学問は先人達の知恵によって築かれ、その恩恵によってこうして文明生活が送れるようになった。
現学問とは、知識にせよ理論にせよ基本から順に習い覚え、積み重ねることであり、学校教育もそうなっている。
野人も同じで、それらの基礎があるからこうして新たな理論を構築している。
考える力を養う・・とは言うが、考える力はそれらの枠から飛び出ることはほとんどない。
枠外は未知の領域だからだ。
十代半ばから道理に矛盾を感じた野人は、現学問から荷物まとめて家出同然で脱出、今では知性と品性と常識を捨てて野生化した「野人」の称号をいただいている。
その学問とは全ての学問ではなく、「生命」に関する学問だ。
生物、生態学、植物学、動物学、それらを食として扱う栄養学、健康学、農学・・
自然界に反して矛盾していると判断したから飛び出たのであり、出たからには何処に間違いがあり、何が正しいか、はっきりさせる必要があった。
生命の起源である海の仕組みと生態に始まり、川から山へと上り植物と生態を観察、現在の生物学、植物学とは異なり参考文献もない分野に生命の物理論を見出した。
自然界の仕組み、生命に起こりうるすべての現象は完全な物理であり、その学問が存在しないほうがおかしいのだ。
現学問の分野を越えて、地球の歴史、生命の歴史を遡り試行錯誤に半世紀を費やした。
そして再び平地に下り農業の矛盾を指摘、新たな農法を構築した。
農業書はおろか、医学百科、栄養、健康書すら読んだことのない野人は、最初から自分の思考と言葉で、農業理論、体調復元理論を説いている。
長年学び続け使い続けた知識理論は世界の常識として人々の思考に組み入れられている。
これらは自ら覆す理論を持たなければ変わるものではなく、世界の頭脳を相手に反論する事は不可能に近い。
そうして出来上がったのが「型」であり、この型によって人々は楽な暮らしが営めるようになった。
余計なことを考えなくともよいからだ。
それによって不都合が生じても、常識が間違っていたとは考えない。
間違っていないと確信しているから、それを前提に次々と対策を考えるようになった。
間違っていれば当然結果は出ない。
それを繰り返すか、新たな活路を目指すかは本人に託されている。
野生動物は人間のような多様な病に苦しむことはない。
そこに最も重要なヒントがあり、それを解明すれば結果の出ない対策など考えることもない。
考える力とは・・
本来は他をアテにせず最初から自分の力で考えることではないだろうか。最初から参考文献はいらないのだ。
地球上の生き物はすべて、自ら考え、自らの力で生き抜くことが課せられているのだから。
言葉と仕組み5 森羅万象の理
http://ameblo.jp/muu8/entry-10761168089.html
崩れ行くガラスの常識
http://ameblo.jp/muu8/entry-12006275137.html
思考の起点次第で結果は変わる
http://ameblo.jp/muu8/entry-11997319362.html