イメージ 1
姫路城中堀と、景福寺山。
 
イメージ 2
景福寺公園展望広場から見た姫路城。姫路城十景のひとつ。
 
イメージ 3
山頂は、展望のない墓地。景福寺公園からは、ここまで上がれない。
 
イメージ 4
南側にある景福寺。保育園がある。
 
イメージ 5
景福寺境内を通らなくても、その西側から下山できた。
 
 
 景福寺山は、姫路市内にある標高51メートルの低山です。北側は景福寺公園となっており、展望広場から眺める姫路城は、「姫路城十景」のひとつです。景福寺山は、『播磨国風土記』の十四丘のひとつ、船丘に比定されています。
 
 ちなみに以前登った冑山が冑丘、
 
 
 男山が筥丘、
 
 
 神子岡(面白山)が甕丘、
 
 
 匣丘は船越山と比定される場合もありますが、鬢櫛山とされる場合もあります。
 
 姫路城のある姫山は、日女道丘とされています。
 
 さて、前回歩いた金山(八代山)が、行者堂とただの小屋を勘違いした上、山頂の岩とは別に展望岩があったはずなのに通り過ぎ、大野川付近の麓にある金山稲荷も寄らなかったので、寄って写真を撮ってから、
 
 
 景福寺山へと、自転車で向かいました。よく知っていたのは、山の北側、眼鏡市場の辺りから登る景福寺公園への道です。公園登ってすぐの「遊戯広場」に看板があり、この景福寺山、昔は西岸寺山、考顕寺山、嵐山、群鷺山と呼ばれていたこともあったようです。「遊戯広場」から舗装された登り道が続き、登り終わると「お花見広場」です。「お花見広場」からさらに東へ行くと「展望広場」です。現在は、樹木の伐採具合から考えて、姫路城がきれいに見えるのは「展望広場」からの方です。
 
 「お花見広場」の上にフェンスが見えます。実は、この北側から登る道で公園を訪れても、景福寺山山頂に辿り着ける道はないのです。自分は、「お花見広場」からフェンスを越えずに山頂へ至る方法を見つけましたが、万人向けではないので、詳細は書かないことにします。山の南側、景福寺方面から登ることをお勧めします。
 
 山頂は墓地となっていました。木が生い茂り、展望はありません。有志の保存会の方が、墓にナンバーをふって、調べた内容を札にして貼っておられました。姫路藩主、松平明矩の墓所もありましたが、玉垣らしき石も倒れ、近づくと建造物じたいが倒壊するかもしれず危険との注意書きがありました。糸引校区の河合寸翁の墓所も、地元任せで保存に予算が使われていない模様でしたが、こちらの藩主の墓所の朽ち方は、盛者必衰を感じさせるほどのさらなる荒れ様でした。
 
 どこから下りてよいのかわからず下っていると、景福寺の境内裏に出ました。しかし、境内は保育園のこどもたちが遊んでおり、保育士に外から声をかけたら、不審者にしか見えないのでは、と考えました。どうやら景福寺内を通らなくても、西側を回り込むように歩くと、一般道に出ることができるようです(昔は、無理だったのかもしれません)。
 
 ひとことで言うと、景福寺山は、北側が公園、山頂と南側が墓地、南側麓がお寺と保育園です。山頂に行きたければ、南側からアクセスしましょう。それから、この景福寺山、ドングリがとんでもなく多いです。ドングリは、数種類の樹木の実の総称ですが、秋に子供とドングリ拾いをするには、なかなかよい場所かもしれません。