ひまわり
 

中国の人と思想における解説的な書物は、殆どと言ってよいくらい大学の学者によって書かれています。

書き方の共通点として、皆さんは必ずテーマである人物に関する家系を最初に書き出しとしてあげてきます。


中国の思想家をテーマとして書かれたものには何故、こうした長たらしい代々の家系から入るのでしょうか?こうしたことは、たとえば西洋のソクラテスにしても、プラトンにしても代々の家系を長たらしく書いて始まる思想書を読んだことはありません。これは実に不思議なことです。それだけ、歴史資料が揃っているということでしょうか?


この本は、その家系だけで本全体の四分の一を占めています。これって異常ですね。それと、主人公の少年時代とか、その生い立ちから死ぬまで、中国の時代背景と相関した主人公の形成も詳しく記述されています。これは、他の中国思想家の専門書でも、ご多分に漏れず記載されていますね。


つまり、中国思想を学問としておられる方は、皆さん、その辺の年号、名前、地名、などを克明に記述することがお好きなようで、これも大変共通していることですね。しかし、次から次へと色々な地名、年号、そして縁故関係の名前がたくさん出てきますと、閉口してしまいます。


肝心の思想についてはどうなっているの?と問いたくなります。この『王陽明』にしても、なかなか思想の骨格が最初には現れてきません。後半になって、ようやくそれが見えてきますが、どうも説明が控えめのようです。


『陽明学』には、深い思いがあります。それは、山下氏も最初に少し触れていましたが、三島由紀夫と『陽明学』との関係です。これは、三島が己の執筆活動と、行動とを一致させるにあたっての思想として『陽明学』を取り上げていたからです。この件については、ここでお話しするのは避けます。(長くなりますから)


『陽明学』といえば、『知行合一』ですね。言葉としてはわかりやすいイメージなのですが、この本を読み始めても、当初は、ニュアンス的に、言葉そのもの以外に新しく知りえた内容は見出せませんでした。しかし、後半からその意味合いがかなり手厳しいものであることに気付きます。


世間一般の解釈としては、言質と行動が一致していることを大切にする思想なのですが、『知』の中に、『行』があって、『行』の中に、『知』が存在しているというところがポイントのようです。つまり、表裏一体ということでしょう。


『王陽明』という人物は、この本を通してみると、どうも行政手腕に長けた実務が出来る人物だったようです。だから、理想主義者や、世捨て人みたいな仙人ぶった人間を嫌っていたようです。


また、ものの見方が鋭く現実的なところもあります。たとえば「世間では落第を恥とする。私は落第したことで心を動揺させるのを恥とする」といった、会試で高官に嫌われて落第した時のコメントがそうです。冷静に自己分析を行っているところが、並ではない。


『王陽明』は、人の心にすべてが備わっているという考えを持っている。つまり、心の中と外が別々に存在しているものではなく、本来人間の心の中に初めから存在していると、考えている。それは、「彼の一念が善であれば、それは善人である。・・・汝の一念が悪であれば、それは悪人である。人の善悪はその一念のなかにある」といっているぐらいである。


そして、『王陽明』のいう『良知』についても、「 『良知』というのは、自己が本来所有している人間としての本質であって、師から教えられたり、経書から得た物ものは真の『良知』そのものではない。」とも解釈されている。


また、「親民堂記」にも、「明徳は天命の性にして霊昭不昧、万理の従りて出ずる所なり」とあるように、生まれつき与えられたものであることを指している。


『王陽明』のいう『心即理』は、除愛が、「至善(最高善の原理)を心のうちにだけ求めると、天下の物事のうちにある『理』を知り尽くすことができなくなりはしないか」と質問した、その回答が「 『心即理』である。天下には心の外の『事物』や、心の外の『理』はないのだ。」といったことがらが記されています。


この辺から、あることをイメージし始めました。それは西洋哲学におけるデカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我あり」をイメージしてきたのです。


