8月15日近辺では、TV番組も終戦にちなんだ番組が多くなります。
その一つ、「日本のいちばん長い日」という映画が放映されました。
今まで何度か原作を読み、また映画も数回観ました。
最初は「こんなことがあったとは!」という驚きが大きかったのですが、
何回目かの今回は、特に感慨深かったです。
あらすじは、
天皇の玉音放送で戦争は終結した、と考えられているし、その通りであるが、
実際には終戦はそんなにすんなり実現したわけではなく、
軍部の猛烈な抵抗があり、
8月14日から15日にかけては
ほとんどクーデターに近いことが内部では起こっていて、
玉音放送のレコード盤も非常に危うく押収される寸前だった。
一つ間違えば終戦の詔の玉音放送もどうなっていたか分からないほど
非常に際どかった
という実話です。
今回、非常に感銘を受けたのは、驚くべき姿でした。
あれほど絶対的神聖な存在として崇めていたはずの天皇陛下の御聖断が下されても、
自分の信念と合わなければ断固として従わず、
それどころか上官を殺害し、命令書を偽造してまで、徹底抗戦を貫き、
自分の意志に天皇までを従えさせようとした人たちが多くいた、ということです。
なぜそんなことが出来たのか?
通常考える指揮系統であれば、
天皇陛下の御決定は絶対的なものですから、
その瞬間にそれに従うはずです。
しかし、そうではありませんでした。
それはなぜなのか?
暴発、独走、という一面的な言葉で片付けられるものではありません。
日本の伝統的文化は、特定の権力者の決定に盲従するという土壌ではなく、
一人一人が当事者意識を持っている、
それが図らずも表れているのだ・・・。
私は、日本固有の文化、美徳が、図らずも、こういうところでも、こういう形で現れる、
ということに「戦慄」を禁じ得ませんでした。
驚き、悲しみ、哀悼・・・
京セラの創立者でJAL再建の立役者の稲盛さんが提唱する「アメーバ経営」。
http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/amoeba/
「組織を小集団に分け、市場に直結した独立採算制により運営し、経営者意識を持ったリーダーを社内に育成し、全従業員が経営に参画する「全員参加経営」を実現する経営手法です。」
と説明されています。
確かにアメーバ経営として提唱したのは稲盛さんですが、
実は、「集団的無責任体制 = 集団的全員責任体制」
がその原型にある、と思います。
それぞれがアメーバのように状況に対処しながらもバラバラにならないのは、
一人一人に深く無意識にしみこんでいる当事者意識、
即ち「全員参加経営」なので、無責任なバラバラ体制になりにくい、
ということがあると思います。
そして、そのつなぎ役になっているのが「空気」です。
有名な「空気の研究」という名著もあるくらいですが、
それについてはまた触れましょう。
文化にはさまざまな要素や方向性、地域性がありますから、
当然異論もいろいろと出ると思いますが、
大筋は間違ってない、と思っています。