生命エネルギー論としてまとめたのは2016年の6月だが、ブログ内ワード検索すれば生命エネルギーと言う言葉は2008年3月のブログ開始以来280件の記事、生命力と言う言葉は開始以来350件の記事が出る。
どちらも同じものと考えてかまわない。
農法公開初期より出て来る「生命力」は「生命エネルギー」のことであり、これが協生農法の基盤になっている。
つまり、植物が成長・繁栄する為に必要なエネルギーであり、植物が動物に合わせて進化するのも、密生して生態系を作るのもこの生命エネルギーを得る為だ。
学門・常識では植物が成長に必要とするものを「成分・養分」と断定したから肥料が使われるようになった。
必要とするのは人間も同じで、心身の維持は「成分・養分」、動力は「カロリー」となっている。
では植物は成分・養分を何に使うのか、人間同様に心身維持が目的なら植物に意識や臓器があると言うことであり、動力については何も言ってないが、植物にカロリーは必要ないのか、必要なければ植物は何で動けるのか。
意識を持たず動力もなく根や枝は勝手に適当に伸びているのか、花を作り咲かせるのも偶然なのか。
動物のように歩けはしないが縦横無尽に伸びるには動力が必要であり、動くことに変わりはなく、考えながら動いている。
成長速度、葉の数、花や実の数、土壌環境や気候に合わせて成長している。
植物は脳機能がないから意識を持たず、動力ははっきりわからないにも関わらず、人間同様に栄養肥料が必要・・・
これでは支離滅裂で道理にもなっていない。
何で栄養成分だけ植物の生育に持ち込むのか。
だから生物・植物学者は野人の矛盾の指摘に答えることが出来ない。
物理的仕組みを最重視せず、観察と実験と推測、それしかなければこうなるのが当然であり、観察出来ない意識の仕組みはさっぱりわからず生物学から除外されてしまった。
意識のない生物など想像もつかないのだが。
世界で多くの学者が言っているように、生命の仕組みについては未だ何一つわかってはいない。
これだけ長年にわたって大勢の学者が考え何故わからないのか、そのわからない原因を考えた方が早いだろう。
わかってはいないのに膨大な研究知識を積み重ねた生物学は基盤がないバブルの学問分野。 そのように確信している。
ハイテク機械ロボットよりもはるかに高度な仕組みを持つ生物に物理論がない。
ショックを受けた野人は高1で現生物学を放棄した。
学者の研究の為の研究では世の役に立つはずもなく、逆に環境や健康や食の分野で試行錯誤、迷路に入り災いを招いているのが現状であり、その修正が先決だ。
生物学は基盤から生命の学問になっていないから野人は理論を作り、半世紀以上かかって組み立て、それは今も続き終わりがない。
生物学には説が多く、元々物理論らしきものがないのだから当然理論の参考文献もない。
野人がヤマハを中途退職したのは、頭にあるこの膨大な生命の理論を完成させ実践、結果を見極め地球に役立てる為だ。
当時から理論は進化を続け、ここに来て急激に進化、実験が追い付かないほどだ。
協生農法と生命エネルギーと生態系の明確な関係とは
続く・・
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