父親の三回忌・母親の七回忌・続報・後編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・6」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、姉によりますと、「召し上がって下さい。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「美味おい しそうな いちごが目の前にあるから、頂いていきましょう。」とのことでありました。すると、家政婦によりますと、「喪主様から、お話があります。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ハイ、ハイ、ハイ。」とのことでありました。姉によりますと、「話が長い」とのことでありました。すると、男性の声で「ちょっと、急ぎましょう。」とのことでありました。

 ときに、「喪主からの挨拶」は、明後日あさって すなわち 3月5日(火)の「父親の三回忌・母親の七回忌での 挨拶」のブログに記させて頂きます。

 ところで、その僧侶によりますと、「目標は いくつくらいに していますか。」とのことでありました。すると、義理の兄によりますと、「私も あの 御住職と一緒で 80と ずっと 前は 思っていたんですけれども、その 最近になって ちょっと 80では 近いなと 85にしようかと思っている。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「受けていかなきゃ、しょうがない。」とのことでありました。

 および、僧侶と義理の兄が、前立腺のことを言及しました。それで、前立腺のことを 英語で “prostateプロステイト”と言います。ちなみに、“proプロ”は 「前」であり、“stateステイト”は「立つ」でありますから、前立腺という言葉は 英語の直訳であることを話しました。なお、日本語では、かつては 前立腺のことを「節後腺」と呼んでいました。ついながら、「節後腺」という言葉のほうが 生理的な内容を含んでいるのであります。ちなみに、日本語で 「節後腺」と言うほうが、言葉としては すぐれていると思われます。

 そこで、その僧侶によりますと、「僕も、調べてもらったことがあるんですよ。前立腺の癌のなんとか という検査があって。」とのことでありました。それで、「P.S.A.(英語:prostate-specific antigen)(日本語:前立腺特異抗原)検査のことですね。」と答えました。すなわち、P.S.A.検査をしているとのことでありました。それで、去る 6年前の3月14日(水)の「父親の内科受診の付き添い・続報」のブログの中段やや下 そして 去る 6年前の3月2日(金)の「父親の内科受診の付き添い」のブログの中段やや上などに記させて頂きましたように、今は亡き 父親も P.S.A.検査を入れてもらっていたことを伝えました。それで、その僧侶によりますと、「まだ 大丈夫だ と言われたんですけどね。」とのことでありました。そして、続けて その僧侶によりますと、「知識が全然。おしっこしたくなるっていうのは、やっぱり 膀胱、前立腺には関係ないの。」とのことでありました。それで、説明しましたら、誠に有り難いことに、その僧侶によりますと、「成程なるほどね。」とのことでありました。

 

 また、去る 2月29日(木)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報41・前編」のブログ そして 去る2月29日(木)の「武漢ぶかんウイルスのワクチンについて(拡散希望)・続報41・後編」のブログなどを記させて頂きました。なお、その義理の兄によりますと、「最近 あれなんですよ、冬の寒いときに ゴルフが好きで ゴルフに 1時間くらい 離れたとこなんですけど、朝 早く もう おしっこが したくてしたくて たまらない。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「そりゃ、おんなじ おんなじ、もう(本人のみ、笑い)」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「むかーしは もう 我慢出来なくて、車から 降りることも出来なくて、積んでいた ティッシュ ペーパーを 変な話ですが、おしっこの量というのは。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「結構 あるよね。」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「結構 それで、最近は あの おしめ 夜に入れておいて どうしようもなく コンビニもなくて たとえば 外に出られないときには おしめに こう しようかな そんなこと 考えなきゃ いけないのかな。結構 だったら ほんと 100、200も ちょっと お金があれば、いきたいよね。だから。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「ちょっと、教えてもらいたいんだけど、あれなんだけどね、膀胱の あれ たようなところがあってね。」とのことでありました。それで、「わかりましたら。ちなみに、嗅覚以外のあらゆる感覚情報を大脳皮質に送る中継基地である 視床に 体性感覚が フィードバックされて、尿意を感じるのであります。」と答えました。すると、その僧侶によりますと、「たとえば、おしっこ おしっこって言うでしょ、こいつ、トイレ着いた トイレ これからというときにね、出ちゃう。(本人のみ、笑い)もう そこまで  ったんだけどもね。(本人のみ、笑い)」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「もう やっと ゴルフ場のトイレに着いたと思って 結局 (何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)しみちゃう、で、私は こう思うようにしているんです。今でも ときどきあるから。トイレに、まだ トイレに着いていないと、着いていないと、電気もないと、いうように思おうとしているんですけれども、ん- あぶないところなんですよね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「同じような経験があるんですね。我慢してるんだよ。そこまで 、一生懸命 一生懸命 我慢して 我慢してね、あー 着いたなという その前に 出ちゃうんだよ。(本人のみ、笑い)情けないたら。ありゃ」とのことでありました。すると、その義理の兄によりますと、「折角、(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)」とのことでありました。その義理の兄によりますと、ゴルフ場で トイレに行く前に らしちゃうとのことでありました。ちなみに、僧侶も 同様とのことでありました。それで、その義理の兄によりますと、まだ トイレに 辿たどりついていないと思い トイレに行くのだそうであります。それでも、らしてしまうことがあるとのことであります。ついながら、切迫性尿失禁の多くは、膀胱と脳の間の伝達が うまくいかずに、膀胱が 勝手に収縮してしまう 過活動膀胱が原因であるとされております。なお、神経因性膀胱ではないことを伝えました。

