父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・6 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 3月3日(日)の「父親の三回忌・母親の七回忌・続報・中編・5」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

  つぎ に、引き出物は、上に記させて頂きましたように 三家族分を用意して、前述の 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 2箱)を 説明を添えて 手渡しました。

 

 

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として 熨斗のし紙をけて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として 熨斗のし紙をけて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

引き出物として 熨斗のし紙をけて、僧侶、家政婦 と 姉夫婦の方々かたがたなどに それぞれ 手渡した、減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装した 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提てさげ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提てさげ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

持ち帰り易いように 風呂敷で 包装して 手提てさげ袋に入れた 減塩の南高梅の梅干し(1箱 すなわち 500g×2個入りを 3箱)

 

 

用意した 三家族分の引き出物

 

 

 

 および、りんごりんごの100%ジュースを 1箱 ずつ あげました。ちなみに、誠に有り難いことに、僧侶によりますと、このりんごりんごの100%ジュースは 美味おいしい とのことでありました。

 

 

用意した 三家族分の引き出物(りんごりんごの100%ジュースを 1箱)

 

 

用意した 三家族分の引き出物(りんごりんごの100%ジュースを 1箱)

 

 

 

 さらに、当家の庭でれた 柚子ゆずの実などの果実も あげました。ちなみに、昨年は、「(前略)姉によりますと、今年は 柚子ゆずの実が みのらなかったので、誠に有り難いことに、助かるとのむねでありました。(後略)」と前述致しました。ところが、姉によりますと、今年は 柚子ゆずの実が みのったとのむねでありました。

 

 

当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

感謝の印として 袋に詰めて あげた、当家の庭で 朝摘あさづみをした 柚子ゆずの実

 

 

 

 しかも、下の画像の 銅線(鉄製の針金よりも やわらかいので 加工が しやすく 耐食性も高いことを伝えました) であります。

 

 

感謝の印として あげた、銅線(鉄製の針金よりも やわらかいので 加工が しやすく 耐食性も高いことを伝えました)

 

 

 

 なお、僧侶が、まず 午前9時35分頃に 黒塗りの高級車で 到着しました。それで、トイレに行くとのことでありました。そして、午前9時45分頃に 義理の兄が到着しました。それから、姉は、家政婦によりますと トイレにっているとのことであり、そのあとに 来ました。 ちなみに、誠に有り難いことに、天気は 雲 ひとつないような 晴天でありました。それで、誠に有り難いことに、そのことを 姉と共有致しました。

 

 そのうえ、「(前略)その僧侶によりますと、『この本(当家が 以前に購入した誓願寺の家宝の本のこと)を お借りしてもいいいですか。』とのことでありました。それで、『勿論もちろん です。』と伝えました。すると、その僧侶によりますと、『僕、この本 ないとのことでありました。家内や息子やらに 見せてあげたい。どっかにあったと思うけれど。僕も、写っているんだよ。たぶん これが そうだよ。これが そう 私だよ。』とのことであり、また その僧侶は笑い出しました。

(中略)

 その僧侶によりますと、『この本をお借りして、送ります。』とのことでありましたので、『来年の三回忌のときに ついでで いいです。』と伝えました。すると、その僧侶によりますと、『みません。どっかにあったと思うのだが』とのことでありました。それで、『大事なもの(お布施のこと)を お持ち下さい。』と話しました。すると、その僧侶によりますと、『お布施は、直接 お渡しして頂けたらと思います。私が こうではなくて。』とのことでありました。それで、『失礼しました。』と伝えて 綺麗な『袱紗ふくさ』の上にせて 手渡しました。(後略)」と前述致しました。 ちなみに、昨年の父親の一周忌のときに、家政婦には、「あの本は 戻ってこないね、あげたと思わないとね。」と伝えていました。そして、案の定あんのじょう、その僧侶によりますと、「(その本を)忘れた。」とのことでありました。なお、お茶を出すと同時に、前述致しました 御布施を 手渡しました。

 しかして、去る 一昨々年さきおととしの1月1日(金)の「父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・197」のブログの中段やや上に、

「(前略)家政婦が、紅白歌合戦のことを言及していました。それで、少なくても 医師になってから すなわち 30年以上は 紅白歌合戦を見ていないと答えました。 ちなみに、別の家政婦も 今は 亡き母親も、近年の紅白歌合戦は 見ても 分からないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。なお、小学生の頃は、冬に 炬燵こたつに入って 蜜柑みかんを食べながら、紅白歌合戦を見ることが 夢であったことを 家政婦に伝えました。ところが、それは、遠い夢でありました。それで、両親が購入した 思いと ともに、その僧侶に その夢をかなえて頂きたく、そのカジュアル 炬燵こたつを進呈しました。すると、その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、自分の部屋で 使ってくれる とのことでありました。ちなみに、姉によりますと、炬燵こたつは 一台 あるから らないとのことでありました。

