例えばベンチャー企業の経営陣や、日本を代表する大企業や、中央官庁などの中枢部門でバリバリと働く働き盛りのサラリーマンやキャリア官僚達が共有する、少し大げさにいえば、「俺たちこそが日本を引っ張って行くんだ」というプライドや、その鋼の意思に支えられた不眠不休の努力(「不断の努力」(憲法12条))にも重なるものではないでしょうか。

そういった意味で、このような強い使命感や超人的な労働をむやみに批判したり禁止するのは、個人の自己実現や、それがもたらす社会の発展を否定することであるようにも思われます。

しかし、経営企画部門の役職員の労働だから裁量労働であり、倒れるまで働いていいですよ、というのも今の時代にあまりにもそぐわないので、やはり労務管理がしっかりとなされるべきと考えます。

そして、そのような強い使命感の裏返しである否定すべき「精神論」「根性論」が企業の経営幹部から、企業の中枢部門以外の部門の一般社員・非正規社員に対して一律に業務命令で、あるいは事実上の形で「強制」されたのが、今回のすき家の過重労働問題の本質だったのだろうと思います。

一方、私はこの調査報告書を読んで、現在の労働法の無力さを改めて感じました。

すき家に対して労働基準監督署2013年度だけでも何と49件もの是正勧告を出したそうですが、経営陣がとり合わなければ意味がありません。

もちろん労働者側が違法だと訴訟を提訴することは可能ですが、それこそ「超人的」な精神・肉体による訴訟活動が必要であり、普通は泣き寝入りすることになると思われます。

パワハラなどの会社の不当な仕打ちに対して勇敢にも訴訟を提起しても、最初は元気だった原告の労働者の方が、公判が進んでゆくと、どんどん精神的にまいってしまい、前向きな方向性が見いだせなくなってしまうので、そのような訴訟の依頼の相談を受けると、まず転職を勧めるという、ある市民派の弁護士の方のお話を伺ったことがあります。)

また、日本の企業には労働組合がありますが、たいていは使用者側の言うことしか聞かない御用組合です。

大学などの労働法の講義では「そもそも労働法は力関係で使用者に対して劣位にある労働者の権利を守るためにある」とか、

労働基準法には労働契約や就業規則でも労働者に不利益に変更できないさまざまな「強行規定」があるとか学ぶわけですが、

実際に大学を出て働いたり、あるいは今回のすき家の調査報告書にあるとおり、いかにそれらの「格調高き理念」が現実社会で「それがどうした」とばかりに使用者側により蹴り飛ばされ粉砕されているか、ある意味、変な笑いすらこみあげる思いです。

労働法が究極的には「契約自由の原則」を本旨とする民事法の一つであり、また労基署も官庁の一つである以上は労使に対して中立のスタンスを旨とするのも、原理としてはどちらも間違っていません。

しかし今回、すき家の『蟹工船』のごとき深刻な過重労働問題が明らかとなり、また、1990代以降のデフレ期の日本社会においてブラックで無い職場を探すほうが難しいような状況が続いており、労働法分野での“使用者側による法令を破ったが勝ち”状態が20年近く継続しているのは、わが国が一応は法治国家であるという建前に照らしてどうなのだろうかと思われます。

(また念のため補足すると、わが国の最高法規である憲法は、一応の建前としては「個人の尊重」「個人の人権の確立」を何よりも尊重されるべきものと規定しています(憲法11条、13条、97条など)。)

ただの一市民が考えても意味が無いことではありますが、たとえば、現在の私人間の関係である労使の関係を横方向から規律する民事ルールとしての労働法を補完する意味で、国・企業の関係を縦方向から規律する行政ルールとして労働について何らかのミニマムスタンダーとしての監督法を立法することはできないのだろうかと思います。

すき家などの外食産業はおそらく厚労省あるいは経産省管轄でしょうが、監督官庁からの監督業法による処分などがほとんど存在しない産業分野なのであろうと思われます。

そのため、今回のような深刻な違法状態が何年も放置されてしまったのであろうと思われます。

一方、たとえば銀行、証券、保険などの金融業界は、金融庁の強い監督に服しています。そのため、問題が発生した場合は比較的早く銀行法や保険業法などの業法(行政法規)に基づく業務改善命令、業務停止命令(最悪の場合は事業の認可の取消)などの処分や指導がなされ、問題が解決されます。

もちろん監督官庁による監督が強いことは企業経営にとってはブレーキとなることは間違いありません。

しかしそれは、すき家の事例のようなアルバイトに平均月100時間もの残業を課すなどという常軌を逸した違法状態を回避することであり、つまり、法令を順守することは、株主代表訴訟などを防ぎ、結果として経営者を含む会社を防衛することにつながります。

また、それは少し大きくいえば、ここ20年ほど日本社会全体で誰からも無視され、漫然と放置されて続けてきた、労働者の人権保障につながると思われます。

(念のため確認すると、労働者も国民である以上は、労働者であったとしても憲法の保障する人権を有しているのです。)

そのような意味で、何らかの形で労働に関する、わが国の全産業を横断して規制するようなミニマムスタンダードの監督業法としての労働法のようなものの立法化が検討されたらよいのではと思われます。

そのような監督業法がもし成立すれば、労働基準監督署の担当者達は、それらの規定を根拠条文として、すき家のようなアウトローのブラック企業に対して、たとえば報告の徴求、立入検査、罰則の適用などの、より強い法的な介入を行い、労働者の人権を保護することができるのではないかと思われます。

国民がこれ以上ブラック企業に「殺される」ことを防ぐためには、現行の各種の労働法が完全に無力である以上、行政法規としての労働法の立法化が要請されるのではないかと思います。

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