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温暖化対策基本法案、閣議決定

 各紙、一斉に報じています。社説でも各紙取り上げられていて、注目の高さがうかがえます。

朝日:http://www.asahi.com/paper/editorial20100313.html?ref=any#Edit2

日経:http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20100312ASDK1200912032010.html

毎日:http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100313k0000m070134000c.html

読売:http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100312-OYT1T01288.htm


 みなさん、どう読まれたでしょうか。個人的には、日経新聞が一番前向きな社説だなあ、と思いました。以下、全く個人的見解です。偉そうに論評などしてみました。


朝日:原発の問題にこだわりすぎではないでしょうか。問題の本質はそこではないように思います。

日経:今回の法案の利点・問題点を併記し、かつ将来にわたる課題や解決案を提示した、実にバランスのとれた内容ではないかと思います。かつ、前向き。最後の「国際合意がないからといって、日本は低炭素化への挑戦を足踏みさせてはならない。 」という文には、諸手を挙げて賛成します。

毎日:日経と同等のいい記事のように思えます。きちんと評価すべき点は評価しているかな、と。

読売:ちょっとネガティブすぎ?あと、「日本が不利な削減義務を負った京都議定書」という主張はやや被害妄想感がありますし、「実質的な削減目標がはっきりしなければ、具体的な対策や、それに伴う国民負担などについての議論は進められまい」は、そんなことはなくて両者を並列して議論していくことはできる(というより並列して議論していくべき)と思います。とにかく、(短期的な)国益最優先という感じがしてならないです。


 まだ法案を詳しく読んだわけでもないですし。えらそうに論評するのはよくないかもしれませんが。直感的に思ったことでした。

 総合的には、私はこの法案、かなり評価できると考えています。

ジョン・フォン・ノイマン

さまようブログwikipedia より

ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann) 1903~1957、ハンガリー

コンピューターの気象学への応用


 20世紀前半は、天才的科学者の時代だったと思います。天才的科学者が綺羅星のごとく登場し、科学に無限の可能性があると思えた時代だったのではないか、と。中でも、相対論のアインシュタイン 、不完全性定理のゲーデル 、そしてこのノイマンが、20世紀を代表する偉大な知性なのではないかと思います。

 この中でも、現代社会に最も大きな影響を及ぼしているのがノイマンではないでしょうか。ノイマンはあらゆる分野で恐ろしいほどの才能を発揮しました。ゲーム理論 の確立・核兵器の開発・量子力学の発展・経済学と科学の融合など、業績は多岐に渡ります。性格も天才科学者らしいというか何と言うか、実に破天荒なものだったようです。詳しくはwikipedia などご覧ください。

 そんなノイマンの業績の中でも、現代社会に与えたインパクトが最も大きいのは、コンピューターの開発でしょう。現在私たちが使用しているコンピューターは、全て「ノイマン型コンピューター 」に分類されます。もちろん、実際にはコンピューター開発はノイマン一人の功績ではないのですが、それでも「ノイマン型」と言わしめるほどにノイマンの影響力が大きかったということなのでしょう。

そして、コンピューターを気象学に応用しようと考えたのもまたノイマンでした。


 世界最初の実用的コンピューターENIAC が開発されたのは、1946年です(ただし、世界最初のコンピューターの定義は難しいようです)。ノイマンはENIAC開発には直接関わってないようですが、話を聞いてたいへんな興味を持ったようです。そして、ENIAC開発者であるエッカートモークリー と共同で、数値予報の研究を始めました。しかし、ENIACの性能で気象のような複雑な事象を計算するのは、困難を極めたようです。

 
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ノイマンとENIAC。NOAA HP より



 1950年に、ついにアメリカ上空500hPa高度の数値予報に成功しました。ただし、1日後の予想のために24時間計算する必要があるというもので、当初は全く役に立たないものでした。

