【虐待】
同じ3歳児の母として思うこと。
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各地の大雨による被害
コロナ感染者急増による被害
今、たくさんの方が
多方面から苦しい状況にいることと思います。
そんな中で、
先日東京都大田区で起きた
いたたまれない事件。
3歳女の子が
お母さんによる
虐待(ネグレクト)により
餓死してしまった事件を
ご存知でしょうか?
わたしはね。
涙が止まらなくて。
苦しくて。苦しくて。
たまりませんでした。
憤りに近いような
絶望に近いような
何処にもぶつけようのない気持ちで
いっぱいになったのです。
皆さんは
今回の事件を経て、
一人のお母さんとして
何を、感じたでしょうか?
「かわいそう」
「許せない」
「信じられない」
「怒りが止まらない」
「悲しくてたまらない」
いろんな思いが
錯綜したのではないかなと
思うのですが
では、
その辛い感情は
どこに、誰に、向きましたか?
やっぱり
子どもを8日間も置き去りにした
「お母さん」でしょうか?
わたしは、
違いました。
わたしが
胸が張り裂けるほどの
感情を抱いたのは
紛れもなく「社会」です。
こんな状態を作り上げた。
こんな状態に追い込んだ。
「隠す」という選択をするしかない。
そう判断させてしまった
社会へ対する気持ちが、
止まりませんでした。
わたしは、
お母さんが
初めからそんな状態へと
陥って行ったわけではないと
信じているのです。
お母さんはお母さんなりに
不安や戸惑いや責任感と
真正面からぶつかりながら
最後「助けて」が言えなかった。
その代償が、
「虐待」につながるのだと
思っているのです。
わたしは、
保育士時代に
虐待と身近に接したことがあります。
だからこそ
自分自身もお母さんとなった今。
この事件を
見てみぬふりできない。
だって、
痛いくらいにわかるのです。
まだ虐待に手を染める前の
お母さんの
「不安」「重圧」「孤独」
苦しいほどに
理解できるのです。
でもね、
どんなに子育てが苦しくなっても
「我が子を守るのはお母さん」
ここも、
揺るぎない事実ですよね。
だからこそ
お母さんには、
我が子と向き合うために。
我が子に笑顔を
たくさん向けられるように。
子どものことを、
とくに、
不意な場面で
イヤーーー!って主張されたときの
受け取り方や関わり方についてを
きちんと知ってほしいと
思っています▼