 

 

僧侶に あげた 某・有名製造会社の カジュアル 炬燵こたつ の外観(安売りで ¥72,508円[税込ぜいこみ]の製品であります)

 

 

 

 のみならず、昨年の父親の一周忌のときに、その僧侶と姉は 椅子を用意してもらいたいとのことでありましたので、今年は 用意しました。すると、義理の兄も 自分にも 椅子を用意してもらいたい とのことでありました。それで、「椅子を みっつ用意すれば よかったですね。」と話して 用意しました。すると、その僧侶によりますと、「僧侶なのに、椅子を用いて。」とのことでありました。ちなみに、姉によりますと、当方は 若いから 正座しているとのことでありました。それで、正座に関しましては 訓練しているからと答えました。

 くわうるに、その僧侶が着替えを行なうときのために、暖房を用意致しました。ところが、その僧侶によりますと、不要とのことでありました。また、姉のためには、事前に ホット カーペットを用意致しました。それで、姉に言われて ホット カーペットの電源を入れ、温かさを「強」にしました。

 

 それから、「生前 父親は 訪問看護師の前でも 全国高等学校野球選手権大会の歌であり 甲子園で流れる『栄冠は君に輝く』を 急に流して欲しいと言い、あわてて流したことがありました。また、母親からは、『自分が死んだら、エーデルワイスを流して欲しい。』とのことでありました。それで、本日は、その『栄冠は君に輝く』 そして 『エーデルワイス』を流させて頂いております。」と伝えました。

その僧侶によりますと、誠に有り難いことに 両親とあわせて 祖母の法要も してくれる とのむねでありました。姉の三男も、祖母と同じく 約40年前に亡くなったことを話しました。すると、その僧侶によりますと、「子供さんが亡くなったのは 何月?」とのことでありました。それで、姉によりますと、「6月20日」とのことでありました。

 その僧侶によりますと、誠に有り難いことに、「40年 っても 昨日のことのように思い出されるよね。さきかれるとつらいね。」とのことでありました。それで、姉によりますと、「お祖母ちゃんは 88歳まで  生きたから、『おめでとうじゃないけれど。よく頑張った。』と言えるけれど、俊君(姉の三男)の場合は 二歳なので。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「可愛かわいさかりだ。」とのことでありました。その僧侶によりますと、「能登半島の地震や津波でね。」とのことでありました。すると、姉によりますと、千葉の地震が気になるとのことでありました。 ちなみに、千葉には 甥(姉の長男)が住んでいるので、そのこともあるかと思われました。

