ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』人物事典68(57人目)

 

~ドミートリー・カラマーゾフ(3日目19時半)~

 

【ドミートリー一覧】

 

人物事典64~ドミートリー・カラマーゾフ(序)~

人物事典65~ドミートリー・カラマーゾフ(1日目12時)~

人物事典66~ドミートリー・カラマーゾフ(1日目17時半) ~

人物事典67~ドミートリー・カラマーゾフ(2日目10時~) ~

人物事典68~ドミートリー・カラマーゾフ(3日目19時半) ~

人物事典69~ドミートリー・カラマーゾフ(3日目夜~)~

人物事典70~ドミートリー・カラマーゾフ(3日目の深夜~) ~

人物事典71~ドミートリー・カラマーゾフ(モークロエ)~

人物事典72~ドミートリー・カラマーゾフ(逮捕)~

人物事典73~ドミートリー・カラマーゾフ(予審)~

人物事典74~ドミートリー・カラマーゾフ(逮捕後)~

人物事典75~ドミートリー・カラマーゾフ(公判)~

人物事典76~ドミートリー・カラマーゾフ(公判後)~

 

 

 3日目19時半(ホフラコーワ邸)

 ドミートリー:「たった二分でいいですから、自由に話す時間をぼくにください」

 ホフラコーワ夫人の家を訪れると、「お待ちしておりました!」と言って、今朝からずっとあなたが来ることを確信していたと言った。「これは、数学です」とくり返す夫人に、「実生活のリアリズムってやつですよ」と返す。「奥様にお助けいただかなければ、すべておじゃんになってしまいます」と言うと、夫人は「わかっております、わかっておりますわ」と、種馬の飼育の話を始める。

 「お願いです、奥さま、しまいまで聞いてください、たった二分でいいですから、自由に話す時間をぼくにください」と叫んで、三千ルーブル貸してほしいと伝えると、「それはあなた、全部あとでね、あとでね」と負けじと手を振り、夫人は話をさえぎった。「三千ルーブルが必要なのかしら、でもさしあげるのはもっとたくさんですよ。わたしが救ってさしあげますとも」と言う。

 夫人は「慈善家にありがちな無邪気な勝利感」にひたりながら、今度は金鉱のことを話し出す。不安になって、「三千ルーブルの件ですが」と問うと、「だいじょうぶ、それはもう心配ありません。その三千ルーブルはあなたのポケットに入ったも同然なんですから」などと言う。不穏な予感にかられて、「できれば今日中にでも……」と伝えると、「もううんざりですわ、ドミートリーさん、もううんざり!」と断固としてさえぎり、「問題は、金鉱にいらっしゃるか、いらっしゃらないか」「数学的にお答えください!」と叫んで、引き出しを開け始めた。

 

 ドミートリー:「ああ、この畜生!」

 「三千ルーブルだ!」とドミートリーがわくわくしていると、十字架のストラップを持ってくる。そして、「さあ、これで出発できますわね!」と言った。再度、「三千ルーブルが……」と言いかけると、「すべて捨てておしまいなさい、ドミートリーさん!」と、断固とした口調で言い、女性の政治参加という理想の話や、作家のサルトゥイコフ・シチェドリンへ書いた手紙の話を始める。「奥さま、ぼくはもう泣くしかありません。あなたがさっきあんなふうに、寛大にも約束してくださったものをこれ以上だらだらと……」と言うと、「だったら、お泣きなさい」と言う。ドミートリーが大声で、「これで最後にします、お願いですから、答えてください、今日、あなたから約束のお金をうけとれるんでしょうか?」と問うと、「お金ってなんのことです、ドミートリーさん?」「三千ですって? それって、ルーブルで? いいえ、とんでもない、わたし、三千ルーブルなんて持ち合わせていません」との答えだったので、「ああ、この、畜生……」とうなって、げんこつで力いっぱい机をたたき、「あれ!」と仰天する夫人をよそに、ぺっとつばを吐いて、屋敷を出た。そして、アリョーシャと夜道で会ったときにたたいて見せたのと同じ場所を、「狂ったようにたたきながら」歩いた。「胸のその部分から」恥辱を取り除けなかった場合、自分は死ぬと心に決めていたのだ。 

