家政婦さんの入院・続報106・後編 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 前回 すなわち 2月8日(木)の「家政婦さんの入院・続報106・中篇・23」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る 8年前の7月8日(金)の「ボランティア・地域医療・その5(新入生歓迎会)」のブログの中段やや上に、

「(前略)仲良く と言いますと 単純なことのように思われるかもしれませんが、聖徳太子により制定されたとされる 十七条憲法の第一条に『 やわらぎもって とおとしと し、 さからふこと無きを むねと よ。』とあります。これは、簡単に言ってしまえば、仲良くして下さいということである とされています。(なお、聖徳太子のことは、去る4月3日(日)の『姉の旅』のブログ去る12月14日(月)の『赤穂義士』のブログ、前述の 去る 昨年の2月14日(土)の『絵本の影響』のブログなどの それぞれ上段にも記させて頂きました)(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、今年の皇居での歌会始うたかいはじめが、去る1月中旬に 宮中で行われました。ちなみに、平成27年に お題が 「本」であったときに 歌会始うたかいはじめ詠進歌えいしんかを 詠進要領にしたがって 提出したことを、去る 9年前の2月24日(火)の「歌会始うたかいはじめ詠進歌えいしんか」のブログに記させて頂きました。なお、今年の歌会始うたかいはじめのお題は、「和」でありました。ついながら、誠に有り難いことに、その家政婦さんが その「和」の字を持っていますので、そのことを話しました。

 また、去る 5年前の12月24日(火)の「つくり変える力(大和民族)」のブログの冒頭に、

「(前略)去る 4年前の11月7日(土)の『ボランティアのこと』のブログ の上段に、

『(前略)道元どうげん禅師が執筆された正法眼蔵しょうほうげんぞうに、【修証一如しゅうしょういちにょ】が書かれてあります。人生は修行と思っておりますので、この某・ボランティアも続けているのであります。(後略)』と 記させて頂きました。

 ならびに、去る 昨年の3月8日(木)の『うなぎ蒲焼かばやき・73(お通夜・父親の食事)』のブログの中段やや上に、

『(前略)僧侶から 説法がありました。この説法によりますと、【天国と言うのではなくて、浄土と言うように】とのことでした。基督キリスト教では 天国と言いますが、基督キリスト教のかたも参列しているのに と思われました。姉も、この僧侶は・・・ とのことでした。最先端の 物理学でも パラレル・ワールドが 議論されていますが、浄土のほかにも パラレル・ワールドがあり それが 天国であっても いいこと と思われました。(後略)』と 記させて頂きました。

 および、去る2月24日(日)の『母親の一周忌』のブログの上段やや下に、

『(前略)この僧侶によりますと、挫折するために 修行するのであり、修行は 無駄とのことでした。(後略)』と 記させて頂きました。この僧侶 と 上記の僧侶は、同一人物です。すなわち、この僧侶によりますと、釈尊(お釈迦様の尊称)は 修行に 挫折したから とのむねでした。但し、釈尊の修行と申しますと、たとえば 断食に関しますと 1日に 大豆 1粒、つぎに 1日に 小豆 1粒、さらに 1日に 米 1粒と減らしていく とされています。これでは、常人では 挫折するほかは ありません。この僧侶は 釈尊の修行を言及しましたが、これは 修行と申しますよりは バラモン教の苦行なのであります。それで、釈尊は『苦行は、悟りのいんにあらず(出典は、パーリ語の【ニダーナカター】)』 すなわち 『苦行は、必ずしも【悟り】のために必要ではない』と お悟りになられたのであります。つまり、釈尊は えて 苦行を続けなかった とも言えるので御座ございます。さらに 大事なことを お悟りになられたのであります。但し、『釈尊は 6年間 苦行なされたから この境地に到達されたとも言えるので御座ございます。』と話しましたら、誠に有り難いことに、家政婦は うなずいてくれました。そして、上記のように 『修証一如しゅうしょういちにょ』を話しましたら、誠に有り難いことに、この家政婦によりますと 救いになった とのことでした。 ちなみに、『修行』の言葉の定義も、しっかり把握しなければならないと思われました。

 なお、このブログ記事の冒頭に引用しました 道元どうげん禅師が執筆された正法眼蔵しょうほうげんぞうには、三つみっつの四字熟語の『只管打坐しかんたざ』、上記の『修証一如しゅうしょういちにょ』 そして 『身心脱落しんしんだつらく』の教えがあります。この最後の『身心脱落しんしんだつらく』に関しまして、道元どうげん禅師の話があります。すなわち、天童山(中国・浙江省寧波市にある山の名前)にた 道元どうげん禅師は、ある朝 大勢の僧侶と共に 座禅をしていました。そのとき、一人ひとりの雲水が 居眠りをしてしまいます。如浄禅師は 彼を叱って こう言いました。つまり、『参禅は すべからく 身心脱落しんしんだつらくなるべし。』と。この如浄禅師は、『脱落だつらく脱落だつらく』と そのように 『脱落だつらく』という言葉を繰り返していました。ところが、道元どうげん禅師は、その言葉を聞いた瞬間に、文字通りに『身心脱落しんしんだつらく』してしまったのです。ちっぽけな『自我』に対する執着がなくなり、『没我』あるいは 『無我』の境地に到達したのです。すなわち、如浄禅師である師の意図とは違う 大きな意味で悟った つまり 大悟したのでは ないかとされているのです。

