の続編というか伝えたいこと



悩めるトランスジェンダーの罠


悩み深いトランスジェンダーさんに多い事。


辛すぎて辛すぎてネガティブなことを沢山書く。

フォロワーや友達が減る

嘆く、気に病む、認められないと自信をなくす


そこ構図に私はずっと問題意識を持っています。

ブログに限らない、リアルでもそう。

悩めるトランスジェンダー当事者は

そういう悩める自分の苦しみ

理解してもらうことが

自分自身への理解だと

勘違いしています。


はっきりいいます

それ、誰も理解しません。

何度も言います

絶対に

理解されません。



有限な「優しさ」という資源


愚痴は沢山書いてもいいと思います。

しかし、多くの人は

望んでいないのが真実です。


みんなも自分なりの苦しみを抱えながら

必死に生きています

困ってる人に寄り添ってもあげたい。

生きる中のわずかな余裕を分けてくれています。


しかし、それが自分たちには

助けられないと理解すると去ります


極論、目の前で車に轢かれる事がわかっている人を、

助けもできないところからまじまじと見ていることは

誰だってまともな人ならできません。


自分自身心を病んでしまうんです。

どこかで目を背けるんです。逃げるしかないんです。

僅かな余裕をストレス源に

向けたくないもん。


それは当事者のあなた自身を

認めてないわけではない

認めてあげたいし幸せになってほしいけど、

支えたい人のキャパを超えてるんだ。


それなのに当事者はさらに傷を深める

支援者も心に傷を負う

支援者の中にはあの人は頭がおかしいから…と

負のレッテルを貼ることで

ストレスを回避する人もいるだろう。



理解してほしい。

支援する人の優しさは無限ではない

ものをもらってないから無限なのではない。

ストレスフルな社会でみんな生きていて、

その余裕を少しでも役立てたいという善意だ。

性同一性障害のニュースや特集を読んで

感動して力になりたいと願っている優しい人たちだ。


その感動話を提供し続けていれば

次から次に支援者が現れる。

そして優しさを使い切って去られる



「可哀想な私」→「未来の私」


その構図は当事者が常に悲しい存在じゃなきゃいけない。

悲しい存在から脱却しなくてもいい。

可哀想な存在の私

理解してほしい。


いやいや、待ってほしい。

「可哀想な存在の私」という時点で

理解してほしい「私」というのは

常に可哀想な存在

になってはいないだろうか。


私は常に未来を描け、実現に向けて行動しろ、

みんなの優しさに謙虚でいろと書く。

その理由は多くの人にこの時点で

理解してもらえるのではないかと思う。


私がいい友達に恵まれていたのは事実

でも、この負のスパイラルに気づくまでは

たくさんの友達に逃げられた

人の優しさは限りがあることを知った。


そんな優しさに感謝すべきだし、

その優しさを頼りに生きていてもだめ

真に目指すところは「私自身の幸せ」ではないか。

それを「未来の私」として

進む必要がある。


「可哀想な私」のに籠もっているうちは

進む「道」も「可哀想な道」になってしまう。


私の主張の目的


優しさの自転車操業ではだめだ。

少しでも軌道に乗せる必要がある。

当事者を軌道に乗せることこそ

支援者に求められるスキルだと私は考える。


このブログは当事者への喚起と

支援者へのアドバイスの為に発信しています。

当事者を傷つける為に書いているわけではない。

支援者の思いやりを否定するために書いているわけでもない。

私が恵まれていると自慢するためでもない。


私も陥った罠が何故恐ろしいのか。

それにはまっている皆さんを

私一人では助けられない

支援者の優しさを

どれだけ効率的に使うのか。

本人の苦しみに耐える力を、

前に進む力に換えるのか。

 

だからここをただの感動提供の場にはしたくない

当事者と支援者に向けられた教本だと思っています。

だから内容が難しいです。

トランスジェンダー向けの話は重すぎると思います。

でも、その構図を変えない限り

悩める当事者は絶対に幸せになれません。



変わらなければ…


恐らく食いぶちも失い、友も失い、

ひっそり闇の中で死にます。

薬に侵され、精神を失い、死にます。


さらに言えば、若いうちは助けてもらえる。

でも、そんなおじさんやおばさんには

社会は無関心になります。

イタイだけと全く見なくなります。


子どもたちの悩みに関心があるのも

可能性の塊だから。

周りが助けなきゃ生きられない存在だから。


青年期に支えるのも未来があるから。

輝く時期に輝けない人たちの

輝きを取り戻して欲しいから。


おじさんおばさんでも輝いてほしい…

けど、みんなそこまで輝いてないしね。

てか、何でそこまで何もできなかったの?

