先日Yahooニュースでケアマネのシャドーワークについての記事が出てました。

 

シャドーワークはどの世界にも存在していると思います。

特に人相手の仕事をしている福祉の世界では、かなりのシャドーワークが蔓延しているようにも思います。そして今回ニュースに上がった「ケアマネージャーのシャドーワーク」は本当に過大であり、課題であります。

 

とはいえ、シャドーワークが悪いものなのかというと、それも違う気がします。

というか、ケアマネージャーに限らずかなりの施設で「シャドーワーク」と言われるものをやっているのではないかと思います。殊、障害福祉の現場はどの事業所でもあるように思います。

 

もちろん割り切りのできている事業所もあります。

「本来業務は一切やりません」とはっきり明言し、いかなる理由であっても受け付けない事業所もあります。それはそれで 1つの形であり、決して間違えではありません。福祉といえども決められた枠の中でやっていくことは従業員を守るためにも必要なことであり、時に「冷たい」と言われても受けないことに徹することも 1つのスタイルだと思います。

 

しかしながらこれだけシャドーワークと呼ばれるものが多いのは何故なのか。

個人的にはシャドーワークの生まれる背景に「制度で拾いきれないもの」があるからではないかと思います。今の制度ではどうしても抜け落ちてしまう、しかしそれをそのまま見過ごすこともできない、誰かがやってくれれば助かるがそれを「誰」がやるのか、結局誰もやらない・やれないならやらざるを得ない・・・がシャドーワークにつながっていくのだと思います。

 

先のように「割り切れる」のであれば、シャドーワークを抱えることはありません。

しかし利用者のことを大事にしている事業所であったり、ソーシャルワークを突き詰めて考えるような人だと、どうしてもシャドーワークを抱えやすくなってしまうと思います。

 

そういう自分も、シャドーワークを抱えるタイプの 1人です。今思いつくだけでも・・・

・障害福祉サービスの代行手続き(自立支援医療などを含む)

・生活面の同行支援(携帯電話の契約同行など)

・各種手続きの同行支援(都営住宅の減免手続きなど)

 

また支援業務として必要な仕事ながら報酬算定されないものもあります。

例えば新しい事業所の利用を検討しているが支援者の同行を求められたときに、ご本人と一緒に支援者も同行します。これ自体は当然のことでありますが、この「同行」自体に報酬は基本的に発生しません。あくまで発生するのは計画の作成時やモニタリング時だけで、それ以外の時に事業所への同行支援を行ってもその月の支援実績にはなりません。そう考えれば、これもシャドーワークの1つになるのではないかと思います。

 

これはあくまで自分のことを挙げましたが、事業所ごとにも色々あると思います。

急遽救急対応が必要になったけど一人暮らしで身寄りがない場合に同行することや、やはり一人暮らしで身寄りのない人がうちの事業所以外に繋がりがないため、結果的にうちで支援することになることも。そのことを役所に相談に行っても門前払いになることはよくある話。困っているのに、その相談すら聞いてもらえないことは普通です。

 

これが先にあげた「誰もやらないから、やらざるを得ない」です。

「本来業務ではありませんので、やりません」と済ませられればそれでいいのですが・・・長く関わっている利用者であればある分だけ、ドライな対応はできないものです。だから抱え込んでしまい、シャドーワークが多くなってしまうのだと思います。

 

ただこれだけシャドーワークがあると、もはやシャドーワークと言えないのでは。

自分たち相談支援専門員の立場から言えば、その地域に数多くのシャドーワークが存在しているということは、それだけその地域に同じニーズを抱えている人が多く存在しているのであり、それは「地域課題」であるとも言えるのではないでしょうか。

 

地域課題と捉えるためには、これらシャドーワークの分類が必要です。

どんなシャドーワークが存在しているのかをしっかり抽出し、多く抽出されたものが優先的に解決していくべき地域課題になります。「誰かに任せる」という構造を解消するためには地域でこれらの課題に向き合っていくことが大事だと思います。

 

そしてシャドーワークを評価することも大事です。

今の報酬体系では、書かれていることをすれば報酬として認められますが、書かれていないことは報酬として認められません。だから「書いてないことをやらない」というのは「報酬として評価されないことは、しない」と言うことを意味するのだと思います。

 

でも現実は、先程も述べた通り「拾いきれないもの」が多くあります。

いわゆる「制度の網から抜け落ちるもの」が無数に存在しています。もちろん全てを拾い上げることは不可能だと思いますが、一方で抜け落ちていくものをサポートした時の評価をしなければ、取り組んだところだけが負担を抱えることになってしまいます。またそれをいいことに行政を含めその事業所に対応を求めていく現状にも繋がっていきます。言葉では「助かります」と言いつつも、それが評価されずに積み重なることは正しいことなのか・・・それこそ「やりがい搾取」以外の何者でもありません。

 

重要なのは「やりなさい」ではなく、「取り組んでもらえれば評価」です。

シャドーワークを求めるのではなく、取り組んでもらえた事業所にはその分を評価(=報酬をつける)します、が必要ではないかと思います。本来業務を超えてまで支援する必要はないけど、それを超えて支援をし利用者の生活を支えている事業所に対しては正当に評価すれば、シャドーワークで業務が・・・と言うのをちょっとだけ和らげるのではないのかと感じています。

 

もちろん、これらの問題が解決するのが一番なのは言うまでもありません。

しかしながら対人援助では簡単に割り切れないものが多く存在し、それは何かの取扱説明書のようにやれば済むものではありません。だからこそ、適切な評価をすることは必要なのではないでしょうか。もっと言えば、福祉従事者の待遇改善も適切な評価がされていないから問題になっているのであり、正当な評価をすることは健全な社会構造を構築するために必要不可欠なことではないでしょうか。

使えない写真が多い中、使えそうな写真がありました。

(いや、別に変な意味で「使えない」のではありません・・・)

 

先日、もはや恒例になっている東京ヴェルディの就労体験に同行してきました。

もう毎年書いていることなので、今更事細かに書くことは控えます。(参考までに、今回の案内リンクを貼ります。)

 

今更書くことは・・・と言いながらも、この内容を書く時はいつも書いていることを。

自分も今の職場に入るまで、すっかりJリーグから距離がありました。リーグ開幕当初は一生懸命見ていましたが、テレビでサッカー中継が下火になるのにつれて、自分のサッカー熱も冷めていました。

