永松昌泰学長のブログ【ものの道理で人生を豊かにしよう】

Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

理屈が役に立つことは、1割に過ぎないことを知っていますか?

理屈が立つと、私達は安心します。

分かった! と思いますよね。

 

でもそれが落とし穴の始まりって知っていますか?

 

実は、世の中で理屈が立つことは、だいたい1割に過ぎません。

例えば、いつもお腹が痛くなる人がいますね。

医者に通ってもなかなかうまく治らない人が多いのです。

特に子供の時は親を悩ませますね。

「保健室登校」という言葉も聞きますね。

 

そもそもどうしてお腹が痛くなるんでしょう?

現代医学では、いろいろな病名が付けられます。

例えば・・・

 

総胆管拡張症、膵胆管

合流異常症、慢性膵炎、膵嚢胞、胆石症、胆管炎

逆流性食道炎、胃食道逆流、

消化性潰瘍、ピロリ菌感染症、

上腸間膜動脈症候群

便秘症、食物アレルギー、

乳糖不耐症、IgA血管炎

炎症性腸疾患、腫瘍性病変

腸回転異常症

卵巣腫瘍、処女膜閉鎖症、骨盤内炎症性疾患

間欠的水腎症、機能性ディスペプシア

過敏性腸症候群、腹部片頭痛・・・・・・・・

まだまだあります。

 

でも原因が物質的にはっきり分かっていて理屈が立つ腹痛、

言い替えると、理屈通りに有用な治療法が確立されている腹痛は、

全体のどれくらいだと思いますか?

 

わずか1割程度です・・・

ご存じでしたか?

 

たったそれしかないのです!

そんな状況で、理屈が立つことだけしか見なかったら、

どうなっちゃうのでしょうか?


ここに大きな落とし穴があるのです。

自分の心や身体を戦場にしたいですか?

言葉の力とは恐ろしいものです。

病気、という言葉を聞くだけで、恐ろしい! 怖い! という恐怖の感情が起きます。

恐怖があると、全力でやっつけなければ! という感情が私達を支配します。

強い感情に支配されると、他のことを考える余裕がなくなります。

 

薬という言葉は私達を安心させます。

きっと恐ろしい敵を害なくやっつけてくれる強い味方だと頼もしく感じます。

 

しかし私達が知っているのは、薬という言葉だけであって、

その実態や本質ではありません。

 

では薬の本質とは何でしょうか?

実は「薬」と「毒」は本質的に全く同じものです。

その本質とは、「生きとし生けるものの状態を変えることができる」ということ。

都合が良い時には薬を呼び、都合が悪い時には毒と呼ぶだけです。

 

そんなバカな! と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

では、薬がそんなに安全な強い味方であるならば、

なぜ薬は医師や薬剤師が介入しなければならないのでしょうか?

 

それは、薬は本質的に毒だからです。

摂り方を間違えると極めて危険になるからです。

 

ちなみに子宮頸がんワクチンをはじめとして、多くの薬の説明書には、

「劇薬」とあるのはご存じでしたか?

私は数年前までは知りませんでした・・・

 

薬の名前の多くは、「阻害剤」「促進剤」という名前が付いています。

要は、ある病気に対して「敵」を阻害し、

「味方」を「促進」する、ということです。

悪いものをやっつけてくれて、良いものを助けてくれる、

というイメージを起こさせますね。

 

それだけ見ると、素晴らしいように思えますが、

それが「言葉の力」というものです。

 

しかし、実際に起こることは、そういうイメージとはかけ離れています。

薬は本質的に毒ですから、薬の投与とは、

自分自身に爆弾を落とすようなものです。

もちろん限定的に落としているつもりですが、

それはあくまで「つもり」、であって、

そこからの連鎖反応は全体に波及します。

まったく想定外の思いもしないところを含めて全体に波及します。

それが、「副作用」と書いてあるものであり、

また「医原病」、つまり医療が原因の病の元です。

 

ではどうしたら良いのでしょうか?

どこにヒントがあるのでしょうか?

 

続く

病気をやっつけたら健康になる?

医療の目的は「病気をやっつけること」なのでしょうか? それとも「健康になること」なのでしょうか?