 ドミートリーは、最後の望みを絶たれて、「いきなり、幼い子どものように泣きくずれた」。

 

 3日目20時ごろ(グルーシェニカの家)

 ドミートリー:「あの女に越えられたのなら、このおれに越えられないはずがない」

 広場まで来ると、「ひい!」という老婆の声が響いた。「あれまあ、人を殺す気かい。でたらめな歩き方をして、乱暴者!」と叫んだのは、サムソーノフの世話をしている年寄りの女中だった。

 グルーシェニカが、サムソーノフの家にいないと聞いて、「嘘だろう、くそ婆あ!」と叫んで、グルーシェニカの家へ飛び込んだ。まだ、グルーシェニカがモークロエへ行ってから、十五分ほどしか経っていなかった。ドミートリーの登場で動転するフェーニャを落ち着かせ、行き先を問うと、「旦那さま、何も存じておりません、ドミートリーさま、何も知らないんです、たとえ殺されようが、知らないものは知りません」と答える。ドミートリーは、料理台の上にある二十センチほどの銅の杵を手に取って、脇のポケットに押し込んだ。フェーニャは、「ああ、神様、あの人、人を殺す気だわ」と叫んだ。【⇒第8編:ミーチャ3 金鉱】

 サムソーノフの家を出たグルーシェニカの行き先は、フョードルのところしか考えられない。「すべてのからくりが明らかになったぞ!」という考えが「彼の頭の中を旋風のように吹き抜けた」。

 

――彼は場所を選んだ。どうやら、言い伝えで彼もよく知っている場所だった。リザヴェータ・スメルジャーシチャヤがその昔、ここの塀をよじ登ったことがあったのだ。《あの女に越えられたのなら》なぜかもわからず、彼の脳裏をふとある考えがよぎった。《このおれに越えられないはずがない》

 

 3日目21時ごろ(フョードルの家)

 ドミートリー:「神様がおれを守ってくれた」

 塀の上からは、フョードルの寝室の明かりが見えた。庭に飛び降りて五分ほどして、窓辺にたどりついた。動悸をしずめようとしたが、静まりそうにない。フョードルはどうやら一人のようだったが、確かめられないのがもどかしい。ふいに腹を決めて、スメルジャコフから聞いていた、グルーシェニカが来たという五回のノックをした。窓から顔を出したフョードルが、「グルーシェニカ、君かい? 来てくれたのかい?」とささやくように呼びかけた。フョードルの横顔を見ていると、「恐ろしい、猛然たる憎しみが、ふいにミーチャの心のなかにこみあげてきた」。四日前に、あずまやでアリョーシャと話したときに予感した憎しみだった。「でも、じっさいにはわからない。どうなるかわからない」「ひょっとしたら、殺すかもしれない、でも殺さないかもしれない。おれが恐れているのは、『いざという瞬間、やつの過去が』とつぜん憎らしく見えることなんだ」。「人間としての嫌悪」が耐えがたいほどつのってきて、ミーチャは我を忘れて、ポケットから銅の杵を取り出した。

 

(弁護人のフェチュコーヴィチは、この・・・の間に心神喪失の状態でフョードルを殺したと主張した)

 

 のちに、ドミートリーは「神さまがおれを守ってくれた」と言った。塀を越えて逃げようとすると、グリゴーリーが足をつかんだ。持っていた杵で頭を殴ると、老人は倒れ込んだ。ドミートリーは、血だらけの老人の頭をさわり、頭蓋骨をたたき割ってしまったのか、気絶させただけなのかを、恐ろしいほど見極めたがった。白いハンカチで、老人の頭や顔の血をふき取るとしたが、たちまちハンカチもべとべとになった。絶望的な気分にかられて、無我夢中で走った。グルーシェニカの家に飛び込み、門番をしていたプローホルに、グルーシェニカの行方を問う。将校と二時間ほど前にモークロエへ行ったと聞き、猛り狂って、屋内にいるフェーニャのところへ向かった。【⇒第8編:ミーチャ4 闇の中で】