情報は世界共有の時代。
病と健康に関する常識は今や世界の常識。
これほど長期間、人知を結集しても状況は悪化するばかり。
人類を代表する頭脳の面々がこれだけ考えて無理なら、思考順路が「間違っている」と言うことであり、「何処で間違えた?」と考えれば必ず答が出るはず。
「間違っていると考えない」から何時まで経っても完全な答が出ないのであり、「間違っている」は答が出ない物理の最大の選択肢と言う当たり前の道理を忘れている。
高校の生物が物理的でないように、そもそも・・
「生命生物を物理」と考えていないからこのような結果になるのだ。
物理とは万物の理、万物とは森羅万象、自然界であり、その普遍的な法則を見出し活用するのが物理ではないのか。 人間も自然界の一部であり、その法則は当てはまる。
人が当たり前のように立てた道理の何処が間違っているのか、何故に健康、環境が改善されないのか、その大半は最初の「思考の起点」が間違っているからだ。 だから何十年試行錯誤しようがまったく答が出ない。
これまでの推移から、進歩どころか後退、しかも急激に悪化している。
学問は引き継がれた常識、答の積み重ね、それを前提に基礎を学び、研究を進める。
誰も最初の「最初」が見えず、最初に責任を持つ者もいない。
見えないのは学問の在り方にも原因があるが、見ようとしない研究者のプライドもあるだろう。
1度、「常識」「前提」が間違っているものとして自らの頭で道理を再構築したほうがいい。
これまで学び積み重ねた知識を全て捨て去らなければ「最初」は見えない。
健康食品のCMで学べばよくわかるが、最初の前置き「こう言われている」・・がそれに当り、それが間違っているから万人に完全な答が出ないのだ。
一度じっくり「前置き」を観察するとよい。何とも便利な言葉だが、言葉の便利さはリスクも伴う。
学者でもない野人でさえ猿やタコや葉っぱから学びながら、最初の基礎から理論を組み立てているではないか、流用も前提もない。
しかも、中学生でも理解出来る簡単な言葉で。
机上の理論でもなく自ら実践、読者にも実践していただいて、はっきりした答えも出している。
思考の「起点」次第で結果は180度変る。
起点を間違えれば何百年でも迷走し、迷走するほど人々は迷惑するのだが、なかなかそこに気付かない。 起点など・・難しい数式もないのだから誰にでもわかる。
専門学者にやれないのなら一般市民がやるしかなく市民もそこに気付かない限り迷走は止まらない。
分析証明は困難なものもあるが、日常当たり前の道理から当たり前の答を導くのに研究室はいらない。
生きることは判断であり物理
http://ameblo.jp/muu8/entry-11962305278.html
失敗から学ぶ
http://ameblo.jp/muu8/entry-11971233667.html
思考の起点次第で人生は変わる1
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