わたしの夢はどこに・・・ -8ページ目

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

12年前、わたしはガイドラインに則る形でカウンセリングを受け始めました

  その始める思いを確立するに伴って

  このブログも始めたのです

 

ただ”カウンセリングを始める”との思いはこの頃ですが

  ”トランスを具体的に始める”という思いが湧き上がってきたのは

  このさらに二年前の結婚二十年目だったのですが

  その時は上の子が高校受験の時だったので

  上の子の心を乱しても、という思いと

  自分の想いの確かさの確認の為に一年待ちました

 

そうは言ってもただ待つのも時間がもったいないので

  美容外科で脱毛を始め

  併せてその美容外科でフライングでのデポ注も始めました

    ※この美容外科は除睾まで対応でき、デポ注が出来ることを確認しての脱毛でした

そして一年経って、上の子の高校が決まって

  そのGWに入る夜

  彼女(元奥さん)と二人の子に集まってもらって

  「女の子になるので、家を出る」と伝えて‥‥相談ではなく、宣言です(^O^;)

  ”勝手にRLE”を始めました

    ※前月の四月に上の子の高校の近くに家を借り

      最低限の電化製品等を購入したり、一部の私物を運び込んでいました

 

そして一人生活を始めて一年

  その間は美容外科での脱毛とフルホル(1A/1W)は続けていました

それ以外には地区の自助グループだった「GIDしずおか」が開いた

  故大島弁護士が講演したフォーラムに参加したのをきっかけに

  非会員ながらGIDしずおかの定例会に毎月参加したり

  翌年三月に大宮で開かれたGID学会にも初参加しました

 

そんなこんなの定例会でのお仲間からの情報収集や

  学会参加を通しての知見等から

  やはりガイドラインに則って

  自分の想いがトランスを継続していけるのか・・・・戸籍の改性まで進めるのか??です

  カウンセリングを通して確認していく思いを固めたのです

 

でも当時は、(ブログタイトルの補足にもありますが)

  リブログした記事にもあるように

    私は”性自認の不一致感”というのはそんなに強くなく

      それよりも”女性性への憧憬/一体感”のほうが強いのです!

  そんな訳で「君はGIDでもなんでもないよ」と言われたらどうしようかと

    今までずっとビクビクしていました。

  でも先生からは

    「あなたの求める方向に向かって進んで行きましょう」

    と言っていただき

    前に進む希望が点ったのでした

 

結局この最初の精神科医である亀谷先生には

  13年6月から14年3月まで、先生がご高齢で閉院するまでに9回受診し

  この間に、改名会社への届けのための診断書を受けました

    ※亀谷先生は針間先生も参加されている性化学会の名誉理事だった方で

      当時県内の中西部の精神科医の集まりで

      性同一性障害についての講義もされていました

そしてこの先生に紹介された泌尿器科医(後に性総合科リプロダクション)の今井先生に

  外性器検査染色体検査HRTを受けたのですが

  その流れで翌14年9月に除睾もお願いしました

  そうした経緯だったので、ここでは特には診断書を出すことはありませんでした(^O^)

 

もちろんトランスを開始した時から

  法律的に許されるのなら・・・・個人の想いと制度の規約は別物なので!

  SRSを行い、戸籍の改性までは行うつもりではいたのですが

  どんなに急いでも下の子が成人になるまでは叶わないのは分かっていたのです

それで最初SRSは、戸籍の改性が可能となるまで待つつもりでいたのでしたが

  周りの特に一緒にトランスをしてきた友がSRSするのをきっかけに

  (元々還暦以降のトランスだったので)歳が行くと手術が出来なくなる可能性も出て来て

  タイミングが合えば、先ずはSRSまではしておこうと方針変更しました

 

そのSRSのためのセカンドとして・・・・最終的にはSRS及び改性のファーストになりました

  神保町の針間先生にお願いすることにしました

    ※針間先生との面識はなかったのですが

      お世話になっていた亀谷先生や今井先生は性化学会で面識があり

      それまでにもわたしについての相談をされていました

      GIDしずおかでも最多依頼講演者でしたし!

正直東京まで月一で出るのは時間と費用の面で多少きつい面もあるはあったのですが

  それ以上に

  一緒にトランスをしていた友が東京に転勤になっていて

  その友と、時には他の当時者たちとのオフ会を三省堂本店の二階喫茶室で開いていたので

  それへの参加を東京地区でのカウンセリングを終えるまで続けていました

さらには上の子が大学に入ってからは

  カウンセリングは基本土曜日だったので

  金曜の夜に会社を終えてから上の子の処に行き

  そこから土曜日に東京に出て

  もう一泊して、日曜に上の子と過ごしてから帰ってくることを繰り返しました

 

