もう一つ、広宣こうせん流布るふの大願に生きるということ
 これはとうどもじんさんじんつづきて」とのだい聖人しょうにんさま広宣こうせん流布るふ大教令だいきょうれいを帯され、命尽くまで遺命ゆいめい成就に戦われたあさせんせいの御意思を継いで、いよいよ私達本仏ほんぶつ遺命ゆいめいたる国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうじつとする戦いを成さんとのちかいを立てることであります。
 そこに、私達はいかなる時にまれわせているのかをよくよくわきまえるべきであります。
 こうぜんに至り、第六天の魔王が正系門家に打ち下り、政治野心に燃えるいけ大作だいさくの身に入り、正系門家の内部から遺命ゆいめいを破壊せんとする七百年来未曾有みぞうの大悪が起こりました。
 それを御覧になったせんせいは、だい聖人しょうにんさまふんのままおんが破れるのを御覚悟の上で必死のかんぎょうに立たれました。
 その強烈なるかんぎょうは戦時中の軍部のごとくおごった学会を二度も文書で訂正ていせい、また、宗門の最高指南であるほそ日達にったつくんまでも訂正ていせいせしめたのであります。
 その後ほそ日達にったつだいの御相承もずに急死し、いけ大作だいさく擁立ようりつを受けて自己申告で登座したのが阿部あべ日顕にっけんでありました。
 それより、誑惑の完結というべきほんもん改称かいしょう陰謀いんぼういけ大作だいさく阿部あべ日顕にっけんの二人三脚でひそかに進められるも、せんせいはそれを断じて阻止そしせんと顕正会の命運を賭して陰謀いんぼう粉砕ふんさいの戦いを起こされました。
 二十万の死身弘法を背景としたせんせいの捨て身のかんぎょう阿部あべ日顕にっけんほんもん改称かいしょうを断念せしめ、それよりいけ大作だいさく阿部あべ日顕にっけんの間にしゅ悪竜あくりゅう合戦かっせんそのままの大抗争だいこうそう勃発ぼっぱつし、執拗しつようなまでに阿部あべ日顕にっけん醜聞しゅうぶんを曝して攻撃するいけ大作だいさくへのしんの思いから、阿部あべ日顕にっけんにせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどうを撤去するに至ったのでした。
 この凡慮を絶する不思議ふしぎこそ、大悪を許し給わぬだい聖人しょうにんさまあさせんせいをしてかんぎょうせしめ、諸天しょてんをして正本堂しょうほんどうを打ち砕き給うた厳たるぶっに他なりません。
 にせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどう亡き後、いけ大作だいさくはついに戒壇かいだんだい本尊ほんぞんさまを全学会員に捨てさせたてまつるという極限きょくげんだい謗法ほうぼうまで犯すに至り、一方、阿部あべ日顕にっけんは最後まで国立こくりつ戒壇かいだんを怨嫉し続け、今だに宗門は遺命ゆいめいに違背したままてんとしてじぬどうしんであります。
 せんせい仏法ぶっぽうたいのごとし、けんかげのごとし、たいがればかげななめなり」とて、かかる正系門家の濁乱こそが日本にっぽんの亡国の根本原因であることいくとなく叫ばれると共にだいあくだいぜんきたるべきずいそうなり」金言きんげんに照らし「この大悪こそが広宣こうせん流布るふだいずいである」としてこの遺命ゆいめい破壊のだいあくの次には必ず遺命ゆいめい成就のだいぜんが来たることを断じておられました。


令和5年 12月28日 広布御供養奉告勤行会 浅井会長御挨拶

令和6年 元旦勤行における浅井会長指導

令和6年 1月8日 成人式 浅井会長御挨拶

平成25年の成人式における浅井先生指導はこちら