 しかし、気象学者たちはただちにその重要さを理解しました。世界各国が競い合うように数値予報を開始し、アメリカでは1955年、日本でも1959年に、数値予報が導入されました。その後のコンピューターの進歩に伴い、数値予報の精度と速度が格段に向上していることは言うまでもありません。

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-2.html

 

 現代の気象予報、そして気候変動予測は、コンピューターなしには考えられません。気象学・気候学に与えたインパクトは極めて大きいと言えるでしょう。

ところで

 (無謀だと分かってはいるのですが)研究者列伝シリーズを書いていますが、なんと「地球温暖化懐疑論者列伝」というページが存在していることが判明しました。

http://onkimo.blog95.fc2.com/

 「温暖化の気持ち」さんです。しかも、私の約1ヶ月前に開始されています。これは・・・。どう見ても私がマネしたようにしか見えないです(せめて「インスパイアされた」ということで)。本当に偶然なんです、すみません。まあ言い訳ですね。

 

 懐疑論者列伝、おもしろいです。こちらもぜひ。

メタンの噴出

 北極海、東シベリア沖の海底からメタンが大量に放出されているということが各所で報じられました。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100305002&expand&source=gnews

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2705979/5445772

http://www.newscientist.com/article/dn18614-methane-bubbling-out-of-arctic-ocean--but-is-it-new.html

DOI: 10.1126/science.1182221


 海底や永久凍土層には、生物の遺骸が分解して形成されたメタンが大量に埋蔵されています。メタンは二酸化炭素よりも約20倍強力な温室効果を持ち 、メタンの大気への放出は極めて「まずい事態」です。これが進むと、

 温暖化→永久凍土融解・海水温上昇→大気にメタン放出→温暖化→・・・

という、「正のフィードバック」が加速する可能性があるのです。気象庁はじめ多くの機関が大気中のメタン濃度を追跡調査しています。

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図1 気象庁発表 の大気中メタン濃度。全体として増加傾向にある。

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 メタンの最大の発生源と目されているのは、自然起源以外では、意外にも農業や牧畜。気象庁HP によると、牧畜から0.76~1.89億トン/年、稲作の水田から0.31~1.12億トン/年のメタンが放出されていると見積もられています(二酸化炭素に比べるとまだまだ不確かさが大きい)。ですので、牛のげっぷを抑制する研究が大真面目に行われています。
http://www.asahi.com/special/070110/TKY200803240407.html


 さて、永久凍土層はともかく深海の水温がそれほど早く上昇することは考えにくく、海底に蓄えられたメタンハイドレート が解放される可能性は当面は低いだろう、と思っていました。

 しかし、東シベリア沖北極海の海底から、メタンが大気に大量に放出されていることが分かったのです。これが、昔から起きていた出来事なのか、最近になって起きていることなのか、まだ分かっていないようですが、「まずい事態」である可能性はあります。

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図2:ソナーが捉えた海底からメタンが立ち上っている様子。new scientist記事 より。ただし、この図は今回報告にあった東シベリアではなくスバールバル諸島沖海底の様子。見やすいので引用。

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 さて、今から約5,500万年前、PETM (Paleocene-Eocene Thermal Maximum、暁新世-始新世高温極大期)というイベントがありました。短期間に世界平均気温は6℃上昇したと見積もられていて、特に北極では気温上昇が著しく、平均気温は20℃近くに達していたと推測されています。

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図3:過去6,500万年の気温変化。5,500万年前に突如気温が上昇するPETMと呼ばれるイベントが発生している。ただでさえ高温期だった新生代初期においてもその高温は際立つ。

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 この原因の一つとして考えられているのがメタンです。先に書いた、

温暖化→永久凍土融解・海水温上昇→大気にメタン放出→温暖化→・・・

 が現実に起こったのではないか?と考えられています。(※メタンなど温室効果ガスだけでは説明がつかないとする報告も多数あるようで、「メタンが一因だが原因の全てではない」というのがもっともらしい説明ではないかと思います)