 

 ときに、聖徳太子が 摂政であり 推古天皇の御世に、『仏教興隆こうりゅうみことのり』がはっせられます。すなわち、『仏教公伝』のことであります。 ちなみに、日本人には、『つくり変える』ちからが あります。家政婦に話すときに よく用いる話なのでありますが、印度インドから入って来た カレー・ライスを 日本人は、つくり変えます。そして、すごいことに、印度人インドじんをも 美味おいしいと言わしめる カレー・ライスを つくってしまいます。つまり、法然上人、親鸞聖人しんらんしょうにん そして 道元どうげん禅師などによる 鎌倉仏教は、日本人によって つくり変えられた日本型仏教とされているのです。なお、法然上人は30年、親鸞聖人しんらんしょうにんは 20年 そして 道元どうげん禅師は 2年で 比叡山をくだったとされています。

 

 ところで、『仏教公伝』以前に、中国から 儒教も伝わります。このとき、日本人のすごいところは 中国語を『白文はくぶん』で読むのではなく、『読みくだし文』で 日本風に読んだ ということであります。このようなことが出来る民族は、世界中で 我々 大和民族しか 存在しません。これによりまして、日本は、誠に有り難いことに 中国文化圏に組み込まれずに済んだのであります。誠に 素晴らしい 日本人の先人たちに 感謝したい気持ちであります。そして、江戸時代に 起こった『古学』は、日本人によって つくり変えられた日本型儒教とされているのです。ついながら、日本人の先人たちが 外来語を ローマ字表記 や 平仮名ひらがな表記では なく 片仮名カタカナ表記にしましたことも、外国文化圏に組み込まれず しかも 外来語を区別することに成功した智恵である と思われるのであります。

 つぎに、約450年前に、カトリック教会宣教師である ザビエル(西スペイン語: Francisco de Xavier)が、日本に 初めて 基督キリスト教を伝えました。この基督キリスト教も、日本人は つくり変えています。

 

 さて、『国学』の存在は 最も 忘れられません。 ちなみに、『国学』は 老荘思想的 と言う人もます。なお、機会がありまして 宜敷よろしければ、『国学』のことを ちからを入れて 記させて頂きます。(後略)」と 記させて頂きました。但し、上記の僧侶は、釈尊が修行に 挫折したことを えて かなくても いいように思われました。

 しかして、去る 昨年の3月5日(日)の「父親の一周忌・中編・4」のブログの中段やや下に、

「(前略)仏説 阿弥陀経以外の浄土三部経は 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経) そして 仏説 観無量寿経であります。なお、釈尊は、師匠である 阿弥陀如来の弟子であるとされております。ついながら、阿弥陀如来の18願を おきょうに なされているのが 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)であり、19願を おきょうに なされているのが 仏説 観無量寿経であり、20願を おきょうに なされているのが 仏説 阿弥陀経であるとされております。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、その家政婦さんに、仏教の全体像を伝えました。つまり、聖浄廃立せいじょうはいりゅう そして 真偽廃立しんぎはいりゅうなどのことであります。ようするに、法然上人は 30年 そして 親鸞聖人しんらんしょうにんは 20年で 比叡山をくだったとされていると前述致しましたが、これが、聖浄廃立せいじょうはいりゅうであります。取りも直さず、阿弥陀如来の世界に入られたとされております。そして、十方衆生じっぽうしゅじょう すなわち すべての人々を誘導する 阿弥陀如来の仕組まれた道程を、親鸞聖人しんらんしょうにんは 三願転入さんがんてんにゅうと言われているのであります。 ちなみに、三願転入さんがんてんにゅうとは、「大きく 十九願から 二十願へ、二十願から 十八願へと移り入ること」であります。なお、阿弥陀如来の19願を おきょうに なされているのが 仏説 観無量寿経であり、方便として 「善のすすめ」がかれております。それから、阿弥陀如来の20願を おきょうに なされているのが 仏説 阿弥陀経であり、方便として 「念仏のすすめ」がかれております。そうして、阿弥陀如来の18願を おきょうに なされているのが 仏説 無量寿経(仏説 大無量寿経)であり、「他力の信心」がかれているのであります。すなわち、これが、真偽廃立しんぎはいりゅうであります。

