南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常 -5ページ目

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

2013年5月にチリのイースター島から寄贈された

由緒正しき“本物”のモアイ像。

プカオ(帽子)を被り、眼が嵌め込まれています。

この週末に全国放送のTVで紹介されるので、彼を目当

てに町を訪れる旅行者が増えるかもしれません。

 

 

私イチオシの後ろ姿。

彼は未来永劫南三陸町を見つめ続けるのでしょう。

 

震災前、(主に)志津川中心部に設置されていた

モアイ柄のマンホールの蓋。震災後も各所で見ることが

出来ましたが、現在はほぼ全てが新柄の蓋に取り換えら

れています。現役の蓋が現存しているかは不明です。

※私は見つけられませんでした

 

旧志津川駅のロータリーにあったモアイの石板。

既にこの世に存在していないと考えられます。

 

震災前はさわやか公園入口、震災後は戸倉公民館に

佇んでいた張子型のモアイ像。

これは残るだろう、と思っていたのですが…。

 

 

期待は裏切られ、一切の告知も無く無残に破壊・撤去

されました。この事実は、きっと大きな失敗です。

 

館下橋のモアイ像。

出会った頃から何も変わらず、ずーっと元気。

笑顔なのでほっこりする存在です。

 

向かって右側のモアイは、胸に何かを抱えています。

 

ちなみに館下橋の下には八幡川が流れています。

 

モアイとチリ地震について書かれているようです。

国道に設置されているので、実際に読まれた方は

少ないのではないでしょうか。

 

震災前、松原公園に設置されていたモアイ像。

いわゆる初代のモアイ像です。

津波で破壊され、頭部と胴体部分が分離しました。

頭部は、きっと今も志津川高校で保管されています。

 

何故か公の存在になりきれない胴体。

今も、ある場所で再生の日を待ち続けています。

個人的には一番“身近”なモアイ像です。

 

 

最後の一枚は象形文字的なモアイです。

ご記憶されている方はいらっしゃるかな…?

 

この地を去ったモアイ・今も残り続けるモアイ。

10年という月日の長さを改めて感じます。

特別養護老人ホーム 慈恵園。

もう随分前に解体されてしまいましたが、今も強く記憶

に残っている施設です。

室内の壁には、津波の跡が残っていました。

 

その後その跡地にはJA南三陸、そして隣地には工事

事務所と宿舎が建設されました。

 

時は流れ…

工事事務所も、宿舎もその役目を終え解体されました。

ここがその跡地です。

町づくりの為に多くの時間を費やしてくれた方々に、

改めてお礼を言う機会に恵まれなかったことが残念で

なりません。

 

志津川高校へと続く細い通路です。

ここを進むと、古い遊具があります。

 

 

遊具こそありますが、固有の名のある公園ではなかった

ようです。今は草に覆われていますが、かつてここに

人が集まっていたであろうことは想像できます。

 

 

 

遊具が残ることになった経緯はかつて聞いたことが

あります。ただそれは恒久的な約束事ではなかったとも

記憶しています。

この状態で、このままここに残り続けることが良いこと

なのかは、私には判断が出来ません。

 

奥に見える東屋はあまりにも遠く、辿り着くことは

叶いませんでした。

 

 

各地から集められた神様たち。

蔦が絡み飲み込まれ、このままこの地の土着の存在に

なるのでは…。こんな妙な感覚に囚われました。

 

 

ここに旅行者が訪れることはまずありません。

時折学生が行き過ぎるだけの静かな場所です。

こういう場所、少なくなってしまいましたね。

 

震災後、長きに渡り数多の観光客を受け入れてきた

仮設時代の南三陸さんさん商店街。

解体されて約4年半経過しますが、心の中では未だに

元気に営業を続けているイメージがあります。

 

現在その敷地には物流会社の集荷場が建設され、活気に

満ちています。町民が多く利用する施設です。

 

