永松昌泰学長のブログ【ものの道理で人生を豊かにしよう】 -5ページ目

人生に魔法をかける!

こんばんは。


今日も素晴らしい日でした。



朝は読書


「ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと」
鎌田洋(著)
瀧森古都 取材構成(つまり執筆者)


昨年、瀧森さんから頂いた本です。


http://p.tl/qLp3



再度読み返し、熱い感動の涙が・・・

しかも場所は ト イ レ 


密室の中で、嗚咽しておりました・・・



読みながら、ふっと閃きました。


そうだ! ホメオパシーはディズニーランドと同じように


「人生に魔法をかける医療」なんだ!
 と。

友について 2

お早うございます。


友とは何か?

古代の人は語彙が恐ろしく簡潔でした。
現代みたいに、さまざまな形容詞もなく、
表現は豊かではなかったのです。


現代は、人によって「友」の定義はさまざまです。
また「友」にもいろいろな濃淡があります。

「知人=友達」の人、
「時々は会ったり連絡を取る人」の人、
「長い間会わなくても、関係性が変わらない人」
「知っているだけでなく、通じ合える何かある人」
「知人以上親友未満」

・・・・・・・・・・

人によって、たくさんの表現があって、
とても豊かな表現があると思います。


しかし、
古代にはそんな豊かな表現はなく、
形容詞もあまりなく、
「友」という表現しかなかった、というのです。



そんな!
そんな不便な言語生活を送っていたのか!
さぞ不自由していたのでは?

と思うかもしれません。

しかし、古代の人はちっとも困ってはいませんでした。

なぜならば、古代の人にとっては、
「友達は友達」
そこにいったいどんな形容詞が必要なの?

ということだったからです。


古代の人にとっては、
「友」は「友」を意味していたのです。

妙な形容詞を必要としなかった。
「友」は「友」
「友」という言葉を薄める必要がなかった。

そういう生き方をしていた。


現代のように、あれこれいろいろな形容詞を必要としない、
直截で簡潔な生き方。

「友」か「敵」か、そのどちらでもないか。


それが古代世界でした。

良いか、悪いか、
古代と現代と、どちらが「優れている」ではありません。


でも、何か深く考えさせられる、何かがあります。

私のコア(核)

私の中心となるコア(核)はなんだろう。


今日、ゆったりと瞑想しているうちに、
私の中の、いろいろな相や層に、
またがって大きく広がっていることが分かりました。

とても興味深かったです。

そして、これから自分が進んでいく道が、はっきりと見えたのでし
た。


私のコアには、、
当然ながら連続性を持ったラインがあります。


それは、

私の最初の記憶・・・海を見ながら「時間」の不思議を感じたこと

小学校、中学校の時の 大きな大きな或ること、

高校時代の突然の放浪生活、

大学時代の度重なる大きな出来事、

とりわけ大きな 一生の一大事、

アメリカ留学時代の「一大発見」

ヨーロッパにただ居るするために3年間居たこと

実業時代の一大事

ホメオパシーとの衝撃的な出会い

学校を始めてからの衝撃の数々



思えば、幾つの人生を生きてきたんだろう、
というくらい、いろいろなことがありました。


ただ、そこには一貫した一つの大きなテーマがあったことに気がついたのです。


つづく (かも)

友について

お早うございます!