頑張ったところで未来そんなにないし


最後のおじさんおばさんは極端だけど

現実ってこれに近いと思う。

でも綺麗事ばかり言ってられない


そんな現実を見たときに、

どうやって軌道に乗せるのかは切実な問題。

軌道に乗せられてる人も沢山いる。

みんな本当に輝いてるし素敵。


私も病んでる当事者に引っ張られるのがいやで、

当事者との関係をしばらく断ってた。

見たら助けたい、けど助けられない、

だから辛くなって、一緒に病む。

そうなるのが見えてたから。


私の道


今、当事者に向けて発信してるのは私なりの覚悟。

難しい話だろうし、一見すると当事者により沿ってない。

だからバズるとも思ってないし、

バズって生活脅かされたくもない。


けど一緒に考えてほしい。

あなたが生きるための「道」を。

「私」になれる方法を。



さらには、先端をひっそり生きるサバイバーとして、

脚光を浴びるわけでもない普通の幸せを手に入れた者として

普通に生きるってどういうことなのか

私の生活からも垣間見てほしい。


性同一性障害の自分ではなく、

ただの自分がどうなのかを、

まずは自分自身が認めていってほしい。

その自分が認められる人になって

初めて承認欲求が真に満たされると思う。


当事者にとって「私」という存在の認識は

そのまま「道」になってしまう。

今の自分を認められるより

未来の自分を描いて、認めてもらえるようにしなきゃ


自分も幸せになれない。

誰からも認められない。

誰も過去のあなたと付き合いたいわけじゃない。

あなたにとっとも辛い過去なら重荷。


私にとっても書いたとおりつらい過去はつらい過去。

でも、それを笑えるのは今が幸せだから。

一日一日を一歩ずつ幸せに向けて進むこと。

何度も逆戻りしたけど、それでも諦めずに

「私」に向かって「道」をすすんできた。


苦しみの多いトランスジェンダーだからこそ


その結果、過去は過去になった。

もう弱者じゃない。

こんな私も昔は精神系の薬を山のように飲んでました。

一日で十数錠飲んでました。

薬でお腹いっぱいとか笑えるくらい。

だからこそ伝えたいんです。


私達は悩み、苦しみ、ストレスの多いこと

ホルモンの副作用で死ぬまで冷静にいられない


そんな私達だからこそ

ストレスマネジメントは重要です。

そして、問題解決のための方法論は重要です。

優しさを沢山分けてもらってるのにワガママはだめです。


その為に書いたのがこの記事。



これを踏まえて実践して欲しい。

未来を描くこと、

謙虚でいること、

この2つはその為の指針です。


騙されたと思って実践して欲しいです。

お願いします。

みなさんに早く幸せになってほしい。

その息することも苦しい時代を終わらせてほしい。

心からのお願いです。

少しでも闇から這い上がれる人を増やしたいんです。




続きのような




だいぶん前に行われた子どもたちの中学の合唱祭。

PTAとしてもいろいろお手伝いさせて頂いてたんだけど、

子どもたちのところだけ抜けさせてもらえるよう

みんなに聞いてたらみんな快く代わってくれたのに…

だから子どもたちのクラスは全部見れるはずだったのに…


朝から下の子のトラブルで下の子の合唱に間に合わなかった。

その日はむっちゃスネてました真顔真顔真顔真顔真顔真顔




それで公式のDVDが届くの待ってたんだけどさ




下の子、発達障害あるけどグレーに近いけど

みんなには何とか可愛がってもらってて

何を間違えてかパートリーダー

をしてたんだよね。


でも、あの子歌ちょー下手だけど、大丈夫?

音痴だし、リズム感ないし、声だけでかいし…

ずーっと心配してた。

練習すれば少しはマシになるかな?

