ここから登る冑山(かぶとやま)。少し男山と似ている。
山頂にある冑山神社。
北方向への展望は今一つだが、姫路城が見える。
12月20日に、男山へ行ったことは、すでに記事にしています。
それだけでは、歩く距離がもの足らず、それから西延末の冑山(かぶとやま)と、四郷の八重鉾山(やえほこやま)を歩きました。
まず、ふるさと兵庫100山には、西宮市の甲山(かぶとやま)があります。標高309.2メートルです。
姫路市内を振り返ると、妻鹿には以前に歩いた標高102.5メートルの甲山(こうやま 国府山、功山とも)があります。
さらに市内豊富町には、標高106メートルの甲山(かぶとやま)があります。浄水場のあるところです。
今回登ったのは、「甲冑」の「冑」の方の字で、冑山(かぶとやま)です。本来は、「冑」の方が、頭にかぶる「かぶと」で、「鎧」の方が、体につける「よろい」のようです。「甲」は、「かぶと」と「よろい」の両方を表わすようです。中国では「冑」の字に「よろい」の意味はなく、日本で混同してしまったあたり、本来違う武器である「刀」と「剣」が、日本では同じ日本刀を指す言葉となってしまった事象と、やや似ている気がします。
冑山は、姫路市西延末にある標高36メートルの低山です。標高36メートルですから、片道2分くらいで歩けてしまうので、山と言うよりも丘に近いかもしれません。山頂には冑山神社があります。
この山は、「播磨風土記」の伊和の里の条に登場する十四丘のひとつ、「冑丘」に比定されています。「比定」とは、「同質のものがない場合、他の類似のものとくらべて、そのものがどういうものであるかを推定すること」であり、ここが絶対に、「播磨風土記」の「冑丘」だったと断言できる訳ではありません。ちなみに、同日登った男山は「筥丘(はこおか)」に、以前の登った神子岡山(面白山)は、「甕丘」に比定されています。
さらに、前述の豊富町にある甲山は、、「播磨風土記」の蔭山の里の条に登場する「冑岡」に比定されています。
自分は、姫路市内をかなり自転車でウロチョロしているのですが、この冑山は、新幹線と姫新線の間に挟まれたところにありわかりにくい上、登山口が自動車用の太い道路には面してしないため、今まで一度も登る機会がありませんでした。しかし、手柄山に登ったときに見える、いつも気になっていた「神社のある丘のようなところ」であり、このたび初めて足を踏み入れました。
初詣の時期が迫っているせいもあってか、掃除が行き届いており、すがすがしい気分になれました。きれいにしていただき、ありがとうございます。
南側は、登ってきた階段の方向であり、手柄山等が見えます。神社の裏に回ってみましたが、北側の展望はそれほどではありません。しかし、姫路城も、三菱電機も見えます。
下山後は、八重鉾山へと向かいました。
※関連リンク先
「『播磨国風土記』の餝磨郡伊和里の条の十四丘伝説とウォーキングまとめ」
https:/
「山歩き まとめ(改)」
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html