 ちなみに、前述致しました 93歳の父親でさえも、失禁してしまうことは ほとんどありませんでした。それが、まだ 73歳の義理の兄が トイレに 辿たどりつく前に 失禁してしまうということは尋常ではありません。ついながら、義理の兄は、数回以上 武漢ぶかんウイルスのワクチンを接種しております。じつは この武漢ぶかんウイルスのワクチンが原因なのであります。なお、この武漢ぶかんウイルスのワクチンは 当然のことながら、脳にも損傷を与えます。

 

 ならびに、その僧侶によりますと、楽しいことがある とのことでありました。

 ときに、その僧侶は 午前11時50分頃に みずから 帰るとのことでありましたので、みなで 見送りました。ちなみに、別れ際に 八王子の お寺のほうに来てもらいたいとのことでありました。

 

 それから、去る 6年前の8月3日(金)の「父親の食事、洗濯 そして 入浴・71」のブログの中段やや下に、

「(前略)51年前の8月初旬 つまり 今頃の季節に、上記のように 東京都新宿区から 東京都下に 引っ越しました。(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、姉によりますと、20年以上前に 父母から 長女のために ピアノを買ってもらったとのことでありました。ところが、今は 誰も そのピアノを使っていないので、姉 みずからが ピアノを習って いているとのことでありました。なお、その「ますだ」というピアノの講師が 上記のように 東京都新宿区に住んでいたときの近所の人であった とのことでありました。それで、東京都新宿区に住んでいたときの お店の写真があったら そのピアノの講師に見せたいので、もらいたいとのことでありました。そこで、その東京都新宿区に住んでいたときの写真をあげました。ついながら、後日 家政婦も 下の写真が欲しいというので、姉に あげたときに 撮影しておいた 画像を プリントして あげました。ちなみに、そのときに 家政婦によりますと、何時いつ頃ですか とのことでありました。それで、当方が おそらく 2歳くらいのときで 昭和37年頃であることを伝えました。

 

 

姉に あげた 貴重な写真

 

 

 

 また、姉によりますと、母親は ピアノが欲しかったとのことでありました。ちなみに、東京都新宿区に住んでいたときに 母親は、積み立てで ピアノを購入しようとしました。それで、毎月 ¥500円とか ときに ¥1,000円を積み立てていました。なお、定期的に 集金に来る 男性がました。ところが、高度経済成長の インフレーションの時代であり ピアノの価格が 2倍 そして 3倍となり、結局 購入することは出来ませんでした。ついながら、母親は、姉のために ピアノを買いたかったのである と思われます。ちなみに、姉が言うように 当家には、ピアノを置くべく 床を強化した場所があります。但し、結局 当家に ピアノは入りませんでした。しかしながら、晩年 母親は、キーボード ピアノを 2台 購入して、練習していました。