 

そんな中、今の職場に入植したことで、再びそのつながりが生まれました。

まだこのようなプログラムが始まる前、ヴェルディが地域で行なっている障害者スポーツ教室の引率にいくことが多く、そこでヴェルディのスクールコーチと話すことがありました。またヴェルディのホームタウンということもあり、時々うちのお店に来て商品を買いに来てくれるともあり、少しずつヴェルディとの関係ができるようにもなりました。

 

そんな中、5年前から始まったのが、Green  Heart Project。

障害を持つ人の社会参加のきっかけがスタートでしたが、年々内容はブラッシュアップされ、去年からは販売活動をするようにもなりました。うちのメンバーも販売活動に参加できるようお願いをして、頑張ってもらいました。

 

で、写真はプログラム終了時の北澤さんのあいさつ。

北澤さんはこのプログラムが始まった翌年からコメントを残しており、時々参加もされてますが、今回は北澤さんも全て参加。登場はサプライズ的に現れ、そのまま就労体験のプラグラムも参加。そして締めのあいさつで、最初の写真になりました。もちろん普通に観戦に来ていた方もいたので、ファンの方にサインもたくさんしていました。

 

改めて思いますが、J2の時からこういう活動を地道にしていることに感服です。

で、J1に上がっても続けていることもとても大きいことだと思います。Jリーグ60チームがそれぞれの理念や考えのもと社会活動(Jリーグでは「シャレン!」として活動中)を行なっていますが、身近なところで様々な活動を目にしている自分にとってヴェルディはとても大事な存在で感じています。そこからやはり「応援」につながっており、チームとしても頑張って欲しい思いがあります。

 

以前にも書いたのですが、もちろんチームが強いのは大事なことです。

ただそれと同時にいかに「地域」とつながっているかも大事なことなのだと思います。そこがJリーグ創設当初から掲げている理念であり、その理念を実現するためにそれぞれのチームで活動をしていると思います。その中でヴェルディは「障害者とスポーツ」を1つの柱として考えているように感じます。特に最近はクラブチームのサッカースクールに障害を持った人向けのクラスを創設したり、障がいのある・なしに関係なく楽しむ「インクルーシブ」の理念に基づいたイベントの開催、さらには障がい者スポーツについての講習会を開催するなど、ヴェルディが考えることを明確に表しているようにも感じており、そこに自分も共感する部分があり、チームと共に応援したい部分でもあります。

 

とりあえず、来季のJ 1残留は決まったとのこと。

来季はもっと上を目指して欲しいともともに、今の活動を継続してもらえるよう応援していきます !

 

【おまけ】

今年もその様子(Green  Heart Stadium)の様子の一部がヴェルディ公式YouTubeで紹介されていました。以前アップされた動画では自分がメチャクチャ目立っていたけど・・・最近はあまり目立たなくなって安心しています、ハイ・・・)

 

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10月・・・忙しくないはずなの、忙しい。

いや、単純に計画作成やモニタリングの数は他の月に比べれば少ないけど、それ以外のやることはたくさん。相談支援従事者初任者研修のファシリテーター参加やB型部門のイベント同行、新規依頼ケースの初回訪問、法人全体の事務など・・・やることだけはメチャクチャあります。あ、面談対応もそこそこに。

 

今日も自立支援協議会の部会と新規依頼ケースの契約で1日外出。

さらに今日は親方様が不在。不在の中、社会福祉士の実習生はいつも通り来ているので、今日は親方様に代わり自分が実習指導を行うことになったので、ついでだからと思い今日1日は自分に同行してもらいました。

 

本来は就労継続支援B型の実習ではありますが、相談支援の内容も経験してもらいました。

ただ「がっつり相談支援」の実習というわけではなく、別の狙いをもって自分について回ってもらいました。

 

その狙いは、色んな人に出会ってもらうこと。

その出会いも利用者・当事者ではなく、支援者。支援者には色んな人がいることを知ってもらいたく、親方様が不在の1日を活用させてもらいました。

 

うちの施設で社会福祉士の実習生を受け入れるのは、3年目。

B型と相談支援それぞれで受け入れを行なっており、時として一緒に実習をすることもあります。今はB型に来ている学生さんだけなので基本の実習はB型が行うことになりますが、B型だろうと相談支援だろうと「ソーシャルワーカー」の視点は同じ。やることは違っても、目的や目指す方向性はどちらで実習をしても同じものにしています。

 

そんな今の実習生は、真面目な実習生。

でも真面目が故に、実習中の自分のできなさ加減に目がいってしまい、指導する親方様と自身の乖離を感じてしまっている状態との話を聞いていました。学生さんだから無理もないことなのですが、その苦しさは少し解消してあげたいと感じる部分もありました。

 

実習生の様子は親方様と常に共有しており、自分も何となく把握していました。

色々と考える中で実習生が来る日に親方様がお休みであることを知り、それであれば1日自分の方で引き受けて実習指導をすることと自分がやることの狙いを話し、親方様から了解をもらって今日の担当となりました。

 

その狙いにうってつけの事業所があったので、事業所の方にも連絡し一緒に行くことに。

相談支援としての目的は契約締結と聞き取り。最初は通常通りの契約を行い、その後は事業所の方に入ってもらっての初回聞き取り。自分が相談支援の技法を使いながら話を聞きつつ、普通にご本人とのコミュニケーションをとっていくことも。そこに事業所の方も話に加わり、直接相談支援とは関係ない話も利用者さんと和気藹々に話していきました。そこには普段事業所の方とフランクなやり取りをしている自分の姿もあり、普段自分がやっていることをそのまま実習生にも見てもらいました。

 

初回聞き取り終了後に、事業所の見学。

と同時に、事業所の方に実習生へ「利用者と関わる上で大事にしていること」を話してもらいました。「いつもそんな真面目な話なんてしないのに・・・」と突っ込まれつつも、実習生に色々と話してもらいました。で話した後に自分からも「スミマセンね、こんな真面目話で・・・」と話すと「そうですよね」とお互いに笑い合って終わりました。

 