 それで、その僧侶によりますと、「今朝もニュースを見ていたら、奥さんと子供さん 二人ふたり 亡くされた主人が言っていました。1月1日から 全然 変わっていません、今でも出て来るんではないか。家族、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと奥さんと 違う お祖父ちゃんは 間違えた 奥さんと子供 三人さんにん 四人よにん 一遍いっぺんに亡くされた。僕は 3月の11日(父親の祥月命日と同じ)が震災の石巻やら あちらのほうに 7回 って お参りさせてもらいました。そのなかに お父さんと、お母さんと、奥さんと、子供 三人さんにん 六人ろくにん 一遍いっぺんに亡くされた。その人が 両親に 地震が来たときに その前のれに 新しい船を入れえたばっかりだったんですって。そして、二週間で 津波が来るかもしれないって言って その主人は 船を沖に出した。帰ってきたら、お父さんと、お母さんと、奥さんと、子供 三人さんにん そして 子供 三人さんにんが見付からない。それで、一番 最後に見付かったのが 四ヶ月くらい あとになって その間 遺体が 運ばれて来た 遺体の安置場が 一杯いっぱい あって、自転車で そのたんびに 見にったんですって。三ヶ月くらい けて やっと 最後の子供が 見付かって。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「元気で亡くなるというのは あきらめがつかないですよね。うちの場合は もう病気で 手術もして、ある意味 しょうがない、後遺症が出るのではないか そういう意味で 徐々にですが あきらめがついたけど、元気で ぱっと かれてしまったら、一生・・・」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「何が何だか分からなくなるよね。実際 また 近いうちに 大きな、地震が来ようが 北朝鮮から ミサイルが飛んでこようが 、地震が来る地震が来る、富士山が爆発する なんだかんだとさかんに言われている、シェルターを作らなければいけないと 東京都で言ってますけどね、それは 作るのはいいけれど、どうやって くか 分からないんだよ これ 人間というのはね、みんな 地震に苦しんでいるわけでもないし、みんな ミサイルというわけでもないし、渡されてしまったら あれだけど、それでも そのときは受けていかないと しょうがない、これ、自分では どうすることも出来ないもんね、何時いつ何処どこで、どうなっても、お念仏ねんぶつ申す者は必ず お浄土だよって なんともないようなことだけど それがあるから 何時いつ そのときが来ても 大丈夫ということを教えられるんですね これ お念仏ねんぶつで なまんだぶ なまんだぶ って お念仏ねんぶつをしてもらったら、阿弥陀あみだ様が お浄土に連れてって下さるから そう心配することないよ、だから、死ぬときは 実際に 私たちのちからでは どうにもならない、お医者さんのちからで 頼って あれだけど お願いしますと言うけど 最後は 駄目だめなんだよね。あの お医者さんがやぶ医者だったからって あとになって いくら言っても、どうにもならないしね。こっちの病院にでも行けば よかったという思いも ふっと出て来るけれども、それを思っても しょうがないしね これ、だから、父も 母も亡くなりましたが、兄も亡くなりましたけど、それぞれでね そのままを受けていく以外に しょうがない、しょうがないと言うと あれだけど、あの お念仏ねんぶつに教えられるひとつにね 観無量寿経かんむりょうじゅきょう仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうのこと)という おきょうがあるんだね、諦観たいかんと言って・・・」とのことでありました。すると、姉によりますと、生前の父親の意向で 父親のために流していた 「栄冠は君に輝く」の音楽を 小さくするように とのことでありました。 ちなみに、姉は、幼少の頃 父親が音を小さくするように と言われたことがいやだったと しばしば話していました。ところが、その姉が、度々たびたび 音を小さくするようにと言うようになりました。すなわち、親から言われて いやだったことを 今度は 自分が言うようになるという例でありますね。すると、その僧侶によりますと、「大丈夫、大丈夫、全然 大丈夫、あれがあるから 元気に話が出来る。」とのことでありました。そして、続いて 「諦観たいかんって 言って、言弁に帝国大学の『帝』ですね、訓読みで『あきらめる』という字があるね、『観』は 『観光のる』という字、『諦観たいかん』という言葉がある、その言葉は どういうことかと言うと、あきらめるのではなくて、あきらめて ものごとを みていくのではなくして、あきらかに みるという あきらかにみる目を お念仏ねんぶつによって 教えられるんだよと書いてあるんだね。」とのことでありました。