結局針間克己先生のはりまメンタルクリニックには

  14年8月から15年6月まで10回通い

  そこで先生から終了通告を受けたのです

その後、SRSの候補先として山梨大の百澤先生の処に一度お伺いしたのですが

  その時のお話しで、関与する主なジェンダー委員会が

  松永千秋先生が主宰されている関東GI医療チームだったので

  針間先生をファースト、そして松永先生をセカンドで

  SRSと戸籍の改性の診断書をお二人の先生にお願いすることにしました

初めのカウンセリングは松永先生にお願いしようとしていた時があったので

  一周廻って最初の処に戻った気がしました

 

特に松永千秋先生(ちあきクリニック)には

  GIDしずおかのフォーラムで講演依頼した時があり

  その時の内容や先生の書かれた論文やら記事から

  わたしの考えのバックボーンを与えてもらったのです

それでもそれはわたしの勝手な解釈

  先生に否定されたらどうしようという思いは

  実際に受診するまでは、亀谷先生の時と同様の心配はしていました

 

もちろん針間先生にも、また松永先生にも

  わたしの”性自認の不一致感”というのはそんなに強くなく

  それよりも”女性性への憧憬/一体感”のほうが強いという思いは伝え

  松長先生には15年7月から16年3月まで7回のカウンセリングを受けましたが

  お二人とも診断書は発行していただきました(^O^)

 

確かにわたしは、この三人の先生方に発行していただいた診断書を使って

  改名、SRS、そして戸籍の改性を行い

  それらを行うためにカウンセリングを受けて診断書を発行してもらったのは事実ですが

  形式を整えるだけの診断書では決してない、と思っています!

 

針間先生のおっしゃるように

  GIDは最終的には本人の申告でしかない!・・・・それをどう診断するかは別問題

  また丹羽先生の様にガイドラインの意味を問う先生もいらっしゃいます

わたしも最後は個々人の想いであり、責任だと思っています

  だから本人の想い/意思が確立しているのであれば

  長々と時間とお金をかけて無意味な形式を整えるのはどうかな、とは思います

 

それでも法律に則らなければ戸籍の改性は出来ません!

  それならば形式を整えるために

  一回の診察で診断書を出してくれる先生の処に行って

  一枚の診断書があれば、ないしはファーストの関連で

  セカンドを出してくれる医院に駆け込むのは一つの手ではあると思います

  それを否定することはしません

  あくまでも自分の想いが確立していればね・・・

 

でも特例法で、そしてガイドラインで求める二人の精神科医の診断は

  それぞれが独立して、それなりの時間をかけて

  この対象者が性別を移行することが本人のQOLを向上させ

  さらには移行しても問題なく生きて行けるのかを見極めるのが

  二人の精神科医の責務であり、意味なのだと思います

 

そういう意味では(本来的にはすべての当事者が)

  特に自分の想いに揺らぎがある時

  診断書をもらうための手段としてのカウンセリングではなく

  自分の心と向き合い、自分の想いを確立していくために

  本来の意味でカウンセリングを受けるべきではないのかな、と思います

 

わたしのブログを始めたころは

  まだGID(性同一性障害)という概念

  そしてその中で中核群/周辺群という言葉が残っていて

  わたしは性同一性障害者でいいの??

  このままトランスを進めて行っても大丈夫なのだろうかと思っていました

それが松長先生の考えを知り

  自分の考えを整理し、自分なりの枠組みを構築していきました

  さらにはDSMの改定に従って

  GID(性同一性障害)からGD(性別違和)そしてGI(性別不合)への変遷で

  わたしもその中に組み込まれてもいいのかな、と思えるようになって来ました

それよりも何よりも

  わたしは三人のそれなりに診断歴のある精神科医から

  わたしの想いをすべて伝えたうえで・・・女の子に戻るではなく、なりたい!

  それぞれ独立して”わたしは性同一性障害者である”という診断を下してもらいました

法律的にはこれがすべてです

  そして法律に則って・・・・特例法の手術要件を含むすべての条項をクリアして

  わたしは日本国において、戸籍上は女性になりました(^O^)

  どこまで行っても♀にはなれないのは分かっていますが!

 

でも、わたしの心的には

  わたしは究極のAGなのかな、と思わないではないのですが

  それでも公式には日本においてわたしは性同一性障害者です

  そして配慮パスだろうが

  わたしの日常は女性として暮らさせてもらっています

    ※今のお仕事では一切のカミングアウトはしていません

  それだけで十分ですし

  それ以上を求めることもしてはいません(^O^)

 

わたしは結局三人の精神科医に

  計26回述べ2年ちょいの期間をかけて

  交通費等も含めるとそれなりの費用とお時間をかけたのですが

  結果として、周りから何かを言われたとしても・・・言われたことはないですが(^O^)

  揺るがないだけの自己の確立が出来たので

  良かったと思っています!

 

最後にわたしがお世話になった先生方の相関図を再掲します

 

※青太字の部分は参照記事のリンクを貼ってありますので参照してみてください