10年後の存続(志津川駅) | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

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宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

震災から10年。

志津川駅は現在も存在しています。

町の方針かはわかりませんが、私にとってはとても

嬉しいことです。

 

かつて線路が敷かれていた盛土部分も残されています。

 

ホームに繋がる通路側は相変わらず半閉鎖状態です。

 

今は草が一番生い茂る季節。

どこからこどまでが駅なのか見分けづらい状態です。

 

仙台方面を望みます。

 

 

特に立入禁止にはなっていないか…。

 

 

 

床はぶ厚い泥で覆われています。

とても歩ける状態ではありません。

獣の足跡だけが点々と残されていました。

 

 

 

別の場所から。

元の線路の形がよくわかります。

 

線路の先にはトンネルの入口が見えます。

BRTの専用道になるはずだったのかな…?

結局そうはならずに、かといって埋められることもなく

この場に残されています。

 

当初、この線路は越えないであろうと考えられていた

10年前の津波。しかし現実は違いました。

その事実を伝える為にも必要な遺構なのではないかと、

私は考えています。