実習生にはこの関係を見せたかったんです。

自分も事業所によって話し方や対応の仕方が変わりますが、この事業所の方とはかなりフランクな話をしています。もちろん重要なところはちゃんと話しますが、硬い関係性ではなく緩い関係性を持っており、それはその事業所の利用者支援でも言えることです。とはいえ支援が「緩い」のではなく、やることはちゃんとやりながら利用者さんの気持ちを思いながらの支援を行なっており、そんなところが実習生にも見て欲しいと思える部分でもありました。

 

事業所を後にした帰りの車の中で実習生に感想を聞くと、ラフさを感じたとのこと。

ただそのラフさが「適当」ではなく、こんな形の支援があっても良いことを感じてもらえたようです。フランクな様子も実習生の中で「こういうソーシャルワーカーもあるんだ」と実感してもらえたようで、とりあえず自分の狙い通りに進んだみたいです。

 

当然の話ですが、ソーシャルワーカーの姿に正解はありません。

もちろんソーシャルワーカーとして抑えなければいけない部分はあります。でも基本的な部分をしっかりできれば、その人らしさが満ち溢れた「ソーシャルワーカー」でいいんじゃないかなと思います。経験が少なかったりするとソーシャルワーカーの「あるべき姿」というのに固執してしまいかねない部分がありますが、大事なのは「べき姿」ではなく「大事にするものがあるか」ではないかと思います。

 

この図は最近よく出しますが、東京都が掲げる「相談支援専門員の姿」です。

相談支援専門員もソーシャルワーカーですから、基盤にあるのはソーシャルワークです。なので「相談支援専門員の土台になるもの」はソーシャルワーカーとしての基盤になる「価値」「知識」「技術」が書かれています。つまりソーシャルワーカーとしての「基盤を持つ」ことは「べき姿」ではなく、当たり前のことなのだと思います。

 

基盤があった上で、支援者らしさを出すことで「ソーシャルワーカー」の姿があります。

型通りに実直に取り組む姿があれば、ラフに向き合う姿もあると思います。ただどちらの姿も間違っておらず、ちゃんと大事にするべきものを大事にしながら支援を行えているかが重要だと思います。「基盤」は大事にするものの1つであり、そこに利用者への向き合い方や支援観が混ざり合って、その人らしい「ソーシャルワーカー」としての姿があると思います。実習生には、そんなことを感じてもらいたいと思って、今日の実習を組み立てました。

 

今日1日の実習振り返りでも、どこかスッキリしたような様子でした。

今まで自分が接した時はどこか硬さを感じていたのですが、その硬さが少しほぐれたような気もしました。実習はまだまだ続きますが、今の時点で色んなことを吸収して欲しいです。そしてソーシャルワーカーを目指すだけでなく、色んな人と関わっていける「人間力」をこの実習でさらに上げてもらえればいいのかなと感じています。

忙しく慌ただしい9月が終わり、季節は秋に。

でもやっぱり慌ただしい10月に入り、まだ始まったりばかりなのに日程調整に苦慮する自分。既に9月の段階で10月の予定が結構入っています。そこに休日出勤分の代休も取らなければいけないので・・・ホント、やりくりが大変です。

 

そんな10月の予定の1つが、相談支援従事者初任者研修。

もちろん自分は初任者研修を終えているので、演習指導者としての参加です。先日は演習指導者を担う人向けの研修説明会もあり、どのようにサポートできるかを考えています。

 

その初任者研修ですが、今年は市役所の職員も参加することに。

自分が相談支援を本業にするようになり、自分と関係する市の職員が相談支援従事者研修を受けるケースは初めてのこと。今まで仕事をしてきた市では市の職員が研修に出ると言うことはありませんでした。

 

もっとも、今回の場合は市で基幹相談支援センターを設置したことも背景の1つ。

基幹担当の職員が初任者研修を受けることもあるのですが、今回基幹担当だけでなく、係長自ら初任者研修を受けることも自分にとっては驚きの1つ。

 

係長は自分が今の職場で仕事をして1年後に地区担当の保健師として着任。

元々保健師としての仕事はされていたので経験は十分にある方だったけど、当時は障害分野は初めてで、自分も色々と説明や相談をしたり、その上でお願いすることもありました。なので係長とは結構ざっくばらんに話すことも多かったです。

 

で、数年前に地区担の保健師から係長に昇任。

係長になっても色々と意見交換をすることが多く、市の障害福祉のあり方についても話をするようにもなりました。そんな係長が自ら初任者研修を受けることを知り、正直「そこまでやってくれるんだ」と言う思いです。

 

思えば自分がここで仕事を始めた時、当時の市の係長の印象は最悪でした。

 

ここでも少し触れていますが、当時計画相談支援事業の事業再開届を提出にいくことに。

そこで当時の係長が出てきたけど、その時に「同じ事業所に通っている利用者を担当しないでください」と言われることに。こちらからは積極的に勧誘するつもりは最初からなかったけど、もし利用者からお願いされた場合はどうするべきかを係長に聞いたところ「それはしないでください」と一言。その答えは利用者さんに対しての答えにならないため、対利用者向けへの答えを求めたのですが、その答え一辺倒。正直、話になりませんでした。

 

また提出したモニタリング報告書の内容について話を聞きたいとの言われた時のこと。

ある利用者さんの週間計画表で「半日の利用を月から金」まで書いたものを出したのですが、係長からは「もう少し通所をまとめられないの?」と一言。その利用者さんは体力や病状などから1日通して利用するのは大変な利用者さんで、その利用者さんの特性や病状などについて説明をしたのですが、係長はそれを聞いていないのか半日の通所時間になっている週間計画表を指して「ここ(とある半日の日)とここ(別の半日の日)をくっつけて、1日来ればいいじゃん」なんてことを言い出す始末。その係長も保健師でありましたが、その発言は精神障害のことを理解しているとは思えない発言。あまりのことに唖然としてしまいました。

 

そんなこともあって、自分の中では「市との関係づくりは無理」と思っていました。

しかしそんなことを思っていた翌年度、市の人事異動で係長は他の部署へ異動することに。現在では当時「関係づくりは無理」と思っていた保健師さんは1人も残っておらず、人員も一新されました。そして今の係長が着任してから少しずつ市との関係も変わってきて、今はしっかりとした関係が構築されるようになり、市からの相談や新規ケースの依頼もできるだけ受けようと思えるくらいの関係性に変わってきました。