ガンバレー!ウインク


という思いで見守り続けた準備の2ヶ月


でも本人は楽しそうに練習してきて

何とかなってるのかな…ってちょっと胸を撫で下ろしてた



当日も頑張れたというから、

私はちょっとスネながらも褒めてあげてた





んでね、


今日DVDが届いてたからフライングして

早速一人鑑賞会してるんだけど…


下の子のクラス、面白いくらい下手びっくり

群抜いて酷いwww

特にうちの子のパート酷いwww


やらせるんじゃなかったかなぁ…


まぁ…来年からはパートリーダーしたくても

みんなに拒否されるだろうけどさ。


でも、一生懸命歌ってる姿を見ると

やっぱり嬉しいね照れ


下手でもみんなに愛されながらやり遂げて

本人の中では楽しい思い出になったようです。


音楽はうまいに越したことはないんだろうけど、

楽しくできることこそ本懐だよね。


ママの子ども時代の合唱祭のVHSを見せてあげたいけど

一曲はイケメン男の子がピアノ伴奏して、

もう一曲はちょ~重低音のバスパートを引っ張って、

そんな映像見せられるわけ無いですwww



合唱観てると昔のようにみんなと歌いたいなぁって思う。

やっぱり音楽って良いよね照れ照れ照れ照れ幸せラブラブ

ストレスマネジメント


ストレスコーピングという言葉をご存知だろうか。


原因〜認知〜反応


の過程で出来事がストレスになるまでを分けて考え

どのように対処するのか考える方法論。


性同一性障害や性別違和の私達が

弱者という立場に居続ける理由も

諸々解決して幸せになる為の方法も

方法論で解決策が見つかるかもしれない。


というか、私自身がストレスにやられたのも

ストレスを乗り越え社会に適応できたのも

後になってわかったけどこのストレスコーピングの

テクニックと同根の思考に切り替えたから。


精神不安定に陥りやすいホルモン療法や

制度的不自由からストレスを感じ易い

トランスジェンダーのストレスマネジメントとして。


いや、性同一性障害や性別違和に限らず

社会で生活するために全ての人が利用したい

方法論だと思う。


悩める人たちは是非考えてほしい。

正式な心理学的解説は巷に溢れているので

そちらを見てもらうとして、


あえて私の目線でストレスコーピングをまとめてみる。



ストレス発生〜解消


ストレス反応の発生には三段階ある。

そして、ストレス解消の行為が続く。


①ストレス源となる出来事が発生する

②不都合だと認知する

③ストレスに感じる


出来事が起こるだけではストレスはない。

自分のこととして認知し、更にそれが有害だと認知して

初めてその害に警戒するストレスを覚える。

結果としてストレスを解消したいと行動に移す。


多くの人はこんな対応をするんじゃないだろうか。


信頼できる人に愚痴る。

気晴らしに好きなことをする。

泣きわめく。怒る。

酒を飲む。


これは全て③へのアプローチ。他にも


クレームをつける


というアプローチもあるだろう。

これは原因となる出来事を自分好みに変えようとする

①へのアプローチ。


しかし、これらの対応は周りから見ていてどう見えるだろうか。

はっきり言う。面倒くさい人だよね。

でも、ここが日本人のいいところ。

みんなそんな困ってる人に最初はとても優しい。

そう、私もそういう優しい人に支えられ今がある。

しかし、ずっと変わらず続いていたら

本当に面倒くさい人になってしまう。


だからこそこれらのストレス解消法は

他人に対してそう長くは見せられないストレス解消法なのだ。



それなのに、これらアプローチは全て

どれだけストレスを解消しても

ストレス源を全く解消できていない。

ストレス源がそこにある限り永遠にストレスに

さらされ続ける宿命にある。


喩えは悪いがママ友や死にかけの毒姑のように

一定期間過ぎ去れば縁が切れる

そういうストレス源なら耐えるのも1つ。


でも、いつ終わるのかもわからないような

ストレス源から逃れる方法として

ストレス源から離れる、近付かないという対処がある。

嫌いな人には近付かない。嫌いな場所には近付かない。

それができるなら、それも1つだろう。


しかし、家族だのご近所だの職場だの、

性同一性障害の制度的問題や、ホルモン副作用のように

切るに切れない関係のストレスは逃れられない。


ストレスの原因を確実に取り除くことができれば

本当に幸せなことではあるが、

力ずくで人の価値を害したり、クレームしたり、

