親戚からの突然の電話連絡・続報61・後編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 5月10日(金)の「親戚からの突然の電話連絡・続報61・中篇・4」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 しかも、上記のように 本日の午後2時17分に 携帯電話から 当家の固定電話に かってきましたが、通話時間は 約25分間でありました。ところが、午後4時55分頃まで  回線がつな がっておりました。 ちなみに、その午後4時55分頃に分かったことであります。なお、通話定額に加入していなければ、相当 多額な電話料金になると思われます。それで、通話定額に 加入してくれていれば いいがと思われました。(後略)」と記させて頂きました。

 そのうえ、一昨日おととい すなわち 5月8日(水)の「親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編」のブログの上段に、

「(前略)去る4月5日(金)の『親戚からの突然の電話連絡・続報59・後編』のブログの上段に、

『(前略)去る3月26日(火)の【親戚からの突然の電話連絡・続報58・後編】のブログの上段に、

【(前略)昨日 すなわち 3月25日(月)の〖親戚からの突然の電話連絡・続報57・後編〗のブログの上段に、

〖(前略)去る3月13日(水)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報56・後編〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)本日の午後1時4分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 着信がありました。ちなみに、このときは、偶々たまたま 2階に ました。すると、同じく 午後1時4分に 携帯電話から 当家の固定電話に かってきました。それで、留守番電話に 録音されていました。なお、去る 3月3日(日)の〘父親の三回忌・母親の七回忌・続報・前編〙のブログ そして 去る 3月3日(日)の〘父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〙のブログなどに記させて頂きましたように、香奠返しを行ない 本日の午前中に 届くことになっていて そのことは 手紙で 姉に 通知していました。ところが、荷物お問い合わせシステムを見ましたら、御不在で 持戻になっていました。

 そこで、留守番電話の内容であります。すなわち、

〘もしもし、○○です。今日 わざわざ お返しの品物 ありがとうございました。それから、このあいだ、手紙 沢山たくさん 書いてありましたが、写真 どうも ありがとう。これから 手紙 2枚でいいので。それだけ、それじゃ、ありがとうございました。〙以上であります。(後略)〕と記させて頂きました。

 さらに、本日の午前9時15分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 着信がありました。ちなみに、このときは、偶々たまたま 台所に ました。すると、同じく 午前9時16分に 誠に異例なことに 姉の携帯電話から 当家の固定電話に かってきました。それで、留守番電話に設定されていましたが、出ました。すなわち、姉によりますと、介護保険の要介護(要支援)認定の申請をするといいとのことでありました。 ちなみに、姉は 仕事をしていませんが、ヘルパー(英語:helper)(日本語:介護福祉士)の資格を持っているのであります。なお、前述致しましたように 両親の介護のときには 当方が同居しているということで 介護福祉士に食事を作ってもらえませんでしたが、当方が 一人ひとりなので、介護福祉士に食事を作ってもらえるのであります。但し、両親の介護をして思いましたが、いろいろな介護福祉士がるのであります。

 ところが、通常 介護認定の申請を行うことが出来るのは 65歳からでありますので、いまだ でありますね。ついながら、65歳以前に 介護認定の申請を行うとすると、医療機関に受診して 診断書が必要になりますね。 ちなみに、介護保険料は け捨てるつもりであることを伝えました。

 それから、 去る 2月9日(水)の〔父親の内科受診の付き添い・続報15・前編〕のブログ そして 去る2月9日(水)の〔父親の内科受診の付き添い・続報15・後編〕のブログなどに記させて頂きましたように、父親の お気に入りの内科に受診するために 付き添いをしていました。また、 去る 7年前の9月30日(土)の〔親の受診に付き添っていること・51(循環器内科医[女医])・前編〕のブログ そして 去る 7年前の9月30日(土)の〔親の受診に付き添っていること・50(循環器内科医[女医])・中編〕のブログなどに記させて頂きましたように、母親の お気に入りの循環器内科に受診するために 付き添いをしていました。すなわち、ともに 両親の お気に入りの内科に受診するために 付き添いをしていました。 ちなみに、去る3月16日(土)の〔薬についての考察(おのれれの欲せざるところ、人にほどこすことかれ)〕のブログの中段やや下に、

〔(前略)上記の循環器内科医(女医)のように、免疫異常がある 母親に インフルエンザの予防接種を強行するのは 金儲かねもうけと言われても 仕方しかたがありませんね。 ちなみに、上記のように、庸医ようい藪医者やぶいしゃのこと)は 薬を処方するために 薬の効果を 喋々ちょうちょうします。なお、薬の副作用のことは 勉強していても、薬を処方していると 麻痺してきます。そして、その薬を処方したことを 正当化するようになります。(後略)〕と記させて頂きました。

