このようないけだいさく一党いっとうがこしらえたがっかいきょうがくなるものがいかにでたらめか。
 それは、きょうがく要綱ようこうに記された「じょうぶつ」「広宣こうせん流布るふ」「りっしょうあんこく」の解説を見てもよく分かります。
 そのすべてがいけだいさく一党いっとう己義こぎでしかありません。
 だいしょうにんさまは『りょうかんとうしょ』に

ろんやくしゃにんとうにはるべからず。もっぱきょうもんせんとせん」

おおせられ、また『さんさんぞううのこと』には

どうしょうもんとにはぎず、またどうしょうもんよりもげんしょうにはぎず」

「教義・主張の成否は経文の裏付けがあるかどうかを見極めることだいである」おおせであります。
 末法まっぽうしゅ仏法ぶっぽうちゅうにおける最高の文証とはほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにんきんげんであります。
 だいしょうにんの門下においてはしょを唯一のり所として正しく仏法ぶっぽうを行じなければいけないことうまでもありません。
 まず、がっかいにおける「じょうぶつ」の定義についてきょうがく要綱ようこうではこのように記しております。
 「そうがっかいでは信仰によって仏界をひらき表わし、自身が生きている意味を明確に洞察どうさつし、生きていること自体に歓喜を覚える状態を指してじょうぶつと呼んでいる」と。
 何と「生きている意味を洞察どうさつし、生きていること自体に歓喜を覚える状態」が「じょうぶつ」なのだそうですが、あまりの薄っぺらな内容にぜんといたします。
 これだと、しんじんしなくても誰だってじょうぶつできることになってしまいます。
 彼らは人生じんせいの目的がじょうぶつという永遠に崩れぬ大幸福をるにある」ことまったく分かっていないのであります。
 せんせいは、基礎きそきょうがくしょくわしく記しておられますが、幸・不幸の因果が三世に渡って鎖のごとくつながり、現世はわずか数十年、未来は永遠であることを弁えれば、もっとだいことは現世の寿命の長短などではなく、このわずかな一生いっしょうのうちにじょうぶつが叶うか否かということが分かります。
 だからこそ、じょうぶつじょうぶつしょうとして現われるりんじゅうこそ人生じんせいさいだいなのであります。
 がっかいでも昭和39年に発刊され、いけだいさく監修かんしゅうした『仏教哲学だいてん』にはりんじゅうだいについてこのように正論をしるしておりました。

 「死は人生じんせいもっとだいな問題である。人がじょうぶつしたかしないかは死相にハッキリと現われる。
 ゆえに、死のだいことについて『みょうほうあまぜんへん』にりんじゅうことなろうてのちならうべし』とある。
 世間では『人は死ねば仏になる』とかんがえているが、それは非常なあやまりである。
 弘安二年十月十二日御図顕のさんだいほうだいほんぞんによってのみじょうじゅされるのであり、我々の生命が三世に渡り永遠に崩れぬ幸福境界をことができることしょうである」と。

 では、なぜがっかいじょうぶつについてあのような意味の分からない定義に改変したのか。
 それは、遺命ゆいめいに背き、戒壇かいだんだいほんぞんを捨てたてまつったがっかいではがっかいいんりんじゅうがことごとく悪く、りんじゅうの相にはいっさい触れられなくなってしまったからであります。
 だいしょうにんさまりんじゅうの法則性について『みょうほうあまぜんへん』にこうおおくだされております。

 「日蓮にちれん幼少ようしょうときより仏法ぶっぽうがくそうらいしが念願ねんがんすらく、ひといのちじょうなり。
 ない、さればりんじゅうことならうてのち他事たじならうべしとおもいて、一代いちだい聖教しょうきょうろんにん諸釈しょしゃくあらあらかんがあつめてこれ明鏡めいきょうとしていっさいいっさい諸人しょにんするときならびにりんじゅうのちとにけてそうらへばすこしもくもりなし。
 ひとごくたまう。ないにんてんとはへてそうろう

 では、地獄にちる相、あるいはじょうぶつを遂げる相とはどのようなものか。
 『しんこくおうしょ』には

ぜんさんぞうは『するときこく陰々いんいんとしてほねはなはあらわる』ともうしてげんごくあくそうこつあらわしたまいぬ。
 ひとしてのちいろくろきはごくつとはいちだいしょうきょうさだむるところなり」

おおせられ、また『せんにちあまぜんへん』には

ひとりんじゅうときごくつるもの黒色こくじきとなるうえおもことびきいわし。
 ぜんにんたと七尺しちしゃく八尺はっしゃく女人にょにんなれども、色黒いろくろものなれども、りんじゅう色変いろへんじて白色びゃくじきとなる。またかろこともうごとし、やわらかなること兜羅とろ綿めんごとし」

おおせられております。
 まさに、その人の一生いっしょう総決算そうけっさん、そして、未来その人が受ける果報がりんじゅうの相に厳然と現われるのであります。
 昨年10月16日に御逝去されたあさせんせいの色白く、くちびるしんで、体は柔らかく、しかも軽く、そして、笑みをたたえられた柔和な御表情、そのきんげん寸分すんぶんたがわぬ素晴らしいじょうぶつの妙相は今なお鮮烈せんれつなまでに脳裏にいております。
 かかるごとなまでのりんじゅうの相を眼前にしては、今生における最大の悲しみはだいしょうにんさまだいだいに対する有難ありがたさ、ほうおん感謝かんしゃへと変わり、そしてせんせいの指さされるままに前進ぜんしんすれば遺命ゆいめいじょうじゅは断じて成る」との揺るぎない大確信だいかくしんはらの底よりげた事昨日さくじつのごとくであります。
 方や、その一月後に死亡がこうひょうされたいけだいさくりんじゅうの相が誰にも見せられないほどのあくりんじゅうであったことは、荼毘だびに付した後にはっぴょうする等の不自然極まるがっかい執行部の対応を見れば想像に難くありません。いっさいげんしょうにはかず」であります 。
 全がっかいいんはこのりんじゅうしょう刮目かつもくしなければならない。
 あくいけだいさくの道連れにされ、にゅうごくとなったら取り返しがつかないのであります。


令和6年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 3月27日 3月度 男子部班長会 行成総男子部長指導