このゲート、とても印象的で大好きでした。

いつも「帰ってきた」と思わせてくれる存在感。

本設の商店街でも継承して欲しかったなぁ。

 

同じ場所から撮影。

今回数枚の“定点写真”が登場しますが、全て過去の

写真を意識せずに撮影した現在の写真です。

同じ人間が撮ると、自然と同じアングルになるもの

なのですね…。

 

震災後に寄贈されたモアイ像。

現在は本設のさんさん商店街に移設されています。

 

同じ場所から。

さかなのみうらには沢山のお客さんが訪れています。

ポータルも間もなく解体されるので、なんだか寂しく

なってしまいますね。

 

BRT志津川駅跡地です。

 

 

東側の入場ゲートです。

この場所でJRによる撮影が行われました。

全てがとても懐かしいです…。

 

同じ場所から。

こうして改めて比較すると、時間の経過を感じます。

 

なんと表現すべきでしょうか。

町の商人たち、町外から訪れる人々の想いがぎゅっと

凝縮されたような、元気で素敵な商店街でした。

人々の記憶に、いつまでも残ってくれたら嬉しいです。

遠くない未来、更地になるだろう。

そして実際に工事関係者からもその予定を聞いていた

のですが、せせらぎ公園は今も残っています。

 

ご覧いただいているのは、約半年前の写真です。

当時はスッキリとした見た目でした。

 

周辺の整備が進む中、かろうじて以前の姿を保って

いるせせらぎ公園。時間が経過するほどに、もしか

すると…という期待は高まっていきました。

 

 

 

こちらが現在のせせらぎ公園です。

雑草が凄いことに…。

この時期は仕方がないですね。永遠に生えてきます。

 

腰の低い向日葵が出迎えてくれました。

 

 

特に荒れることなく、当時の姿のままです。

 

このまま残ってくれたら嬉しいですが、入口の石柱?が

移動していたのが気に掛かります。

当面は、経過観察が必要かもしれませんね。

町の役場第二・第三庁舎が間もなく解体されます。

この二つの施設には、個人的にも思い入れがあります。

 

新しい役場が完成する前、主たる役場として活躍して

いた第二庁舎。私もここで住民票を移動しました。

 

またここは、つい数ヶ月前まで私の職場でした。

広く快適な施設だけに勿体ない…。

 

 

こちらは第三庁舎です。

一時期公立南三陸診療所として活躍していました。

私の中でも“病院”のイメージが強いです。

 

この建物は、私の最初の職場でした。

もう6年も前のことです。

 

 

 

 

震災後の混乱期、この2施設では役場関係の皆さんが

まさしく命を削って仕事をされていました。

最後の一枚に写るテニスコートとともに、私にとって

ある意味“神聖”な場所でもあります。

最後に写真を残せて良かったです。

 

民間震災遺構・高野会館。

震災前から残る、希少な建物の一つです。

現在周辺道路が綺麗に整備され、海沿いでは新たに

防潮堤を建設している最中です。

 

 

 

震災後の町では高層の建物は滅多に見掛けない為、

下から見上げると中々の威圧感があります。

 

 

高野会館の屋上では、多くの命が救われました。

そういった観点からも、この建物に価値があることは

否定するところではありません。

 

 

 

でも、保存すると決めたのならば、所有者は責任を

持って維持・管理を進めるべきです。

経年劣化に対し、もっと町に住む方々に見える形で。

遺構として見学の導線を整えているのなら尚更です。

 

 

旧国道45号沿いにあった高野会館。

この道は僅かに残る旧道の面影です。

 

同じ場所から撮影した、2012年の写真です。

そうか、警察署はこの方向にあったのか…。

記憶の中で、風景は上書きされ続けています。

 

時間が止まってしまった施設。

私にはそう感じられます。

再び秒針が動き出す時、この建物の真の価値を測る

ことが出来るようになるのではないでしょうか。

震災から10年。

志津川駅は現在も存在しています。

町の方針かはわかりませんが、私にとってはとても

嬉しいことです。

 

