さて、いけだいさく一党いっとうほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを捨てたてまつった上に、日蓮にちれんだいしょうにんおん元初がんじょじゅ用身ゆうじん末法まっぽうしゅほんぶつであられることを否定したのみならずだいしょうにんさまを凡夫視しておとしめ、おん元初がんじょの三宝までも改変するに至ったこと先般来せんぱんらいべてきたとおりであります。
 「これを見て責めない者はだいしょうにんさまではない」とのせんせいの御命令が耳朶じだを打ち、私はその実態をはくじつの下に曝し、しゃくいたしました。
 元々は戒壇かいだんだいほんぞん絶対ぜったいしんじ、日蓮にちれんだいしょうにんおん元初がんじょじゅ用身ゆうじん末法まっぽうしゅほんぶつそんきょうしていたがっかいがおぞましいほどじゃきょうしたのも、ひとえにだいろくてんおうしょであります。
 がっかいいんはこの実態と本質に刮目かつもくなりともあやまりあるものをばつべし」おおせのままあくを捨てて正しき師匠にすべきであります。
 『まつ殿どのへん』における雪山童子のほうにんほうってひとらざれ)」の大精神こそじょうぶつを願う大道心だいどうしんであるとしてせんせいは次のごとくどうくださいました。

 「は様々な者の身にって仏法ぶっぽうらんする。その姿はへんげんざいである。
 ある時は仏のような姿をし、ある時はさつの身に現じて仏法ぶっぽうらんしたり、あるいは父母・師匠・妻子・兄弟・友人等の身にってしんじんを妨げる。
 だいしょうにんさまは『さいれんぼうへん』にだいろくてんおうしゃりてしょうじゃし、ぜんあくす』おおせられている。
 今こうの前夜、ほんぶつ遺命ゆいめいじょうじゅするという時にだいろくてんおうきょうしゅぼうかんしているわけがない。
 だから見てごらんなさい。だいろくてんおうはまず政治野心に燃えるいけだいさくの身にってほんぶつの一期の遺命ゆいめいを破壊せんとした」と。

 がっかいいんが「永遠の師匠」と仰ぐいけだいさくしょうぜんではなくだいろくてんおうそのじゃあくそのものであります。
 だからこそ、日蓮にちれんだいしょうにんの出世の御本懐、文底深秘の大法の正体、ゆいじゅいちにんべっぞくほったいいっさいしゅじょうじょうぶつの根源の種子であられるほんもん戒壇かいだんだいほんぞんを六百万がっかいいんに捨てさせた上でおん元初がんじょじゅ用身ゆうじん末法まっぽうしゅしゅしんだいだいほんぶつにてまします日蓮にちれんだいしょうにんをも凡夫視しておとしめることができるのであります。これてんの所為でなくて何でしょうか。


令和6年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 3月27日 3月度 男子部班長会 行成総男子部長指導