 しかして、去る 昨年の10月20日(金)の〔菜食のおかず・579(買い物)・前編〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る10月10日(火)の〘武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報31・前編〙のブログ そして 去る10月10日(火)の〘武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報33・後編〙のブログなどを記させて頂きました。ちなみに、その女性店員が、武漢ぶかんウイルスのことを言及しました。それで、家族のように思っているから 言及すると 前置きをして、以下のことを話しました。すなわち、世界では、武漢ぶかんウイルスは 終わっていることを伝えました。つまり、さわいでいるのは 日本くらいであることを話しました。ようするに、国際金融資本家たち(左翼系ユダヤ人 そして その影響を受けた資本家たち・共産主義者)に支配されている 主流メディア(英語:mainstream mediaメインストリーム・メディア)が あおって 流していることを伝えました。なお、そもそも 新聞やテレビは 製薬会社が お得意様であり、さからえないことを話しました。取りも直さず、うらがあることを伝えました。

 すると、その女性店員によりますと、医者から ワクチンが足りないと言われているとのことでありました。やはり 受診していたのでありますね。そこで、開業医でしょう と言いましたら、案の定あんのじょう そうでありました。それで、以前 税理士事務に話して 誠に有り難いことに うなずいて 納得して 同意してくれましたが、小児科は 予防接種(ワクチン)が 大きな収入源なのであります。ようするに、開業医は 経営するために 収入源が必要でありますから、ワクチンを肯定するのであります。それで、ロバート・F・ケネディJr.氏が、97%以上の医者は お金で ワクチンを肯定しているとのことでありました。そして、アフリカでは、ワクチンを廃棄していることを伝えました。ついながら、当の米国でも、武漢ぶかんウイルスは 終わっていることを話しました。ちなみに、会計がんで 話が 尻切しりきれ とんぼに なりそうでありましたので、上記のように 武漢ぶかんウイルスのワクチンに関する ブログを 3年 書いていることを話しました。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、予防接種(ワクチン)は、保険が適用されないのであります。ちなみに、開業医にとりまして 経営するために 収入源が必要でありますが、小児科にとりましては 特に 予防接種(ワクチン)が 大きな収入源なのであります。なお、誠に遺憾なことに、武漢ぶかんウイルスのワクチンのことに関しましては、日本政府が 行なっているのであります。ついながら、その武漢ぶかんウイルスのワクチンのことに関しましては、〔欲しがりません。勝つまで は!〕と伝えました。 

 のみならず、去る 3月3日(日)の〔父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)医者に受診しても どのような治療をされるかわかるので、受診しないと話しました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、安上がりね とのことでありました。ちなみに、これまでに 医学には 母親の宗教と同様に 膨大な投資をしてきております。なお、保険診療であれば、姉が言うほど 価格的には 高くなることはないかと思いました。(後略)〕と記させて頂きました。なお、去る 昨年の6月14日(水)の〔自分の身體からだ〕のブログに、不整脈のことを記させて頂きました。 ちなみに、必要に迫られて、動悸がしたという祖母は 「救心」を服用していましたし、父親も 最期は 心臓のことでありましたし、母親も 心臓ペースメーカーが導入されていましたので、心臓は 家族歴であることを話しました。ついながら、上記のように、医者に受診すると どのような治療をされるのか わかるので、受診するつもりはない と話しました。しかも、両親のときは 事前の本人たちからの希望で 救急車を呼んだが、自分のときには、救急車は 呼ばないと伝えました。

 くわうるに、去る 3月3日(日)の〔父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)姉によりますと、受診していた 整形外科の待ち時間が 3時間もかるので、花小金井の整形外科に転院したとのむねでありました。(後略)〕と記させて頂きました。それで、上記の 去る3月8日(金)に着くように送った手紙で、花小金井の整形外科の院長の経歴を調べたことを伝えました。すなわち、〔親戚が血液内科の教授をしている愛知医科大学卒業であり、母校の3ヶ所の大学附属Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)高度救命救急センターに所属していました。ちなみに、救命救急医学では 日医は 草分け的存在であり、東の日医 そして 西の阪大と 救命救急医学では言われております。なお、日医の救命救急センターは 母校の看板ではありますが、整形外科医で 救命救急センター出身でありますと、少し 荒っぽくなるかもしれませんね。但し、相性がいいとお思いになられておられるのでありましたら、いいのかもしれません。〕と伝えました。すると、姉によりますと、話し易いとのことでありました。それで、愛知医科大学出身でありますと、親は 相当な金持ちであることを伝えました。

 ならびに、去る 昨年の8月25日(金)の〔土地境界線について・続報6・後編〕のブログの中段やや下に、

〔(前略)インターネットで調べて 土地家屋調査士への報酬は ¥50万円くらいで いいのかどうかをきました。すると、その土地家屋調査士によりますと、¥50万円から ¥60万円とのことでありましたが、そのときの相場があるようでありました。 ちなみに、その土地家屋調査士によりますと、便乗して 土地境界線確認を行なおうとする 利用者は 価格を聞いて ビックリするとのことでありました。なお、お金のかることなので タイミングが合わないととのことでありました。無暗に測量しても お金だけ 取られてとのことでありました。売却しようとか 兄弟間で分けようとか 何か目的がないと 経費でも落ちないとのことでありました。(後略)〕と記させて頂きました。

