中国雑技団2

[平戸にて中国雑技団]


司馬遷がどういった人物かは、高校の世界史を学んだぐらいではわからない。世界史は、私にとって日本史よりも好きな科目で、それなりに成績も良かった。やはり、教師の授業が面白いと興味をそそられて勉強も苦にならない。その点、日本史の先生は、黒板に向かって沢山字を書き、ぶつぶつ云ってひとつも面白くなかった。お陰で、クラス全体が欠点になってしまってかなり学校でも問題となった。


教科書に書いてあることばかりに限定して授業をしてもつまらないものです。やはり、教科書から脱線して歴史上の逸話を話すことで授業に身を乗り出させるよう教師は工夫すべきです。それが教師の手腕というものでしょう。日本史でも先生次第で結構、面白い授業となるに決まっています。


当時、司馬遷について印象に残ったのはやはり何といっても、宮刑を受けたことでしょう。高校で学んだこの詳しい経緯は、すでに忘れていましたが、男子の象徴を除去されて、宦官となったことだけはしっかり覚えていました。司馬遷が五十歳になろうとした頃の出来事だったようです。この事件がなければ、『史記』の内容もまた違ったものとなったはずです。


林田慎之助氏は神戸女子大学教授の時に、この本を書かれています。『史記』にまつわる司馬遷と中国の時代背景を基にした流れの本ですので、司馬遷の書いた『史記』そのもののに直接触れる事はできません。前回のテーマ、「 ショウペンハウエルの『読書について』 」 にもあったように、原書に触れる事が大切なのですが、勉強不足の者にとっては、その前の予備知識として司馬遷を取り巻く歴史的背景を知ることは決して無駄ではないと思います。


司馬遷は父親の薫陶による思想的影響があったとされています。しかし、林田氏の解説に天文学を父親の司馬談に教授したのが唐都という人らしいので、どうもそうした流れから行きますと天文学は現代にいたる自然科学発達の礎みたいなものですから、非常に論理的な思考をもつことが出来た父子であったと推測できます。


また、六家の思想を分析する力を持ち、その中でも道家の思想にもっとも近い立場にあったということは、哲学的には老子、荘子の考えに共鳴している父、司馬談の姿が見えてきます。つまり、司馬遷の後ろにはそうした父の大きな素地があったようです。


司馬遷は、中国の歴史編述として『史記』を完成させたということですが、単なる歴史編纂を事務的にやったのではなく、当時の権力者と距離をおいて彼の視点には、不遇な体験、幅広く旅した見聞、上っ面の論理でなく人情も含めた心の本質、などがあって、生きいきとした歴史書が出来上がった・・・と、林田氏の解説を読むとわかってきます。


今から二千年前、中国における、春秋、秦、漢などの時代に、様々な人間の為すことはすべて出来上がっていたと気付きます。それは、人の性分から発した『騙す』、『裏切る』、『欺く』・・・などによる『陰謀』、『策略』といったものが、国を造り、国を滅ぼし、そして歴史を創って行く、人は現世利益の為に果てしない争いを繰り返してゆく。


血を流す争いは国際的に見れば、まだ現在も続いています。しかし、現代の日本では、政争で人の命を奪うことは、もうないと云っていいくらいの世の中になりました。ところが、お金や権力争いは政治だけでなく、企業間、会社内でも多々見受けられるのはご存知の通りです。そして、その中を切り開いてみると、やはり人が 『騙す』、『裏切る』、『欺く』と云った性分から発した『陰謀』、『策略』など、二千年前来のテクニックが生かされているのです。


二千年前と現代とは様々な環境条件やツールが違いますが、人のやることの基本はみな同じですね。賢い政治家がこうした『史記』などの歴史書を読むのは、そうした過去のお手本がちゃんと書かれているからでしょう。それらを読むことで、騙されることなく、或いは策略に乗らないといったリスク回避が出来るからだと思います。吉田茂が、『曲学阿世の輩』を引用したのもそうした読書から来ているのでしょう。また、政治家だけでなく経営者、そして企業を指南するコンサルティングなどに従事する人々もこうした、中国歴史の人間の業を紐解けば、おのずと昨今の課題に対する克服手法も見出せるでしょう。


さて、こうした偉大な人物を数多く生んだ中国ですが、歴史的な文化の営みがあるのに、どう見ても国際的に先進国とは思えない気がします。核兵器搭載の大陸間弾道ミサイルを持った強力な軍事力を保持しているのに何故か脆弱さがあります。それは、この間、四川省の大地震における惨状をテレビで見てもよくわかります。


一見、大国みたいですが、国民の生活環境、行政指導・・・どれをとっても日本では考えられないくらいの低レベルです。こうした今の中国の姿を司馬遷が見たら、恐らく泣くでしょう。司馬遷の心は、中国よりもむしろ日本人が一番大切にして来たものだという気がしています。


その一つとして、例えば『義』、「おのれのためではなく、おのれの価値を知るもののために、おのれを犠牲にしてやむことのない精神のはたらきである。命を賭して義に生きる情念の美しい炎に、司馬遷は魅せられたのであろう。」と、林田氏は書かれています。


また、林田氏は「本来、仁者の行為と義者の道理は、儒者の側のものであり、儒教の心であるはずなのに、儒者はそれを国家権力に売り渡すことで、みずからの内側で扼殺していたことを意味していた。」と記しています。

そして「司馬遷は、儒教の学問の蓄積だとか、儒教のあるべく礼のかたちだとかにとらわれて、儒教の心の表現を忘れるような形式主義者ではなかった。儒教の心を生き、それを実在させてある者の行為の美しさに率直に感動する自在な心を失わないでいただけである。」と述べられています。


こうしたことを考えてみますと、九州には太刀洗、知覧と、特攻隊の出撃基地があり、多くの若者が「お国のため・・・」と、いう建前で亡くなっておられますが、それらの遺品を見るたびに、やはり父、母、兄弟といった絆を守るために死んでいった気がします。こうしたことは大変悲しむべき不幸なことで、美化すべきことではありませんが、『他のために己を犠牲にして為す』ということは、『自分=他人=すべての人々』であるという己を突き抜けた存在の考え方かもしれません。


日本は借金大国なのに、意外とアジア諸国、ロシア、アフリカなど様々な国の為に経済援助で国際的に大きく貢献していますし、国連の資金面でもかなりのウェイトを占めていますから、他の為に己を犠牲にして尽くしていると思いますが、果たして中国はどうでしょうか?今回の大地震のように、自国のことすら手のつけようも無い状況ですから、核ミサイルなんか作らないで国民の生活をもっと考えたらどうか?孔子、孟子、老子、荘子など多くの故賢人は恐らく、声を荒げて言うでしょう。


司馬遷が国家の無謀さ、言い換えると権力者の非道に対して憤りを感じて『史記』に思いを込めて纏め上げたとしても、今の中国が、なお人民に対する施策で憤りを感じるものがあるとすれば、まさに歴史は繰り返されると言えるでしょう。四川省の住民を救えるのは、核ミサイルや、人民解放軍ではなく、人を救うために訓練された救助隊や、医療に従事している人たちなのですから、中国の指導者たちは考え直さないと最終的に政権を維持することは困難でしょう。


こうしてみますと、司馬遷が『史記』の編纂において国家権力とは無縁に、歴史を己の思考の中で自在に組み立てていったという内容だから、今でも読み継がれている本なのでしょうから一度、『史記』を紐解く時間をつくりたいですね。


by 大藪光政