 なお、その僧侶が、仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうを言及しました。ちなみに、「あきらめる」とは 「あきらかにみる」とのことであるという話であります。それで、生前 父親も、「あきらめる」とは 「あきらかにみる」とのことであると話していたことを伝えました。すると、姉も、父親からの手紙で そう書いてあったことを話していました。それで、その僧侶によりますと、「○○さん(父親のこと)も聞いておられたからだよ。お祖母ちゃんも そうだと思う。だから、ひとひとつの出来事が あるがままに 自分のこととして 受け止めていく 目と心を教えられるということである おまえわるいから こうなったんだ なんのせいで こんなことになっちゃったんだ というのは あきらかに 物事を受け止めていくことが出来ない人の見方みかたではないかと思われます。そういう気持ちが 出て来るんだよ、出て来るんだよ、人をめても どうにもならないことだよ、そりゃ 地震が来るときは 地震が来るし、火事にいたくないけれど、気を付けても、どこでどういうことに 人生が ぶつかっていくか分からない、ぶつかったときに これは しまったっというのではなくして、ああ これが 人生だな これが ぶつかっていかなければ、ぶつかっていかにゃならんことだったなって その そういう ものの受け止めかたを教えられるっていうことは とっても 素晴らしいことであると思う、それこそ お釈迦様が 『人生は苦なり。』というところから その お悟りを開かれたと伺っておりますが、『人生は苦なり。』って いやいや 人生は 楽しいことだって 一杯いっぱい ありますしね、楽しい人生を生きていくように努力していくのが 大事だよって そういう生きかたも あると思うんだよ、しかし、いろんなことに ぶつかったときにね こんなはずじゃなかったということが 必ずあるんだよね、こんなはずじゃなかったって、それこそ そういうときは 誰がわるい 何がわるい、おまえが ちゃんとしていなかったから こんなことになったんだって みんな そうやって 思い 悩むんだけど、それは『人生は苦なり。』って教えられた者にとってみれば ははー これが人生かってね、どんなことであっても、それこそ苦しいことや つらいことにぶつかったときにこそね ははー そういう者を必ず 救いとるぞという 阿弥陀あみだ様が おられたということが お念仏ねんぶつに会う者の大きな喜びっていうかね、何があっても それは 死にたくはないんだけれども、別れたくはないんだけれども お念仏ねんぶつがあるじゃないって こう受け止める こう 涙も 一杯いっぱい 出て来るけれども、涙が 一杯いっぱい 出て来る そこからね よかったね みな様のお慈悲の おかげだったねって、こう 思い その いや その思いが 転ぜられていくのが、阿弥陀あみだ様の働き 『なまんだぶ』 それが 『南無阿弥陀仏なむあみだぶつ』だけ そういう気持ちを教えられていくんだね これ 『南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう』では そういうわけには いかない、おこられちゃうけれどね、こうやって 一生懸命 お願いするところが多いのよ 新興宗教だとかね まあ あまり言うと あれだけど 日蓮宗なんか どっちかっていうと こうやって お願いをするんだよね(日蓮宗は、自力だから)お願いをするんだけど そりゃ お願いをするのもいいんだけどね そういう気持ちになるのも みんな 私たちの煩悩の さがっておるから こういうことがなくなりたい 病気になったら 病気を治して欲しい 子供のことを思ったら 子供の病気が思ったら どんなにいいかって お願いをする気持ちが出て来る そりゃ 誰しもが持つことでもある だけど こう 神様 仏様に 一生懸命 お願いしたら そういう苦しみが無くなるっていうことでは ないんだよっていうことを この お釈迦様の人生は かたりというところから始まっているんじゃないかと思いますけどね。まあ、そういう でもね、いらっしゃい、いらっしゃい、今から 苦しいことやら 悩みがあったら いらっしゃい、それをなくしてあげますっていうところが多いからね、ちょっと うー ちょっと うー どうして ああいうとこ ああいう時代 何時いつの時代でもあったんだよ それね 時代でもあった それ以前からも ずっと あったんでしょうけれどもね だけど あっちのほうが楽なんだよ 楽というか そういう意味では 浄土真宗は この してもらおうということがないから、『諦観たいかん』ということを お父さんから聞いた お祖母ちゃんから聞いた そういうふうに聞いて行かないと分からない 自分の世界だけしか 浄土真宗は 楽っていうか 何もせんでいいよ というわけではないんだよね やっぱりね。お念仏ねんぶつを しっかり聞かしてもらうということ、それは とても 大事なこと。」とのことでありました。  

 くわうるに、去る 10年前の12月9日(火)の「阿闍世太子あじゃせたいし」のブログの上段に、

「(前略)浄土三部経の中の仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうに記されている お話で御座ございます。(^O^)

  韋提希夫人いだいけふじんは(後略)」と記させて頂きました。すなわち、仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうに 韋提希夫人いだいけふじん や 阿闍世太子あじゃせたいしのことが書かれてあることを話しました。ちなみに、

「(前略)仏説 阿弥陀経ぶっせつ あみだきょう以外の浄土三部経は 仏説 無量寿経ぶっせつ むりょうじゅきょう仏説 大無量寿経ぶっせつ だいむりょうじゅきょう) そして 仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうであります。なお、釈尊は、師匠である 阿弥陀如来あみだにょらいの弟子である とされております。ついながら、阿弥陀如来あみだにょらい(宝蔵菩薩)の18願を おきょうに なされているのが 仏説 無量寿経ぶっせつ むりょうじゅきょう仏説 大無量寿経ぶっせつ だいむりょうじゅきょう)であり、19願を おきょうに なされているのが 仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうであり、20願を おきょうに なされているのが 仏説 阿弥陀経ぶっせつ あみだきょうであるとされております。(後略)」と前述致しました。すなわち、去る2月8日(木)の「家政婦さんの入院・続報106・後編」のブログの中段やや上に、

