少数民族 エスニックの店 TSUNAMI日記  -12ページ目

TSUNAMI  ORIGINAL クライミングポーチ

TSUNAMIORIGINAL LAOS刺繍クライミングポーチ 再入荷!!


前回、ご好況頂いたクライミングポーチがバージョンアップして帰ってまいりました。オリジナルらしくちゃんとタグも付いてます!

TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

朝、犬の鳴き声と表の通りをほうきで掃く音で目が覚めた。

例の如く、「あれ!?ここどこだ?」状態で一瞬血の気が下がった。

昨日の夜は、やっと長時間に及ぶバスから解放されトランス状態になり
同乗していた、フランス人カップルと一緒に俺の常宿に転がり込んで祝杯をあげ
そのまま、気絶したらしい....

バンコクから陸路で、ここ世界遺産の街に一気に北上するのは、やっぱりとてつもなく長すぎるが、
なんだか街を見渡しても、昔の様な旅の終着点的な感じは無くなってきている感じがする。
道は綺麗に整備され、コンビニこそないが誰でも来られる観光地に変わってしまった。

だが、そんな事で浸ってる場合ではなかった。早速、今日から車をチャーターし周辺の少数民族の村へ
行かなければいけない。とにかく、朝飯食ってレッツラゴーだ!

通りに出てみると、客待ちをしているタクシーの運ちゃんたちが、朝から暇そうにゴロゴロしていた。
次から次へと声をかけられるが、ここが一番大事な所で、なるたけ誠実そうな運転手を探さなければならない。なんてたって、今日一日一緒に行動を共にするからだ。

その中に、かなり気配が怪しげな運ちゃんが声をかけて来た。何のヘンテツも無い、小柄なおじさんだが、何故だか気になり話をしてみる事に。


料金は他の人よりちょいと高いが、何よりもこっちが言っている村を把握してるのが安心なので、この運ちゃんに決定!すぐさまシートがビリビリに破れた助手席に乗り込み、ここから片道約2時間のヤオ族の村へ。

アスファルトの道を1時間ひた走り、そこから凸凹の林道を1時間登っていき、いきなり山の中で車は止まった。ここからは山道を歩いて行く。運ちゃんはここで待っていると言ってるので、ちゃんと待つように念を押し、一人で歩いて行く事に。

どこからか犬の鳴き声が聞こえ、焚き火の臭いがしてきた。やっと村に着いたようだ。



村に入って行くと、子供達が大勢寄って来た。ここで俺はピエロの様に振る舞い、とにかく笑いをとる事に専念する。そうする事で大人達の目から警戒心が少しづつ薄れていくのだ。馬鹿なにーちゃん来ちゃったな~と思ってくれればそれでいい。

そんなこんなで大変良い仕入れも出来たし、本当はここで一泊しようと思ったが、下で運ちゃんが待ってるのを思い出した。仕方がないので、今日の所は後ろ髪を引かれながら帰る事にしたが、また絶対に来ようと思う。



ちなみに、今回仕入れたヤオ族パンツの刺繍には一つ一つ意味があり、ヤオ族の想いが一針一針縫いつけられてます。自分もまだまだ全部は理解出来ていませんが、ただ単に右から左に物を動かすのではなく、社会の隅っこの方で立派に生きている少数民族の想いも一緒に、皆さまの手元に届けられたらこれ幸いと思います。

TSUNAMI ORIGINAL

久しぶりに商品紹介します~!

はるばるメコン河を越えてもって来た

LAOSのシン(庶民に愛されてる刺繍スカート)の生地を使って

TSUNAMIではハーフパンツにリメイクしております。

シンの生地は、とても涼しく軽くて丈夫、色落ちも一切致しません!

鹿ちゃん刺繍ハーフパンツ


トウモロコシ刺繍ハーフパンツ


これなどグアテマラっぽくないですか?標高が高いと似てくるのでしょうか?不思議です~。ほとんどの物が少量づつなのでお早めに~!


こちらはレディースパンツ。裾に施されてるギザギザの刺繍の意味は、神話でメコン河を作ったとされる大蛇、「ナーガ」




仕入れて運んで時間を掛けて製作した、TSUNAMI完全ORIGINAL
日本中探してもここしかありませんよ!!


通販も受け付けております!よろしくどーぞ!


TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

定刻より30分遅れてバスは出発。乗客は俺とおフランス人カップル意外、ラオス人とモン族が殆どだった。毎度の事だが、外国人が今だに珍しいのだろうか、とにかく皆俺をジーっと見つめてくる。そして、視線を感じ笑顔を送っても、プイッとそっぽを向くのである。バスに乗ってる間はこれの繰り返しで、かなりシャイな人達だが、いい加減そろそろ見慣れてくれ~!

どの位走ったか定かではないが、日が傾き始めた頃、ある村でいきなりバスが停車した。その村を目にした途端、俺はびっくりした。なんせ、村の入り口から出口までの約300メートル位はあるだろうか、全てが
魚の干物屋なのだ。しかも、海の無いラオス、店先には運動会の万国旗の様に干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物、干物.........干物だらけの運動大会である。

いったい誰がこんなに干物ばっか食うんだー!?と、思っていると、皆さんこぞってバスから降りて干物を買いだしている。


俺も負けじとバスから降り、物色をする事に。愛想の良いおばちゃんに早速試食を勧められたが、なんだかおばあちゃんのかかとの味がした.....




そして、バスは山を越え、谷を越え.....


ようやく、現地に到着したのは夜中の一時過ぎ。珍しく一回も故障無しで着いた。こんな事は初めてかも知れない。

多分、普段の行いが良いのだろう。今回の旅はきっと何事もなく、スムーズに行くに違いない!と、その時思いっきりたかをくくっていた。この後の事も知らずに.....

つづく

TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

ラオスの入国手続きを終え、何のヘンテツもない駅の外へ出てみると、4~5人のタクシーのおじさん達が近寄ってきた。辺りを見渡してみるが、トゥクトゥクは全然見当たらず、どうやらビエンチャン市街地に行くにはこの人達のタクシーしか無い様だ。ここから市街地までどの位離れているのか、皆目見当もつかない。

値段交渉に入る事に。

と、いきなり全員が一人500バーツ(約1400円)と吹っかけてきやがった!

「ふざけるな!だめだめ!」

ネバって交渉するがなかなか下がらない。なんせ他に競争相手がいないもんだから、完全に足元をみているのだ。ようやくこれで誰もここを使わない訳がわかった。

仕方なく、距離もわかっていないが俺は歩いて行く事に決めた。値段どうこうではなく、とにかくこいつらの根性が気に食わないのだ!幽霊学生もついて来ると言っている。見渡す限り山しかないが、まーどうにかなるだろう!


歩きだして30分、早くも俺は後悔していた。全くといっていいほど、車一台通る気配も無く、かといって今さら戻ってぼったくりタクシーの運ちゃん達に「やっぱり乗せて」なんて口が裂けても言いたくない。

どうするか迷っていると、一台のバンがこっちへ向かってくるではあーりませんか!正に天の助け!すぐさま親指を突き上げ車に止まってもらった。

よく見ると、さっきのタクシーの運ちゃん達の一人だ。200でいいと言っている。どうやら、仲間の手前勝手に値段を下げる事はできなかったらしい。すぐさま乗り込み、タラートサオまで行ってもらうことにした。



走る事1時間半、タラートサオまでは意外と遠い道のりだった。歩いたら3~4時間はかかったはずだろう。それを考えたら500バーツも決して高くはないかもしれない。

ここで幽霊学生とはお別れ。タラートサオで少し仕入れをし、午後3時のバスで世界遺産の街へ行く事に。
道のりは10時間の到着は午前1時予定。ハァ~早くふかふかのベットで眠りたい!






TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

LAOSとの国境の町、ノンカーイの駅に列車がすべりこんだのは朝の8:30。


ここから、いつも通りトゥクトゥクを使って友好橋をわたりLAOSに入国しようと思ったが、ふとホームにある立て看板に、ここからインターナショナルトレインでビエンチャンまでいけますよ~的な事が書いてある。出発時刻を見ると9:30なので、今回はこれを使うことにしたが、殆どの人がこの電車を使わず、トゥクトゥクに乗って行ってしまった。

野良犬や鶏しかいない駅にポツーンと一人ぼっちになってしまい、なんだかいきなり不安になってきた。何故に誰もこれを使わないのか?ビエンチャンまでダイレクトに行けるし、料金だって絶対こっちの方が安いはずだ。何か面倒臭い事が待ち受けているのかも知れないが、たまには自分を信じてみる事にした。


インターナショナルトレインという割には、昔の日本の田舎にも走っていた、ローカル線の様な2両編成のディーゼル車が駅構内に入ってきた。なんだか懐かしい~!