かつて線路が敷かれていた盛土部分も残されています。

 

ホームに繋がる通路側は相変わらず半閉鎖状態です。

 

今は草が一番生い茂る季節。

どこからこどまでが駅なのか見分けづらい状態です。

 

仙台方面を望みます。

 

 

特に立入禁止にはなっていないか…。

 

 

 

床はぶ厚い泥で覆われています。

とても歩ける状態ではありません。

獣の足跡だけが点々と残されていました。

 

 

 

別の場所から。

元の線路の形がよくわかります。

 

線路の先にはトンネルの入口が見えます。

BRTの専用道になるはずだったのかな…?

結局そうはならずに、かといって埋められることもなく

この場に残されています。

 

当初、この線路は越えないであろうと考えられていた

10年前の津波。しかし現実は違いました。

その事実を伝える為にも必要な遺構なのではないかと、

私は考えています。

歌津の寄木にある「さとうみファーム」。

ここでは沢山の羊が飼育されています。

特徴はワカメの茎を飼料に混ぜていること。

“わかめ羊”というブランドです。

 

ここの肉は臭みが無くて美味い、ということはよく耳に

していました。全国版のTVでも取り上げられ、人気に

火が点いたようです。これはしばらく食べれないだろう

な…と思っていたのですが、先般試食をする機会に

恵まれたのです。

 

残酷……と思われるかもしれませんが、命はこうして

巡るもの。感謝していただきます。

 

 

 

これは……想像以上に美味しい…!

もの凄く柔らかいし、本当に臭みがありません。

ただ無臭という訳ではなく、ほんのりと羊の香りが

鼻を抜けていくように感じられます。

一般的なラムやマトンとは別物の印象。

肉自体の味も濃いです。ワカメの効果…?

高級なのでそう易々とは食べられませんが、一度は

試していただきたいお肉です。

 

 

 

食後に胸を去来する、満足感と罪悪感。

口に入る全ての生き物・植物に感謝です。

 

余談ですが、先日ウォーキングをしていた時のこと。

小さな「メェ~~」という声が聞こえてきました。

沼田には羊や山羊も生息しているのか…?

声のする方向に目を向けると、カモシカの子供と目が

合いました。。カモシカって鳴くんですね…(笑)。

一昨年の台風19号により浸水した施設、南三陸

ポータルセンターが間もなく解体されます。

私にとっては思い出の詰まった職場。

こんな形で解体することになるとは…。

自然災害、決して侮れません。

 

 

ポータルが建設されたのは2013年。

私が町に通い始めた頃、ここは空き地でした。

過去の写真は沢山ありますが、敢えて振り返りません。

 

 

この辺り、毎朝拭き掃除したなぁ…。

 

人が住まなくなった家の傷みが早まるように、ポータル

も一気に老け込んだような印象です。

 

震災前は公営住宅があったと記憶しています。

周囲の嵩上げ工事が進んだ現在、低地に位置するここに

施設を建てるのは困難でしょう。

※実際に台風の際は本当に大変でした……

 

 

数多くの一般のお客様、学生さんが訪れてくれました。

町の人たちとも沢山交流したなぁ。

解体までのあと少しの間、せめて記録だけは残して

おこうと考えています。

震災から10年が経過し、宙に浮いていたその存在の

方向性がそろそろ決まるのだろうなぁ…と個人的に考え

ているものが町内には複数あります。

その一つがこの重機です。

町並みが整いつつある中、ポツンと置いてけぼりにされ

てしまった重機とは、もう約10年の顔見知りです。

 

敢えて接写を試みたのは、私の中で確固たる予感が

あったのでしょう。別れの日は近い、という予感です。

 

ある日突然、“彼”はいなくなってしまいました。

廃棄されたのか。持ち主が処分したのか。

いずれにせよ、ここには大きな「不在」だけが佇んで

いるように私には感じられました。

 

消える遺物あれば、残る遺構あり。

時間を掛けて、様々な“現在”を追ってみようと

考えています。