『王陽明』は、『厳中の花』という話で、陽明が会稽山に行ったとき、友人が山奥の岩間に咲く花を指して、「天下に心外の物がないとすれば、この花は深山のなかで、ひとりで開き、ひとりで散っている。わが心と何の関係がありましょうか」と問うた。


陽明は即座に答えた。「きみがまだ、この花を見なかったとき、この花ときみの心とは同じく『寂』に帰していた。きみがここに来て、この花を見たとき、この花の色彩はいっぺんにはっきりとしてきた。それで、この花はきみの心の外にあるのではないことが分かる」と、山下氏は、紹介しています。


これからもわかりますように、何事も己の心があってこそ、その存在があるのだと言わんばかりの説き方です。『王陽明』は、1531年に亡くなったようですが、デカルトが1596年に生まれていますから、自己の発見ということでは、『王陽明』が、先達者であったわけです。中国の哲学も、なかなかのものですね。


『知行合一』で、注目すべき。『王陽明』の考えは、「現今の人の学問は、知と行とを分けて二つの事としてしまっているので、ひとつの思念が起こってきて、それが不善であっても、なお、まだ行っていなければ、その思念を禁止しょうとはしない。私が、いま、知行合一を説くのは、まさに、ひとつの思念が起こったとき、それはそれだけでもうじつは行ってしまったのだ、ということを人に理解させたいからである。思念が起こったとき、そこに不善があれば、すぐにその不善な思念を克服してしまい、徹底してその思念の不善を胸中に伏在させないようにしなければならない。これが私の立言の宗旨である。」と山下氏は、紹介しています。


これは、実に手厳しい意味合いを持っています。たとえば、「あいつを殺してやりたい!」と、思うだけで、それはもう、法律上は、まだ法に触れないが、『王陽明』の哲学である『知行合一』としての見解では、すでに『行』としてみなされるわけです。


『知行合一』が、これほど厳しい考え方であったとは、知りませんでした。


この本の最後のところで、『理は気の条理、気は理の運用』というのが、紹介されています。解釈として「天地万物は素材としては気からできており、そこに秩序があるのは理による。理を作り出す根源は良知であり、その意味では、理は良知と置き換えてよい。」とあります。


こうした自然界の捉え方も、面白いですね。すると「万物は物質からできている。そこに秩序があるのは、法則があるからだ。法則の根源にあるものは、良知であるから、その意味では、法則は良知と置き換えてよい」と解釈してみると、どうでしょうか?『良知』は、法則と同義語ということになります。


すると、先に述べた、「 『良知』というのは、自己が本来所有している人間としての本質であって、師から教えられたり、経書から得た物ものは真の『良知』そのものではない。」から判断しますと、法則であるからして、法則は本質なのだ!ということになります。これは、矛盾しませんね。なるほど、『法則は本質』ですから。そして、『法則はもとから存在するもの』ですから、この哲学は強いですね。


人間が、自然によって偶然か、必然かはわかりませんが、創ったものであるならば、当然人間という肉体を形成している物質を『気』とした場合、『理』は法則であり、『良知』であり人の心であるわけですから、何の疑いもないですね。何故なら人間も自然の一部だから、気と理で創られているからです。


そして、気と理の関係で、『気』からできた人間の身体と、心(良知)との関係を現実的に一体となって見た場合、観念的な思考でなく、身体の困苦、生活の窮乏を救うことを陽明は第一に考えていたとあります。それは、彼の人生経験がそうさせたようです。


私たちは、己の身体が健康である時は、『気』を忘れ、身体が病に伏している時は、『理』を忘れます。なかなか、そうしたものが表裏一体として己が在るという心境にはなれないものです。


最近の様々な社会現象として、日常茶飯事のように、『偽装問題』が露見しますが、やはり、多くの人々がすでに心の中で『偽装』を実現しているのですね。そして、身も心も一体となって行動に出たところが、挙句の果てということになるのですね。


そう思うと、人間はなかなか罪深い存在になりますが、これも自然の一部というものでしょうか?


by 大藪光政