永松昌泰学長のブログ【ものの道理で人生を豊かにしよう】 -13ページ目

現代医療 (3)

こんにちは。「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。


続きです。


その後、今から20年近く前でしょうか・・・
60歳代の内科医の方とゴルフをしていました。

何かのきっかけで私の症状について話すと、


「ああ! 実はその症状については、つい最近分かったばかりなんだよ。
最近の医学論文に載っていてね。本当につい1ヶ月前だったかな。

実はね、そういう症状がある方は、
従来は脳腫瘍の疑いがあるとされていたんだよ。
だから、実はそういう症状を持っている方は、
すごく心配だったんだけれど、
結局はそうではなくて、
ちょっとした血管の収縮の問題だったことが分かったんです。

まあ簡単に言えば、正座すると足が痺れますよね。
あれと一緒で、何らか血管が圧迫されて、
一時的に血管が狭くなるとそういう症状が起こる。
脳腫瘍ではないんだよ。

だから良かったですね。」


と言われました。


「ありがとうございます!
そうすると、どうすれば良いのでしょうか?
どうすれば治るんでしょうか?」

と訊きました。


「うーん。それがね。今はようやく原因が分かっただけで、
治す方法というのは、なかなかないんだよ。
血管拡張剤という処方は、決して悪くないんだけれど、
まあしょせん対症療法だし、治すということは難しい。
君がずっとっていた鎮痛剤と、まあ結果的にはあまり変わらないね。
だけど、脳腫瘍ではない、ということが分かっただけでも良かったじゃない。」


そうですね。良かったです。有難うございました!

という会話だったと記憶しています。

脳腫瘍が疑われる症状だったなんて、びっくりでしたが、
ともかく血管収縮という問題だ、ということで、
それなりには安心しました。


つづく

現代医療 (2)

お早うございます。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。


実り豊かだった英国出張から昨夜遅く帰りました。
その話は、またしましょう。


さて、前回の続きです。

その後、私の症状にはしばらく何の変化もありませんでした。

医師が処方した薬をとらなくなって、4~5年過ぎたころでしょうか。
友人に、定期的にくる症状について話をすると、
鎮痛剤はとってる? と聞きました。


信じられない方もいらっしゃるかもしれませんが、
実は、私は「鎮痛剤」というものが世の中にあって、
薬局に売っていることを
20歳過ぎまで知りませんでした!


友人が勧めてくれたバファリンを摂ると、
30分もすれば、痛みも和らぎ、ゆっくりと眠ることができました。

そして、目に異常をきたした時にすぐに薬をとると、
次第に全身の気怠い感覚とともに、痛みがくる前に眠ることができました。


やった!
これでもう怖くはないぞ! と私は驚喜しました。

薬って、何て有難いものなんだろう!
バファリン有難う!
鎮痛剤 ありがとう!


私は本当に薬に感謝しました!
もう「バファリンさま」には足を向けては眠れない!

という思いでした。


つづく

現代医療 (1)

お早うございます。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。



少し前の記事について、「断薬」に関するコメントがいくつかありました。


実際には、その記事の主題は断薬ではまったくないのですが、
そのせいもあって、
薬についての記述に多少舌足らずのところもあり、
引っかかったのでしょう。



どんな話題であっても、
後でブログを読み直した時に舌足らずだと感じる部分は、
いつも後で加筆修正しています。


ただし、予断をもって曲解をしなければ、
意図は誤解なく十分に通じると思いますが、
多少舌足らずのところはあっただろうと思います。



ちょうど良い機会ですので、
私の現代医療についてのお付き合いや考えを、
少し、シリーズで書いていきたいと思います。


そして、医師から処方された薬について、
どのように考えているのかにも、シリーズの中で触れましょう。




私は小さい時から病気らしい病気というものを、
あまりしたことはありませんでした。


ただ、13歳くらいからでしょうか、
ちょっと不思議な不調が定期的に起こりました。


突然、眼の焦点のところが
ぼやっとし始めて、
次第に広がっていきます。
右側か左側かどちらかに広がり、
やがて視野の半分近くが
大正や明治時代のガラスのように歪んでしまいます。


30分くらい経つと、
視野は次第に正常に戻っていくのですが、
今度は猛烈な頭痛が起こり始めます。

視野の異状が起こる側とは反対側です。



この痛みは、眠ると治るのですが、
当然ながら痛むので寝られません。

七転八倒して、半日後にようやく眠り、回復しました。

そういうことが1年に5~10回程度起こりました。




そのうち、田舎を出て東京の高校(正確には横浜ですが)に行くようになり、
高校2年生の時に、高校の保証人になっていただいていた
慶應の教授の紹介状をもって、
信濃町の慶應病院に行きました。