 および、姉によりますと、物件を売却したらどうかとのことでありました。それで、税金以外に 上記のように、土地家屋調査士に ¥50万円から ¥60万円以上の報酬を払わなければならないことを伝えました。すると、姉によりますと、そのだ不動産に相談したら どうかとのことでありました。それで、不動産屋に相談するのは 売却するときであると伝えました。

 すると、姉によりますと、物件を賃貸したらどうかとのことでありました。それで、賃貸は 行なったことがないことを伝えました。しかも、居住権があり 一旦いったん 貸すと 相手のものになってしまう ということを 父親が話していたことを伝えました。すると、誠に有り難いことに、姉が、例外を話してくれました。但し、このようなことは、電話で話すべきことではなく、直接 話すべきことであることを伝えました。

 また、 去る2月20日(火)の〔迷惑な訪問・続報6〕のブログに記させて頂きましたように、飛び込みのブラック企業である 不動産関係者が多いと話しました。すると、誠に有り難いことに、姉も同意してくれました。

 しかも、姉によりますと、姪(姉の長女)の檀那は 福岡と東京都目黒を往復しているとのことでありました。 ちなみに、東京都目黒の住居は、賃貸で 引き払ったわけではなく まだ 檀那が使用している とのことでありました。なお、姪が住むのは 理想的であることを話しました。

 そのうえ、青梅街道のファーマーズ・マーケットである〔ムーちゃん広場〕は利用していないとのことでありました。 ちなみに、昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(前編)〕のブログ そして 昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(後編)〕のブログに、お墓参りをしたことを記させて頂きました。そして、その帰りに、そのファーマーズ・マーケットを下見したことを話しました。なお、野菜は スーパー マーケットよりも 安いことを伝えました。すると、姉によりますと 〔(扱っているのは、)野菜だけでしょ。〕とのことでありましたが、肉を置いてあったことを伝えました。但し、5% 割引になるためには、J.A.のカードを作らなければならないと話しました。なお、仮に 姉が利用しているようであったら どうであるか伝えてもらおうと思って 言及したことを話しました。ついながら、信仰的な意味も含めまして、食べることは 大事でありますからね。すると、姉によりますと、自分が利用しているのは いなげや と 生協とのことでありました。 ちなみに、姉によりますと、遠くても 運動がてら 利用したらいいとのことでありました。

 さらに、去る 一昨年おととしの7月23日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報41・後編〕のブログの下段に、

〔(前略)当家でも 親が購入した〘医者に殺されない 47の心得〙の著者である 近藤誠医師によりますと、〘厚労省や専門家たちは、副作用を副反応と呼ぶように努力していると聞きます。〙とのことでありました。すなわち、印象操作でありますね。 ちなみに、上記の 姉の言葉の中に 〘副反応〙がありましたので、言及させて頂きました。(後略)〕と記させて頂きました。

 そうして、去る 9年前の9月3日(木)の〔プラシーボ効果〕のブログの上段に、

〔(前略)プラシーボ効果(英語:placebo effect)も期待出来ると思って、購入しています。御承知のように、プラシーボ(プラセボ)(英語:placebo)は、ラテン語で、“I shall please”(私は喜ばせるでしょう。)を意味し、患者さん、または、被験者を満足させるか、実験でコントロール(英語:control・フランス語:contrôle)(対照)として使用される薬理学的活性を有しない物質であります。プラシーボ使用時に見られる効果を、プラシーボ効果といます。種々の症状に対して、平均30%の有効率が認められ、有害反応が出現することもあるとされます。この望まない有害作用が現われることを、ノーシーボ(ノセボ)効果(英語:nocebo effect)といます。観察される プラシーボ効果は、症状の自然変動の上に心理的効果などの諸々の影響が くわわった効果であり、単なる心理的効果だけではないとされています。プラシーボの日本語訳としての〘偽薬〙は誤訳であり(偽は〘いつわる〙の意味)、中国語訳の〘安慰薬〙が語源により忠実であると言われています。(後略)〕と 記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、姉によりますと、この4年間は いいとのことでありました。 ちなみに、前述致しましたように、姉には 1回目の武漢ぶかんウイルスのワクチンの接種以前から 10数回以上にわたり 注意を喚起致しております。しかしながら、数回以上 武漢ぶかんウイルスのワクチンを接種致しております。ついながら、上記の プラシーボ効果であると思われます。但し、これまで も 記させて頂きましたように、すでに 姉のひざには、武漢ぶかんウイルスのワクチンの副作用(上記のごとく、〔副反応〕ではなく えて 〔副反応〕と記させて頂きました)が認められます。なお、誠に遺憾なことに、武漢ぶかんウイルスのワクチンの本格的な後遺症が現われるのは これからであります。