 

改めてそう聞かれると、まあ今まであまり考えたことなかったけれど、結局は同じことなのでは? と思われる方は多いのではと思います。私も昔は特に区別して考えてなかったように思います。 

 

でも例えば、仲の悪い国を恐ろしい敵国として軍事力で徹底的に攻撃すればするほど世界が平和になりますか? と聞かれると、うーん そういうわけではないでしょう、と思われる人は多いと思います。


でも病気の話と戦争とは違うでしょう? と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。 でも実は全く同じ話です。 それはまた書くとして、(笑)

 

私達は「病気は怖いもの」というように刷り込まれています。なので、あたかも怖い病気をやっつけたら「自動的に」健康になるように思っています。 というか、実は思ってすらないですね()

 

病気をやっつけることと健康になることとは、全く次元が違うことなのです。

 

(続く)

医療の目的とは?

医療の目的って何でしょう? そんなこと今更聞くなよ! という人もいらっしゃるかもしれませんね。 でも意外と考えたことがない人がほとんどかもしれません。

 

実は医学部では健康については一切学ばない、ことを御存じですか?

 

私にはとても衝撃的でした。20年前、帯津良一医師から初めて聞きました。医学部では病気については学ぶけれど、健康については全く学ばないですよ~と豪快に話していました。

 

最初は驚きというか茫然自失。いくらなんでもそれはないだろうと思ったのですが、その後医師に聞くと皆同じ答えです。

 

病気については学ぶけれど、健康については学んだことがないと。

 

なぜそんなことになるのでしょうか?

 

医療の目的は、健康になるためです。病気の状態から健康になること。きっと世の中の多くの方々はそう思っていると思いますが、医学の世界の常識は必ずしもそうではないようです。医学とは病気をやっつけること。

 

「病気をやっつける=健康になる」、ということであれば良いのですが、事実はそうではないのが大きな問題です。それどころか病気をやっつけることで逆に大きく健康を損なうことになりかねない。

 

それに気が付き始めている人が多くなってきている。これからはどんどんそういう時代になってきます。

ブログ再開します。

お久しぶりです。

 

なぜかブログにログインができなくなって、半分諦めていたら、記憶が蘇ってきてログインができるようになりました。

 

最後にブログを更新してから約2年。その間、FBに書いていたりしましたが、FBとブログはやはり違いますね。

 

今日からは、テーマを決めて様々なことを系統立てて書いていきたいと思います。

「集団無責任体制 = 集団責任体制」と終戦秘話

8月15日近辺では、TV番組も終戦にちなんだ番組が多くなります。


その一つ、「日本のいちばん長い日」という映画が放映されました。


今まで何度か原作を読み、また映画も数回観ました。
最初は「こんなことがあったとは!」という驚きが大きかったのですが、
何回目かの今回は、特に感慨深かったです。



あらすじは、


天皇の玉音放送で戦争は終結した、と考えられているし、その通りであるが、
実際には終戦はそんなにすんなり実現したわけではなく、
軍部の猛烈な抵抗があり、
8月14日から15日にかけては
ほとんどクーデターに近いことが内部では起こっていて、
玉音放送のレコード盤も非常に危うく押収される寸前だった。
一つ間違えば終戦の詔の玉音放送もどうなっていたか分からないほど
非常に際どかった


という実話です。




今回、非常に感銘を受けたのは、驚くべき姿でした。


あれほど絶対的神聖な存在として崇めていたはずの天皇陛下の御聖断が下されても、
自分の信念と合わなければ断固として従わず、
それどころか上官を殺害し、命令書を偽造してまで、徹底抗戦を貫き、
自分の意志に天皇までを従えさせようとした人たちが多くいた、ということです。


なぜそんなことが出来たのか?




通常考える指揮系統であれば、
天皇陛下の御決定は絶対的なものですから、
その瞬間にそれに従うはずです。

しかし、そうではありませんでした。



それはなぜなのか?

暴発、独走、という一面的な言葉で片付けられるものではありません。



日本の伝統的文化は、特定の権力者の決定に盲従するという土壌ではなく、
一人一人が当事者意識を持っている、
それが図らずも表れているのだ・・・。


私は、日本固有の文化、美徳が、図らずも、こういうところでも、こういう形で現れる、
ということに「戦慄」を禁じ得ませんでした。


驚き、悲しみ、哀悼・・・




京セラの創立者でJAL再建の立役者の稲盛さんが提唱する「アメーバ経営」。
http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/amoeba/


「組織を小集団に分け、市場に直結した独立採算制により運営し、経営者意識を持ったリーダーを社内に育成し、全従業員が経営に参画する「全員参加経営」を実現する経営手法です。」

