https://ameblo.jp/mtfaf/entry-12716239172.html 

の続き。



本当にそれって差別ですか?


MTFに限るわけではないけど、

差別を受けていると思う属性の人にありがちな間違い。


それって本当に差別?


ここ結構重要。


差別って何なんだろう。

やりたいことができなかったら差別?

自分の認識と違う評価を受けたら差別?

みんなやってるのにこんな自分だからやらせてもらえなかったら差別?


全部差別かどうかなんてそれだけじゃわかんない。

でも、当事者はすぐにそれを差別と言いたがる。

これ、大きな間違い。


障害のある人が何かしようとしてて、でもその行為をする能力が無くて、

通りすがりのあなたが急いでいるところにその障害者が

「手伝ってください」と言われて、

何とかしてあげたいなと思ったとしても、

手伝う方法も知らない、道具もない、時間もない。

こんな時に手伝えないことが差別なのか。

心では寄り添っても、いろんな事情で手伝うことができないことって

生きてたらたくさんあるはず。

それなのに、弱者はそれを相手のせいにして、私は被害者だと声高に叫ぶ。


病院での扱いが戸籍名のままだ。

戸籍名変更の手続きで市役所での対応が素っ気なかった。

通用名を使った保険証に変えてもらえなかった。

名前を変えても裏書きだけで、表は同じままだった。


当事者なら色んな経験あると思うけど

ほとんどがはっきりいって差別ではない。

私に言わせたら迷惑クレーマー。


いや、当事者を批判したいわけではない。

私も同じ道を進んで苦しんだからこそ気持ちは痛いくらいにわかる。

でも、それとこれとは話が違うことを明確に言いたい。



マイノリティの不都合は、普通の日常


社会人になればわかるはず。

仕事をするときに、相手が可愛そうだから何とかするという

心温かい対応をすることは本当に正解なのだろうか。

必ず手続き論がコンプラで定められているはずだ。

さらにはコンプラで規定されていなくても、

通常業務の場合例外なんて想定せずにいつもどおり処理する。

それをこなすことのどこが差別なのか。


業務の効率化は顧客満足度を上げるために必要。

だからマイノリティは例外になる。

これまで想定されてなかった社内ルールであろうと、

それに従わなければ罰せられる窓口担当に怒鳴り散らしてどうする。

しかし、それを慮れと言って効率の悪化やコンプラ違反を要求することは

権利であるのかもしれないが、傍から見たらクレーマーだ。


権利権利と主張して、相手の迷惑を顧みないでいては

正論かもしれないが、相手から冷たい眼差しを受けることになる。

その負の感情こそが差別の原因になる。


私は日本初のことを何度かやってきた。

今では何故か某政党の成果に入れられているが、

彼らと協力したことは一度もないけど。


ただただ、社会に生きると心を通わせて、

私に同情しても何もできない彼らに感謝して生きてきた。

恨むことなど何もない。

だって彼らにはその権限がないのを知っているから。

むしろこんな無茶なお願いに耳を傾けて下さっただけで

ありがたくて、嬉しくて、頭を下げるしかなかった。

誰一人として侮蔑的な言葉をかけてきた人はいない。

どうにもできないんですと申し訳無さそうに言ってくれた。

だから、彼らを差別だと罵ることに私は全く理解できない。



自然と先駆者になっていた


では、どうやって私は日本初を何度もやってきたのか。

悪いのは私達を想定してないルールであり、非効率であること。

例えば、公務員は法令、政令、省令、通達、マニュアルのような

厳密な取り扱い規則に則って対応を行っている。

市民一人ひとりに寄り添っては対応しきれないし、

そもそも寄り添ったりするつもりもない。

それはマイノリティに対しても他の市民に対しても同じであること。

俗に言うお役所仕事と揶揄される仕事ぶりなだけである。

そのお役所仕事の制度を利用する民間業務も同じだ。

それらを窓口で騒いでもご迷惑なだけ。

ここで気づいてほしい。

そんな法令以下の様々な規則のどこかに不備があるということ。

そこを変えないことには前に一歩も進まないということ。

そのルールに従う窓口も、ルールを作る上層も差別をするつもりで

お仕事をしているわけではない、そのことをどうか理解してほしい。


私はどう乗り越えてきたのか。

そういう窓口対応をされたときに感謝しながらも、

何故そういうルールになっているのかを訊いた。

例えば学校のルールについて困ったときに窓口で訊くと

「そういうルールになってるけど、詳しくは私はわかんないの…

教育委員会からそういうやり方しろって決められてるから」

つまり、教育委員会がルールについて知っている。

そこで、教育委員会に事情を話し対応をお願いした。すると

教「ルールできまってて…」

私「詳しく教えてください。」

教「文科省からこれこれいう通達があって、

 全国一律でこういう運用をしなきゃいけないんです。

 文科省のあれこれ課が決めてます」

つまり、文科省が出どころだって突き止められた。

そして、文科省に直電話。

私「こういう理由があって、つらい思いをしています。

 難しい事情もあるかと思いますが、ご検討いただければ…」

省「それは確かに問題ですね!すぐに検討して通達を

  新たに出し直したいと思います。」

ものの3日で文科省が通達を出して、すぐに学校から連絡きて

事なきを得ることになった。

それが今ではベースになって法制化された。


差別でもなんでもない。

実はみんな寄り添う心はもともとあった。

今の時代ならもっと増えているはず。

それなのに、やりたいことが叶わないからと暴れる。

マイノリティはクレーマーになったら終わり。

少ない私達の権利は求めるべきだが、

その小さな効果のためにどれだけの犠牲が生まれているのか。

実務をこなすだけの職員に怒鳴り散らすことで何ができるのか。

もう一度考えてほしい。


だからこそ、性別移行を考えている当事者に私は常に伝えていることがある。



謙虚であれ

謙虚であれ。


みんな私達を虐めたくてそうしてるわけではない。

心を傷めたり、申し訳なく思っている人もいるのに、

その方々の気持ちに寄り添わないで、私達に寄り添えなんて

タダのワガママ。

そんな私達が愛されるわけもない。認められるわけもない。

暴れようものなら嫌われに行っているようなもの。

そのワガママが差別の種になる。


だから謙虚であれ。


結果、私はみんなに愛され、守られ、今では幸せに生活できている。

やりたいことをみなさんに助けられながら実現していったら

知らない間に日本初を何個も達成している。

今では普通に主婦してママにまでなっている、

人権活動家なんかとは無縁な私なのに。

私はこんな生活を送れている理由がそこにあると考えている。




続く…