今回は“ザ・英雄”、ヤマトタケルを扱った三冊の本。
1 氷室冴子『ヤマトタケル』
http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=4086108208
2 黒岩重吾『東征伝』
http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=4048730398
3 荻原規子『白鳥異伝』
http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=4198605408
いずれも素敵なヤマトタケルでありますが……
実は、真のテーマは、「七掬脛」。
七掬脛(ななつかはぎ):日本書紀に記載のある人物で、
久米直(くめのあたい)の祖にあたり、
ヤマトタケルの東征に「膳夫」(かしわで)として従ったとされる。
膳夫とは、「食器を扱う者」の意で、天皇らの食膳に奉仕する者をさす。
七掬脛は、日本書紀において戦闘の将と書かれていないことや
久米舞に関連する久米氏の祖などの要素から、
幅のある「遊び」の多いキャラクターとして、小説に登場しているのかも。
三冊ともタイプは異なるが、味わい深い存在として描かれており、魅力的。
まず、1 『ヤマトタケル』より。こちらはシリアスな七掬脛。
<王子、わたしは……!>
「死なないでくれ。おまえがわたしのものならば、死なないでくれ。わたしは失いたくないのだ。愛する者を、わたしのために失いたくないのだ。出雲建のように。弟橘姫のように」
声にならない七掬脛の嗚咽が、風を震わせる。
哭くな。
おまえも苦しんだか。
わたしのために苦しんだか。
わたしを欺かねばならぬ至上の密命を、恨んだか。 [152頁]
生まれてすぐに咽喉を焼かれ、密偵としてヤマトタケルの父である
景行帝に仕える一族。
心からヤマトタケルを慕うようになるものの、裏切らねばならぬ苦悩。
これを読んだのは中学生時分でしたが、心に響きましたね。
このシチュエーション……
2 『東征伝』では、飄々とした明るさのムードメーカーでありながら、
随所に鋭さが光り、ヤマトタケルをもときに唸らせる七掬脛なのだ。
倭建の諭すような説明に、憮然としていた七掬脛の表情がみるみる明るくなる。
「王子様、よく分かりました、戦は勇むばかりでは勝てませぬ、頭が必要なのです」
七掬脛は、自分の頭を指差し、おぬし達とは違うぞ、といわんばかりに吉備武彦と大伴武日を見やり、にやりと笑った。 [403頁]
「おい、糞の傍だぞ」
「かえって風情があります」
七掬脛は糞の横に坐った。
「なるほどのう、そちは時々面白いことを申す、というより味がある」
「いや、恐れ入ります」 [458頁]
後者はヤマトタケルとの会話。
そのほかにもタケルには、料理のうまさや絵などの多才を褒められ
照れていたり、ちょっとした遊びの中で見せた炯眼が「参謀向き」と心中
評されたりしている。
しょっちゅう「味のある」発言をして周囲を和ませたり、
将軍格である吉備武彦や大伴武日には軽口を叩きながらも
一歩引いた姿勢を貫く。
たまらん……
3 『白鳥異伝』では、七掬脛は真面目ながらもどこか可笑しい。
支度がととのった遠子を、七掬は手をかして立ち上がらせ、しげしげと点検した。彼の顔に感心した表情が浮かぶのを見て、遠子は思わずほめ言葉を待った。すると七掬はうなずきながら言った。
「自信をもっていいですよ、遠子どの。まちがいなく女性に見えますからね」 [393頁]
遠子は、主人公の少女。
この話の七掬脛は、どうやら蝦夷の血が混じっているようだ。
「とびぬけて大きい体、ひげの濃い、かぎ型の鼻をもつ顔」をもち、「異風」。
「今でもふるさとを夢に見るが、第一なのは皇子だ。この身は、皇子のおためにあるものなのだ」と語る無類の忠義者。
(事情あってこの「皇子」とはヤマトタケルではなく、その兄・大碓皇子)