正に、999のメーテルと鉄郎が座ってる様な直角の椅子。ここからビエンチャンのタナレン駅まで15分。メコン川を越え、いざLAOSへ


やって来ました、タナレン駅。この駅は最近出来たみたいで、周りにはなんの生活臭もなく、死にたくなる位殺風景だった。


この駅にラオス側のイミグレーションがあり、入国カードを記載していると、突然背後から「あの~すいません」と、日本語が聞こえてきた。

びっくりして振り返ると、色が真っ白な日本人の青年だった。「こ、ここ何て書いたらいいんですかね?」妙におどおどしながら入国カードの書き方を俺に聴いて来たのだが、同じ列車に乗っていたのにも係わらず、今の今までその気配に全く気が付かずに、ふいに背後をとられた事にむしろショックをうけた。俺がゴルゴだったら失業だな.....

話をしてみると、3日前に京都から出て来たばっかりの大学生で、ラオスはおろか海外も初めてらしく、緊張しているのだろうか、絶対に俺と目を合わせようとしない。この先、大丈夫だろうかこの子は?

とにかく、今この殺風景なタナレン駅にいるのは、幽霊の様な草食系にーちゃんと、南方からの帰還兵の様な肉食ちょんまげオヤジの日本人二人組。駅の職員とイミグレーションオフィスを掛け持ちしているラオスのおっさん3人だけだった。

そして、何故この駅を他のツーリスト達が使わないのかも、この後だんだん判って来た。

                                         つづく

TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

4日目

 目を覚まし、携帯の時計を見ると既に時間は昼近くになっていた。一瞬びっくりしたが、今日はゆっくりでいいのだと自分に言い聞かせ、ほっと胸をなでおろした。

何故かと言うと、夕方からお隣の国LAOSへ移動するからだ。

色々迷った結果、LAOSへは夜に出て朝に着く寝台列車で行く事にした。

それまでの間、久々に空き時間ができたので、ゆっくり周辺を散歩する事に。

改めて周りを良く見ると、ついこの間まで白熱していた、デモの爪痕があっちこっちに残っている。壁に描かれた落書きかと思いきや、良く見ると↑を見ろと書かれている。


その↑の先には銃痕が・・・


他にもまだまだ、たくさんの銃痕があった。因みにこの場所は、カオサンの入り口、バーガーキングのすぐ横の脇道で、日本人報道カメラマンもここでお亡くなりになった場所らしい。と、写真を撮っていたら、どこからともなくやって来たおっさんが、そう俺に説明し始めた。撃ったのはREDだとも・・・う~ん!?鵜呑みにしちゃっていいのか、正直わからない所である・・・つーか、あんた誰なんだ!?政府の廻し者か?最後におっさん、「日本人を巻き込んでしまったのは、すまないと思っている・・・」と言って去って行った。まるで、24のジャックバウアーの様だった。




 
 時間よりも、ちょっと早くファランポーン駅に着いてしまった。やる事もないので、出発前の腹ごしらえをする事に。当分タイ飯ともお別れなので、一番好きなカオマンガイ(鳥蒸しご飯)をチョイス!これのTシャツを着てもいい位大好きだぁぁ!!!


いつの間にか日が暮れてきて、いきなり幻想的になるファランポーンの駅前。なんだか街全体が、昼間の罪を帳消しにしてくれる位、哀愁漂う夕日だった。


気分が盛り上がって来た所で、いざ出発!約11時間列車に揺られ、国境のノンカーイに着くのは明日の朝。ゴダイゴの999のテーマが聴きたくなった。




TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

バンコク最大のマーケット、チャクトゥチャッマーケットはデモの影響か、いつもより人が少なく感じた。ま、その方が俺的には仕事がしやすいが、迷路の様な狭いソイ(路地)の中に入ると蒸し風呂状態で、全身から水分がみるみるうちに外へ放出され、脳みそがダリの絵の様にタラ~ンと垂れ下がり、思考が停止してしまいがちになってくる。

