12月度総幹そうかんかいにおいてあさ会長かいちょう「令和5年は無二の師匠あさしょう先生せんせい逝去せいきょされるという極めて重大じゅうだいな節目を迎えた年であった」おおせられましたが、先生せんせい逝去せいきょ以降、深い悲しみは報恩ほうおんけつとなり、かえって信心しんじんの純度が増し一段と力強くなった顕正会の前進ぜんしんには

「これ大忠誠だいちゅうせいつらぬかれた先生せんせいを継いで、遺命ゆいめい成就への熱涙ねつるいちかいをなした顕正会をだい聖人しょうにんさまころもをもっておおいお守りくださり、そして先生せんせいが手を引いてくださったゆえ」

との会長かいちょうのおことを実感し、涙があふれました。
 この度あさ会長かいちょうは、池田大作の死亡発表が先生せんせい逝去せいきょのわずか1ヶ月後というタイミングであったこと「厳たるぶっを感じる」おおせられましたが、りんじゅうの相についてまったげんきゅうのない池田大作のそれと、あさ先生せんせいごとりんじゅうの相との天地のちがいに、今後多くの学会員が深刻なるどうしゅうしょうを起こすこと必定ひつじょうとの大確信だいかくしんげました。
 会長かいちょうだい聖人しょうにんさまとしてもっとだいことりんじゅうである」としてだい聖人しょうにんさまがいかにりんじゅうを重視しておられたのかについて先生せんせいどうを通してきょうくださいました。
 先生せんせい

だい聖人しょうにんさまりんじゅうの証拠として仏法ぶっぽう邪正じゃしょう、そして、信心しんじんじゅんじゅん強弱きょうじゃくを厳しく判じ給うておられる。
 だい聖人しょうにんとしてりんじゅうこと重大じゅうだいおもわなくなったら、それはもう仏法ぶっぽうではない。だい聖人しょうにんではない」

と断ぜられましたが、学会員にとって永遠の師匠である池田大作のりんじゅうの相は、学会がだい聖人しょうにんさまこころに叶うか否か、引いては全学会員のじょうぶつじょうぶつを占うじゅうだいであることが身に迫り、あさ会長かいちょう「池田大作のりんじゅう刮目かつもくしなければならない理由はそこにある」とのおおせが千鈞せんきんの重みで胸にせまってまいりました。
 会長かいちょう