「(前略)その家政婦さんに、仏教の全体像を伝えました。つまり、聖浄廃立せいじょうはいりゅう そして 真偽廃立しんぎはいりゅうなどのことであります。ようするに、法然上人は 30年 そして 親鸞聖人しんらんしょうにんは 20年で 比叡山をくだったとされていると前述致しましたが、これが、聖浄廃立せいじょうはいりゅうであります。取りも直さず、阿弥陀如来あみだにょらいの世界に入られたとされております。そして、十方衆生じっぽうしゅじょう すなわち すべての人々を誘導する 阿弥陀如来あみだにょらい仕組しくまれた道程どうていを、親鸞聖人しんらんしょうにんは 三願転入さんがんてんにゅうと言われているのであります。 ちなみに、三願転入さんがんてんにゅうとは、『大きく 十九願から 二十願へ、二十願から 十八願へとうつり入ること』であります。なお、阿弥陀如来あみだにょらいの19願を おきょうに なされているのが 仏説 観無量寿経ぶっせつ かんむりょうじゅきょうであり、方便として 『善のすすめ』がかれております。それから、阿弥陀如来あみだにょらいの20願を おきょうに なされているのが 仏説 阿弥陀経ぶっせつ あみだきょうであり、方便として 『念仏ねんぶつすすめ』がかれております。そうして、阿弥陀如来あみだにょらいの18願を おきょうに なされているのが 仏説 無量寿経ぶっせつ むりょうじゅきょう仏説 大無量寿経ぶっせつ だいむりょうじゅきょう)であり、『他力の信心』がかれているのであります。すなわち、これが、真偽廃立しんぎはいりゅうであります。(後略)」と記させて頂きました。つまり、第19願、第20願、そして、第18願への三願転入さんがんてんにゅう(十方衆生の獲信の道程どうてい)を意識して 言及させて頂きました。それで、第18願の「他力」が素晴らしいと話しました。すると、その僧侶によりますと、「第18願が書かれた 仏説 無量寿経ぶっせつ むりょうじゅきょう仏説 大無量寿経ぶっせつ だいむりょうじゅきょう)を 父親は 言及していたとのむねでありました。そして、そもそも 仏説 無量寿経ぶっせつ むりょうじゅきょう仏説 大無量寿経ぶっせつ だいむりょうじゅきょう)のなかでも 48願というのが書かれてありますけれど 親鸞聖人は 第18願が本願、本願というのは そこ 第18願のことを言うのです、48願の18番目の願、そこが・・・」とのことでありました。そのとき、家政婦が お茶のお代わりを入れようとしました。すると、その僧侶によりますと、「もう大丈夫(らない)。時間が過ぎましたので、お参りさせて頂きます。御免ごめん御免ごめん。(午前10時の定刻を13分過ぎました)」とのことでありました。それで、お参りが終わりましたあとために、「お茶を どうぞ。」とすすめました。すると、その僧侶によりますと、「これあとで 回して下さい。(用意していた 焼香のこと)」とのことでありました。 ちなみに、数珠は お参りして下さる人のために 置物として 置かせて頂いていることを伝えました。すると、その僧侶によりますと、「田中角栄さんのところの家が焼けて・・・」とのことでありました。それで、姉によりますと、「目白のね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「目白の。お仏壇の その線香からって まず 線香から火がくっていうことは まーずないと言ってもいいぐらいなんだけれどもね、その なんまわりに燃えやすいものがあったかね、倒れて 他宗(浄土真宗では、お線香を寝かせます)で ほら お線香 立てるでしょ だから これがいたまま こういうところに 紙があって そこからということは 考えられるけど 普通 浄土真宗の場合は、あの・・・」とのことでありました。すると、姉によりますと、「浄土真宗は、横に あれしますよね。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「蝋燭ろうそくの火のほうが むしろね。まあ よくわからないけれどね。蝋燭ろうそくの火は 特に 乾燥しているから 気を付けなきゃね。ハイ。それでは、お勤めさせて頂きます。御一同、合掌。なまんだぶ。なまんだぶ。なまんだぶ。なまんだぶ。礼拝。お直り下さい。」とのことでありました。ちなみに、上記の田中角栄邸の件であります。すなわち、娘の真紀子さんが 「線香の火が」と言っていたことが ぐに報じられましたが、実は 線香をあげたのち、ガラスが割れる音が聞こえ、見にいったところ 火が出ていたとのことでした。つまり、全然意味合いが違いますね。ようするに、その全焼火事の原因は、線香の火ではなかったかもしれないのであります。

