先日「カウセリングに行ってきました」 で書きました先生へ提出した『GID学会に参加して考えたこと』をここでUPしておきますね。
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Date: 2013年3月27日(水) 午前0時05分
タイトル: GID学会に参加して考えたこと
二日目は徳島から来たMTFの人と一緒に聞きました。
合間の会話で”就職が心配”ということなので”どんなお仕事したいの?”と聞いたら”教職か芸術関連”とのことでした。
私が”学校の先生なら5年くらい実績を積んでいい先生になれば、そこからカムアウトしても(まして今から5年先なら)辞めさせられることはないんじゃないかな”と言ったら、”教職実習の一週間髪を切っただけで精神が不安定になったので無理!”と即答でした。
さすがそのくらい即答できるくら思いが高まっていないと「本物のGID」じゃないのかな~と思ったり、私も今が20代なら(GIDの情報を得ていたりして)そうなるのかな、と思ったりしました。
私の意識上のスタート地点は”性別違和/性自認の不一致”ではなく”女性性への憧憬/一致”なのです。
カルーセルさんの性転換手術や国内のブルーボーイ事件はかなり早い段階で知っていました。
しかしコネも金もない私にとってこれらのことは別世界の話だと思っていました。
頭の中だけでは完全な女の子になれても、現実世界では決してかなえられない夢だとずっと思ってきました。
それでも小学・中学のころからずっと途切れることなく”女の子になりたいな”という思いは続いていました。
幸いなことに?思いの開始点が”憧れ”のせいか?このことで自殺という発想は出てくることはありませんでした。
結果、大学を出て、当たり前に就職して、自分の居場所作りをしていたら、幸いなことに天職にめぐり合い、自己実現できて、男・女ということは関係なく”私という自己の肯定感”は感じています。
要は”女の子になりたい”という思いは途切れずに続いてはいても、私にとってより高い優先度として”自己実現”の方が高かったのか、と思います。
そして今、その自己実現の結果得られた公の場での私の居場所をベースに公の場(仕事場)でのカムアウトを目指しています。
人生の最終フェーズで、単にご近所に埋没するのではなく、自己実現している場で憧れ続けた女性として活動(仕事)することができたらと思っています。
本物のGID(性自認の不一致者)だろうが、私のような者でもいずれにしてもSRSを行ったからといって生物学的には純女にはなれないのです。
そして現在の戸籍法では戸籍の上でも純女にはなれないのですよね!悲しいね・・・
私の解釈ですが(間違っていたらごめんなさい)今回のDSM-5/SOC-7への改定で「ディメンジョン評価」の導入がなされます。
これまでの”性別の不一致”がすべての評価の基準から、これからも重要な評価点には変わらないけれど、”なりたい強い欲求”(原因は問われていない)の評価が追加されています。
もし私がGID(これからはGD:Gender Dysphoria性別違和)と認定されるとすればこの部分なのかな、と思いました。
その意味で自分なりの勝手な解釈ではありますが自分の居場所が見つけられそうなことを感じてよかったです。
良く言えば”ポジティブシンキング”。時間はまだある。
まだまだ数年単位での努力が必要だと思っています。
見かけをパスして、声をパスして、仕草をパスして、それと並行して法律的に認定されて、フルタイムで、法律的に、女性として死ぬ間際まで活動していけるようになれたらいいな、と思っています。
ダラダラと私の今の思いを、自分自身での整理の意味も含めて書かせていただきました。
一部不適切な表現もあったかも知れませんが、なにかご意見/ご指摘があればうれしいです。