一日いろいろな検査をした末、
診断名は「点輝性○○○」(覚えているのは点輝性というところだけです)で、
原因は不明だが、血管拡張剤が有効、ということでした。


薬を処方されました。


その薬を処方通りとりましたが、
全身の倦怠感や気分が落ち込むなど、すぐに調子が悪くなりました。

また、症状が起こる頻度も変わりません。




それで、医師に相談すると、
これは原因が不明で、治癒は難しい。

これからはその症状が起こった時にだけ薬をとってください、
ということになりました。



そうしました。

すると、確かに「効果」はありました。



それまでは5~6時間は眠れなかったのですが、
3時間くらいで眠れるようになりました。

ただ、痛みはそのままで、
他に変化はありませんでした。


それで、何となく病院からは足が遠のき、
そのままになりました。




つづく

英国に来ています。

お早うございます。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。


ちょっと1日2日空いてしまいました。
木曜日の早朝に成田を立ち、英国に出張しています。

ちょっとハードスケジュールで、
何人もの方々と会って旧交を暖めたり、
大切な話をしたり、
セミナーを聞いたり、いろいろと大事な出張です。


着いた日は、
David Mundy 先生と、Deniseさんと夕食を共にしました。
ロンドンにあるギリシャレストラン レモニア
本当に感動的に美味しいレストランで、
ロンドンに住んでいる時から愛用しています。

ギリシャのギリシャ料理より美味しいかも・・・
お店の雰囲気はとても友好的で楽しい。
しかも、安い!

と言うことなし!


そして、翌日は英国ホメオパシー協会の重鎮で、
長年の親交のあるFrancis Treuherz 先生と、
久しぶりに会い、
数万冊もある蔵書や貴重な歴史的文献を見せていただきました。
そして、今回の最も重要な用件についても、
すぐに快諾いただき、本当に嬉しく思っています。

この件については、またお知らせします。


そして、今は Janet Snowdon 先生の家に泊まっています。
Janet 先生は、一昨年の国際セミナーに初来日され、
素晴らしくエネルギッシュで深い授業に
皆圧倒されました。

それ以来の再会です。
Bath というエレガントな街にお住まいで、
手入れの行き届いた素敵な庭と、
趣味の良さがうかがえる気持ちが良いお部屋。
本当に素晴らしいですね。

昨日はあいにくの雨でしたが、
今日は快晴。
今からマーケットに行く予定です。

そして、今晩はMisha Norland 先生の家に滞在します。
楽しみです。
Misha 先生は、今年の国際セミナーに来ていただきます。
実に5回目の来日になります。
とても深い知性と柔らかい人間性。
素晴らしい先生です。

英国人気質について

お早うございます。 「ものの道理を考えよう」 の永松昌泰です。



昨日、「名誉ある不運」について書きました。

この話は、私が最も好きな、感銘を受けた話の一つです。

コメントしていただいたり、メールを下さった方々、
有難うございました。




19世紀の中頃から、欧米の列強は東アジアを侵略し始めました。
アメリカ、イギリス、フランス、ロシア・・・次々と。



その中で、興味深い記述があります。


今、正確には思い出せないのですが、
英国公使が本国に送った、
「日本に対してどのような政策をとるべきか」
という報告書の中だったように記憶します。 (間違っていたらご指摘お願いします)