それが他人のストレスとなってしまったり

自分の立場をより悪くしてしまう可能性があること。

この点にも注意したい。



どのようにストレスと向かい合い、

緩和していくのかはストレス社会に生きる

非常に重要なスキルだと考える。


これら基本的なストレス解消法、根本解決法を

どう組み合わせてストレスを乗り越えるのか

それがストレスコーピング、ストレスマネジメントだ。


私のストレスコーピング


他人の感情や利害に直結する場合


逃げられるなら逃げるのが一番楽。


相手との対立(①)は最終手段。


時間が解決するならとりあえずストレス発散(③)に

なることで誤魔化すのも1つだろう。


利益相反にならないよう発想を変えて、

自分の行動スタイルや価値基準をかえてしまう(②)のも1つ。


相手と自分の利害を双方で確認して

不利益の中に利益を確保(①)していくのも1つ。



細かいことが気になる夫の小言


子どものいい加減さは変えられないし、

変えさせることで子どものストレスと対立するから

やはり小言は避けたい。

しっかりした大人に育てたいという善意が通じないことと

細かい怠慢が見ていて不愉快だという感覚に襲われるから

善意が通じないという認知を改めて

通じない子どもに対するより良いお父さん像を

与えることで認知をアップデートしてみた。(②)

不愉快は不愉快でも、いいお父さんになれたという

自己満足の感覚で不愉快な感情と相殺させた。



気の合わないママ友


虎の尾は踏まない。①

とりあえず子どものことを知るパイプは残せた。②

どうせ切れても最低限の挨拶で終わらせて①

関わらなきゃいいだけ、むしろ清々する。②

仲良しママ友との愚痴大会の肴にする。③





世のおばちゃんが図々しいのも

女性社会のネチネチストレス社会に

子どものために必死に適応する過程で

養われるものだと思う。勝手な感想。

だって、本当にママ友たちのドロドロはエグい。

中学高校とかの女子もエグいと思ってたけど、

子どもたちが関わってくるからこそ

ママたちの執念たるや半端ない。 

(え?うちの近所だけ?笑)

きっと自然とストレスコーピングを

してると思う。


女は本当に強いよ。

女社会のど真ん中に入ってきて痛感する。



トランスジェンダーのコーピング


話は変わって、トランスジェンダーのコーピングで

私がかねてより提言しているのが

「謙虚たれ」

「弱者に甘んずるなかれ」

という価値観。


その真意は、先にも書いたように日本人は

本当に優しい人が多い。ほとんど優しい人。

みんな困っている人を目の前にすると

助けてくれる。心寄せてくれる。


アメリカ人のトランスジェンダー友達は

私が普段みんなにしてもらうような手伝いを

少ししただけで涙ながらに感謝して、

私の幸せを神に祈ってくれた。

アメリカでは誰も助けてくれない。

誰も心寄せてくれない。

制度はできても心はそこにない。

地域にもよるんだろうけど、

とてもかわいく優しく知的な彼女が

涙ながらに訴えたのは

真実がそこにあるのではないかと思う。


弱者であること


それなのに、何故日本の当事者は苦しむのか。

はっきり言って弱者であり続けようとしているからだ。

私はそこに答えがあると確信している。


日本人はみんな優しすぎる。

私達セクシャルマイノリティが辛いといえば

みんな寄り添ってくれる。

私達もテレビや雑誌などで差別されていると言われたら

支援しなきゃいけない存在なんだと聞かされたら

人を頼っていいんだ。泣きじゃくっていいんだと思う。

いや、確かに辛いときは人に頼ればいい。

泣きじゃくってもいい。


でも、延々と泣きついてくるだけで

それを受け止めるのってキツイよね。

何年経っても辛い辛い辛いじゃ相談に乗る方も辛い。

無理って断ると、差別だとか嫌われたとか、

はっきり言って面倒くさい人多いです。

はい、むかしの私も少なからずそうでした。


解決策見つけられないんです。

何故かっていうと、差別されてる私達だから

きっと差別されてると思いこんでいます。

みんな愚痴を聞いてくれると思いこんでいます。

社会で上手く行かないことを差別だって思いこんでいます。

冷静に考えたら、窓口業務の人に文句言っても始まらないのに

窓口の人の差別だとすら感じてしまいます。


いやいや、これマニュアルでしょ?

あなた達の都合は知らないから

いきなりは対処できないよ?


