そして「立正安国」についてはこのように述べております。
「広宣流布の一側面を示すのが立正安国の思想である。
『誰もが成仏できる』という理念が広まれば、全ての人が尊厳を認められるようになる。
広く言えば、このように社会全体に正法の理念を浸透させていく事が立正である。
自然災害そのものはなくならないにしても、自他共に幸福を第一義とする社会では被害を最小限に抑え、さらには、未然に防ぐ施策が取られるに違いない。
これが、立正から帰結する安国の実現である」と。
「立正安国の思想」「正法の理念」などと仏法を哲学のようにとらえているところに学会の信心のなさが浮き彫りになっています。
正法の理念を社会に浸透させていく事が立正で、そうすれば、自然災害の被害を最小限に抑え、人為的な防災対策が取られるに違いなく、これが安国の実現だというのです。
信心のない輩が凡夫の浅知恵で御書を読むと、かくも薄っぺらなとらえ方になるのかとあきれるの他はありません。
これ大聖人様の「立正安国」の崇高なる大精神を蹂躙するものであります。
立正安国の「立正」の前提には必ず「破邪」があり、ゆえに「破邪」「立正」「安国」と心得るべきであります。
「汝早く信仰の寸心を改めて」は破邪。
「速やかに実乗の一善に帰せよ」は立正。これすなわち国立戒壇の事。
「然れば則ち三界は皆仏国なり。仏国夫れ衰えんや」以下は安国であります。
だから「立正安国」の元意は「一切の邪法を捨てて国立戒壇を建立すれば、日本及び全世界は現当二世に安泰たるべし」という事であります。
御在世において国主を始め日本国中が念仏等の邪法を固く信ずる中で、身命に及ぶ事を御覚悟の上で大聖人様は『立正安国論』をもって国主を諌暁あそばされました。
ゆえに、その直後に著わされた『教機時国抄』には「之を顕さば、身命を定めて喪わんか」と仰せ給うておられます。
当時、邪法を信ずる民衆に対する弘通すらなお身の危険を伴った。
いわんや、国主に対する諌暁は身命に及ぶ事必至でありました。
事実『立正安国論』奏進の翌年には北条重時の同意の下で行われた松葉ヶ谷の法難が起こり、翌年には国権による伊豆流罪、後年には竜の口大法難と全て『立正安国論』の諌暁に起因して大難が競い起こっております。
身命を捨てて一切衆生を現当二世に救わんとあそばされた大聖人様の大慈大悲・崇高なる立正安国の大難が分からぬかと言いたい。
学会は「日蓮大聖人の教えを信奉する仏教団体」などと自称してはいるものの、このように教義は己義ばかりで、何より極限の大謗法を犯し、未曾有の邪教化に陥り、もはや身延等と同じレベルの邪教に完全になり下がったのであります。
このような池田大作一党には広宣流布の暁に立正の元意たる国立戒壇を建立するとなぜ安国になるのか分かろうはずもない。
これ、大聖人様の絶大威徳と諸天の働きを弁えなければ絶対に分からないのであります。
令和6年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井会長指導
- 説明
- 仏法のために身命を惜しまぬ者は必ず仏になる
- 浅井先生の御遺命守護の激闘
- 道念ある学会員が続々と集う
- 悪師池田大作の天魔その身に入る正体
- 臨終の大事を見失った池田大作一党
- 池田大作一党のデタラメな広宣流布の定義
- 「立正」「安国」の前には必ず「破邪」がある
- 宇宙的スケールで仏法を守護する諸天の働き
- 順縁広布は日蓮大聖人の絶大威徳で必ず成る
- 亡国の大難は刻々と迫る