 また、全員に 正信偈しょうしんげの読本を配りました。それで、読経(正信偈しょうしんげ)が始まりました。そこで、一緒に 唱和しました。

 おまけに、その僧侶によりますと、「一言ひとこと、御法話をさせて頂きます。○○さん、お父さんとお母さんの三回忌と七回忌、また、お祖母ちゃんの祥月命日、お写真が ここにある、お元気でおられたことが、それぞれに 思いしのばれることであります。また、こうして お勤めをさせて頂きますときに、私の父や 母や 庄野さんの あるいは あの頃 松井さんという おかたがおられて、みんな お浄土の人となり、それぞれの方々かたがたのことが(「を」のほうが適当であると思われます)思い、まあ 私の兄も ここで お邪魔しまして、兄も 何年も この30年 40年の間に 沢山たくさんかたさきかれてしまって、私たちが これからあと 何年 何十年 生きられるかが 問題ではありません。○○さん(父親のこと)は 93歳、93歳 まま 昔 目標は 80歳にしていたんですけれど、77 今年 なりますけれど、80歳は ちょっと 早いな ということで、今頃 目標を 85にしていたんですが、85も 考えてみると えらい あと 8年 9年ということになると ちょっと これも短いなと まあ 90くらい まで  目標は まあ なんか 新聞なんか読んでみますと、人生 100年の時代に入った ということを よく書いたり 書かれたりしておりますけれど、200年まで は ちょっとね、と 元気だったらという言葉が付くんですね、元気だったら 100でも いいんだけどね 自分で 歩いたり 食べたり 飲んだり 話をしたりすることが出来れば、・・・でもいい、我々の勝手でありましてね、これ なかなか しかし 願い通り 思い通りには いかない まあ 100歳 あるいは 100歳を過ぎた人が 日本では 今 7万人か 8万人 おられるそうであります。おそらく その90なん%の人たちは 子供たち や 孫が たいへんだ たいへんだって 言っている人のほうが多いんじゃないかと思われます。自分の親であっても なかなか たいへんだ ことだ のようでありますね。まあ○○さん(当方のこと) ○○さん(父の名字)○○さん(父の名前)を晩年 ほんと たいへんだったということで まあ これはわかりませんけれども、なかなか 年を取った人を みるということは 親であっても なかなか たいへんなことのようであります。しかし、どうして 自分が こうなったか たとえば 寝たっきりになって 早く お迎えが来ないかなっていう言葉を よく聞きますけれども むしろ そういう言葉を聞くことのほうが多いのであります、お年を召したかたから するとね。だけど、自分で死ぬわけにいかない、自分で 自分の生命いのちつ人もないわけでは ないけれども、なかなか なかなかね 90になって 100になって 自分で 自分の生命いのちつということは なかなか 出来ないことではないでしょうかね。あるいは もう 楽に死なせてくれっていう人が多いけれども、それこそ 楽に 注射を打って さよならということになったら、打った人が 今度は 殺人犯になるっていうことでありますから、なかなか なかなか この生命いのちということは 私たちの思い通り 願い通りにいかない生命いのちだよ ということを お釈迦さんは 言っておられるのでありますね。これ。人 それぞれの生命いのち、死ぬときは 死ぬ 若いときにく人もあれば、年を取って く人もあれば、事故でく人もあれば、病気でく人もある、火に焼かれていく人もある、死のえんというのは 無量だよ どうって まさか あの人が ああって 無量の 死のえん 無量だよ、どうって くか わからん 人それぞれ そのときそのときを くやしいしいけれど 情けないけれど はらが立つときもあるけれど、そのとき そのときを受けていかなければならないんだよ、いよいよというときに 何があるかが問題でありますね。先程さきほど 申しましたけれども、いよいよかというときが必ず来ると どういうふうに思うは知りませんけれどもね、人間は どうって 死んでいくか わからん、こうって まあ 私も母が亡くなって みましたけれども、何を考えているんだろうか、わからん。」とのことでありました。それで、姉が、「お父さん、何歳で 亡くなったのですか。」とのことでありました。すると、回答が 食い違ったのでありますが、その僧侶によりますと、「お祖母ちゃんは、89でした。」とのことでありました。すると、姉が、「すごい。」とのことでありました。そこで、その僧侶によりますと、「わからん、そばてもね。だぁ 兄のときも そうでした。兄のときは 肺癌で やっぱり 最期のほうは モルヒネを打ってもらって、そしたら 打ってもらっているときには うぇ いろいろ なんか こう あれ 出てきたみたいですけれども、でも やっぱり それから 何日なんにちかして 亡くなって、うー、人間は 死ぬときは 何を どう 思ってくのか わからん、私は そのとき 確信をしましたけれどもね、へ、外から見てもわからんということ、ということは 自分が受けていかなければならないということですね、どういうふうにして 死んでいくか わからん、○○さん(当方のこと)は 医学を学んだから 人間が死ぬときには こうってくんですよって わかるかもしれないけど、しかし、私の友人が やっぱり 医者で 外科の医者なんですけれども、うー、彼と話をしたときにですね、あのー、これは ほんとか うそか ほんとかどうか わかりませんけれど、あのー、大きな手術をするときにね、あのー、全身麻酔をする、全身麻酔、いた いも かゆいも なんにも わからんのや、何が出て来ようが、何も わからん、僕も よく聞きますけれどもね、わからん、最期の最期は 何にも わからないで くんじゃないかと、彼は言うんです。いた いも かゆいも なんにも、さびしいも 苦しいも なんにもない、とね、だからね、いよいよというときは、なんにも わからんとなると、それは いいじゃないと、安心して けるじゃないですかって、そんな話をしたことがありましたけどね。