そういう当事者の行動を知っている人たちは

みんな当事者から逃げます。

関わってもいいことないもん。


被差別分類だとされる人たちに共通の感覚かもしれない。

優しくされてるのが心地良い。

そういう優しさをくれる人たちは正義で、

私達もその正義の活動の先端にいる。


バカを言うな。ただの依存だよ。

だから無責任な優しさは麻薬と同じ。

その優しさに甘えているうちは

ストレスの原因を解消できない。

ストレスを乗り越える術がない。

いつか吸いつくされる人の優しさにすがるだけで

人間らしい自由な生き方ができなくなる。

いつまでも辛い人生になる。

幸せなんかいつまで経ってもやってこない。


確かに当事者は辛いことも多い。

ホルモンの副作用で精神不安定になって

ストレス耐性が極端に落ちることもある。

私も本当に苦しかった。

でも、実際って幸せを掴むチャンスっていっぱいある。

幸せを掴むことは普通にできる。

辛い辛い言い続けてる当事者さん、

いい加減に幸せを掴みに行こうよ。


確かにいろんな事情で縛られてる人もいる。

だからこそどのように乗り越えていくかを考えなきゃいけない。

優しさに甘えるんじゃなくて、

未来を描いて、ストレスを乗り越える自分を想像しようよ。


今が活躍してる当事者は本当に沢山いると思う。

彼女たちがなぜ輝いているのか、

ストレスとどう向かい合っているのか、

どう自己実現をしているのか、

そこにヒントがあるはず。

私はそう確信している。


だからこそのストレスコーピング。



根本原因の解消のため


行動を起こすときに制度なりなんなりが邪魔することがある。

私がぶち当たった壁の中でも大きかったものが、

高校の卒業証明と内申書の再発行の時。

新しい名前と性別で出してほしいとお願いしても

取り合ってもらえなかった。


多くの当事者は窓口で暴れるか、

差別だと諦めるか、裁判で力ずくになるか。


いやいや、何が原因なのかしっかり突き止めてほしい。

窓口は個人の判断では何もできない。

職務ルールに従ってるだけ。

そのルールを解明するしかない。

感情的になっても窓口担当は困るだけ。

当たり前の話。


その結果県教委からのマニュアルだとわかった。

窓口担当に感謝こそしても、不満なんて何もない。


県教委でも無理と言われたが、

担当に確認すると国の通達で決まっている。

文科省の高等教育課から出されている。

もう感謝しかないね。


担当官に繋いでもらって陳情したら

あっさり変わってしまった。

日本初の事例をあっさり作ることができた。


目先の出来事に一喜一憂するのはわかる。

しかし、それが何故そうなるのかを

しっかり突き止めること、

問題解決のための必要不可欠な視点だといえる。


自分で見つけられないときは

人の助言を賜ったり、助けをもらいながら

問題の根本を突き止めていきたい。


政治家や活動家を利用するのも1つ。


しかし、活動家は力ずくで解決する人も多い。

自分たちの利益の為に社会への配慮を欠く人もいる。

利益相反型の解決策。

この点がもう一つ懸念する理由。


誰よりも支援をしてくれてたはずの左派政党の支持者の中で

トランスジェンダー活動家への不満が高まっている。

女性の権利を大きく害する内容に踏み込んだからだ。

自分たちの権利と他者の権利のバランスを欠いた要求を

力ずくで勝ち取ることしかしない故の事件だ。

それを長らく見てきたから私は活動家の方たちと

明確に一線を引いて生きてきた。


それでも人の優しさだけで権利は獲得できた。

人の優しさだけで幸せに生きることはできた。


何を理解してほしい?