 しかして、去る3月21日(木)の〔家政婦さんの入院・続報113・後編〕のブログの上段に、

〔(前略)前述致しましたように、その家政婦さんは、武漢ぶかんウイルスのワクチンを打っておりません。それで、武漢ぶかんウイルスのワクチンの件は 問題ないのであるけれども、上記の インシュリン治療 そして 降圧剤投与のことを心配していることを伝えました。

 それから、その家政婦さんによりますと、インシュリン治療が 面倒めんどうになったとのことでありました。それで、治療をめるのは どうか とのことでありました。なお、3週間くらいの短期間ではなく、約2年も インシュリン治療が行われております。そこで、前述致しましたように 膵臓が インシュリンを産生する能力をなまけていますので、いきなり めると 膵臓が インシュリンを産生せずに 高血糖になってしまうと警告しました。すなわち、やはり 膵臓に感謝しながら 根気よく 減薬する以外にはない と話しました。但し、インシュリン治療が 面倒めんどうになった という切っけは大事にしたほうがいいと伝えました。さもないと、このまま 惰性で進んでしまう と話しました。ちなみに、前述致しましたように 内科医は 減薬までは とても 言及してくれないと話しました。それで、自分で これまでのように 血糖値を測定しながら、減薬するしかないだろうと伝えました。なお、前述致しましたように、その家政婦さんには、一番の名医は 医者ではなく あなた自身であることを伝えました。つまり、自分にとっての一番の名医は その自分そのものであることを話しました。ついながら、上記のように、インシュリン治療のような つえに頼り過ぎると、すでに そなわっている〘自然治癒力〙の発現をさまたげることになると伝えました。しかも、その〘自然治癒力〙が発動するのを 邪魔することもあると話しました。ようするに、折角せっかく 〘自然治癒力〙が発動してきたのに、余計な治療をすることによって さまたげられてしまうということであります。取りも直さず、本来 治療というものは 行なうのであれば、〘自然治癒力〙を手助けするのが好ましいと伝えました。なお、余計な 人為的なことをしてしまうことはけなければなりません。(後略)〕と記させて頂きました。すなわち、その家政婦さんは、インシュリン依存になっております。

 のみならず、前述の 昨日 すなわち 3月24日(日)の〔お墓参り・16(後編)〕のブログの下段に、

〔(前略)往路で 回り道をして、姉の家に 置き手紙を届けました。ちなみに、2階に 洗濯物がされていて、自家用車がありませんでした。なお、外出しているように思われました。(後略)〕と記させて頂きました。ちなみに、洗濯物がされていたので 外出が 正解であるかどうかは 半々はんはんでありましたが、案の定あんのじょう、外出していました。それで、手紙のみ 置いてきたことを伝えました。なお、上記のように 3月13日(水)に 留守番電話に 録音されていたこともあり、置き手紙を届けたことを伝えました。

 くわうるに、最後は 姉によりますと 用事があって 行くところがあるからとのことで、電話を切りました。ちなみに、18分になりました。なお、その後 ぐに このブログに着手致しましたが、約12時間もかり、午後9時になりました。なお、本日は 鎮守神社に参拝する予定でありましたが、延期することになりました。(後略)〗と記させて頂きました。

 ならびに、上記のように 時間が かりましたので、結局 寝たのは 午前4時頃でありました。それで、本日 午前8時28分の 昨日と同じ 姉からの電話で 目覚めました。ちなみに、電話が かってくる予感がしましたので、昨日から 本日に限り 枕元まくらもとに 携帯電話を置いていました。すなわち、姉によりますと、昨日 ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から 電話で、昨日 ○○さん(叔母[三女]のこと)が亡くなったとのことでありました。それで、まず 【誠に御愁傷様でございます。】と答えました。ちなみに、昨年の七月二十八日(金)に お見舞いを お送りさせて頂きましたときに、叔母(四女)からの返信で 〖(前略)姉(叔母[三女]のこと)も 90歳になります。いつ どうなるか 分かりません。万が一まんがいちときには、お香典等のご心配は しないで下さい。私達 少人数で 見送りたいと思っております。姉も それを望んでいますので・・・。(後略)〗と伺ったことを前述致しました。

 なお、姉によりますと、それで 葬式は 私も行かないで 一応いちおう お香奠を送ると言ったら いいと言われたので 私も送らないで 私は ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)と LINEで り取りしているから LINEで まあ ちょっと ね あのー まあ で だから ○○君(当方のこと)は あの まあ お手紙 2枚くらいでいいから あまり 長いとね 長いとね ちょっとね 読むのも たいへんだから とのことでありました。それで、一昨日おととい すなわち 3月24日(日)に 〖(前略)姉の家に 置き手紙を届けました(後略)〗と前述致しましたが、このときは 手紙 2枚でありましたので、そのとき(今回)のようにね と伝えました。すると、そうそう そうそうそう あのくらいの 2枚くらい丁度ちょうどいいから 手紙だけ送ってあげてとのことでありました。すなわち、手紙のみ送るようにということでありますね。ちなみに、去る 昨年の7月29日(土)の〖菜食のおかず・493(味噌汁)・花火〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)去る 昨年の3月13日(日)の〔肉親の来訪・12・後編〕のブログの中段やや下に、