まあ、わかりませんけどね。だけど、意識があるときは、うっすらでも 意識があるときは、いよいよかなって 自分で、こんなこと言うとおこられるけれど、昔 僕ね 学生のときに、交通事故にったことがあってね、助手席に乗っていて 横から パーンと、どっかをこう打って、どこか こっちのほうだったと思うが、そのときにね、いた いも かゆいも なんにも わからんね、あれ、ビューンと ぶつかって 意識を失ったんだね、どっか打って 気が付いたときは、引っ繰り返っていて 眼鏡めがねはずれていて、それで、てって見たら、血が付いていて、血を見たら こんな感じで、だけど ぴゃーと 一瞬 ぶつかったときは もう なんにもわからんね、いた いも かゆいも なんにもわからん、こんなこと言ったら おこられちゃうけれど、交通事故でね 即死というの あるでしょ あれ ほれ もう すら 一瞬、あ・・・・・・(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)っちゃてるんじゃないかと思って、あれ、残された人は たまらんけれどもね、く人も まさか と思って あれだけれども、どうってくか わからんし、死ぬときは どんな思いで くのか 意識がない 癌なんかの場合 一番 意識が最期のほうまで  あるんだよ(肝臓がんは 最期 昏睡状態になるとされています)、身體からだが もう 細く せ 細って 骨と皮になってしまう、2番目の兄がそうでしたけどね、骨と皮でしたよ、体重がね 38kg(本人のみ、笑い)それでも意識がある。」とのことでありました。それで、姉が、「結構 若かったのですか。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「2番目の兄は、68、で、一番上の兄は 誓願寺の住職だね、は、80でした。兎に角とにかく、うー、意識があって いよいよというときが、問題、家族の人がまわりにてもね・・・(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)ちっともね、ヤダ・・・(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)、身體からだわるいときにね だいじょぶ だいじょぶと言われても、だいじょぶじゃないんだよ(本人のみ、笑い)、笑っちゃいけないけどね、ほんとに 具合 わるいときには 誰にも会いたくないんじゃないかと思うし、まあ それは わからんけれども、それは 笑顔で迎えるでしょうけれど、ありがとうってね、私のときは、どうなるか わからんけれど、だけど、意識があるとき それは いた いも 苦しいも そりゃ感じるときでしょうけれど、病気のときには そういうことが考えられている、そういうときに いよいよかというときにね、やっぱり お念仏ねんぶつがある人 と ない人では 違いがあるか わからんね、いよいよというときに こりゃ いよいよかというときに きっと ま、お念仏ねんぶつも出て下さらんかもしらんけどね、お念仏ねんぶつの御えんがあればね お念仏ねんぶつがあったな 「なまんだぶ。なまんだぶ。」と お浄土に連れてって下さる 阿弥陀あみだ様と 一緒だった て思えるんじゃないかなと これも わからんけどね、わからんけどね、でも、そうはいたいんじゃないか(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)ただね、「なまんだぶ。なまんだぶ。」とね、なんじゃら ホイ と思うような言葉だけれど、阿弥陀あみだ様の呼び声、働き そのものが 阿弥陀あみだ様が ちゃんと ついているから大丈夫って その強い心をね、お念仏ねんぶつに教えられるのでしょうね。苦しいけど、これは 自分が受けていかにゃならん苦しみで、苦しみのあとは お浄土に お浄土で さきかれた さきかれた 方々かたがたに また 会える 「倶会一処くえいっしょ」という言葉がありますけれどもね、誰が会いたいと思うか 自分勝手なものでね、子供さんに さきかれたかたおそらく 子供のことを思うかもしれないけれどもね、それじゃ お父さん お母さんは、(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)」とのことでありました。すると、姉が、「みんな 並んでいるんだそうです。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「みんな ちゃんと 並んでいる。」とのことでありました。すると、姉によりますと、「犬が亡くなった。ちなみに、犬が、3年前に 犬をっこして うち 父が 好きだったんですよ、犬が、だから、犬をっこして 待っててくれた。」とのことでありました。すると、その僧侶によりますと、「まあ 兎に角とにかく、うんだね、(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)これも わからん、自分の勝手なもんでね、そりゃ 会いたい人に会えばいいと思うんだけれども、だけど、阿弥陀あみだ様には 会えるんだよね、阿弥陀あみだ様と 一緒にならせて頂く ここに やっぱり 喜びが やっぱり 安心が出て来るんだよね、それこそ、夫婦であっても、親子で会ってもね、この娑婆世界は おたがい 仲良く 仲良くしければいけないとわかっては いるんだけれども なかなか これはね、親子であっても 夫婦であっても、おたがい ほんとに 理解し合う 思い合う心って なかなか なかなか これは うちの場合かもしれませんけれど(本人のみ、笑い)、夫婦喧嘩したことがないっていう人に会ったことがありますけれど、ちょっと 私は信じられない。(本人と姉のみ、笑い。ちなみに、後日 家政婦との話しで 俗ぽいとの内容になりました。なお、お浄土の話をしてもらいたいものであります)

