遺言書 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る3月26日(火)の「親戚からの突然の電話連絡・続報58・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)上記のように 時間が かりましたので、結局 寝たのは 午前4時頃でありました。それで、本日 午前8時28分の 昨日と同じ 姉からの電話で 目覚めました。ちなみに、電話が かってくる予感がしましたので、昨日から 本日に限り 枕元まくらもとに 携帯電話を置いていました。すなわち、姉によりますと、昨日 ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)から 電話で、昨日 ○○さん(叔母[三女]のこと)が亡くなったとのことでありました。それで、まず 『誠に御愁傷様でございます。』と答えました。。ちなみに、昨年の七月二十八日(金)に お見舞いを お送りさせて頂きました

(中略)

 姉によりますと、それで 葬式は 私も行かないで 一応いちおう お香奠を送ると言ったら いいと言われたので 私も送らないで 私は ○○ちゃん(叔母[四女]のこと)と LINEで り取りしているから LINEで まあ ちょっと ね あのー まあ で だから ○○君(当方のこと)は あの まあ お手紙 2枚くらいでいいから あまり 長いとね 長いとね ちょっとね 読むのも たいへんだから とのことでありました。それで、一昨日おととい すなわち 3月24日(日)に 『(前略)姉の家に 置き手紙を届けました(後略)』と前述致しましたが、このときは 手紙 2枚でありましたので、そのとき(今回)のようにね と伝えました。すると、そうそう そうそうそう あのくらいの 2枚くらいで 丁度ちょうどいいから 手紙だけ送ってあげてとのことでありました。すなわち、手紙のみ送るようにということでありますね。

(中略)

 兄弟姉妹で 一番 いいかたであらせられました。すると、姉によりますと、そうそうそうとのことでありました。ちなみに、上記のように 数日前 すなわち 去る3月21日(木)に、家政婦さんに 叔母(三女)さんの話をしているのであります。なお、虫の知らせであったのかもしれませんね。命日は、昨日 すなわち 三月二十五日と伺いまして、父親の祥月命日が 三月十一日、そして、母親のそれが 三月五日でありますので、しくも 両親と同じ 三月でありますね。心より 御冥福を お祈り申し上げます。

 ついながら、姉に言われたように、叔母(四女)さんに 速達の特定記録で 手紙を送りました。 ちなみに、この作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌々日の 夕方になりました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る4月5日(金)の「親戚からの突然の電話連絡・続報59・後編」のブログの下段に、

「(前略)昨日 すなわち 4月4日(木)の『家政婦さんの入院・続報115・後編』のブログの中段やや上に、

『(前略)その家政婦さんによりますと、その叔母(三女)さんの埋葬は どうなったのか とのことでありました。それで、その手紙を発送して 一週間以上になるが、叔母(四女)さんからは 何も言って来ないことを伝えました。つまり、当家と同じ霊園に埋葬されるのでありますが、姉からも 何も言って来なくて 知らされないことを話しました。ようするに、上記のように 一週間以上が経過していますので、すでに 埋葬はんでしまっているだろう(後日、去る3月30日[土]に行なわれたことがわかりました)と答えました。(後略)』と記させて頂きました。前述致しましたように、叔母(四女)さんに 速達の特定記録で 手紙を送りました。すると、本日 すなわち 一週間以上が経過して、叔母(四女)さんから 葉書はがきが届きました。

(中略)

 なお、叔母(四女)さんに 速達の特定記録で 返信の手紙を送りました。 ちなみに、この作業を行わなければならないので、買い物に出掛でかけようとしたところでありましたが、急遽きゅうきょ 取りめました。そして、その作業が 朝まで かり さらに お昼になりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 翌日の 夕方になりました。(後略)」と記させて頂きました。それで、それ以来 1ヶ月以上、叔母(四女)さんからは 何も言って来ませんでした。 ちなみに、きたる 5月13日頃には 納骨(七七日・満中陰まんちゅういん法要)があるはずであります。そこで、本日 唐突に、霞が関の東京家庭裁判所から 封筒が届きました。なお、遺言書の検認とのことでありました。ついながら、誠に有り難いことに、両親は、公証役場で 遺言書を作成しておりました。しかしながら、亡くなった 叔母(三女)さんは、上記のように 公証役場で 遺言書を作成していなかったのでありますね。

 ときに、東京家庭裁判所は、厚生労働省の隣にあります。 ちな みに、去る 一昨々年さきおととしの3月23日(火)の「養子斡旋あっせん(母体保護法[旧・優生保護法])」のブログに、厚生労働省を訪れたことを記させて頂きました。なお、それから 33年が 経過しようとしていますが、それ以来でありますね。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)