〔(前略)姉の結婚前に、千葉県の鴨川 や 伊豆の熱川に 家族旅行した話になりました。(後略)〕と記させて頂きました。 ちなみに、約52年前 すなわち 昭和46年(1971年)の夏に、上記のように 伊豆の熱川に行きました。なお、街中まちじゅうから 温泉が出ていて、夏に訪れるのは 暑過あつすぎる所であると思われました。しかも、海岸で泳げないので、海水プールに行きました。但し、当方は 小学5年生であり その海水プールは 足の届かない深さでありましたので、浮き輪を使いました。ついながら、祖母(母親の母親)、母親、叔母(三女) そして 姉が 一緒でありました。 ちなみに、当時、テレビ ドラマである 細腕繁盛記が試聴されていました。それで、母親は テレビ ドラマで見た所に 行く傾向がありますので、このときも 同様でありました。なお、二泊三日でありましたが、途中の夜に 伊東で花火大会がありました。それで、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉とともに、熱川から 電車に乗って 伊東に行きました。ついながら、この電車の中で、〔私は貝になりたい〕 そして 〔ママは 殺されたの〕という漫画を見ました。

 それから、去る7月22日(土)の〔親戚からの突然の電話連絡・続報52・後編〕のブログの中段やや下に、

〔(前略)姉によりますと、(叔母[三女]は、)一人ひとりで よく 頑張ってきたとのことでありました。それで、本当に よく 頑張ってこられたと答えました。(後略)〕と記させて頂きました。 ちなみに、叔母(三女)は 上記の伊東の花火大会に行かずに、宿泊場所で 留守番をしているとのことでありました。それで、電動マッサージ機にすわっていました。なお、叔母(三女)は 未亡人になってからは 一人ひとりのことが多かったですが、元々もともと 一人ひとりほうを好む人であったのかもしれませんね。おそらく、ずっと 集団生活でありますと、疲れてしまうのでありましょうね。それで、一人ひとりで 休憩したかったのかもしれません。ついながら、祖母(母親の母親)、母親 そして 姉と一緒に 伊東の花火大会に行きましたが、事故がありました。すなわち、ビルの屋上で 花火を見たのでありますが、老人が そのビルの階段から 落ちたとのことでありました。それで、搬送されていました。

 なお、この伊豆の熱川に来るときに、途中 すなわち 伊東から 私鉄の伊豆急行に乗りました。ところが、この伊豆急行の車内が 渋滞で しかも きわめて 暑いのであります。それで、隣の車両は 冷房がいていて 涼しいのであります。そこで、隣の車両に移動しましたら、あとから気が付いたのでありますが、グリーン車だったのであります。それで、車掌が来て 倍以上の料金を支払わされました。しかも、グリーン車であっても、すわれずに 立っていなければなりませんでした。ついながら、以上は、花火に関連した 話であります。(後略)〗と記させて頂きました。それで、上記のように 千葉県の鴨川 や 伊豆の熱川に、叔母(三女) や 姉たちと 一緒に 旅行したことを言及しました。 ちなみに、鴨川も 熱川も、ともに 〖○川〗でありますね。なお、鴨川のときには、きに 各駅停車の電車でありましたので、所要時間が 3時間以上もかりました。ついながら、錦糸町駅で 特急列車が停車したので、あとから考えますと その特急列車に乗れば よかったですね。それで、車内で 特急料金を支払えばよかったです。ところが、当時は国鉄でありましたが、誠に遺憾なことに、その特急列車の乗車口で 駅員に制止させられました。

 しかも、到着してからのことであります。すなわち、小学校6年生の当方にとりまして、栄螺さざえなどの海鮮料理は 食べられませんでした。それで、代わりに、叔母(三女)に食べてもらいました。そして、当方には、追加料金で 値段の高い 目玉焼きを作ってもらいました。なお、復路で 新宿駅で 叔母(三女)と別れるときに、誠に有り難いことに、叔母(三女)が 当方の胸ポケットに ¥5千円を入れてくれました。但し、その後、何度かの 叔母(三女)への お見舞いで それ以上を返しております。

