サステナブルとリジェネラティブ 持続と再生
持続可能な社会・環境を目指す「サステナブル」
再生(更生)させる「リジェネラティブ」
「リジェネラティブ(Regenerative)」は、「再生」を意味することから、問題の根本を解決し、現状をよりよくするための取り組みに使われるのが最適な言葉で、特に環境の再生に関する取り組みと相性がよい言葉といえます。
リジェネラティブ農業は、微生物や虫をはじめとした生態系を取り戻して自然環境を改善し、私たち人間も無理なく持続できる農業として注目を集めています。
リジェネラティブ農業についてのはっきりとした定義はないものの、おおむね以下の点で共通しています。
・土壌の健康状態の改善にフォーカスし、栽培地周辺の生物多様性を促進する。
・出来るだけ農薬や肥料を使用せず土壌の健康状態を維持・改善する。
・日本でも従来から行われて来た伝統農法の技術を活用する。
・地域住民やコミュニケーションの活性化を促進する。
具体的にはこれらもリジェネラティブ農業の中に含まれます。
・育てる作物ごとに土地を仕切り、機械で耕して農薬肥料を用いる近現代の農法に代わり、出来るだけ土地を耕さない不耕起農法。
・自然由来の堆肥などを利用する有機農法。
これらを読み・・支離滅裂でおかしいとは思わないかな。
長年の読者の中にはバカバカしいと思う人も多いだろう。
何処がおかしいのか、矛盾があるのか、考えるとよい。
理念は素晴らしく言葉もわかりやすいのだが中身が何もない。
横文字だらけ、すべてが矛盾だらけの作文のようだな。
これまで農法とどう違うのか、パーマカルチャーと大差なく、他力本願で実践理論のかけらも見当たらない。
自然界も表土も動植物も高度な仕組みを有するが、それに関係なく人間の都合を並べている。
このような言葉遊びでは、結果どころか何年経っても一歩も前に進まないだろう。
中身も具体性もない言葉や、聞こえの良い横文字、聞き慣れない外来語は日本の農業や環境再生に必要ないのではなかろうか。
再生農業、持続農業のほうがはるかにわかりやすい。
そこには再生・持続の基盤となる具体的理論が必要であり、「詳細な設計図なしで家が建たない」のと同様に、事は成せない。
実態がないものを難しい横文字で権威付けても役に立たない。
オーガニック、パーマカルチャー、マクロビ・・野人もそうだったが子供やお年寄りにはわからんな。
最下段の「自然農法」資料は参考だが・・
思想だけでは農法とも言えず定義のしようがないだろう。
「土壌本来の性能」と言うが、何処に土壌本来の仕組みを示した道理があるのか。
「農家は自然の営みを手伝うだけ」と言うが、自然の営みとはどのような仕組みか、物理的にはっきり示してもいない。
上記の最後の言葉・・
万物はすべて自然由来だが、自然由来ではない堆肥があるのか。
肥料・堆肥で細胞が肥大した不完全な野菜果物は自然とは言えないはずだが・・ 自然の定義すらないから仕方ない。
個人の感性で結果も明確でなければ業として成り立たず、仕組みに反すれば不完全な植物となり、環境汚染も体調不良も招き入れる。 現状はその通りになっている。
決意に方法が伴わず結果も出なければ絵に描いた餅だな。
今の有機農や自然農で環境破壊せず健康で長生き出来るわけでもない。 それが出来れば農業はそれ一色になっている。
どれも方向性は間違っていないが方法が間違っている。あるいはまったく方法がなく自由か、そのどちらかだな。
道理を明確にして間違いを修正出来ればどちらも同じもの。
悪くはない。
学門の再編成、世界に存在しない「生命の物理学」の構築が必要だな。
自然農法とは、有機農業の一形態。
自然農や、自然栽培とは別物である。
法律(JAS法等)で「自然農法」は定義されていない。
岡田茂吉さん
1935年「土壌に不純物を入れず清浄に保てば、土壌本来の性能を十分に発揮し作物が栽培できる」という考えのもとで、無農薬・無肥料の栽培を始めた
1950年(昭和25年)に「無肥料栽培」から「自然農法」へと改称
福岡正信さん
1947年、「無から有を生めるのは自然のみで、農家は自然の営みを手伝うだけ」と考え、「無肥料」「無農薬」「無除草」を原則とする自然農法を始めた
新潟 十日町
北海道 小樽
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