申すまでもなく、大聖人様の弟子として最も大事な事は臨終であります。
先生は、大聖人様がいかに臨終を重視しておられたのについて、三重会館御入仏式において懇切に御指導下さいました。
六百万学会員が心魂に徹すべき大事な御指導ゆえに、ここに改めて示します。
「成仏の証拠こそ臨終である。
仏法は世間の空虚な思想・哲学、あるいはキリスト教の天国のような架空の教えではない。成仏という事も証拠をもって論ずる。臨終にその証拠がハッキリと現われるのである。
ゆえに、仏法を行ずる者にとって、成仏を願う者にとって臨終ほど大事な物はない。
ところが、どういうわけか近年学会・宗門は臨終の事を言わなくなってしまった。
これは、御遺命に背いているから怖くて言えないのか、御書を如実に拝する事ができないからである。
大聖人様がいかに臨終を重視あそばしているか。その仰せは御書の至る所にあって到底挙げきれない。
参考のためそのうちの二三をここに挙げてみる。
まず、皆が一番よく知っている『妙法尼御前御返事』には『されば、先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし』と。
人の一生は短い。いつ死ぬか分からない。
だから、何よりも人生の最大事である臨終を見つめよと仰せられる。
また『千日尼抄』には『人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の岩の如し。
善人は設い七尺・八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、輭らかなる事兜羅綿の如し』と成仏の相と堕獄の相との違いを克明にお示し下されている。
上野殿の縁戚に石川の姫御前という人がいた。
若いけれども病弱だった。しかし、信心は強かった。
最後に大聖人様にお手紙を差し上げて、自身の信心の決意を申し上げている。
この人は最後臨終の時にお題目を唱えて、まことに良き臨終を遂げた。
この時大聖人様は上野殿にこう仰せられている。
『此の尼御前は日蓮が法門だに僻事にて候はば、よも臨終には正念には住し候わじ』と。
もし大聖人様の御法門が間違っていたならば、姫御前のそのような良き臨終はあり得ないであろうと仰せられる。
また『神国王御書』には真言宗の元祖善無畏三蔵が地獄に堕ちたその証拠を臨終の相をもって断言しておられる。
『善無畏三蔵は「死する時は黒皮陰々として骨甚だ現る」と申して無間地獄の悪相を其の死骨に顕わし給いぬ。
人死して後色の黒きは地獄に堕つとは一大聖教に定むる処なり』と。
『死する時は黒皮陰々として骨甚だ現る』とは、善無畏三蔵の弟子達が臨終の善悪も弁えぬままに正直に『黒い肌が全身を覆い』などと書いた。
大聖人様は弟子が記したこの記録を御覧になって善無畏三蔵の堕獄の証としておられるのである。
さらに、中国・日本の真言の元祖達の臨終について『教行証御書』には『一切は現証には如かず、善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有様、げに正法の行者かくの如くにあるべく候や』と仰せになっておられる。
善無畏・一行は中国で、弘法・慈覚は日本で真言の邪法を弘めた悪僧であれば、これらの者の悪臨終を指して『一切は現証には如かず』『正法の行者ならどうしてこのような死去の有様があろうか』と仰せられている。
また、安房の国には大聖人が御幼少の時に修学された清澄寺があり、大聖人を憎み怨嫉する悪僧達が多くいた。
これら怨嫉者達の臨終について、安房で信心に励んでいた光日房という弟子に送った『下種本仏成道御書』にはこう仰せられている。
『安房の国の東西の人々は此の事を信ずべき事なり。眼前の現証有り。
いのもりの円屯房、清澄の西尭房、道義房、かたうみの実智房は尊かりし僧ぞかし。
此等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし』とここでも臨終を眼前の証拠としておられる。
