本日の総幹部会もまことに大熱気がたぎり大感動いたしました。
今朝の時点における顕正会全体の弘通は26,224名、87%であります。
先生の御意思を継ぎ、御遺命成就を見つめ熱鉄の闘志で戦う全顕正会員の涙の出るような真心の弘通を先生は必ず御覧になっておられるに違いありません。
いよいよ迎える4月、三万の誓願を大きく突破して、先生への御報恩の赤誠を表わしていかんと決意いたします。
この3月から、浅井先生の御書講義のネット配信を開始いたしました。
先生の懇切なる講義を通して大聖人様の大慈大悲を如実に拝し、今全顕正会にはかつてない恋慕渇仰の信心と広宣流布への大情熱が満ち満ちております。
以前に先生は御書講義の大事について次のように指導下さいました。
「御書は大聖人様が直接下さった信心の御指南である。
『いかように信心すべきか』『いかように広宣流布に前進すべきか』大聖人様は全ての事を御書の中におしたためである。
顕正会員こそ御書を心肝に染めて広宣流布まで驀進をしていきたい」と。
日曜勤行と合わせ、全顕正会員が先生の御指導を命に刻み、もって一人一人が力ある広布の大人材へと成長し、三百万を加速してまいらねばなりません。
ことに、今般拝した『松野殿御返事』は入信早々の松野殿に対し一生成仏を見つめた信心のあり方を切々と御教示下さる大聖人様の大慈大悲をひしひしと感じては、名状し難い大感動に全身が包まれました。
同時に、大聖人様に対し奉る先生の御報恩の思い、そして、御遺命守護の戦いにおける捨て身の御覚悟を強く感じ、熱涙を抑えられませんでした。
先生はかく指導下さいました。
「雪山童子は小乗経の半偈のためにすら命を惜しまなかった。
今私達は最大深秘の大法、一生成仏の叶う三大秘法に遭い奉る事ができた。
これひとえに、大聖人様が流罪・死罪の大難を忍ばれ、三大秘法を一切衆生に授与して下さった大慈悲による。
『この大恩、何をもってかこれを報ぜん』とこの思いに立たぬものは仏弟子ではない」と。
かかる仰せこそ
「雪嶺に
身を捨つるとも
大悲の恩
いかで報ずべき
みほとけの
遺命おもし
いのち尽くまで」
との会歌『遺命重し』に込められた先生のお心そのものとひれ伏す思いとなりました。
ちなみに「雪嶺に身を捨つる」とは雪山童子が小乗経の半偈のために身を投げた姿の事であります。
御遺命守護にお立ちになった時、先生は幾度も『松野抄』の「仏法を得べき便りあらば、身命を捨てて仏法を学すべし」の御金言を拝した事をお教え下さり、かく指導下さいました。
「仏法のために身命を捨てるといえばいかにも大仰で凡夫には到底出来そうもないように見える。
だが、人生の実相を見れば、いかに命を惜しむとも人は死を免れる事はできない。生ずる者は必ず死ぬ。
また、人は臆病で常に命を惜しみながらも、つまらぬ事には簡単に命を捨てているのが実相である。
命は人間にとって最も大事な物。この命を仏法に惜しまぬ者は必ず仏になる」と。
合わせて『佐渡御書』の
「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人を為して智者を喪わん時は、師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」
の御金言について先生は
「大聖人様は国を救い、一切衆生を救わんと敢えて平左衛門に強く諌暁あそばされた。
この何者をも恐れぬお心こそ師子王のごとくなる心である」
と仰せ下さいました。
御遺命守護の激烈なる戦いの最中に先生は『佐渡御書』を7回も講義され、全顕正会員が『佐渡御書』を心腑に染め、ただ大聖人様に一筋の忠誠を貫いた事を以前にお教えくださいました。
「仏法を得べき便り有らば、身命を捨てて仏法を学すべし。
乃至、師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」
の御金言を身で読まれ「たとえ命尽きるとも大聖人様のおうなずきを賜われれば本望」との決死の御覚悟でお立ちになった先生の御遺命守護の激闘なくば、正本堂の落成時に御遺命は完全に破壊されていたに違いありません。
先生のただならぬ仏法上の重きお立場を思うほどに、畏敬の念でいっぱいとなるものであります。
令和6年 3月25日 3月度 総幹部会 浅井会長指導
- 説明
- 仏法のために身命を惜しまぬ者は必ず仏になる
- 浅井先生の御遺命守護の激闘
- 道念ある学会員が続々と集う
- 悪師池田大作の天魔その身に入る正体
- 臨終の大事を見失った池田大作一党
- 池田大作一党のデタラメな広宣流布の定義
- 「立正」「安国」の前には必ず「破邪」がある
- 宇宙的スケールで仏法を守護する諸天の働き
- 順縁広布は日蓮大聖人の絶大威徳で必ず成る
- 亡国の大難は刻々と迫る