と説明されています。


確かにアメーバ経営として提唱したのは稲盛さんですが、
実は、「集団的無責任体制 = 集団的全員責任体制」
がその原型にある、と思います。


それぞれがアメーバのように状況に対処しながらもバラバラにならないのは、
一人一人に深く無意識にしみこんでいる当事者意識、
即ち「全員参加経営」なので、無責任なバラバラ体制になりにくい、
ということがあると思います。



そして、そのつなぎ役になっているのが「空気」です。
有名な「空気の研究」という名著もあるくらいですが、
それについてはまた触れましょう。



文化にはさまざまな要素や方向性、地域性がありますから、
当然異論もいろいろと出ると思いますが、
大筋は間違ってない、と思っています。

集団的無責任体制は素晴らしい!

このタイトルを見て、

えっ   何かの間違いでは?

と思われた方もきっといらっしゃると思います。



今話題の新国立競技場。
一体誰の責任で決めたのか?
一体誰が責任を取るのか?


誰もいない!!!



一体誰が戦争をすると決めたのか?


誰もいない!!!



それは何だ!
信じられない!
けしからん! 
という話になっています。

これが、俗にいう集団的無責任体制です。



「集団無責任体制」、と書くと、非常にマイナスのイメージです。

しかし、実は、これが日本を素晴らしい国にした原動力なのです。


えっ!!!
なぜ???



集団的無責任体制とは、実のところ「集団的責任体制」なのです。


つまり、特定の「責任者」だけでなく、
全員が当事者意識を持って事に当たっている、ということです。


日本人は、みんなが当事者意識を持って事に処しています。
「責任」ではなく、当事者意識です。


一人一人が無意識に持っている当事者意識こそが、
「集団的無責任体制」の正体です。



一人一人が自分事として、事に当たる。


だからこそ、素晴らしい品質の製品を作り、
遅刻がほとんどない鉄道ダイヤ、
そして大震災の時の、見事な処し方をできるのです。



それに対して、特定の誰かが責任を取る体制とは、
裏を返せば、他の人は一切責任を取らない体制です。

つまり、特定の責任者以外は、当事者意識がない、ということです。


「集団無責任体制」の本質は、全員が当事者意識を持っている
という驚くべき姿なのです。



(余談ですが、「責任」という概念は実のところ不毛です。

なぜなら、誰も本当に「責任」を取ることはできません。


本当に責任を取る、とは原状回復することです。
しかし、そんなことは誰もできないのです。
例えば人が亡くなった時、原状回復は誰もできないのですから。


そこまでいかなくても、時を戻すことは決してできません。

責任を取るなど、誰もできません。


だから、誰も責任を取らなくて済むように細心の注意を払い、
万全の体制にすることこそ、真に責任ある態度です。

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (2)

「日本はいつまで謝り続けなければならないのか?」

よくこういう論調が見られます。


しかし、私はこう問いかけたいと思います。

日本は、今まで真摯に謝罪したことがあったのですか? と。



おそらく、今までの中で一番真摯な謝罪は、村山談話でしょう。
村山元首相の思いは真剣だったと思いますし、新しい時代の幕を開いた画期的な談話でした。
そして、中国も韓国も非常な好感を抱きました。
謝罪らしい謝罪は初めてだったからです。



ところで、人は、どれくらい謝罪されたら、十分に謝罪された、と思うでしょうか?

例えば、ちょっとぶつかった時には、一度謝ったら十分でしょう。
しかし、家族を殺された時にはいかがでしょうか?


しかも、相手はずっと50年も謝罪せず、50年経ってようやく謝罪したとしたら。
そしてその後は謝りたくない態度が見え見え。
ようやく謝ったと思ったら、今度はいつまで謝り続けなければならないのか? と開き直られる。

それで人は謝罪されていると思うでしょうか?