さらに、その狭いソイに果物の屋台や大きな籠を担いだソムタム(パパイヤサラダ)売りのおばちゃん達、
ボロ雑巾の様な両足の無い、ほふく前進をしている物乞い等が行く手を阻み、なかなか思うように前に進めず、今にも泣きだすといきなり強くなる小学生の様に発狂しそうになる。

どこからともなく、魚市場の競りの様なかん高い声が聞こえてきた。なんだか気になり、声のする方へ近づいて行ってみると、かなり香ばしいおじさんが拡声器でけだるそ~に何かをタイ語で叫んでいた。


俺はその人を見た瞬間かなりの衝撃を受けた。少し離れた所からしばらく様子を眺めていたが、惑星に隕石が落ちて出来たクレーターの様に、おじさんを中心に人の輪が出来上がっている。おじさんはこの店舗の店主らしいが、見事に商品よりも目立ってしまっていて、誰も寄りつこうとしていない。

俺はどうしても気になり、話しかけてみる事にした。

挨拶をしても返事は返ってくるが、目がこっちを向いていない。困惑していると、近くにいた悪人面の男(俺もだが)が寄って来て「彼はまったく目が見えないんだ」と教えてくれた。

「え?じゃあ 誰がこの刺青や髪の毛を立ててんの?」

悪人面は、得意げに親指を自分の胸に押し当て「自分だ!」と言っている。

おじさんは、自分のこの姿を見た事がないらしい.... 全てこの悪人面がコーディネートをしているみたいだが、悪人面の言う事には、彼はバンコクでは有名な伝説のパンクロッカーだと言っていた。何が伝説かは知らないが、どこかで聞いた事があった。カオサンの盲目のPUNKS.....

それを聞いて俺は何故かほっとした。

俺はてっきりこの悪人面がそこら辺のおっさんを連れて来て、見世物にしてるんじゃないかと一瞬疑ってしまったからだ。

しばらくこのおじさんと話をしたが、まるでピッコロ星の最長老様のように物腰が柔らかく、人格者で皆に愛されてるのがわかった。

そして、この先にハードコアの店ができたと最長老様に教えてもらったので、早速行ってみる事に。

その店に辿り着くと、店主は前々からちょくちょく顔を会わしている奴だった。彼の名前はクロコダイル。
THE ALLDITYという、バンコクハードコアパンクのボーカリストだ。


こんなTシャツまで。多分オフィシャルです。


10年位前まで、バンコクでPUNKSを見かけることはほとんど無かった。
今やバンコク内にはすでに20~30のPUNKBANDがあるらしい。クロコダイル達といつか近い将来、バンコクでLIVEをやろうと、指が引きちぎれる位かたい握手を交わした。この瞬間、俺達の間には国籍なんぞ関係なかった。あえて言うならばPUNK族だ! Punk Tribeだー!ぶんちゃーん!!

TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

6月4日

 翌日目を覚ますと、またもや「あれ?ここどこだ?」ってな具合で、昨夜もいつ寝たのかも覚えていない。どうしちまったんだろう?俺の脳みそは。

コーヒーを煎れ、朝一の煙草を吸いながらしばらく考えた後、ちょっと心配になり九九を一の段から九の段まで目を閉じながら声を出して言ってみた。

八の段が微妙だが、なんとかクリアーしているだろう....

と、その時、後ろで気配が感じたので振り返ると、ブンが神妙な面持ちでそこに立っていた。

「今のは何なんだ?日本のお経か?」

俺は、英語でどう説明していいか判らず、面倒臭かったので

「イエス!ジャパニーズブッティストは、毎日欠かさずこれを唱えるんだ!」と、言ってみた所

へぇ~~!と、2年間出家経験のあるブンは、興味深そうに俺の話を真に受けてしまっている。

冗談のつもりだったが、また俺は罪を一つ増やしてしまった。ごめんちゃい。


 さて、今日から本格的に仕入れを始めなくてはならない。
いつも仕入れ先にはバスやタクシーを使い、約1時間掛けて向かっていたが、渋滞にハマると厄介なので、たまにはちょっと違うルートで行ってみる事にした。

バンコクの交通手段は驚くほど沢山の種類があり、それを色々組み合わせる事で、時間を大幅に短縮できるという事に今さら気付いた。まずは船とBTS(モノレール)を使ってみる事に。