 すると、姉によりますと、そうそうそう ったしね、ったね、だから、○○さん(叔母[三女]のこと)ね やさしかったからね さびしくなっちゃう、さびしくなっちゃうとのことでありました。そして、続けて でも まあ ねえ あの 一人ひとりだし あの 早く ね あの 早く もう あの世にきたいと言っていたから、とのことでありました。 ちなみに、前述致しましたように、母親も 晩年 こんな身體からだになってしまったから 早く あの世にきたいと話していました。それから、続けて 姉によりますと、そうそうそう だから、お父さん や お母さん や うちのパフ(犬のこと)のことを可愛かわいがってくれたから、犬とか 猫が好きだからさ とのことでありました。なお、父親も 犬が好きでありましたので、可愛かわいがっていました。ついながら、叔母(三女)は 猫を飼っていました。それで、続けて 姉によりますと、猫を飼っていたからね、だからね、まあ 天国で とのことでありました。そこで、〖天国でね。〗と答えました。ちなみに、以前 姉によりますと、90歳(卒寿ですね)とのことでありましたので、〖卒業だ!卒寿だから、(人生、)卒業ということだね。人生ね。〗との話になりました。それで、続けて 姉によりますと、でも こないだね 1ヶ月前に会ったときには すごい 綺麗だった すごい 綺麗だった やっぱり もうね とのことでありました。そこで、以下に記させて頂きますように、元々もともと 上野の精養軒に 千人単位の応募者のなかから入った人だから、父親によりますと、目白のときに 人が振り返るくらいの人だったからと答えました。すると、姉によりますと、そうそうそう うん それは 若いときだけど でも 90歳になってもね すごい 綺麗だったとのことでありました。それで、父親も 顔が すごく 綺麗だった、白くてね 姉さんが めてくれたけどね、ありがとう、と答えました。すると、姉によりますと、うん だからね まあ ようやくね ほら あっちこっち痛いって言ってたんだけど、あたしが ったときには やっぱり 寝返り打てなくて 腰が痛いとかね とのことでありました。そこで、年を取ると みな 痛いって言うよねと答えました。すると、姉によりますと、痛いってね やっぱり そういう痛みから解放されてね よかったんじゃないかなっと思って だから まあね さびしくなっちゃうとのことでありました。それで、連絡をくれて ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、そんなんで あのまあ あの お香奠は 私も送らないからとのことでありました。そこで、ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、そんなんで あの連絡だけね ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から 昨日ね 電話で あの ○○君(当方のこと)にも 連絡して下さいと言われたんでとのことでありました。それで、そうでしたか どうも ありがとう と答えました。すると、姉によりますと、身體からだ 気を付けてね、はい、とのことでありました。そこで、どうも ありがとう と答えました。ちなみに、約4分になりました。なお、その後 ぐに このブログに着手致しましたが、約15時間以上もかり、午後11時半過ぎになりました。ついながら、こちらに 一方的に 労力のかる 手紙は 短くするように言うのに、事後処理がたいへんな 姉からの電話は 長いのであります。

 および、去る3月21日(木)の〖家政婦さんの入院・続報113・後編〗のブログの下段に、

〖(前略)兄弟姉妹のなかで 一番 いい子が その家系の業を背負うことを話しました。ちなみに、母親の兄弟姉妹では 叔母(三女)であります。なお、叔母(三女)は、当時 上野の精養軒に 千人単位の応募者のなかから 数名に選ばれたと聞かされております。すなわち、父親によりますと、人が振り返るくらい 綺麗であったのであります。また、姉夫婦の子供たちのなかでは 姪(長女)であります。(後略)〗と記させて頂きました。すなわち、兄弟姉妹で 一番 いいかたであらせられました。すると、姉によりますと、そうそうそうとのことでありました。ちなみに、上記のように 数日前 すなわち 去る3月21日(木)に、家政婦さんに 叔母(三女)の話をしているのであります。なお、虫の知らせであったのかもしれませんね。命日は、昨日 すなわち 三月二十五日と伺いまして、父親の祥月命日が 三月十一日、そして、母親のそれが 三月五日でありますので、しくも 両親と同じ 三月でありますね。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

 ついながら、姉に言われたように、叔母(四女)に 速達の特定記録で 手紙を送りました。 ちなみに、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。(後略)】と記させて頂きました。

 また、昨日 すなわち 4月4日(木)の【家政婦さんの入院・続報115・後編】のブログの中段やや上に、

【(前略)その家政婦さんによりますと、その叔母(三女)さんの埋葬は どうなったのか とのことでありました。それで、その手紙を発送して 一週間以上になるが、叔母(四女)さんからは 何も言って来ないことを伝えました。つまり、当家と同じ霊園に埋葬されるのでありますが、姉からも 何も言って来なくて 知らされないことを話しました。ようするに、上記のように 一週間以上が経過していますので、すでに 埋葬はんでしまっているだろう(後日、去る3月30日[土]に行なわれたことがわかりました)と答えました。(後略)】と記させて頂きました。前述致しましたように、叔母(四女)に 速達の特定記録で 手紙を送りました。すると、本日 すなわち 一週間以上が経過して、叔母(四女)から 葉書はがきが届きました。すなわち、