 

そして今回の係長自らの初任者研修受講。

別に係長と言う立場であれば初任者研修を受けなくても良いし、保健師としての立場でも十分であると思うのですが、それでも基幹担当の職員と一緒に研修を受けることを知り、係長としても「相談支援」と言うのをしっかりと考えてくださっているんだろうなと感じています。「最悪」と思った当時の係長とは大きな違いで、同じ土俵に立って話をしてもらえると思うと本当にありがたい気持ちでいっぱいです。

 

個人的に、人との関係で仕事をする部分もあると思っています。

悪い言い方かもしれませんが、普通に相談されても「うーん・・・」と思っていても、関係性のある人や信頼関係のできている人からの相談であれば「なんとか力になれれば・・・」と言う気持ちになります。関係性を作るのは仕事を進める上でとても大事なことであり、今の役所と良好な関係ができていることは仕事をする上でとても大事なことです。この関係、これからも長く継続していきたいものです。

イメチェン・・・って何ですか?

いやいや、見た目を変える「イメチェン」はほぼしたことがないですね

 

だって・・・自分でそんなことをしても似合わないことは百も承知。

だったら、最初からそんな冒険はしないのが自分でした。もっとも、我が家自体も「イメチェン」という文化そのものがない家ですから、自分を含め家族全員、そんなことをして人はいませんね。

 

うちの兄に至っては・・・髪型は中学生から今まで一度も変わらず。

40年以上同じ床屋で、同じ髪型・・・ここまで来れば「初志貫徹」ですよね。

 

まぁ自分もそんなに髪型を変えることはしませんし、染めたこともありません。

大学時代は友人がチラホラ染め出す人もいましたが、基本的に染色する人自体が自分の周りにはほとんどいなかったので、自分もしませんでした。ただ大学を卒業して福祉の専門学校に行ったときは、いろんな人がいました。今時のギャルっぽい子もいれば、池袋で遊んでいそうな子もいましたし・・・もちろん自分と同じ大学を卒業して入学したり社会人経験から再入学した人もいるので、落ち着いている人もいました。まぁ自分は「落ち着いた人」のグループでしたけど、クラス全体は仲が良く、何かある時は普通に飲みにも行っていましたが、その辺が心理的イメチェンだったかもしれません。

 

とはいえ、基本学生時代のイメチェンは・・・ないですね。

高校デビューも失敗したし、大学時代もそんなに目立たず。専門学校ではちょっとだけ周りよりも大人だったので、大人なりの対応をしていましたね。

 

ちなみに・・・もう1回だけ「学生」もありました。

それは精神保健福祉士の受験資格を取るため、通信制の養成施設に入学したのがおまけの学生でした。期間としてはわずか9ヶ月ですが、その間にスクーリングで大学にもいきましたし、一応学生証も発行されたのでそれを使ってアカデミック版のソフトも買いました。でも「学生になった」と言っても既に福祉の第一線で仕事をしていましたから、何かイメチェンをするようなこともなく、年相応の服装もしていました。

 

まぁ一言で言えば、冒険ができないんですよね。

あと、周りの目も気にしぃだったので、何か変えた時にいわゆる「いじられる」ことに抵抗もあったと思います。それが嫌だったから、あまり目立たないように、落ち着いた生活を送っていたのだと思います。

 

ですが今は・・・「いじられてナンボ」かもしれませんね。

基本そんなにいじられることは好きではありませんが、その場の空気を良くするためなら、自ら身を削ってもOKの気持ち。自虐ネタ上等ですし、それによって笑顔が生まれるのであれば、一肌でも二肌でも脱ぎます。そう考えると、社会人になってからの気持ちの面は大きく変わっているかもしれません。

 

となると・・・専門学校時代のちょっとした心理的イメチェン、意味がありますね。

そこでいろんな人と関わったことも大きいですし、その経験が今の自分をつくっているかもしれません。

 

そういえば、今日は相談支援従事者初任者研修の演習説明会。

今日は演習指導(ファシリテーター)をする自分たちも演習の模擬体験をしたけど、その時に自然と板書薬もやっていました。自分、板書役なんてやりたくないし、できるだけ避けていたこと。今でも避けることは多いけど、必要であれば自分が状況を読んで誰から言われることもなく取り組んでいました。これも昔の自分からは考えられないこと。いや、演習指導者として参加していることも自体も考えられないことです。人前で話すことが苦手な自分が、今はベラベラと話しているのですから・・・やっぱりこれも心理的イメチェンですね。

 

外見だけが変わることが、イメチェンじゃない。

心境や心の持ちようが変わるのも、大事なイメチェンですね。書きながら、改めて実感しました。

学生時代のイメチェン

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自分が心がけているのは「残業時間対策」

これはもう、自分の過去の反省からですね。

 

過去の反省・・・言うまでもなく、心身ともに壊した経験ですね。

あの経験から同じことを繰り返さないようにするために、自分の中で残業時間を意識するようになりました。

 

今自分が目安にしているのは、月の残業時間は20時間を上限にする、と言うこと。

毎日勤務簿をつけているので、その月の残業時間はちゃんと把握しています。残業時間が20時間に近づいてくると「あ、働きすぎだからそろそろ気をつけないと・・・」と意識します。意識しながら意図的に帰ることもあります。先週なんかはその典型例。まだまだ仕事が残っている・・・と言いながらも、自分の時間を作りました。

 

自分の時間作り・・・と言いつつ、まっすぐ家には帰らないんですよね。

自分の時間を作るため、仕事終わりは一息入れるためにお茶して帰ります。職場近くのスタバに行くか、ちょっと車を走らせてドトールに行くかのどちらか。そこでくつろぎの時間を作ってから家に帰っています。

 

くつろぎの時間作りも、元々は家に居たくなかったから。

その当時は早く家に帰っても認知症の父親がおり、その父親に自分が苛立ってしまうため、それだったら自分が遅く帰れば良いと思い「くつろぎの時間」ができました。今は父親も高齢者施設にいるので苛立つことはなくなりましたが、習慣はなかなか変わらず今も「くつろぐ」時間は続いています。

 