「全学会員は池田大作の道連れにされてにゅう阿鼻あびごくとなるために信心しんじんしているわけではない」

と叫ばれましたが、遺命ゆいめい破壊、極限の大謗法と池田大作の極重ごくじゅうざいには身が凍り付き『全学会員は池田大作の死亡が不自然極まる形で公表されたことの意味によくよくおもいを巡らせ、そのうたがいなきあくりんじゅうに身を震わせてはりんじゅうだいをしかとわきまえ、悪師を捨て、あさ先生せんせいを正しき師匠と仰ぐべき』おもわずにはおれません。
 まさに、この度の御講演こそ「いよいよ第六天の魔王の呪縛じゅばくから解き放たれた六百万学会員を目覚めさせん」とのあさ会長かいちょうだいしゃくぶくであることおもっては全学会員に聞かしめ、三百万への戦いにそくをつけてまいらんとけついたします。
 会長かいちょうは、日本全国のあらゆる階層かいそうに無数の力あるこうの人材を出すこと日本にっぽんを動かす三百万構築への道であることを示され、そのためにも、入信した大勢の同志をあさ先生せんせいどうに触れさせていくことが極めてだいであり「これこそが広宣こうせん流布るふまでのレールである」おおせられました。
 日興にっこう上人しょうにんが敷いてくださったレールの上をそのまままっすぐに歩まれた先生せんせいどうそのものが広宣こうせん流布るふのゴールまでのレールとうかがっては、会長かいちょうが三百万の大陣だいじんを急ぎ構築せんとの御構想から再開してくださった日曜にちよう勤行ごんぎょうに今後大勢の同志を集わせていく先に、男子十万結集も広宣こうせん流布るふもあるのだとゆうやくかん抑えられぬものであります。
 今般あさ会長かいちょう先生せんせいを継いでこう最終さいしゅう段階だんかいを戦う私達は「広宣こうせん流布るふは断じて成る」との揺るぎなき大確信だいかくしんに立つべきであるとして重大じゅうだいどうくださいました。
 釈尊しゃくそん滅後の三時に仏法ぶっぽうが流布するのはすべ仏様ほとけさまのお力によることしょう徳太とくたい伝教でんぎょうだい前生ぜんしょうしょげんしょう、何より、末法に日蓮にちれんだい聖人しょうにん御出現と共に日興にっこう上人しょうにん日目にちもく上人しょうにん・上野殿・熱原の方々と遠元初おんがんじょからの大宿だいしゅくえんさつがお出になっておられることだい聖人しょうにん御入滅後四百年、邪宗日蓮にちれん宗の邪義がすべて出尽くした時に『しょ文段もんだん』『六巻抄ろっかんじょう』をもって広宣こうせん流布るふの準備をととのえてくださった日寛にっかん上人しょうにんが御出現になられたこと進退しんたいまった人力にんりきあらずを実感いたしました。
 ことに、日寛にっかん上人しょうにんひっを二十歳になる前より拝され、中島なかじま円妙院えんみょういん日彰にっしょう上人しょうにんから『六巻抄ろっかんじょう』の講義を受けたあさ先生せんせいこう前夜に第六天の魔王が正系門家に打ち下り、遺命ゆいめいを破壊せんとした時にたったお一人で敢然かんぜんとお立ちになり、日寛にっかん上人しょうにんなんを基に遺命ゆいめいを守護された御勇姿を拝しては、まさに日寛にっかん上人しょうにんが『観心かんじんのほんぞんしょうもんだん』『六巻抄ろっかんじょう』を贈られた「こうだいくん」「こうせい」こそあさ先生せんせいであられることを涙の中に拝させていただきました。
 この遺命ゆいめい守護の激闘の中に先生せんせいは正本堂崩壊のだいげんしょうを顕わされ、さらには、忠誠ちゅうせいあかしである遥拝ようはい勤行ごんぎょう確立かくりゅうされ、その後、今や1億枚になんなんとする広告文こうこくぶんによる開目かいもくの大運動を展開されたのでした。
 会長かいちょうは、先生せんせいおおせられた遥拝ようはい勤行ごんぎょう広告文こうこくぶん広宣こうせん流布るふは必ず成る」とのこう最終さいしゅう段階だんかいの信行こそ順縁こうを成す要諦ようていおおせられましたが、今にしておもえば、初めて先生せんせいがこのだいげんきゅうされた5年前の北関東大会においてすでに「後々のために」と先生せんせいは私達にこの要諦ようていを授けてくださっていたのだとしました。
 あさ会長かいちょう先生せんせいおんとくについて

遠元初おんがんじょからの大宿だいしゅくえんのお方でなくして、正系門家のことごとくが天魔にたぶらかされる中、どうしてたったお一人で第六天の魔王と四つに組んでそれを下すことができようか。どうして日本国にだい聖人しょうにんさまの大恩徳をせいのままに顕わすことができようか」

おおせられましたが「かかる先生せんせい大忠誠心だいちゅうせいしんに異体同心するこうの一大生命体たる顕正会が亡国せま日本にっぽんに存在することこそだい聖人しょうにんさまである」との会長かいちょうのおことが命にひびいては広宣こうせん流布るふは必ず成る」との大確信だいかくしんに立たせていただきました。
 今点滅てんめつのごときはかなき人生において、先生せんせいから直接に勲等くんとうを受けることの叶った我等の立場がどれだけ難きの中の難きなのかとのおもいが「顕正会男子部に使命のない者はいちにんもいない」との大確信だいかくしんが命の底よりげるものであります。
 ここに男子部は、年の瀬迫った総幹そうかんかいにおいてこれほどまでのじゅうだいどうくださった会長かいちょうのお心を帯し、残すところ52万余りとなった三百万を一気に成し遂げるけつに立ち、また、第三回目の一国いっこく諌暁かんぎょうに男子十万の陣容じんようさんじるべくこの年末年始に二大綱目を最後まで力強く推進すると共に先手のだいしゃくぶくを敢行してまいります。
 さればあさ会長かいちょういま一重いちじゅう強盛ごうじょうおんこころざしあるべし」とのおちかいに同心申し上げ、霊山りょうぜんよりお見守りくださるあさ先生せんせいに全員でおこたえしてまいろうではありませんか。


令和5年 12月22日 12月度 総幹部会 浅井会長指導

令和5年 12月25日 12月度 男子部班長会 行成総男子部長指導