 また、上記と同様に その家政婦さんが、当家の庭の 金柑キンカンの実を持って帰りました。ちなみに、その家政婦さんが 食べられないということは 前述致しましたように 金柑キンカンの実を持って帰るときには とげに気を付けなければならないので、当方が 金柑キンカンの木の枝を持っていました。なお、いつものことでありますが、その家政婦さんに 収穫するための はさみ そして 収穫した 実を入れる 袋を 金柑キンカンの実 と 柚子ゆずの実のために 2枚 手渡しました。

 

 

家政婦さんの入院・続報106・後編

家政婦さんが 持ち帰った 当家の庭の 金柑キンカンの実

 

 

 

 ならびに、今回も その家政婦さんによりますと、柚子ゆずの実も 持って帰るとのことでありました。ちなみに、商品になる 柚子ゆずの実が 大きいのは 間引まびきをするため と話しましたら、誠に有り難いことに その家政婦さんが納得してくれました。但し、当家では 間引まびきは 行なっていません。なお、柚子ゆずの実が 小さい実のときに 自然に 落ちることはありました。ついながら、去る 5年前の1月18日(金)の「父親の食事、洗濯 そして 入浴・95(柚子ゆず湯)」のブログの中段やや下に、

「(前略)柚子ゆず湯は みそぎの意味も あるとのことであります。(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、その家政婦さんに 上記のように 柚子ゆず湯は みそぎの意味も あることを伝えました。

 

 

家政婦さんが 持ち帰った 当家の庭の 柚子ゆずの実

 

 

家政婦さんに 毎回のように あげている 品物の一部

 

 

 

 および、去る 昨年の12月1日(金)の「家政婦さんの入院・続報96・後編」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る 一昨年おととしの12月20日(月)の『リハビリテーション(父親)・163・中編・6』のブログの下段に、

『(前略)去る10月5日(火)の【訪問看護(父親)・84・中編・3】のブログの中段やや下に、

【(前略)去る9月3日(金)の〖父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・231〗のブログの中段やや下に、

〖(前略)その別の介護福祉士のかた(常勤)によりますと、8月が終わった。時間がつのが 速いとのことでした。 ちなみに、母校の先輩医師によりますと、時間がつのが 速いと言っているやつは 真剣にきていないとのむねでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、その訪問看護師のかたも、時間がつのが 速いとのことでした。それで、上記のように 母校の先輩医師が 〖時間がつのが 速いと言っているやつは 真剣にきていない。〗とのむねを話していたことを伝えました。但し、お愛想あいそで 〖時間がつのが 速い。〗と言っている場合もあるから と フォローしておきました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、その母校の先輩医師は、今頃 すなわち 忘年会のときに言うのであります。なお、前述致しましたように、今年も 昨年と同様に、その理学療法士のかたによりますと、1年は あっという間とのことでした。それで、上記の話をしました。(後略)』と記させて頂きました。なお、今日から 師走であるという話をしました。すると、今回も その家政婦さんによりますと、時間がつのが 速いとのことでありました。それで、今回は、その話をしました。すると、その家政婦さんによりますと、『そんなこと』とのことであり 受け入れられない様子でありました。(後略)」と 記させて頂きました。すなわち、今回も その家政婦さんによりますと 時間がつのが 速いとのことでありましたので、上記の話を致しました。

 しかも、去る 4年前の11月15日(日)の「うなぎ蒲焼かばやき・782(小松菜・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段に、

「(前略)以前 この家政婦から 海外の話を聞かせて下さいと言われましたので、以前から 海外の話をしています。(後略)」と 記させて頂きました。なお、前述致しましたように その家政婦さんが 海外の話を聞きたいとのことでありましたので、以前から 海外の話をしています。ちなみに、去る 2月7日(水)の「シカゴ(イリノイ州)」のブログ去る 2月6日(火)の「Niagara Fallsナイアガラ・フォールズ(カナダのオンタリオ州)」のブログ そして 去る 9年前の1月20日(火)の「一枚の写真(ニュー・オーリンズ[ルイジアナ州])」のブログなどの内容を話しました。ついながら、米国は 広くて、グレート・プレーンズ(英語:Great Plains)とプレーリー(英語:Prairie)(日本語:広大な平野のこと)では 地平線まで  草原であったことを話しました。また、ロサンゼルス(英語: Los Angeles)(カリフォルニア州)から、ツーソン(Tucson、パパゴ語:Cuk Ṣon)(アリゾナ州)まで の間では、地平線のはるか遠くに 山脈を見ることが出来たと伝えました。

 そのうえ、毎回 その家政婦さんには、「気を付けて お帰り下さい。ちなみに、お身體からだを お大事にして下さい。なお、檀那さんに 宜敷よろししく お伝え下さい。それから、よい 週末を お過ごし下さい。」と伝えております。そして、今回も 伝えました。それから、いつものように 天気がいいので 買い物日和びよりであることも話しました。

 

 (再度 半角で 6万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)