くつろぎの時間の「弱点」と言えば・・・そこでも仕事。

結局資料をクラウド上に用意して仕事をすることもよくあります。モニタリング報告書の作成は当たり前、それ以外で必要な仕事があればやることがありますし、研修前の事前準備も普通にやっています。これらもれっきとした「業務」なので職場でやれば業務時間としてカウントできますが・・・職場で仕事をしても煮詰まるんですよね。だったら外でやったほうが気分転換になるし、意外と外でやった方がスムーズに進むことが多いんですよね。なので「くつろぐはずが、仕事」と言う弱点はあるものの、溜まっているものをスムーズに処理できるメリットもあります。

 

とはいえ、こんな「シャドー」な時間を入れたら・・・普通に残業は20時間を超えますね。

それに・・・結局今月の残業時間は20時間を超えており、今の自分の中では「働きすぎ」です。やらなければいけないことがたくさんあるし、今月は計画相談の件数が多いので致し方ないことなのですが、それでも20時間を超えてしまったのは、よくないですね。

 

多分普通の人なら「20時間は当たり前」と思う人もいるでしょうね。

自分も心身を壊す前ならそこまで時間は意識しなかったでしょう。でも激務で自分の体が壊れることを体験すると、ちゃんと自分の体も気遣わないといけないことを感じます。体を壊す直前は残業時間が80時間を超えることも普通。でも残業時間は45時間までしか支払われず、払われない分は「休みを取れ」との指示。休みが取れていれば、こんなに残業していませんし。

 

今もですが、当時はパニック障害の治療目的で抗うつ剤を飲んでいました。

自分の中でも「抗うつ剤を飲んでいるから、何とかなるだろう」と思っていましたが・・・抗うつ剤を飲んでいても、抑うつ状態にはなりました。結局「薬を飲んでいるから、大丈夫」は全く効かないこともわかりました。そんなこともあり、自分の体は自分で守らなければいけず、そのためにはちゃんと自分の中で意識することの大事さも学びました。

 

そんなこともあり、今の職場で働き始めてからは「残業20時間以内」を意識しています。

もちろん月によっては理事会などの長時間会議もあるので、そう言う時はやむに止まれず20時間を超えることもありますが、基本的には20時間を超えないようにしています。なので普通の業務であれば、今はあまり20時間を超えることは少なくなりました。ただ・・・完全にそれが守られているわけではなく、どうしても今月のように20時間を超えてしまうこともあります。頻度は少ないですが、健康のことを考えたら20時間は超えないようにしたいです。

 

体を壊した経験のない人にはわからないかもしれませんが、人の体って簡単に壊れます。

「メンタルが強いから」なんて話す人もいますが、心なんて簡単に壊れます。メンタルの強さを過信すると非常に危険だと思います。自分も「薬を飲んでいるから大丈夫」を過信した結果が、心身ともにボロボロになったわけです。そして1度壊すと、再発リスクは高まります。壊せば壊すほど、リスクも増大。だからこそ、ちゃんと意識していくことが大事だと思います。

 

元々自分自身も「うつ気質」があると思っていました。

うつ気質を自認しつつもそれが表に出ていなかったのが、前の職場の激務で表面化し結果として抑うつ状態になり、入院加療をすることに。その後復職するも回復せずに仕事は退職。退職直後は「もう福祉の仕事はしない」と思っていたけど、6ヶ月以上休むと徐々に回復して今の職場に就職。その後の経過は、ここでも書いている通りです。ただ今自分が再発せずに過ごせているのは、ちゃんと自分の中で意識・管理をしているから。意識しなくなったり管理を怠れば、再発する可能性は非常に高いです。

 

経験をした人でなければわからないかもしれませんが・・・

でも経験しないで済むものであれば、経験しない方がいいのは当然です。だからこそ、自分のことを過信せず、自分自身のことに対して「意識」を持ちながら仕事をしていくことが大事かなと思います。「20時間ぐらい大丈夫」ではなく、できるだけ残業はせずに心の休息時間を作ることが健康のコツだと思いますよ。

 

心がけている〇〇対策

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丸々2週間、何も書けず。

今回ばかりは、本当に忙しかったです。前回書いてからの2週間は、とにかく時間に終われる状態。虐待防止研修を受けながら、相談支援専門員有志の勉強会準備、そして勉強会の開催で講師役、それと同時並行に日々の業務。ペンディングしていた計画書の作成や新規ケースの対応・・・などなど、久しぶりに「大変」と感じた2週間。今週は毎日残業で、自分が「これ以上の残業は危険」と考えるラインまで、あとわずか。勤務の締日までまだ1週間もあるのに・・・って感じです。なので、今日は強制的に残業せずに自分の時間づくり。

まぁ仕事はまだまだ残っているんですけどね。

 

その間、ブログで書く内容も色々と考えていました。

最近書けていないのですが、もっと硬派(と言うほどではないのですが・・・)に書いていいるブログもあり、そこで書く内容も色々と考えていました。ただ今直近で書くとするのであれば、やっぱり勉強会の話。

 

勉強会の運営に参加したのは、今年3月のこと。

相談支援従事者研修のファシリテーターに参加している中で、以前同じ地域で一緒に相談支援をしていた人から「研修の企画とか、一緒にやらない?」と誘われ、自分も気軽な気持ちで返事をしてしまいました。

 

でも実際には相談支援の大ベテランの人が集まっている場。

正直自分は臆してしまう状態でしたが、ここは割り切って「去年勉強会に参加した立場」として色々と意見を出してみたりしました。で、話が進む中で今年の勉強会の役割分担がされ、自分が講師役で話をすることに。

 

いやぁ、責任重大です。自分もまだ理解仕切っていない内容。

そこから時間があれば自分が話す部分を勉強し直しました。一緒に担当となった先輩の方に資料をもらい勉強しつつ、打ち合わせは去年自分が感じたことを話して、それを受けてパワポのスライドを作ってくださり、進行台本も大部分は作っていただくことに。一方で「自分の経験談も」という話で、実践例も自分なりに考えて盛り込んでもらうことに。

 

こういった打ち合わせを1ヶ月半ごとに行い、先週いよいよ勉強会を開催。

進行台本も何度も確認し、スライドと照らし合わせながら進め方や説明の仕方なども自分なりにシミュレーション。理解していても「これでいいのかなぁ・・・」と思いつつ、講師として登壇。

 