その中では、日本人の特性について高く評価し、
とりわけ「武士道」をヨーロッパの「騎士道」に並ぶ、
非常に高い倫理であると評価し、

武士を高邁な倫理に裏打ちされた人間と断じています。


なので、他のアジアの国々に対する政策とは異なり、
征服して植民地化することを目指すべきではなく、
友好的な関係を取り結ぶべきである、

という主旨の報告書です。



植民地化うんぬんについては、ここではおいておきます。
当時の価値観や政策だからです。


ここで重要なのは、
英国人が日本をどう見ていたのか、ということです。


そして、それが明治時代の「日英同盟」に繋がってもいくのです。

日英同盟には、もちろん打算も含まれますが、
英国は打算だけでは同盟はしない国です。


日本に対しては、特別な何かを感じていた。

そう思います。



私がとても大好きな本の一節をご紹介します。


量子力学を創った20世紀の物理学の巨人たちとの交流を綴った
「部分と全体」ハイゼンベルグ著の一節で、
ニールズ・ボーアの言ったことです。



「おわかりのように、ここでも私は、
イギリスの姿勢の方がプロシアのそれよりも数段すぐれていることを、
はっきりと感じます。


イギリスではうまく負かされることが最高の美徳に属しているのです。



プロシアの場合には負けることは恥であります。


彼らの場合には、
まず第一に敗者に対して寛大であるような勝者を尊びます。


そのことははなはだ結構なことです。




しかしイギリスでは勝者に対して毅然とした敗者、
つまり敗北を認め、いかなる不平ももたないような敗者を尊びます。



このことはおそらく勝者が寛大であることよりも、
もっとむずかしいことでしょう。


この姿勢で耐え抜いた敗者は、
そのことによってすでにほとんど勝者の位置まで立ち上がっているのです。」




うーーーん と考えさせられた一節でした。

名誉ある不運

お早うございます。 「ものの道理を考えよう」 の永松昌泰です。



全仏オープンテニスは、女子はアジア人初優勝、

男子は、惜しくもフェデラーは敗退し、ナダルが6度目の優勝!

6回の優勝は、あのビヨン・ボルグと並んだということです。



そのビヨン・ボルグ。


80年、ウィンブルドンのマッケンローとの死闘は
凄まじかったですね・・・


ちょっと話が古くなりました。



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昨日のブログの最後に、
スポーツも人生の縮図というようなことを書きました。



スポーツと言えば、
ゴルフもまた、非常に興味深いスポーツです。


昔、かなりやっていたゴルフですが、
この15年、ほとんどやっていません。




昔のゴルフには、「名誉ある不運」という言葉がありました。



ゴルフ場には、バンカーと呼ばれる砂場が設けてあります。

砂なので、ミスショットをしやすく、
ハザード(障害)になっています。


今でこそ、バンカーで打った後では、
他の方のために、
打った跡や靴の跡をきれいに修復するのがマナーになっていますが、
古来のルールでは、
バンカーは絶対に修復してはいけなかったのです。



昔のゴルフは、全てマッチプレーといって、
目の前の相手だけが直接の相手だったのですが、

現在は、ストロークプレイといって、
出場者全員が相手の試合が中心なので、
全員を「公平」にする必要があります。


それに伴って、ルールが変わったのです。



それはそれで良いのですが、
失われた貴重なものもあります。


「名誉ある不運」もその一つです。




バンカーに入って打つと、当然ながら打った跡は凹み、
また靴を深く砂に入れるので、
靴跡は深く抉れます。


修復してはいけないので、
後からのプレイヤーがバンカーの中に打ち込んでしまうと
凹んでいるだけ、ボールがその中に入りやすくなります。


跡に入ると、非常に打ちにくいので、
ほぼ確実に1打、場合によっては2打3打失います。



その時の反応の仕方はいろいろでしょう。

くそ! なんてこった!
なぜ自分にこんなことが起こるんだ!

というのが正直な感想でしょう。



しかし、このルールを作った英国人というのは、
非常に興味深い人です。



この状態を甘受し、平然として次打を打つのが
そういう場合の「正しい態度」なのです。


それを、「名誉ある不運」と呼び、
通常のナイスショットよりも尊んだ、と言われています。



それが、英国が経済力を失ってからも、
未だに世界の中心的存在であり続ける
「秘密」なのかもしれません。

全仏オープンテニス

こんばんは。「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。



男子テニスの全仏オープン決勝。
フェレラーとナダルの試合。


非常にエキサイティングで、
考えさせられることの多い試合をしています。




ここしばらく不調だった、元王者フェデラーが目覚しく復調し、
全仏王者5回というナダルの決勝戦。


4大大会、最多優勝回数16回を誇るフェデラー。

対してフェデラーには滅法強い世界ランキング1位のナダル。




第一セットは、最初は一方的にフェデラーのペース。

しかし、判定をめぐり、明らかに気を落としたフェデラー。
終盤急に調子を落として、第一セットを失いました。



第二セットに入っても、フェデラーは自滅気味。
つまらないミスを繰り返し、
早くも一方的な試合に・・・



急速に興味を失っていきましたが、
ちょっとしたことから、
フェデラーは急に元気を取り戻しました。

そして、ついにタイブレークに。

・・・しかし、結局タイブレークを落としてセットを連取されました。




現在、そういう状況なのですが、

ちょっとしたことで、
急にミスが重なったり、
急に調子を取り戻したり、

人生の縮図を見ているようです。


勉強になりました(まだ終わっていませんが)(笑)