 ならびに、去る 6年前の7月1日(日)の「のこと(さかき[家政婦への贈り物〚梅干し〛・父親の食事]・4)」のブログの中段に、

「(前略)去る6月17日(日)の『叔母たちの来訪・続報3』のブログの上段に、

『(前略)姉によりますと、8万円のギターを買ったそうです。そして、姉は ギターを習っている とのことでした。ちなみに、このギターの弦を切ってしまって 東京の大久保まで 買いにったそうです。(後略)』と記させて頂きました。ならびに、去る 一昨々年さきおととしの10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の上段に、『(前略)演奏する楽器はチェロ(英語:violoncello)でした。チェロの写真を、下に掲載させて頂きます。(後略)』と記させて頂きました。そして、姉によりますと、当方に 音楽 すなわち このチェロを習え とのことでした。姉に とりましては、チェロを そのままにしては 勿体もったいない と思ったのかもしれません。もしくは、自分と同じように 楽器を習わせることによって、自分との バランスを取ろうとしたのかもしれません。しかしながら、孔子は、『親が 他界したら、三年ふくす。』ことを唱えています。これに対して、弟子である宰我さいがが、『父母のためにする 三年のというのは その期間が 長過ぎます。もし 君子が みずから 三年も 礼を修めなかったならば、礼は 必ず すたれましょう。 三年も 音楽を修めなかったなら、音楽は 必ず くずれましょう。』と尋ねました。この問いに対して、孔子は、『お前が やすければそうしなさい、君子は 喪中もちゅうには 御馳走ごちそうを食べても うまくなく、音楽を聞いても 楽しくなく、家にっても やすらかでない。そこで 政務を らないのである。今 お前の心が やすければ、そうするがよい。』と回答しました。そして、宰我さいがが、出て行きました。そこで、孔子が、居合いあわせた門人達に『宰予さいよ宰我さいがのこと)は なんと 不仁ふじんなことよ。子が生まれて三年、ようやく父母のふところを離れるのである。三年のは、世の中の人が 誰もやっている共通のである。宰予さいよも 三年の父母の保育の愛情を受けたはずなのに、忘れてしまったのであろうか。』と話します。『親が死んだら、3年間はふくさなければいけない。何故なぜなら、人は 誰でも 生まれてから 3年間、赤ん坊だったときは 自分では 何も出来ず、親に 完全に庇護ひごされて 生きてきたからだ。』 というわけです。すなわち、ましてや チェロを習っているどころでは ありません。それで、姉に チェロを大事にしてくれる人で このチェロをもらってくれる人がないか 話しました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、父親が亡くなって 3年目に入ります。ちなみに、姉によりますと、次回 すなわち 父親の七回忌には 来ないとのことでありました。そして、これが 最後とのことでありました。

 

 しかも、姉によりますと、長男の写真を捨てないでとのことでありました。それで、沢山たくさん あるけれど 捨てていないと答えました。

 そのうえ、医者に受診しても どのような治療をされるか分かるので、受診しないと話しました。すると、姉によりますと、誠に有り難いことに、安上がりね とのことでありました。ちなみに、これまで に 医学には 母親の宗教と同様に 膨大な投資をしてきております。なお、保険診療であれば、姉が言うほど 価格的には 高くなることはないかと思いました。

 しかして、事後報告でありましたが、姉によりますと、3名で 叔母(三女)の有料老人ホームに お見舞いにったとのことでありました。それで、姉によりますと、かなり 弱っているので、もう そろそろとのことでありました。ちなみに、叔母(三女)は 卒寿(90歳)なのであります。なお、叔母(三女)は 独り住ひとりずまいでありました。ついながら、姉によりますと、叔母(三女)は 住んでいた 池袋に帰りたいと言っているとのことでありました。

 ならびに、姉によりますと、誠に有り難いことに、父親 と 母親が 在宅介護を受けることが出来たのは 当方の おかげとのことでありました。それで、父親 と 母親が 「家にたい。」と言ったからであることを伝えました。

 

 および、姉によりますと、受診していた 整形外科の待ち時間が 3時間もかるので、花小金井の整形外科に転院したとのむねでありました。

71歳の姉によりますと 階段が 急とのことでありましたが、母親は、85歳まで  この階段を使用しておりました。

 さらに、義理の兄が 足の指が一本ずつ 入る 靴下くつしたいていましたので、「いい靴下くつしたですね。」と伝えました。誠に有り難いことに 姉によりますと、準備が たいへんだったでしょ とのむねでありました。それで、「ある目的を達成するために方々ほうぼうを走りまわる者」を意味する「馳走ちそう」の丁寧語・尊敬語が語源である 「御馳走ごちそうごとく 走りまわりました。」と答えました。ちなみに、家政婦には 昨年の父親の一周忌を終えたときから 準備が始まったことを伝えました。

 しかして、姉によりますと、自分の子供たちが 喧嘩けんかになるとのことでありました。

 のみならず、姉が、家政婦に 自分が受診している 整形外科を紹介しました。ちなみに、その整形外科医の経歴を調べましたら、親戚が血液内科の教授をしている 某・医科大学出身であり、母校の医科大学附属病院高度救命救急センターで 研修を行なっていました。なお、その母校の高度救命救急センターは、草分け的な存在であります。ついながら、母校の高度救命救急センターは、ネクタイをしていなかったら 別のセンターへ、ネクタイをしていら 母校のセンターに と 救急車側が決めているのであります。すなわち、母校の高度救命救急センターは 厚生労働省から 援助を受けているのであります。

 それで、後日 姉には 手紙で、「整形外科医で 救命救急センター出身でありますと、少し 荒っぽくなるかもしれませんね。但し、姉様が 相性がいいとお思いになられておられるのでありましたら、いいのかもしれません。」と伝えました。つまり、くまでも、姉の主体性を尊重するような内容の手紙を送りました。ちなみに、このことは、家政婦にも、口頭で 時間をけて 説明しました。