正直、話すことに必死で自分のことはあまり覚えていません。

ただ話していて、そして話終わって感じているのは、自分の言葉で話せていない感覚が残りました。進行台本は何度も読んでどこをポイントにしながら伝えていくかを考えてはいたのですが、実際には途中から読むことに必死で結果的に自分の言葉にはなっていなかったように感じます。もっと自分が内容を噛み砕いて理解していれば、説明もマシだったのかなと感じています。

 

一方で勉強会終了後の反省会では、全体としては良かったのではないかとのこと。

自分は今回運営側として初めての参加だったけど、これまで関わってきた方からは「形になってきている」という話もあって、自分としてはあまり手応えは感じないけど他の方はそういう感覚なんだなぁ・・・と思いました。

 

自分の中では「どうだったのかなぁ・・・」なのですが、一方で収穫も。

それは、自分自身が勉強できたこと。当たり前なのですが、伝える側が理解していなければ話はできません。そういう意味では勉強会に参加する人以上に自分も勉強・理解している必要があります。それをやってきたという意味では、自分も収穫です。

 

「伝える側の理解」という点では、以前にも記事にしたことがあります。

 

この記事では「受講生の姿」をみて勉強になることを書いています。

ただ前提としてファシリテーター自身も演習の内容や狙いを理解していないと研修の効果が薄れます。だから事前準備が必要で、自分はいつも前日に翌日の演習内容を再確認しています。自分も準備をして、できるだけ受講者に「お土産」を持って帰って欲しいので。

 

今回の勉強会も同じ、自分が理解していないと伝わりません。

自分の言葉で話せなかったけど、それでも伝えたい「キモ」の部分は一応押さえて話したつもり。そこを理解することは、結果的に自分の実践にもつながるんですよね。

 

特に最近は、計画書の書き方も変化しています。

自分が勉強したことで「やっぱり変えたほうが良いよなぁ」と思って変える部分がありますし、面接の時もご本人の気持ちや思いを聞く時に少し意識しながら聞くこともあります。これって、自分がファシリテーターや講師役にならなかったら意識できていなかったと思います。大袈裟な言い方ですが、自分が「導く側」になったからこそ、自分の日々の業務を振り返り、その振り返りをもとに実践に戻しているいるのが、今の自分だと思います。

 

そういった意味では、研修や勉強会に「受講生」ではない立場の参加も大きいです。

ファシリテーターの良いところって、何度も繰り返し研修に参加できること。立場は違えど、これってファシリテーターの「役得」なのかなと思うこともあります。講師役であれば、改めて勉強の機会が持てる。それは受講者以上に勉強するので、より主体的に関わることで学びの効果は受講生以上じゃないのかなと実感しています。

 

まぁ正直・・・楽じゃないですよ、大変です、本音は。

でも・・・それでもファシリテーターとして参加するメリットは大きいなと今は感じています。今回の勉強会もこういう形で関わることができて良かったと思います。結果的にこれも「自己研鑽」なので、仕事をする上では大事な機会です。これが結果的に利用者さんの利益になるのであれば、やっぱりこういう活動は続けていくべきなんだろうなぁ・・・と感じています。

 

さぁ、まだまだ仕事は山住です・・・ゲッソリ

正直、考えたくないけど・・・やらないわけにはいかないので、やるっきゃない🔥

今日、対面形式での相談支援従事者現任研修が終了しました。

残すはオンライン形式での研修が残っていますが、自分は特に関わっていないので、現任研修についてのサポート(ファシリテーター)はこれで終了です。

 

思えば今回で3回目の現任研修ファシリテーター。

最初は演習指導者養成研修(当時はファシリテーター研修)の受講で参加し、去年からは演習指導者として参加しています。

 

こんなことを言うのもなんですが・・・

当初は研修にファシリテーターとして参加するつもりはなかったんですよね。当時の研修名は「ファシリテーター研修」だったので、ファシリテーションの技術を学べればと言うつもりで受講申し込みをしていました。ところがその後のカリキュラムが届いてビックリ、カリキュラムの一環に「現任研修ファシリテーター」とあり、思わず「えっ」と思ってしまいました。

 

自分が研修のファシリテーター・・・無理だよぉ。

かなり弱気の自分。これまで現任研修を何回か受けているので、現任研修がどんなものかは理解しています。受講者の立場だから色々と言えるけど、状況に応じて整理をしていくのがファシリテーターの役割。それを自分がやるなんて・・・いや、不安がめちゃくちゃ大きかったです。当然ながら事前資料は全て目を通し、予習も余念なくやって挑んだ初めてのファシリテーター・・・結果何とかなったけど、これで良かったのかなと言う気持ちの方が大きかったです。

 

無事にファシリテーター研修は終了しましたが、これは「終わり」ではなく「始まり」。

来年はファシリテーターとして参加をお願いします・・・とのことで、そこから自分が相談支援従事者研修にファシリテーターとして参加するようになります。去年は現任研修だけでなく初任者研修にもファシリテーターとして参加。そして今年も現任研修・初任者研修どちらもファシリテーターとして参加することに。そのうちの現任研修について、今日で終了しました。次は初任者研修のファシリテーターです。

 

で、この流れって、実は東京都の「思惑通り」になっているんですよね。

研修の時にも説明をしているのですが、東京都は研修体系の図式化とともに東京都の掲げるものとして「私たちが目指す相談支援専門員の姿」と言うものを作成しています。これは定期的に見直されており、現在は「Ver.8」になっています。

 

その研修体系と言うのが次のものです。

 

この表の左側がスタートとなる「初任者」です。

初任者研修で相談支援の基礎を学び、相談支援の経験を積み次の「現任者」となります。現任者では基礎をベースに「地域資源の開発・改善」を担えることを目指しています。要は目の前の対象者だけでなく、対象者と接する中で見えてくる「地域の課題」に着目し、その課題を意識できるようにしていくことを目指しています。

 

さらに「地域の成長・貢献」として、演習指導者・主任があります。

まさに自分は今この流れに乗り、演習指導者を担っており、「地域の中核人材(主任)を目指す準備」の立ち位置にいる状態です。

 

以前にも「主任になるか、現任のままでいるか」と言うのを書きました。

 