ブログのコメントについて

こんにちは。 ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。



これは、もう一つのブログに書いたことで、

幸いに、このブログには当てはまらないことがありますが、

そのまま載せます。




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ブログをやっていると、時々コメントをいただくことがあります。


応援のコメントもあれば、

質問のコメントもあれば、

批判のコメントもあります。



コメントについて、スコットが、こんなことを書いていました。
http://ameblo.jp/ex-ma11091520sukotto/entry-10900297144.html


また、スコット推薦のブログにも。
http://ameblo.jp/aoyamahanako/entry-10896619450.html


それは、その通りだと思います。


自分の話を興味を持って共感してくれる人のためにブログはあるのですから。
そうでない人の話を聞く必要はないわけです。


確かにそうではありますが、
私にはまた別の思いもあり、今まで必ずコメントに答えていました。



・・・もっとも今思い返してみると、

批判的な内容のコメントに対しては、
必ずすぐにお答えしてきましたが、
応援のコメントをいただいた方の中には、
何もお返事をしていない方がいることに気がつきました。

ごめんなさい。
また、改めてコメントをお返ししますので、
少しお待ちください。




コメントについて、少し書いておこうと思います。



私は大学の時に、ずっとDebateをやり、
Debateは、私にとって人生の中でも非常に大きな存在です。



Debateは、表面的には「戦い」です。

議論の肯定側、否定側の両方を徹底的に勉強し、
試合直前にどちらに立つかが決まり、徹底的に戦います。



しかし、Debateの本来の目的は、相手を負かすことではありません。
肯定と否定の両方に身を置いて、
肯定、否定の議論を徹底的に尽くし、
自分の中にある偏見を徹底的に洗い尽くすこと、
焼き尽くすこと、

そうして「ありのまま」に近づいていくことです。



Debateには、質疑応答があります。

そこで、よくやってしまう質問の方法があります。

相手に、YESかNOを迫るという方法です。

ものごとを単純化し、
あたかも、答えはYESかNOのどちらかしかないかのようにして、
強く迫るという方法です。


これは、Debateの初心者的方法ですが、
議論に慣れていない人にはそれなりに効果があるようです。


しかしまったく意味がない方法です。

すべての背景を無視して、
状況を単純化して、
自分の都合の良い方向に答えさせようという方法だからです。



数年前に、トヨタの若い社長が、
アメリカの公聴会で喚問され、
「トヨタ車の欠陥について、
知っていたのか、知らなかったのか?」
(確かそんな質問だったと思います)


それをYESかNOで答えろ、と迫られて、
そんな単純な話ではないので、説明しようとしたら、
YES、NOのどちらかで答えろ、と迫られて、
まるで誤魔化そうとでもしているかのように、晒し者にされ、
その後で、悔し涙を従業員の前で流した、あれです。



後日談ですが、結局トヨタはシロでした。

まったくの。
単なる運転ミスだということが、
数年間かかって、ようやくそのことが証明されました。

だから、「欠陥を知っていたのか、知らなかったのか?」
という質問には、何の意味もなかったのです。




こういう類の質問には、答える必要を感じません。

本当の真実に迫っていこうとする姿勢がないからです。
時間とエネルギーの無駄です。



古来、「正しい質問には、初めから答えが含まれている」
と申します。


「正しい質問」には、シンプルにお答えできます。
十分に煮詰められた末での質問だからです。


しかし、「正しくない質問」には、シンプルにはお答えできません。
考えが十分に煮詰められていないからです。
そういう「正しくない質問」にお答えするには、
その質問の背景から始め、
何が本当の問題なのかを煮詰めていき、明らかにしなければなりません。


「正しくない質問」には、
質問者が気づいていない「隠れた前提」があり、
そこから始めないと意味がありません。
そこに気がついてもらうために、
背景から始めなければならないからです。



そういう「正しくない質問」をされる方の多くは(全てではありません)、
本当に真摯で謙虚な意図からではありません。

だから、質問自体が未熟な「正しくない質問」になってしまうのです。



こう言わせて、こう言ってやろう、
という意図が見え見えです。



本当に真摯な態度からの質問ではないので、
その議論の背景には興味がなく、
意味がない表面的なところだけの議論をしようとします。


そういう議論には、意味はありません。
現実と遊離しているからです。



その背景をまず理解してください、と書いても、
まったく理解できないようで、
早くYES、NOを答えろ、というような
意味のないことを書かれる方もいらっしゃいます。