 また、地球史上おそらく最大の大量絶滅イベントとされるP-T境界の大量絶滅 (今から約2.5億年前。全生物の95%が絶滅したとされる)にもメタン放出による正のフィードバックが関与している可能性が指摘されています。


 もちろん当時と今は状況が全く違い、近いうち(数十年程度の間)に同じ現象が起きるか?と言われたら、可能性は低いのではないかと思います。ですがこのシナリオはまさに悪夢です。注意深く観測を続けていく必要があります。また、正のフィードバック加速の「引き金」になる気温上昇も、抑制していく必要がやはりあるのでしょう。

ミルティン・ミランコビッチ②


さまようブログencyclopedia of earth より
 


 前回の記事 で示したグラフは極めて単純化したもの(というか、考え方を示しただけのもの)で、実際にミランコビッチが示したのは以下のような図でした。

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図1:北緯65°の地点が夏に受ける日射強度を示したもの。この当時は過去の気温など分かっていなかったことに留意。

 縦軸は、現在の北緯何度に相当する日射があったかを示す。例えば今から23万年前(リス氷期初期)では、北緯65°では北緯77°に相当する日射しか受けていなかったことになる。4度あった氷期には、確かに北緯65°付近の日射が少ない時が多いことが分かる。Encyclopedia of Earth より。

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 前回書いた通り、ミランコビッチ本人も、ミランコビッチの理論も、苦難の道を歩みました。

 ミランコビッチはセルビア生まれですが、当時のセルビアはオスマン帝国からの独立をめぐり、オーストリアやロシアも巻き込んだ極めて困難な情勢下にありました。1878年、セルビアは一応の独立を勝ち取りますが、独立後も内紛や対外戦争(バルカン戦争など)が続き、さらには第一次世界大戦へと突入していきます。

 ミランコビッチも影響はまぬがれえず、投獄されハンガリーに送られたり、軍の仕事をさせられたりしています。さらにはナチスドイツによる占領も経験し、激動の人生だったと言えるでしょう。

 また、ミランコビッチの「理論」も、たやすくは受け入れられませんでした。

 現在、過去の気温変化はかなり正確にかつ長期にわたり理解されています。しかし、当時はまだまったくと言っていいほど過去の気温は分かっていませんでした。氷期が過去に4回あったことは分かっていましたが、その年代はよく分かっていなかったのです。

 後年、限られた情報から過去の氷期の時期が推定されました。しかし、推定された氷期の時期と、ミランコビッチの計算した北半球高緯度地域への日射の減少期は、一致しなかったのです。また、太陽入射の変動はあったとしても、気候の変動をもたらすほどの差ではない、という意見が大勢を占めていました。

 ミランコビッチ・サイクルは、否定されたわけではありませんが非主流のアイデアとして扱われました。ミランコビッチはナチス占領を境に学問の世界から身を引き、自説を強く主張するようなこともしませんでした。自身のやるべきことはやった、と考えていたようです。ミランコビッチの晩年は静かで穏やかなものだったようです。

 1955年、新たな方法により過去の気温を正確に再現する方法が開発されました。その方法によると、ミランコビッチの予測したサイクルと過去の氷期のサイクルは一致していたことが明らかになったのです(ただし即座に受け入れられたわけではありません、まだ議論の余地の多いものでした)。

 すでに最晩年を迎えていたミランコビッチは、この論文を読んでいたようです。ミランコビッチがそれを読んで何を思ったかは分かりません。死の直前に自説が正しい可能性が高い、と認められるのはどんな気持ちなのでしょうか。

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図2:現在のミランコビッチ・サイクル。上から順に、歳差(約2万年周期)地軸の傾き(約4万年周期)離心率の変化(約10万年周期)3要素の合計(北緯65°への入射強度)・実際の気温変動を示す。

 3要素の合計グラフと実際の気温変動は相関がある。ただし単純な相関関係ではない。この3要素以外にも多数の要素がかかわってくるためである。3要素以外の要素についてはいずれ。

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