当時はまだ、主任になることに否定的な考えを示していました。

しかし時が巡り、自分の立ち位置や関わり方は変化。自分のところに相談支援の依頼が来たり、委託相談支援事業所から逆に相談を受けたりするなど、以前と変わってきました。また自分の方から市や他の相談支援事業所に提案や相談をすることも多くなり、いつしか自分がリードを取ることも多くなりました。東京都の相談支援従事者研修にも参加するようにもなったことで、自分の立ち位置や現在の姿は「ジェネラリスト(貢献型)」により近くなっている状態です。

 

となった時、改めて自分は主任を目指すのか、現任のままでいるか。

正直なところ、心は決まっています。ただ今はそのことは明言せずにいたいと思います。気持ちとしては複雑な部分もあるのですが、自分の考えと現実の自分の立ち位置を見た時、単にやりたい・やりたくないの言葉で片付けられるようなものでもないのかなと感じるところもあります。そこには「周囲からの期待」と言うのも含まれていますし、自分自身も「自分のことだけじゃないのかな」と思う部分もあります。

 

そして何より、今までとちょっと違うのは「覚悟」と言うこと。

以前の職場で自分が心身ともに潰れてしまいましたが、それは普通に激務で体を壊してしまった部分も、仕事や役職・立場に対する「覚悟」が足りなかったかなと思う部分があります。前者についてはどうしようもないことですが、後者については自分の気持ち次第の部分。どこか・・・ではなく、自分の中で「やらされていた」と言う気持ちがあったから覚悟がなかったり、足りなかったのかなと今思います。

 

でも今日のファシリテーターにしても、自分で決めて参加しているもの。

自分の中で何か目指すもの・目指すべきもの・やっていきたいこと・やっていくことがあり、その過程の中に「ファシリテーター参加」があるのだと思います。この道が正しいのか保証はありませんが、まずはやってみることも必要だと思いますし、その結果新たに見えてくることもあるかもしれません。それを見るためには、やはり「覚悟」をもって臨む姿勢が必要だよな、と今更ながらに思っています。

 

とはいえ、ファシリテーターの参加は勉強になります。

普通に研修に参加するより、よっぽど勉強しますし、その繰り返しをするので知識としても定着しやすいです。自己研鑽のためには、ファシリテーターという手段は有効かなと感じています。次は初任者研修、ちゃんと備えて勉強しないと。

暑い日が続いています。

昨日は関東の12地点で40度越えに。夜も気温が下がらず、流石に昨夜は一晩冷房をつけっぱなしにて寝ました。「つけっぱなしにした方が良い」と言われながらも、何処となく避けていた自分ですが、昨夜に関しては身の危険も感じたのでつけたまま寝ました。そのおかげか、しっかりと寝れた気がします。

 

そんな酷暑の続く日本でありますが、実は以前ほど辛さを感じていません。

その「以前」というのは、精神的に大きく体調を崩していた時。今から7年前のことで、その時も東京の気温は40度に達しようとする日が多かったように思います。

 

当時も連日「危険な暑さ」と報道されていました。

休職していた自分は、自宅で冷房をつけて過ごしていましたが・・・それでも体はかなり辛かったです。冷房をつけていてもやられてしまっている感じ。

 

その時の自分は、一度短めの休職をしたものの、状態は悪くなる一方。

そのため2回目はやや長めの休職をするものの、自分でも途中から自宅療養の限界を感じ、初めて精神科への入院を選択することに。その時は主治医に相談し、ストレスケア専門の病院を紹介してもらい入院しました。ただ入院を選択したものの医療費が気になってしまい、結果的に1ヶ月で退院。今思えばもう1ヶ月入院していてもよかったと思います。

 

その後復職したものの、半年後には退職。

仕事をしていて「できない」と感じることが多く、まともに出勤できない状態が続き、これ以上仕事を続けられないと自分の中で改めて感じたため、仕事を辞めることに。この時も体調は戻っていませんでした。体調が戻り始めたのは、退職して半年後ぐらいから。復職も視野に入るようになり、結果として今の職場に入職し現在に至っています。

 

体調を崩していた時の自分は、精神面だけでなく身体面もやられていたのでしょう。

昨日の危険な暑さでも「なんとかなる」と感じていましたが、7年前の不調の自分は完全にグロッキーな状態。涼しい部屋にいてもグロッキーでした。また食欲も落ちていたので当然ながら体力も体重も落ちているので、今までのような活動もできない状態でした。ちょっと外に出ることすらもものすごく辛い状態。

 

何より「待つ」ということもできなかったのが、とても大きいです。

今では病院に行って呼ばれるまで待つのもそんなに気になりませんし、混雑していても「そうだよなぁ」と思って普通に待つことができます。しかし体調を崩していた当時は、たった5分ですら待つことが苦痛でした。5分しか経っていないのに「まだ呼ばれない・・・」と常にストレスに感じており、受診すら辛いこと出来事になっていました。結果、何をするのも辛い・しんどいという状態でした。

 

身体面の不調がある時に、体に負担を感じるのは普通のことです。

でも精神面の不調がある時も、体には大きな負担を感じます。つまり精神面の不調は単に「こころの不調」だけでなく、そのことが身体面に直結することになります。要は「こころ」と「からだ」は切り離せないものであり、相互に関係しあっているものと言えるでしょう。その実例が、7年前の自分と今の自分ですね。

 

7年前の自分は、心の不調からあらゆる不調につながっていました。

しかし今の自分は多少の外的要因(今で言えば、危険な暑さ。広く言えば「ストレス」ですね。)があっても、やり過ごせるところがあります。それは精神面も安定しているから、身体面も安定が図れているのではないかと感じています。

 

体の調子を維持するためには、精神面の調子を維持することが必要です。

逆に精神面が崩れれば体調も崩すことになります。当時の自分は「暑さ」が大きなストレス要因になっていました。ただ生活を送る中でストレス要因は他にもたくさんあります。ストレスに対処できなくなっていることは、身体面の不調も現れることになります。あるいは身体面の不調が出たことで精神面の不調に気づくこともあります。心も体も、大事にしたいものです。

障害を持つ人も、65歳になれば介護保険の被保険者になります。

そのため、障害福祉サービスを受けている人の中で、同じようなサービスが介護保険にある場合は、原則として介護保険のサービスを受けることになります。

 