FBに書きましたが、書いたものが消えてしまいましたが、
気を取り直して書き直します。


実は、「友」について書いていたのです。

「友」からのコメントで「友」の話が消えてしまったのも、
友繋がり、何かの縁ですね。



*******************

仲間、友とは良いものですね。


友とは何かを教えてくれたのは、
昨年まで地方百万都市で市長をしていたYさんでした。


Yさんは大学の先輩でもありましたが、
知り合ったのは、Yさんが新聞記者をしていた時でした。


Yさんは、雄大で、革新的で、とても情に厚い方でした。
まるで、幕末の志士、坂本龍馬のような方だったのです。


誰とでも即座に胸筋を開き、
即座に友達になってしまう人でした。

誰とでも長年の知己のように、
一瞬でなってしまうのです。

タクシーに乗ってラーメンを食べに行くと、
運転手さんを誘ってご馳走します。

途中でコンビニに寄ると、
必ず運転手さんの飲み物も買ってくる、
Yさんは、そういう人でした。


人に胸を開くことができなかった私は、
彼を見ているだけで、
友とは何か、皮膚に染み入るように分かったのです。


本当に感謝しかありません。




その後、しばらくご無沙汰していたのですが、
Yさんが、百万都市の市長になったことを知りました。

しかし、市長になって半年後、
公約を違えた政策をとり、
支援者からの大バッシングを受けてしまいました。


公約を果たそうと、相手の当事者と話をしているうちに、
その当事者の深い苦悩に同情してしまい、
結局「情」にほだされて、公約撤回になってしまったようです。
「公約違反だ!」の大合唱で、
それ以来、市民や、所属政党にさえ、そっぽを向かれてしまいました。

そして、再選を目指しましたが、思わぬ大差で敗れました。


私はその都市の市民ではありませんので、
その政策がどこまで重要な意味を持っていたのか分かりません。

しかし、何とも言えない気持ちになりました。

Yさんらしいと言えば、まったくYさんらしい出来事です。


しかし、きっとまた再起してくれると信じています。
私に「友」を教えてくれたYさん (もちろんYさんにはそんな意識は全くありません)、
いつも応援しています!!!

「平清盛」を見ました。2

お早うございます!

昨日、FBで嬉しいコメントをいただきました。
「平清盛」についてです。


ストーンウォッシュを使って、
平安時代末期から鎌倉時代に入っていく頃の時代感を出したことについて、

ぜひこれを読んでみてください。

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/cd/02.html

「平清盛」を見ました。

今週の「平清盛」を見ました。


相変わらずの「汚い映像」ですが、
私は不快に感じたことはありません。


以前、「陰陽師」の映画の解説をしたことがありますが、
平安時代は「鬼」が棲む時代、
「鬼」がリアリティーを持った時代であった、
というナレーションがありました。


この「汚い映像」は、
そういう「鬼が生きていた時代」のリアリティーに基づこうとした結果だと思います。


つまり、その時代の色はどのような色だったのか、
またその時代の人には、世界はどのように映っていたのか、
ということです。


服も全てストーン(つまり石)で「洗濯」して、
その時代の風合いを出す、という凝りようで、
何でも生のままの新品が美しいと感じる
特殊な時代、特殊な国に生きている私たちには大きなショックを与えますが、
玉三郎のような人には、随喜のショックを与えるのです。

経営者とは事業に命を与える存在

お早うございます。


お待たせしました・・・

予告から1ヶ月以上経ちました・・・



今日の言葉です。

近代経営学の巨人 ドラッカーと、
新医学(真医学)ホメオパシーの巨人 ハーネマンの言葉です。

共振する一節です。

The manager is the dynamic, life-giving element in every business. Without his leadership the "resources of production" remain resources and never become production.
   from The Practice of Management (P3)


「経営者は、ビジネスに命の息吹を吹き込むダイナミックな存在である。そのリーダーシップなしでは、生産資源は、あくまで資源にとどまり、生産にまで至ることはない。」   ドラッカー



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§9

In the healthy condition of man, the spiritual vital force (autocracy), the dynamis that animates the material body (organism), rules with unbounded sway, and retains all the parts of the organism in admirable, harmonious, vital operation, as regards both sensations and functions, so that our indwelling, reason-gifted mind can freely employ this living, healthy instrument for the higher purposes of our existence.  

 Organon of Healing Medical Art by Hahnemann


(正確な翻訳)

§9

健康な状態にある人間においては、物質的身体(組織的身体)に生命を付与しダイナミックに作用する精神的な生命エネルギー(完全調和の統治者)が、身体のあらゆる部分を限りなく支配し、感覚と機能の両方において、みごとに調和的な生命活動が営まれるように維持している。それゆえ、私たちの内に宿る理性的な精神は、生命をもつ健康なこの道具を、私たちの人生における、より高邁な目的のために自由に使うことができるのである。


(意訳)

健康な状態の人間において、生命エネルギーは物質的身体に命の息吹を吹き込み、感覚や機能をダイナミックかつ完全に、限りなく、調和的に生命活動が行われるように統帥する。 しかし私たちは健康のために生きているのではない。 私たちはより高邁な目的を達成するために生きているのであり、そのために健康な心身が必要なのである。


解説は次回

大河ドラマ

お早うございます!