当事者は性同一性障害の自分を受け入れてもらえないという。

いや、価値観を標榜すれば価値観を人は評価せざるを得ない。

しかし、あなたは性同一性障害の人なのだろうか。

あなた自身のはず。


私のことを慕ってくれる人は

私が性同一性障害だから慕っているのではない。

性同一性障害をカミングアウトしても

変わらず慕ってくれた。

むしろ「で?」である。

中には性同一性障害であることを知って

意識して避ける友人もいた。

私を嫌う人は基本的に性同一性障害を話す以前に嫌う。

性同一性障害は私のことを真に承認するための

ツールにはなっていないことがわかる。

そう、人はそんなアイデンティティを気にしていない。


性同一性障害を知らない人はわからなくて逃げる。

面倒くさいのは嫌だ。

性同一性障害を知っていて可哀相と思い込む人は

どんどん優しくしてくれる。

どっちも当事者のことを見ていない。

みんな性同一性障害、性別違和、トランスジェンダーという

カテゴリでしか当事者をみていない。


自己承認にカミングアウトは関係がないことがよくわかる。

つまり、カミングアウトははっきり言って不要だ。

カミングアウトして承認されないというのは

大きな間違いなんだと気付く。


認められるためにはその鎧を脱ぐしかない。

鎧を脱いで人として認められるしかない。

不安だよ、怖いよ、でも、それしか解決する手はない。


義父妹に認められるまで私も8年近くかかった。

それまでは嫌われ続けてた。

でも、みんなに私として承認された。それでいいじゃん。

そして自分の力を高め、強く生きることで

義父たちを救うことができた。

ただのオトコオンナじゃない。

普通の嫁だと気付いてもらえた。


承認欲求を乗り越えろ


トランスジェンダーの私を認めてもらえないストレスから

私自身のことを認めてほしいと問題を整理して②

認めてもらうための自分磨きをしよう。


目指すは100%の承認ではない。

私として愛され、私として嫌われる。

普通に生きているみんなと同じように

私として好きも嫌いも認めてもらうことがゴールじゃない?

私は誰かに嫌われても幸せだよ?

まして性同一性障害にこだわって拒否する家族もいるけど

私が嫌われてるんじゃないもん。寂しいけどさ。


そして、自分自身を社会から認めてもらえるようになったとき

性同一性障害、トランスジェンダーなどへの偏見はなくなる。

自分自身の夢実現にもつながるだろう。

色んな意味で多くの当事者の支えになれる。


何度も書いてるけど、これがこのブログの目的。


大切なのは前を向くことと歩く方法。

そのためにも正義をかざして戦うよりも

相手に感謝し、助言を仰ぎ、自分を高めること

つまり弱者の立場にあぐらをかかず、

努力する謙虚さが大切だと思う。


もし、当事者に支援をしてくださる方がいるとすれば

私からお願いしたいことは、

苦しみを癒やしてあげつつ、

未来を描くサポートをしてあげてほしいということ。

可哀想ばかり先行して話す内容がどうかを

考えずに慰めるばかりでなく、

間違えていることにはしっかり

間違えていると伝えてほしいということ。


優しさという麻薬で破滅する当事者を何人も見てきた。

単純な優しさは相手の身を滅ぼす。

ただの過保護のわがままっ子になっちゃう。

あなたは永遠に可哀想なその人を支えることはできない。

いつか離れたときにその友が生きられるよう、

とことん承認してあげてほしい。

未来を描いてあげてほしい。

弱者だと思わないでほしい。

特別な助け無しで生きられる人にしてあげてほしい。


多くの当事者とも違う考えかもしれないけど、

私の40年余りの経験から考えた提言でした。

名の変更の問題。

我が家も一人名の変更を行った。

私だけど。


性同一性障害に起因する名の変更の

思い出話も書きたい気はするけど、

今回は里子ちゃんの改名の話。


我が家は特別養子縁組を最初は目指して

でも紹介された子どもたちがもう大きくなってて

実親さんとの記憶もしっかり覚えている

もちろん名にはアイデンティティもできていたし

姓すら捨てることができないくらい成長してた。


我が家に来るに当たり実名で通いたいことを明言され

実親ではなく里親であるということを知られたくもないらしく

結果として私達が彼らの姓を子どもたちの社会では

名乗るという選択をした。


多くの里親さんにはそこまでしなくても…と呆れられる

なかなか里親としても難しい決断をした。

里親子であることを公言して親子で名前を分ける手もあった。

けど、実はこっちの方が楽かもと思うところもある。


そういう通称姓ですら考え方がいろいろあるのに、

名の問題は難しい。



まず改名の方法は↓のサイトを見るとわかりやすい。


名の変更許可申立裁判までの流れ(裁判所HP) 


私が改名した十数年前と中身は何も変わりない。
おそらくもっと昔から同じだろう。
今でもトランスジェンダーMTFの若い子を応援するために
何度か開いてる私としたらもうお馴染みのページ。

これは里子ちゃんでも名を変更するための
フォーマットとしては全く同じものを使える。

ただし、15歳以下は法定代理人による申立が必要となる。

親権というもの


一般には親権者というのがそれにあたるわけだけど、
里親研修をした方なら恐らくご存知の通り
親権にも細かな分類があり、
里子はその親権者(実親)から引き離されているわけで、
言い方を変えると実親からその親権を奪っている状態。