特に大きく関係してくるのは、ヘルパーを利用している人。

障害福祉では「居宅介護」というサービスを受けている人は、介護保険では「訪問介護」というサービスになります。ただ当然ながら、介護保険を利用するためには「要介護認定」を受ける必要があります。

 

実はこの「要介護認定」が障害福祉から見て「曲者」であります。

というのは、障害福祉では支援が必要とされても、介護保険では「自立」と判定されるケースがよく見られれるのです。その理由は、判定に対しての「考え方」の違いがあります。障害福祉の場合は「障害があることによりどれだけ生活上の支障があるか」を判断し「障害支援区分」として判定します。その結果「非該当」から「区分6」で認定され、区分1以上で居宅介護(ヘルパー)を利用することができます。一方介護保険の場合は「加齢の影響によってどの程度介護の時間を要するか」を判断します。その結果「自立」から「要介護5」で認定され、原則要支援1以上で介護保険サービスを利用することができます。

 

この判定に対する視点の違いが、障害福祉と介護保険での「ズレ」になります。

今の職場に来て、そのようなズレがよく感じられることが多くなり、一体どういう基準で判定されているのかが疑問に感じています。

 

ケース1

現在70代前半の方で、うちの施設(就労継続支援B型)を利用されています。

就労継続支援B型は長く利用されており、以前はヘルパーの必要性がなく、ご本人もその意思はありませんでした。しかしここ2・3年で加齢も進み、就労継続支援B型への通所も昔に比べ時間がかかるようになりました。そんな様子を見て、送迎の便宜をご本人に伝えていましたが、ご本人は拒否。しかしある日、ご本人から「送迎、使ってみたい」との話があり、実際にご本人も使って見たところ、ご本人にとってもメリットを感じられ、現在は毎日送迎支援を実施。合わせて介護保険も利用をされ、要支援1の判定が出ていました。ところが介護度の再判定で「自立」と判定され、これまで貸与されていた杖は購入することに。ただヘルパーについては「基本チェックリスト」に該当したため、継続して利用できました。しかし現在も送迎を利用されており、送迎の帰りに時々ご本人からの希望で買い物の同行もしています。ご本人一人で買い物をするのも大変な様子で、ヘルパーも使えることを話していますが、現状はご本人にとって安心できる就労継続支援B型の職員が付き添っているのが現状です。

 

ケース2

今年介護保険対象年齢になった方。うちのB型と居宅介護を利用。

長年B型を利用しており、作業活動にはほぼ毎日参加しています。また基本的にご自身で通所され、どうしても用事がある時だけ送迎を利用。ただ基本的には送迎を使わなくても自力通所されてます。そんな中、65歳になることで「介護保険優先」になるため、介護保険の要介護認定を受けることに。ご本人からも希望があり、要介護認定には自分も立ち会うことに。要介護認定でもほぼ自分で答えられ、その回答も妥当性のあるもの。ご本人の聞き取りが終わった後に自分も聞き取りを受け、自分からは「介護的な要素はほとんど低く、障害による影響が大きい」と話しました。自分の中では自立だろうなと思っていましたが・・・判定は「要支援1」と。自分の中では「自立」を前提に要介護認定を受けてもらったので、意外な結果。ただ「要支援」が出たため、今後は障害福祉から介護保険に切り替える必要があるため、地域包括支援センターと連携をしてヘルパーの部分については引き継ぎを行いました。ご本人も「なんでだろう・・・」と感じています。

 

ケース3

現在60代後半の方。精神障害のほか、疾患によるからの麻痺がある方。

65歳になった時に要介護認定を受けるも、その時は「自立」と判定。しかしその後悪性腫瘍(がん)が見つかり支援を必要とする部分が多く出たため、改めて要介護判定を受けることに。しかし結果は「自立」と判定。非常に疑問の残る判定だったけど、結局覆すことができなかったため、障害福祉サービスでヘルパーの支援を実施することに。ただ、その後の要介護認定では「要介護1」の判定。その時は長年ご本人の支援をしてきた訪問看護の看護師さんが認定調査に同席していただいため、介護保険サービスを受けられることに。これでヘルパーはケアマネージャーに、うちのB型は自分が担当することで見守ることに。

 

が、先日市の障害福祉課から「ご本人、どうやら介護保険非該当になりそう」との情報が。

結果「自立」と判定され、介護保険のヘルパーは打ち切られることに。さらにこの時点で福祉用具も使っていたため、その福祉用具もレンタル対象外に。しかしご本人は収入がないため、自費で福祉用具を購入することは困難な状態。ご本人に事情を聞いたところ、今回の認定は誰も立ち会わず1人で受けたとのこと。実際のところ、手つりにつかまらないと立ち上がれず、お風呂も手すりがあるから入れるとのこと。その手すりがなくなると困る、と話されていました。ヘルパーも然り、いなくなると困るとのこと。

 

そのためヘルパーについては有効な障害支援区分があったので、急遽プランを作成。

介護保険で打ち切られたヘルパーの分は障害福祉でカバーし、一方で「基本チェックリスト」の該当者ともなったため、全体のヘルパーは維持できることに。しかし福祉用具については対応できない状態。そのため再度要介護認定の再判定を受ける方向で調整することに。

 

ここで紹介したすべてのケース、自分が相談支援専門員として担当。

そんな自分から見て「介護の必要性」ということだけで見立てるのであれば、その必要度は

ケース3>ケース1>ケース2

の順であります。しかし現実の要介護判定では

ケース2>ケース1・ケース3

の順で優先度が低くなることに。特にケース1と3は「自立」と判定。ただ自立と判定されたことによる影響度の大きさとしては「ケース3」より「ケース1」の方が低いので、一番影響が大きいのはケース3になります。

 

正直、自分の見立てと実際の判定は真逆に。

なんでこんなことになるのか・・・正直、わかりません。そもそも同一人物の判定なのに、介護度がこうも目まぐるしく変化するこの判定には、正直疑問です。で、誰かが立ち会わないと介護度が低く判定される現状に、果たして介護認定の妥当性があるのかは大いに疑問です。こんなことが起きるのは、うちの自治体だけなのでしょうか。

 

なんだかよくわからない、要介護認定。

実際のところ、他の自治体はどうなのでしょうかね。なんとも納得いかないですね。