といっても、朝4時です。


溜まった録画を少し見ています。

大河女優「平清盛」編という番組です。

報道によれば、平清盛は、視聴率があまり良くないようです。
また、「画面が汚い」と、兵庫県知事が、
強くクレームしたことでも話題になりました。

きっと県知事は、この大河ドラマの中心的舞台の一つになっている
兵庫県福原(神戸)に大観光ブームが押し寄せることを
大いに期待していたのだと思います。

なので、わかりやすく美しい、
夢のような映像を期待したのだと思います。

それは無理もないことですね。

しかし、実際にはまったく違った・・・

暗いトーンの映像、ということだったのでしょう。



しかし、玉三郎さんは、大絶賛しています。

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/special/tamasaburo/01.html



さすが、玉三郎さんは見るところが全く違いますね。

本当に、さすが! です。


数年前の「篤姫」は、
映像も素晴らしく綺麗で、ストーリーも雄々しく、役者も格好良く、
三拍子揃った、大好きな大河ドラマでした。


私が小学生の頃に明治維新100年を迎えたのですが、
郷里の山口県では多大な情熱を注ぎ、
毎週2時間ほど! 明治維新の授業がありました。

その時に、薩長連合といっても、
いかに薩摩との確執があったのか・・・(元は敵どうしでしたから)
薩摩がいかに「陰険」なのか、
長州がいかにして裏切られたのか、
のようなことを叩き込まれました。


教育とはある意味恐ろしい、というか、非常に強力なものです。
教育=洗脳 でもありますから。


今思えば、10年前まで、薩摩に対しては
その時のイメージがどこか根強く残っていたように思います。

しかし、鹿児島の方々と思いがけない深い縁を得て、
どんどん薩摩が大好きになりました。


今では、長州よりも、むしろ薩摩の方が大好き、というくらいです。


そういえば、以前、福島県のある生徒さんと話た時、
出身が山口県だと言ったら、
「つい最近まで、というか今でも、
長州に対する会津の恨みは凄まじいもので、
長州人とは絶対に結婚なんかありえない、という雰囲気でした」

と言われて、本当にびっくりしたことがありました。


「恨みを与えた側はすぐに忘れようとするが、された側は絶対に忘れない」

私が受けた長州の学校教育では、
会津の話は全く出たことがありませんでした・・・

セルフメディケーション

お早うございます。昨日は久しぶりにゆっくり休みました。

おかげでスッキリ!です。


睡眠はやはり大切ですね! 今更ですが・・・




健康に関する仕事をしている人の多くは、皮肉なことに健康に良くない生活をしていますね。

「医者の不養生」とはよく言ったものです。



そういえば、ずっと前に
「セルフメディケーション推進協議会」の運営理事をやったことがあります。


厚労省の関係団体なのですが、
第一回目のセルフメディケーションサミットが開かれた時に、
事務局が数ヶ月間、毎晩徹夜状態でした。


その時に事務総長をしていた宗像守さんが、
あまりの忙しさに根を上げて、皮肉を言いました。


「セルフメディケーション自体は健康に良い。
でもセルフメディケーション運動は健康に悪い。」と。



すっかりセルフメディケーション推進協議会とはご無沙汰していますが、
ホメオパシーが謂れ無きバッシングを受けたとき、
確かな根拠と経験に基づいた、冷静な判断をされていたことを、
感謝と共に懐かしく思い出します。


http://www.self-medication.ne.jp/data/



真の医療を必要とする無数の方々のため、

力強く立ち上がっていこうと決意を新たにしました。

散歩と抱負

品川駅から家まで散歩して帰ってきました。



久しぶりに朝の散歩をして、とても気持ち良かったです! 
やっぱり朝の散歩は良いですね。

朝の気を胸一杯に吸いながら歩いていると、次から次へいろいろなアイディアが湧いてきますね。



それだけでも大きな大きな収穫でした。



これからのホメオパシーの未来、


日本の未来、世界の未来に対して、どのように貢献していくか、


そのことと、
私自身の未来、大切な家族、大切な親しい方々、


大切な仲間や同志、大切な生徒や卒業生の未来を
どのように融合一致していくか、


大きなビジョンが開けてきました。



楽しみです!