その奪う親権というものもまた難しく、
完全に全部の権利を奪うわけではないのが難しい。

権利関係は状況にもよるので簡単には説明できない。
養子縁組が済むとシンプルだけど、
養育里親の場合のはかなり複雑。
実親さんによる介入で裁判沙汰になったり、
里親単独で判断したスムースな権利行使ができないなど
不便も多いことは経験者なら理解してもらえる。



監護権(同居・養育)→【里親】       

教育権→【里親】

居所指定権→【児相】  

懲戒権→【里親】

職業許可権利→【児相】   

医療同意権→【(児相)・実親】

財産管理権→【(実親)・里親・後見人】

   代理権→【児相・(里親)】

命名権→【実親】

など


財産管理権も面倒くさくて、この前のコロナ給付の場合のも

給付する宛が実親なのか里親なのかでややこしかったり、

多分里親が給付対象者だったケースが多いと思うけど

法定後見人が設定されているパターンだと

後見人管理にされてしまったパターンもあるという。

実親が受け取っちゃったとかね。


コロナワクチンの同意も実親の判断とか、

事故や病気などの緊急手術の同意すらできない。

銀行口座や携帯電話の代理契約も結べない。

養育里親ってやつは何かと不便。


名の変更許可の申立はどの権利?


専門家ではないので恐らく…という話だけど

申立の内容は里親や児相、実親の利益ではなく

子の利益の為に子本人が追求できる権利であるとこ。


しかし、その意思表示や思考が未熟であるゆえに

親権者が行使するということになる。


親権が数多に分散する養育里親の場合

特に代理権を有する児相の判断で行うこととなるが、

制度として実親の元に返すことが前提であること、

子と実親のルーツに介入することの道義的問題など

複雑だから当然改名など許すはずがない。


我が家も全くそんなこと考えてもいなかった。

必要もなかったし、すでにアイデンティティができてた。

むしろ子どもたちのルーツを大切にしてほしい

そういう前向きな理由で改名など考えもしなかった。


しかし、特養を目指す里親さんの中には

児相と喧嘩をしてまで急いで

改名を目指す方もいることを知った。

難しいし問題だと改めて認識した。


特養と、里子の改名


我が家の場合、里子ちゃんのルーツは憎むべき

実親の不法行為ではない。その点は大きい。

だからこそ、実親や親族に心寄せることがてきる。

いくら綺麗事を書いていても、そんなある意味

重たい十字架を背負った子どもたちではないことは

里親にとって実にやりやすい状況なのかもしれない。


中にはどう解釈しても受け入れがたい所業をした

実親というのも多いわけで、


そう易易と実親を受け止めることが難しいし子もいる。

その名前が苦しみに繋がらないか。

そう心配するのは至極真っ当なことだろう。


そして、その名前がキラキラしすぎていて

子の人生が不利益になりそうなとき、

この名前で育てていいか不安になるのも真っ当。


それでも大きくなって名前に愛着が湧いてしまったり、

世間的に浸透した名前を後になって変えるのも困難。

早めに変えてしまいたいのも至極真っ当。


親として自分の思いを込めた名前を授けて

名実共に愛情を注げることは親として幸せ。

とても共感できる。


でも、全部子どもの判断が全くない。

親のエゴなんじゃないかとも考えてしまう。


どちらを選択しても子の出自の事実を告知したときに

何を思うのかは誰もわからないし、難しいというのに。

親が改名をするのかしないのかを今決めて

その答え合わせを十余年先にするとか結構重い…


でも、何が答えかわからない。

名前を残す負担を子に負わせて、

トラブルを回避する責任を放棄したともみえる。


将来乳幼児の特養も考えてないわけではないから、

万が一そういう状況になったらどうすべきか…



ここからは体験談ですが、


名の変更許可がおりた場合は

その許可審判書(タイトルに「許可」と書かれ、

その家裁の下した審判の管理番号が打たれたもの)