そうなると、村山談話に対しても、いろいろな受け止め方が出てきます。


まず、村山首相は、自民党ではなく、社会党でした。
錯綜した政治力学から連立内閣で首相にはなりましたが、
あくまで少数党の社会党の委員長でした。

なので、自民党という日本の主流からの謝罪ではありませんでした。


また村山談話を継承した小泉首相は自民党でしたが、
「凡人、軍人、変人」という流行語になったように、
「自民党をぶっ壊す」と公言した変人であり、異端児です。


つまり、日本の主流というか、
戦争を起こした「保守本流」からは謝罪されたことは一度もありません。
一度として。



そして、今は、謝罪の気持ちなど一片もなく、
内心は憤懣やるかたなく、ただ嫌々言わされていることが見え見えなのです。



それが、韓国や中国が謝罪を求め続ける理由です。

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (1)

毎年繰り返される靖国参拝問題、歴史観の問題、
今年は安保法案、70年談話、など多くの議論を呼んでいます。


70年談話、多くの議論があります。
さまざまな意見がありますが、


懐疑的な人は、
「キーワードは確かに入っているが、主語が私ではなく引用ばかりで自分の意見がない」
「妥協の産物」、「未来志向をはき違えている」


賛成派の人は、
「よく練られバランスがとれていて素晴らしい」

という意見が多いようです。



私個人の感想は、「安倍さん、精一杯頑張ったね」でした。



安倍総理に対して大いに批判的な私からこのような「好意的?」感想が出てくるとは
意外で驚かれる方も多いと思いますが、
実は正直な気持ちです。


安倍総理の心は、幼い男の子の心です。

つまり、自分が本当には思ってないことを
どうしても無理に言わなければならない羽目になった時の心の状態です。


事の是非はともかくとして、最大限に努力したのだろうと思います。
安倍首相の世界観には賛同できませんが、
彼なりに努力したことは確かです。



安倍さん個人にある戦争にたいしての「反省」というのは、
泥棒が捕まった時に、泥棒をしたことへの反省ではなく、
「捕まらないようにもっとうまくやればよかった」
というレベルの反省なのだろうと思います。


それにはそれなりの理由があります。
日本がやったことは、アメリカ、英国、フランスなどの戦勝国がやったことと
基本的に何一つ違いがないからです。


戦勝国は正しくて、敗戦国は間違っていたのか、
ということになると、
ユダヤ人大量虐殺をしたドイツは次元が違いますが、
他の戦勝国も植民地で多くの民を殺戮や虐待していましたし、
ベトナム戦争や中南米諸国で行ったこと、
そして今なお中東諸国で行っていることは、
本当にどうしようもない、
残虐非道としか言いようのない犯罪行為だと思います。


つまり、日本が反省しなければならないならば、
同様のことを行った米英も同様に反省をしてしかるべきである、
ということです。



正直なところ、私もそう思います。

戦争に負けなかった国の運命は決して明るくありません。


成功しても反省できる人はわずかです。


残念ながら、人間は失敗にしか学ぶことはなかなかできないのです。

がん治療の「常識」「非常識」

先週土曜日朝に、リアリTVで「がんって、不幸ですか?」という番組がありました。
7月10日(金)まで視聴できます。


http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=10145#__utma=1.279200891.1435963556.1436262230.1436392947.3&__utmb=1.2.9.1436392958161&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1436392947.3.3.utmcsr=google|utmccn=%28organic%29|utmcmd=organic|utmctr=%28not%20provided%29&__utmv=-&__utmk=80816151


多くのことを考えさせられる番組でした。


今のがん治療に苦しみながらも懸命に頑張って、同じがんの方に勇気を与えたいと考える人、がんになってもっと幸せになった、こんなに健気に頑張っている人を見ると、本当に胸が詰まる思いです。



しかし、また同時にものすごい怒りも湧いてきます。
医療という名のもとに、医療の常識として、
「堂々と」無意味で苦しみを与え続ける今の「標準的がん治療」。


抗がん剤は、日本人のがんの10%にしか有効ではないのに、
製薬会社のシモベとなって抗がん剤という名前の毒を注入し続ける医師。


あれほどの苦しみを「生きるためには仕方がない」
という思いで何とか克服している素晴らしい患者たち。


「毒ガス」から始まった抗がん剤をやり続け、
10%しか効かない科学的現実を無視して、
無意味で苦しみだけ与えるので欧米では固く禁止されている手術後の「念のため」の抗がん剤の投与。


患者さんの苦しみと、生きる力に感銘を受けると共に、
こんな「医療の常識」という名の「非常識」に
本当に怒りと憤怒を改めて感じました。


100年後に今の医療を振り返ったら、
信じられない野蛮な治療と思われることは必定です。


しかし、人間の常識に基づいた、普遍的な医療は、
現代医学や科学的見地からも始まっています。


これは、その一つ。
極めて重要な番組です。

まずはご覧ください。

http://www.ted.com/talks/mina_bissell_experiments_that_point_to_a_new_understanding_of_cancer?language=
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>