宿から船着き場まで歩いて5分。そこから小汚い川を10分間船に揺られ、MBK近くの船着き場でBTSに乗り換えて、目的の駅まで約10分。全部で30分かからず到着してしまった。自分的には新たな発見だったが、今までの時間を返して欲しかった。バンコクに!まだまだ奥が深いな~

もう一つ新たな発見があった。
駅から目的地まで見知らぬ道を歩いていると、いつの間にか骨董品が並んでいる地区に入っていた。ブッタの置物や古いドアノブ。誰が買うんだ?錆びついたアイロン&レンズの無いカメラ。等が所狭しと並んでいる。そして、突然俺の目に飛び込んで来た物に、俺の足はぴたりと止まってしまった。




何故?こんな物がこんな所にあるんだ?最初は信じられなかったが、鞘から刀を抜くと更に刻印が。俺は鳥肌が立った!


昭和15年と刻印されてる。偽物だとしても、タイ人が天皇という漢字を読めると思えないし、意味も知らないと思われ、わざわざ偽物を作ってそれを売るとも考えにくい。もし、日本人観光客に売りつけるつもりならば、こんな観光地でもない場所に置いとく訳がない。

店のおやじに訊いてみた所、おやじの知人が借金の返済に困り、これを持って来たと言っていた。値段を尋ねると2本で10000バーツだが、8000バーツ(22400円)でいいと言っている。正直言ってかなり欲しい!!これは大戦中旧日本軍が、大陸へ進出した時において行った物に違いない。しかし、いきなりこんなの買ってしまったら、かーちゃんにこっぴどく怒られる事間違いなし!!

仕方なしに諦める事にしたが、その二本の刀が「日本に帰らせてくれ!」と言っている様で、後ろ髪を引かれながら俺はその場を後にした。どなたか余裕ある方、日本の魂を連れ戻す気はありませんか?














TSUNAMI 10 アジア仕入れの旅

6月3日

 あまりの暑さで強制的に目が覚めたが、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。そうだ、俺はタイに来たんだった。しかも、昨晩はいつ寝たのかも覚えてない。まだ何もしていないのに既に疲れているのか、
体が物凄ーくだるかった。LIVEの疲れが今頃きている感じだ。年だな~!

くそ熱い部屋から飛び出して、皆が集まるゆんたく場所へ行くと、これまた懐かしい面々が。スイス在住インド人のグル、スペイン在住バスク人のトニー、オーストラリア在住フランス人のマーク。皆共に会うのは2~3年ぶりで、朝っぱらからむさ苦しい男共が、抱き合いながら再会を喜こんでくれた。

このゲストハウスに集まる連中は、ほとんどが物作りの職人か業者(バイヤー)で普通の旅行者はあまり見かけない。なので、会話も自然とマニアックな話題になってくる。特にトニーは、沖縄の米軍基地問題に関心があるらしく、普通の日本人よりも詳しいのでびっくりした。


 そして、これからの旅の下準備の為、まず両替をしに行き、それからTSUNAMIのタグを作りに行って、その足で船を使いエカマイまで行き、知人が最近バンコクで出店した
アジアンダイニングレストラン&バー うら庭へ食事をしに。




少し早かったせいか、あいにくお店はまだ開店前だったが、敷地に入るとかなり広く、中央に一本通路があり、その両サイドには人工の川が流れていてかなり涼しげだ。しかもその川のすぐ隣で、食事が出来ると言う優れ物。もし許されるのだったら、今すぐにでも素っ裸になりその川に絶叫しながら飛び込みたくなった。正に都会のオアシスだ。バンコクでこんな所は他に無いと思う。


久しぶりにオーナーのヒロさんと再会し、一緒に食事をする事に。

次から次へと出てくる料理。とにかく何を食べてもおいしかったが、その中でも特においしかったのは、
豚ロースグリル焼きとヤムウンセン(春雨サラダ)は絶品だった!!!う~また食べたくなって来た~!

スタッフ達も皆気持ちの良い人ばかりで、こんな小汚い日本人を快く迎えてくれた。特にタイ人スタッフの教育が、こんなタイ人見た事ない!って位行き届いていたのが印象的だった。

今思えば、この時の食事がこの旅で一番最高で高級な食事だった。そう、俺の運は既に2日目で使い果たしてしまったのだった。が、その時の腹パン大満足の俺は、そんな事は一ミリも思いもしなかった。