①女の矜持 

②謙虚であること 

につづいて第③弾



トランスジェンダーは苦しい


もう一点伝えたいことある。

私もいろいろ言いながら同じだったんだけどね。

偉そうなこと言ってますけど、人のこと言えません。


生きにくい理由をmtf の人って

簡単に言っちゃう人おおい。


精神的に追い詰められてる人が多いってのは有名な話


性的な体の悩みから苦しんでる人

成長の過程で性の捉え方が歪んだ人

性的な出来事でトラウマを持った人

生きにくさを元々持ってて性の変化で生き抜こうとしてる人

解離性同一性障害(多重人格)で主に現れる人格が異性だった人


この辺の定義も今いろいろ議論されているところだけど、

今回は言及しない。


私の人生でもこのようないろんなパターンの

人たちに出会ってきたけど、


この体のせいだ、

だから差別されてる、

だから気持ち悪いって思われてる、


わたしはトランスジェンダーなんです。

本当は女の子の心を持っているんです。


と安易に言う。



トランスジェンダーに優しい“せいで”


日本人は本当に優しい。

LGBTに対する認知も広がり

気持ち悪いと思っていても露骨に拒否する人は少ない。


むしろ、認めてくれるばかりか

私達に同情してくれる人が多い。

応援してくれる人も多い。

本当にありがたい話。


中には無理解による変な応援だったり

興味の対象として土足で踏み込んでくる人もいるけど。


でも、みんな温かい経験をした人ってほとんどなんじゃない?


色んな理由で悩んでいたみんなにとって

この温かい対応ってホント麻薬だったりする。


普通に生きてても人間関係って難しいのにさ。

性格の良し悪しはもちろん、相性とかあるのにさ。

性同一性障害っていうだけで優しくされてたら

こんな楽な話はない。

人間関係のごちゃごちゃがあれば全部

体のせいにできちゃうもん。


あなた、嫌われてるのは他に理由があるんじゃない?


なかなか口には出せないけど、

そういう当事者はそこそこいる。

そういう人ほど性同一性障害、性別違和なんだと

カジュアルに言って、相手を傷つけ、相手を侮辱する。


弱者であることにあぐらをかきはじめ出る当事者。


そんな当事者に対して

そんなことカミングアウトしなきゃいい。

と言うが、定番の返答は

嘘をつくのが嫌だ。ありのままの自分を受け入れてほしい。


これ、私自身への戒めです。

かつては私もカミングアウトしてました。


でも、過去を話すことで何が変わろうか。

何度もカミングアウトしてきてみんなの返事は

「へぇ、そうなんだ。それ聞いても何も変わらないよ」

正直嬉しい気分と、正直悲しい気分になりました。

あ、この子は何も優しくしてくれないのかな…


そして何かあったら差別されてるからだ。


本当に傲慢な話だよね。

正々堂々と生きるつもりないやつ。

本当にあのときのあたしは弱かった。

承認欲求の塊。特別扱いしろってわがまま。

面倒くさいの一言。


そんなで愛されるわけがない。

それに気付いたのは手術から復帰して

再スタートした時につまづいた後。

手術までして、戸籍も変えて、

名実共に女性になったのにさ。

自ら男の歴史を引っ張り出す。

優しくされる魔法の言葉に頼るしかない人間関係。

でも、もう同情される立場にはないのにね。

だって、もう不自由なんて何もなかったんだもん。

あんな話されても不幸話のマウント合戦。

誰が喜んで聞くさ。


その後しばらく更年期鬱も重なって大変だったけど、

弱者に甘んじてても変われない。

自分に自信がないものをトランスジェンダーだってことに

理由を決めつけて成長しないでいるのはだめだ。



人としてあなたは本当に愛されていますか?


人として愛されるためには

単純に人間力や、コミュ力をつけるしかない。


そこに気付いて自力で生きるすべを見つけるために

言い訳なんてしなくて済むよう、

人に仮に話しても、最後乗り越えるのは

私自身の努力でなければならない。

そうやって自分に自信を取り戻していった。

そして、今人と助け合って生きる力を取り戻した。


私の人生や子育ての考えの根幹はここにある。


トランスジェンダー当事者も

トランスジェンダーと出会ったその他の人たちも

当事者の自立への夢を一緒に見てあげてほしい。


児童養護施設の出身者への支えも、

可哀想で終わっては未来がなくなる。

無限の可能性は無限に想像できる自由な意志に由来する。


自分の定位置が決まったのなら、

どのように生きるのかを見つけていくしかない。

どんな体であっても、どこまで治療が進んでいても

甘やかしてくれる魔法の言葉を過度に信じていても

人として愛されることはない。

いつまでたっても弱者であり続けるだけ。


治療の目的が自分らしく生きることなら

自分らしく嫌われるのか、

自分らしく愛されるのか。

そのゴールを自分で見つけるしかない。


誰だって生きることに必死なの。

自分だけが特別だと思わないで。

自分を特別視してる時点で自分の中に差別心がある。

そういう自分は虐げられて当然とでも思ってるんでしょ?

だからそんな弱者を大切にしろ!って思ってるんでしょ?


違うよ!生き方一つで愛される。輝ける。

自分に自信を、誇りを持とうよ。

素敵な本当の輝く自分を持とうよ。

その時に、性同一性障害なんて、性別違和なんて

ちゃんちゃらおかしい肩書になるんだから!




次は何故「可哀想な私」でいてはならないのか。

いつまで経っても認められないと悩んでいる

あなたと支援者に向けて、少し書いてみる。