10年後の存続(慈恵園隣の遊具) | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

特別養護老人ホーム 慈恵園。

もう随分前に解体されてしまいましたが、今も強く記憶

に残っている施設です。

室内の壁には、津波の跡が残っていました。

 

その後その跡地にはJA南三陸、そして隣地には工事

事務所と宿舎が建設されました。

 

時は流れ…

工事事務所も、宿舎もその役目を終え解体されました。

ここがその跡地です。

町づくりの為に多くの時間を費やしてくれた方々に、

改めてお礼を言う機会に恵まれなかったことが残念で

なりません。

 

志津川高校へと続く細い通路です。

ここを進むと、古い遊具があります。

 

 

遊具こそありますが、固有の名のある公園ではなかった

ようです。今は草に覆われていますが、かつてここに

人が集まっていたであろうことは想像できます。

 

 

 

遊具が残ることになった経緯はかつて聞いたことが

あります。ただそれは恒久的な約束事ではなかったとも

記憶しています。

この状態で、このままここに残り続けることが良いこと

なのかは、私には判断が出来ません。

 

奥に見える東屋はあまりにも遠く、辿り着くことは

叶いませんでした。

 

 

各地から集められた神様たち。

蔦が絡み飲み込まれ、このままこの地の土着の存在に

なるのでは…。こんな妙な感覚に囚われました。

 

 

ここに旅行者が訪れることはまずありません。

時折学生が行き過ぎるだけの静かな場所です。

こういう場所、少なくなってしまいましたね。