球体的思考とは | 野人エッセイす

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球体的思考・・

野人講習会ではよく使う言葉で、てっきり野人用語だと思っていたが検索するとどっさり出て来た。球体的思考ではなく「球体思考」だが・・

 

しかし、内容は取るに足らないものばかりで自己啓発セミナーのようなもの。

「自分を球体の核に置き、意識で物事を考える」・・?

あらためて言うことでもなく、常日頃から皆さんそうしているのではないかな。  それで思うような結果が出ないから悩んでいるのだ。

 

意識・思いはどのような形でも自由だが、現実の答えを出そうと考えるのは理性であり、自分を中心に置けば公正な判断は出来ないだろう。

考え方次第で自分の気持ちは楽になるだろうが・・

 

野人が使う球体的思考は「球体的物理思考」だ。

球体とは地球そのものであり、その中には自然界の物理法則が詰まっている。

全面に入り口があり、出口もあり、何処から入り何処から出ようと構わない。  それを接ぎ合わせて連立方程式にすることで必要十分条件等、明確な答えが出せるようになっている。

 

野人が長年使いこなしてきた便利なツールだが、道具・手法に過ぎず、感性の意識ではないのだから思考の「思」はいらないし、自己啓蒙でもない。 検索した「球体思考」とはまったく正反対だな。

意識を球体の外側に置かなければ客観的な判断は出来ない。

 

言葉とは、人の思い・解釈次第でどちらの方向にも向かうものだな。

自分で球体と言えば球体になり、自然と言えばそれが自然になる。

天然、健康、治癒力などそれぞれの捉え方も無数にある。

 

原因、客観的、などの定義・用い方も異なれば、学び方、思考の起点、順路なども世界と野人では全く異なる。

これらはすべて現実の「物理」であり、言葉と意識で解明出来ることではなく、個々の捉え方で左右されるものでもない。

 

言葉を辞書の額面通りに捉えてまとめるのか、その奥にある深い仕組みを理解した上で使いこなすのか。

使いこなすには平面から立体へ。

野人は立体を無理もトゲもない宙に浮く球体にした。

底面も上面も側面もなく周囲から均等に見渡せる。

思いは一切入れず、中学生でもわかる単純な物理方程式だな。

 

個々はわかりやすいが、無数の式を組み立てるのが困難なのだろう。

慣れれば簡単なのだが、慣れた人がいない・・

やはり、教え方を変えるしかないだろうな。

足が地についていない球体で、縦割り学問・物理でもないし。

 

人類は間違いの歴史。

それは修正の歴史でもあるのだが、修正出来なければ追い込まれて行く。  現状がそうであるように。

 

修正出来ないのは修正する箇所がわからない、つまり間違いに気付かないからだ。

この「球体的物理思考」ツールがあれば、理解して使いこなせば、誰でも間違いに気づくはず。

 

間違いは身の回りに山ほど溢れている。

そしてそれに気付かないうちに心身を痛め付けている。

 

本来は、特別な対策など必要ない。

 

 

 

 球体・・・・?

 

球体青汁ビックリマーク

 

 

 

 

 

 

 

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