 親子でも 喧嘩したことがないって、ひゃーって思うけれどもね、なかなかね 親子であっても 夫婦であっても、なんって言うんでしょうかね、うー、さきった たとえば お祖父ちゃんが 待っているから、ハイ 安心して けますっていうことではないような気がする、本当の安心はね、本当の安心は、阿弥陀あみだ様 と 仏様と ならせて頂くことが 約束されている ということが 本当の安心、私には(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)娑婆世界が そのまま お浄土の世界にいったら(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)になっちゃうよ(本人のみ、笑い)、自分勝手なことばかりいう 思ってちゃ 仏様の世界じゃないよね、これは、あの人には 絶対 会いたくないっていう人がるんだよ 必ず ふふ(本人のみ、笑い)それは まあ あれですけれど、いよいよというときにね、お念仏ねんぶつがあったなって教えられていくということはね、さっきから申しますけれどね、何時いつ何処どこで、どうなっても 大丈夫 そりゃ 地震が来ようがね 癌になろうがね 事故で こうがね そー 人それぞれのえんだから わからんのよ これ どうって くか やあそりゃ (何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)僕なんかも そりゃ わからんよ こりゃ そういう えんがあれば それを受けていかなければならないし、但し、その親鸞聖人の言葉にも ありますけれど、「さるべき業縁の もよおせば 如何いかなる振る舞いをも えんに触れれば 何をしでかすかわからない。」のが 私たちだということ、今 そんなこと 絶対 そんなことするはずがない 思ってはいても えんに触れれば 何を しでかすかわからない どうって くか わからん ということでしょうね これ そりゃ まあ あの 親鸞聖人の言葉 ほんとに すごいなって そういう言葉 ひとひとつをね 受け止めさせて頂くんだけれど はーはーっと 親鸞聖人が すごいなって お浄土の世界を 阿弥陀あみだ様の世界を教えて下さった 親鸞聖人(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)そりゃ 父母でも そうだし お祖母ちゃん や お祖父ちゃん お父さん お母さんが お念仏ねんぶつ 大事だよって ○○さん(当家のこと)の お祖母ちゃんでも いつも お寺に お参りして(何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)おられた あの声を 私も 小さいながら 聞いておりますので、はっ また ○○さん(当家のこと)の お父さんは 誓願寺が出来るときは ほんとに あのー (何を言っているのか、何度 再生してもわかりません)の一人ひとり一杯いっぱい力添ちからぞえを頂いて 深い御えんのある ○○家(当家のこと)であり 不思議なえんで また 私が ハワイから 帰ってきて まあ 日野やら 八王子に お寺が出来て こうして お勤めを させて頂くこと ほんとに 不思議な御えんであります。兎に角とにかく、どうぞ 宜敷よろしく ありがとうございました。長々と いろいろ 話をしてしまって。」とのことでありました。(20分40秒でありました)

 

 (再度 半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎ のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)