【お手紙、ありがとうございます。

 この度、○○○ ○○(様)、三月二十五日(九十歳七ヶ月)に永眠致しました。生前中は 大変 お世話になりまして 有りがとうございます。

 大山医療センター(診療を依頼されて 近くに行きましたときに、大山医療センターは 拝見致しました。 ちなみに、敷地が広く 大きな建物でありますね)より 退院して、老人ホームに 三年九ヶ月で(よく分からない 助詞であります) 過ごしまして 去年、大腿骨の骨折手術で 大変な事もありましたが、最後(最期でありますね)は おだやかに 老衰で亡くなりました。尚、印鑑証明を頂くかもしれません。宜しくお願い致します。三月三十日 無事 葬儀を済ませ、報告させて頂きます。(用いられている漢字 そして 送り仮名がなも含めて、原文通り)】とのことでありました。

 なお、叔母(四女)に 速達の特定記録で 返信の手紙を送りました。 ちなみに、この作業を行わなければならないので、買い物に出掛でかけようとしたところでありましたが、急遽きゅうきょ 取りめました。そして、その作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)』と記させて頂きました。

 しかも、本日の午前9時23分に 携帯電話から 当方の携帯電話に、姉から 唐突に 着信がありました。 ちなみに、昨日 すなわち 5月7日(火)の『遺言書』のブログの下段に、

『(前略)それ以来 1ヶ月以上、叔母(四女)さんからは 何も言って来ませんでした。 ちなみに、きたる 5月13日頃には 納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)があるはずであります。そこで、本日 唐突に、霞が関の東京家庭裁判所から 封筒が届きました。なお、遺言書の検認とのことでありました。ついながら、誠に有り難いことに、両親は、公証役場で 遺言書を作成しておりました。しかしながら、亡くなった 叔母(三女)さんは、上記のように 公証役場で 遺言書を作成していなかったのでありますね。

 ときに、東京家庭裁判所は、厚生労働省の隣にあります。 ちなみに、去る 一昨々年さきおととしの3月23日(火)の【養子斡旋あっせん(母体保護法[旧・優生保護法])】のブログに、厚生労働省を訪れたことを記させて頂きました。なお、それから 33年が 経過しようとしていますが、それ以来でありますね。(後略)』と記させて頂きました。すなわち この件のことでしょうと話しましたら、案の定あんのじょう、姉によりますと そうだとのことでありました。つまり、前述致しましたように、公証役場で 遺言書を作成していなかったのでありましょうね と話しました。ちなみに、上記のように 1ヶ月以上前に 叔母(四女)さんに 出席する用意があると伝えていた 納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)の件につきましては、わるいけど誘わなかったとのことでありました。なお、御承知のように、当方が菜食であり 店に入らないからとのことでありました。ついながら、店に入らないで帰る人も ますし、店に入るか入らないかは 関係ないように思われるのでありますがね。それで、事後報告で 叔母(四女)さん、その檀那さん、その長女の紀代子ちゃん そして 勢川治枝の叔母さんが、出席した とのことでありました。そして、姉によりますと、男性の従兄弟いとこは 遠いので 来なかったとのことでありました。ちなみに、亡くなった 叔母(三女)さんの名前は っていないとのことでありました。なお、りたい人は るけど、叔母(四女)さんは 別に いいんじゃないかと言っていた とのことでありました。ついながら、氏名は ったほうがいいのでありますがね。ちなみに、亡くなった 叔母(三女)さんは ふた つ あるうちの どちらの共同墓地に埋葬されているのかどうかをきましたら、新しいほうとのことでありました。なお、『姉さんも、御息災のようで よかった。』と伝えました。ついながら、姉によりますと、叔母(四女)さんに電話したら財産の相続のことで 住民票が必要と言われたとのことでありました。それで、当方は、上記のように 印鑑証明が必要と言われたことを伝えました。ちなみに、姉によりますと、叔母(三女)さんの檀那は、ダンス・ホールで知り合った 徳原という韓国人とのことでありました。それで、姉によりますと、叔母(四女)さんが 向こうのほうに連絡したりとかあるみたいだから(本来、『~たり』は繰り返して使いますが、姉の言葉の通りであります)とのことでありました。なお、大山駅前で 焼き鳥屋を開いている その檀那の子供がることを話しました。すると、姉によりますと、その子供は、前の奥さんの子供だから 関係ないらしいとのことでありました。ところが、姉によりますと、その檀那には 隠し子がるらしいので、手間取っているとのことでありました。ついながら、今は亡き 母親によりますと、ヤクザであった 遊び人とのことでありました。ちなみに、叔母(三女)さんの遺産は 全部 叔母(四女)さんのほうに行くのでありましょうと話しましたら、誠に有り難いことに、姉によりますと、その通りとのことでありました。なお、姉によりますと、自分たちは 何もしていないけれど とのことでありました。ついながら、母親の田舎の栃木の家の人が 亡くなったときに、母親は 遺産の相続はいいと言ったのであるけれども、叔母(三女)さんは もらおうと頑張ったことを 母親から聞かされていました。それで、母親は、牛久大仏で 母方の永代供養の仏像を 100万円のそれがなかったので、30万円のそれを購入したことを伝えました。ちなみに、姉によりますと、どうせ そういう お金って 使っちゃうから、前述致しました 母親みたいに とのことでありました。なお、その お金をかせいだ人の苦労を思えば そうそうは 使えないと思われました。