質問者が、真摯な意図から質問されていると感じる場合には、
これからも丁寧にお答えすると思いますが、
そうではない場合には、
コメント欄において丁寧にお答えする意義を、
まったく感じなくなりました。


その代わり、本文で、そのことについて書く事もあるでしょう。
ゆっくりと。




コメント欄に書くことには、大きな問題があります。
それは、その相手に対して議論をしなければならないことです。



私は、もちろん未熟な人間です。
議論になると、徹底的に勝とうとしてしまう癖が未だ残っています。



Debateの目的は議論に勝つことではないと言いながら、
議論を挑まれて、本当にスイッチが入ってしまうと、
徹底的にやっつけてやる、という本能が働いてしまいかねません。


そして、相手が気がついていない、
「隠れた前提」を徹底的に暴き出し、引きずり出し、
相手の無意識の「欠陥」まで
徹底的に攻撃してしまうことになりかねません。


そんなことは無意味で不毛であり、
何よりも間違っています。




ですので、スコットに倣い、
これからは、
批判的なコメントにはすぐ返事をしなければ、
という強迫観念的悪癖をやめます。


返事をする必要がある方には返事をし、
コメントではなく、時間がある時に本文で書くべきことは、
ゆっくりと本文で書く、ということにします。



ですので、これからは、
せっかくコメントをいただいても、
公開せずに「スルー」するコメントも出てくるでしょうし、
今まで公開していても、
「晒し者」にするようなことは無意味で不適切だと考えて、
削除する場合もあると思います。



あしからず。



******************************


このブログを読んでいただいている方々、

有難うございます。


このアメブロのブログにおいて、今までそのようなコメントは、ひとつもありません。


これからもよろしくお願いします。

穂高養生園でのセミナー

こんにちは。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。



この週末は、David先生の授業がずっとあります。

今回は、私は通訳はいたしませんので、
じっくりと考える良い時間になれば、と思います。



5月中旬、考え事があったり、
1週間ほど出張だったりして、
10日ほど、なかなかブログをアップできませんでした。


できるだけ早く、
書きかけのままになっているものを完成させます。



また、レメディーをお待たせしているクライアントの方々、
申し訳ありません。


この週末の間に決定してお送りいたします!
以上、業務連絡(笑)でした!



**************************



6月28日から30日まで、長野県の穂高養生園で、
3日間のセミナーを行います。


http://www.hahnemann-academy.com/blog/2011/04/post_288.html



3月11日の大震災は、
私の人生の中において、「外的」な出来事としては、
おそらく最大級の出来事だと思います。



すべての「外的出来事」は、
「外」で起こっているように思えますが、
実は「内的出来事」でもあります。


「外的世界」についての印象や考えは、
実は「内的世界」の反映であり、表現であるように。


他人についての意見は、
実は自己認識の現れでもあるように。
(これは、少し分かりにくいかもしれません)



大震災の際に起こった巨大な地すべりと大津波は、
自分自身の中における巨大な「地すべり」と「大津波」と、
巨大な共時性の如しでした。



今回の3日間のセミナーは、
「本来の自分に還ること」
「往相」と「還相」
もテーマになるでしょう。



症状の全体像とは、
「仮の自分の姿」であり、
症状の深い意味とは、
「仮の自分」が「本来の自分」ではないために起こる
「軋轢」「葛藤」の表現です。



そして、そこから「本来の自分」に還り、
自分自身の人生の質を向上させていくこと。


そして、自分の使命を果たし、幸せに生きること。
それが、この世の生を受けた目的だと思っています。

David Mundy 先生の授業

こんばんは。 「ものの道理を考えよう」の永松昌泰です。


昨日、英国から世界的名教師のDavid Mundy先生が来日され、
明日(土曜日)から3日間の授業です。

3月末に来日予定だったのですが、
大震災と原発事故の影響で、延期せざるを得ませんでした。

ヴァージンアトランティック航空が、
ずっと運休していたからでもありますし、
また、勉強どころではありませんでした。


あれから2ヶ月半が経ちました。

昨日、成田空港に着いたDavid 先生はお元気です。
東京に到着されてすぐに、
「日本一安い寿司」を食べられました。
http://www.hahnemann-academy.com/blog/2008/12/post_67.html#trackback

David
先生は、このお店が大好きで、
ここで食事をして初めて日本に来た感じがする、
と言われていました。

二川さんは、本当にいつも「安定的に刺激的」で、
芸術的なお寿司を握ってくれます。

今回のDavid先生は、
いつものように、
哲学とケースを融合した、
クリエイティヴな授業になる予定です。


楽しみです!