大聖人を憎嫉したこれらの悪僧達は人々には尊げに見えて尊敬されていたが、彼らの臨終は果たしてどうであったかとしかと尋ねよと光日房に仰せられている。
また、清澄寺の長老で地頭の東条景信と心を通じて大聖人をことに強く憎んだ円智坊の臨終についてはこう仰せられている。
『円智坊は清澄の大道にして三ヵ年が間一字三礼の法華経を我と書き奉りて十巻を諳に覚え、五十年が間一日一夜に二部ずつ読まれしぞかし。
彼をば皆人は仏になるべしと云々。
日蓮こそ念仏者より道義房と円智房をば無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の御臨終は良く候いけるか、いかに』と。
清澄寺は元天台宗であったが真言に堕ちた寺である。
よって、円智房は法華経の書写行などもやっていたのであろう。
彼は清澄寺の本堂において『一字三礼』といって一字書いては三度讃礼して法華経を書写し、法華経十巻を諳に覚え、50年の間一日一夜に法華経を二部ずつ読んだという。
この修行を見ては人々は皆『この人こそ仏になるであろう』と思って言っていた。
しかし、大聖人だけは『この円智房こそ念仏者よりも無間地獄の底に堕ちるであろう』と断言されていた。
果たして、この人々の御臨終は良く候いけるかいかにと強く光日房に仰せ下されている。
そして『本尊問答抄』は清澄寺の中で義浄房と共に健気な信心を貫いていた浄顕房に与えられた御書である。
大聖人御幼少の時の師匠道善房の臨終について次のように仰せられている。
『故道善御房は師匠にてをはせますども、法華経の故に地頭にをそれ給いて、心中には不憫と思しつらねども、外にはかたきのように憎み給いぬ。
後には少し信じ給いたるやうに聞こえしかども、臨終にはいかにやをはしけむ。をぼつかなし。
地獄まではよもをはせし、亦生死を離るる事はあるべしとも思えず、中有にやただよひましますらむと嘆かし』と。
道善房は大聖人が御幼少の時の師匠である。決して悪人ではない。
むしろ、大聖人様の只人ならぬを感じ、将来を嘱望していた。
しかし、大変臆病な人であった。
ゆえに、地頭の東条景信を恐れるあまり、心の中では不憫と思いながらも外面は大聖人を敵のように憎んでいた。
後には少し信じたようであるが、果たしてその臨終はどうであったか心配である。
地獄まではよも堕ちる事はないであろうが、成仏を遂げるとも思えない。定めて中有に漂っている事であろう。嘆かわしい事であると仰せられる。
このように、大聖人様は臨終を証拠として仏法の邪正、そして、信心の純不純、強弱を厳しく判じ給うておられる。
ここに、生きた仏法を拝する。
まさに仏法は世間の思想・哲学などとは全く違う。キリスト教の天国みたいな架空な教えでもない。
仏様があるがままに生命を見つめて『かくすればかくなる』と因果の法則を確立されたものである。
ここに、今生の総決算であり、後生の出発である臨終について大聖人様は『かくすればかくなる』と厳しく御覧になっておられる。
ですから、大聖人の弟子として臨終の事を重大と思わなくなったら、それはもう仏法ではない。大聖人の弟子ではない。これが今の学会の姿である。
池田大作は信心薄くして魔が入ったから臨終よりも後生よりも現世の名利ばかりを求める。
学会の資産は十兆円とも言われている。この金でマスコミを抑えた。大新聞・テレビは学会の悪事を全く報道しなくなった。
また、公明党の政治権力で彼は己を守らせていた。
そして、人に偉く見せようと世界中から三百有余の名誉博士号を買い漁った。
だが、こんな物は少しも後生の助けにはならない。臨終の役には立たない。
大聖人様は偽善で名利を求める良観を破され『人目は良きようなれども、後生はをそろしをそろし』と仰せられているが、今の池田大作はまさに後生は恐ろしである」と。
どうでしょうか、大聖人様がいかに臨終を重視しておられたのかがよく分かります。
まさに、臨終こそが人生の最大事、成仏不成仏を示す眼前の証拠なのであります。
令和5年 12月22日 12月度 総幹部会 浅井会長指導