 そして、その叔母(三女)さんの遺産には 関わらなくていいと思っていたことを話しましたら、姉によりますと、私たちは もらう資格がないとのことでありました。ついながら、戦後の民法の問題であるかと思われました。ちなみに、姉によりますと、上記のように 東京家庭裁判所から便りが来たときに、裁判員制度で出なければならないのかと思ったとのことでありました。そちらのほうが心配だったとのことでありました。なお、姉によりますと、裁判所とは えんがないから とのことでありました。姉によりますと、ドキッとしちゃうとのことでありました。ついながら、東京家庭裁判所は霞が関にあるのでありますが、姉によりますと、自分の檀那が 月曜日と火曜日に 仕事で っている 職場が 虎ノ門とのことでありました。なお、その虎ノ門にちなませて頂きます。すなわち、去る 4年前の8月22日(土)の『うなぎ蒲焼かばやき・709(煮物・カレーうどん・父親の食事)』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 5年前の10月23日(金)の【レクイエム】のブログ の上段 そして 去る 5年前の10月5日(月)の【硫黄島いおうとう】のブログの下段などに、母校の某・都立高校のことを言及させて頂きました。ちなみに、小学校 そして 中学校が 一緒であり ともに この某・都立高校を受験しましたが、彼は 合格することが かなわず 中央大学附属高等学校に入学した生徒が ます。この某・都立高校受験日の帰りに ともに 二人ふたりで 映画【大地震】を見たなかであります。いまだに、暑中見舞い そして 年賀状の交換をしています。

 但し、彼は その後 中央大学法学部に進学して、現在 虎ノ門の弁護士事務所に所属する弁護士です。ついながら、小学校6年生のとき、学級で 教師の提案で 模擬裁判を行うことになり、彼とともに 弁護士役になったことがあります。なお、彼の父親は、当時 中央大学法学部・教授でした。(後略)』と記させて頂きました 民事 弁護士(彼の妹が、当方と 上記の某・都立高校が同窓であり、慶応大学医学部出身)が、虎ノ門の弁護士事務所に所属する弁護士であることを伝えました。すると、姉によりますと、自分も同級生で 清水君という弁護士が るとのことでありました。そこで、それでしたら 同級生の弁護士のことは 聞かないことにして下さいと伝えました。そして、年賀状の交換はしているが、弁護士には えんがないことを伝えました。すると、姉によりますと、えんがないほうがいいとのことでありました。それで、前述致しました 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の一節に、『ソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ』とあることを伝えました。すなわち、『訴訟があれば 止めろといい』ということでありますね。ちなみに、姉によりますと、神谷町には このあいだ ったとのことでありました。えんがなかったけれど、ちょっと遊びに行くには とのことでありました。但し、日比谷線だから 遠いねと話しましたら、誠に有り難いことに、姉によりますと、なかなか 行きにくいとのことでありました。但し、姉によりますと、うちの檀那は 上記のように 月曜日と火曜日にっている とのことでありました。それで、『本当に 御苦労様です。たいへんですね。』と答えました。すると、姉によりますと、『しっかり お給料をもらってきてくれる。』とのことでありました。なお、姉によりますと、手紙は短いので 2枚くらいで お願いしますとのことでありました。ついながら、老眼で 目がしょぼしょぼしてしまうとのことでありました。ちなみに、誠に有り難いことに、郵送で すべて 出来るとのことでありました。また、連絡が来ると思うとのことでありました。なお、税務調査の話になりました。但し、税務署 と 東京家庭裁判所とは 関係ないと話しました。ついながら、『身體からだに気を付けて。』という話になりました。ちなみに、通話時間は 約15分間でありました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、本日 すなわち 5月10日(金)の「神社参拝・続報17」のブログの下段に、

「(前略)上記のように、その神社の近くに 姉の家があります。すなわち、姉は、この神社の鳥居内に住んでいるのであります。 ちな みに、一昨日おととい すなわち 5月8日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報60・後編』のブログの下段に、

『(前略)(姉からの)通話時間は 約15分間でありました。(後略)』と記させて頂きました。それで、この電話に対する 置き手紙を その神社の参拝後 直接 姉の家の郵便受けに届けました。(後略)」と記させて頂きました。

 および、本日 すなわち 5月10日(金)の「お墓参り・17(後編)」のブログの下段に、

「(前略)この電話に対する 置き手紙を 往路で 回り道をして 直接 姉の家の郵便受けに届けました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、前述致しました 姉からの突然の電話連絡に対する 置き手紙を 直接 姉の家の郵便受けに届けました。

 また、姉と同居している 義理の兄は、長年 ゴルフをしていて、シングルに近いとのことであります。 ちなみに、以前 義理の兄は、最初に コーチに つかなかったことをやんでいました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)