 

 そして、姉夫婦は 午後0時40分頃に帰りました。

 

 

姉が 持ち帰った 仏花ぶっか(菊の花)(一番 お花が多いのは この花束であることを伝えましたら、姉は これを持ち帰りました。ちなみに、持ち帰ることに際して 水を含ませるために 脱脂綿を用意すると伝えましたら、姉によりますと いいとのことであり 上の画像の 仏花ぶっかを そのまま 買い物袋のなかに入れました。なお、誠に遺憾なことに、これでは 折角の仏花ぶっかしばらく 水を与えないことになります)

 

 

 

 つぎに、僧侶が帰ったあとで 家政婦によりますと、その僧侶が 勿体もったいないと言っていたとのことでありました。ちなみに、今回も そう 言っていたとの話になりました。

 また、去る 10年前の12月9日(火)の「阿闍世太子あじゃせたいし」のブログの上段に、

「(前略)浄土三部経の中の仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうに記されている お話で御座ございます。(^O^)

  韋提希夫人いだいけふじんは(後略)」と記させて頂きました。ちなみに、前述致しましたように、僧侶が 仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうを言及しました。なお、上記のように 姉夫婦が 帰ったあとで、家政婦に 僧侶が言及した  仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうに書かれてある 阿闍世太子あじゃせたいしの話をしました。ついながら、10数分 かりました。ちなみに、僧侶が話していた 「あきらめる」とは 「あきらかにみる」のことであるという 教えは、釈尊が 韋提希夫人いだいけふじんに説いた内容なのであります。

 ならびに、修行という言葉を使うのは、道元禅師の「修証一如」(努力(修)することと その結果(証)が一体になっている姿を表す言葉)のことを念頭に置いて話していると伝えました。

 および、僧侶が交通事故にったときに 意識が亡くなったとのことでありました。仮に そのまま亡くなってしまったとしたら 自分が死んだということが分からないので 迷ってしまう、そうならないように 引導を渡さなければならないことを伝えました。

神道における 天国である 高天原 と 浄土教の お浄土とは 同様と考えて いいように思われます。

 また、その僧侶の実家である 豊島区南長崎のお寺の近くには、昭和を代表する 漫画家たちが 若手時代に暮らした 木造2階建てのアパートである「トキワ荘」があったことを話しました。

 

 ところで、本日の給料と致しまして 家政婦に 7時間分+(プラス)時間外手当 すなわち 金13,870円を手渡しました。また、上記の 引き出物 や おもてなしも添えました。ならびに、下の画像の 仏花ぶっか そして お菓子も あげました。

 なお、父親の三回忌・母親の七回忌のためるべきことを 後回あとまわしにしたことを、その家政婦に 伝えました。 

 

 

家政婦に あげた お花(仏花ぶっか)

 

 

家政婦に あげた 品物(お煎餅せんべい

 

 

 

 さて、去る 5年前の10月23日(水)の「家政婦への贈り物・93・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る 昨年の3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。今回は、家政婦から求められましたので 感謝の印と致しまして 言葉を添えて、家政婦に 下の画像の 母親の遺品の お洒落しゃれな 花柄はながらの ハンド・バッグ 

(中略)などを あげました。

(中略)

 

 

家政婦に あげた 母親の遺品の お洒落しゃれな 花柄はながらの ハンド・バッグ

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 また、去る 一昨々年さきおととしの4月11日(日)の「家政婦への贈り物・160・後編」のブログの中段やや下に、

「(前略)本日は、感謝の印と致しまして 言葉を添えて、家政婦に 下の画像の 母親の遺品の 某・ブランド品である 手提てさげバッグ

(中略)などを あげました。

(中略)

 

 

家政婦に あげた 某・ブランド品である 手提てさげバッグ(家政婦によりますと、値段の高い 母親の形見を頂いて 嬉しいとのことでした)

 

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、異例なことに 午後4時15分に 家政婦から 電話が入りました。ちなみに、上記のように 家政婦から求められましたので 感謝の印と致しまして 言葉を添えて 家政婦に あげた 母親の遺品の お洒落しゃれな 刺繍の 花柄はながらの ハンド・バッグを忘れたとのことでありました。なお、ス-パーマーケットのところで 財布がないことに気が付いたとのむねでありました。それで、もらった 給料 や 財布が入っているとのことでありました。ついながら、もうひとつ 母親の もらった 黒い バッグを忘れたとのことでありました。そこで、確認しましたら、確かに 忘れていました。しかも、すでに 当家の前に来ていました。それで、電話は切りました。

 ところで、後日、親戚 9家族には 父親の三回忌、母親の七回忌 そして 祖母の祥月命日の法要の報告書を送りました。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)