を持って戸籍地もしくは居住地の市役所にだします。


出したあとは戸籍に【名の変更】という記載と

【従前の記録】として旧名が記載されます。


この記録が消えるのは転籍した場合です。


養子縁組が成立する前に名前を変えてしまえば

養子縁組をする時点で転籍が実現するので

養子縁組による転入の記載だけになると思われる。


実親の戸籍はグチャグチャ。

里親の戸籍はスッキリ。


しかし、改名の代理権がない中でわがままを言って

制度の権限を越えることはどうも道義的に問題な気がする。

しかし、どうせ養子になって名を変えられる前提なら

養子縁組成立の直前に許可がされるような

テクニカルな対処方法を用意したほうが賢明かもしれない。



ちなみに、私の中では

もし男の子に名前をつけられるなら…

女の子に名前をつけられるなら…

候補や、込めたい思いはすでにいくつか用意している。

というか、若い頃にいろいろ想像して勝手に考えてた。


子どもの名前を考えるのって楽しい。

夢や希望ばかりが脳内を専有する。

すごい幸せな時間だと思う。


そんな親にとって温かい幸せいっぱいの名前だからこそ、

奪っちゃうことにも慎重でいたいなとも思う。

自分の名前を変えたからこそその重みも痛感する。

その上で子ども目線で新名を誇りに思うかどうかは

親への感謝の思いが持てるかどうかだと思う。たぶん。

親に感謝できる人生であれば私なら改名を受け入れられた。


こういう心のつながりが親子なんだよね。きっと。


わけわかんなくなってきた。

とにかく子の改名は難しい問題。

みんなどの親子も幸せになってほしい。

ただただ、それだけ。

の原因、思春期反抗と親の小言について

丁度いい記事発見。


小言が多くなるパパとママ、読んでみたらいいと思う。

まぁ、よく聞く話だし、あたしも完全同意する話。

今悩んでる人はもう一度確認してみてください。

多分ストレスは少しは解消すると思う。多分ね。


東洋経済オンラインさんの下記の記事

転載は有償となるらしいので

掲載元で是非全文をお楽しみください。


その上で、知ってても現在まさに思春期を迎えてる保護者は

改めて意識しておきたい話だと思う。


思春期の小言による躾について考え。


  小言は反抗期を長引かす原因になる


小言がお互いのストレスになる

しかし心地よい声かけはないと心の距離が広がる。

だからこそ大人として尊重すること、私のやり方。

ストレスになろうとはっきり「ダメ」と

言わなければならないこともある。

危険違法道理に反すること

を放置していると、親に不信感を持ち

どうなってもいい

私なんて大切じゃないんだろ」と感じる。

そうじゃない大人の思いと子どもの思いってすれ違いやすい。


気持ちよい反応ができないときは、大人にもある。

同じように、子どももいろんな悩みを抱え始める思春期に余裕がないときはあるし、そのタイミングじゃ良い反応など期待できない

この記事でもあるが、親は「子どもに何の遠慮も要らん」無遠慮に話しかけ憤慨するのは本当に日常。やっぱりしつける親の意図よりも

子どもの今にしっかり歩みを揃えることが

大変ではあるけど重要なんだと思う。


お互いムカつくことになる小言よりも相手の意思を尊重し話しかけるタイミングを考えるだけで、不毛な喧嘩を防げる






パパ、このブログ読んでるんでしょ?

細かい性格は知ってるし、

抑えようと努力しているのも知ってる。

子どもたちへの思いがあるから

熱くなるのもわかるし感謝してるけど、

ここに書いてある通りだと思う。

ぜひもう少し努力してください。


子どもたちの行動が完璧じゃないからと

子どもたちのせいにするよりも

親としての行動が完璧じゃないから

少しでもマニュアル通りに行動して

そのマニュアルに完璧でいられたら

パパとしての自分を褒めようよ。


マニュアルによればすぐには終わらなくても

早く終わるらしいから、

どれだけ長い思春期かわかんないけど

1秒でも早く終わらせられるよう

力合わせましょうよ。


今日帰宅したらちゃんと子どもたちに

ごめんなさいをするように!

ママと一緒にごめんなさいをしましょ!


理屈で納得して、二人力を合わせて

何とか思春期乗り越えましょう!


いつもみんなひっぱってくれて

パパ、ありがとうチュー飛び出すハート







夫婦間のやり取りを公開の場でやる。

体験談とか言うレベルではなく

生のやり取り。


ただの恥さらしwww

夫婦公開辱めwww


滝汗笑い泣き滝汗笑い泣き滝汗笑い泣き滝汗笑い泣き滝汗笑い泣き滝汗笑い泣き滝汗