ひるがえっておもうに、正系門家のことごとくがだいしょうにんさまを忘れ、罰当たりにもさげすみ、敵対てきたいおちいる中、せんせいただ御一人が諸天しょてんに申し付け給うだいしょうにんさま絶大ぜつだいとくだいだいを如実に拝したてまつられ日蓮にちれんによりてほんこくはあるべし」とのだいしょうにんさまの重大なる御存在を一国に広く顕わし、ほんぶつへの帰依をうながざい以来の開目の大運動を起こされた事、これひとえにただごとあらず。
 まさしくせんせいこそだいしょうにんさまこう前夜の濁悪極まる時につかわされたけん使げんごうの重大なるお立場のお方としてはいするものであります。
 そこに今、私達はせんせいの激闘によりにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうが崩壊した凡慮を絶する不思議ふしぎをよくよく拝してはますますの大確信だいかくしんに立ちじゃの次には必ずりっしょうがある」と叫ばれたせんせいの御跡をした奉公ほうこうつらぬかねばなりません。
 正本堂しょうほんどうは「末法まっぽう万年の戒壇かいだん」といつわり通して信徒からむしり取った三百数十億円の巨費を投じて建てたきょだいな殿堂であります。
 最高権力者のいけだいさくと最高権威のほそにったつが心を合わせて作った大殿堂であれば、宗門僧俗のことごとくがたぶらかされたのであります。
 「にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうを早く撤去し、誑惑おうわく清算せいさんせよ」と諌め続けられたあさせんせいに対し、がっかいに迎合する宗門の禿人どもは口をそろえて「たとえ日が西よりづるとも、川が逆さまに流れるとも、正本堂しょうほんどうの撤去などあるはずがない」とあざわらった。
 だが、正本堂しょうほんどうはわずか26年で轟音ごうおんと共に崩れ去ったのであります。
 これ、大悪を許し給わぬだいしょうにんさまあさせんせいをして諌暁かんぎょうせしめ、諸天しょてんをして正本堂しょうほんどうを撤去せしめた厳たる御仏意であります。
 かかるだいげんしょうを眼前にする時ほんこくいちしんずることあるべし」の順縁こう、そして、こくりつ戒壇かいだんの金剛法座にほんもん戒壇かいだんだいほんぞんがお出ましあそばすりっしょうじょうじゅも私達は必ず拝見させていただけること大確信だいかくしんすべきであります。


令和6年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 3月27日 3月度 男子部班長会 行成総男子部長指導