山の声を聴け -23ページ目

飲み助と東山魁夷展で

 きのうブーが帰るとき降っていた雨はしばらくしてやみ、濡れた草木を夕焼けが鮮やかに染めあげた。遠く南の菅平あたりの上空には厚い雲が覆いかぶさっていたが、少し青みがかった鈍色の山なみははっきりと輪郭を見せていた。
 気温はぐんぐん下がって、夜中には20度を下回り、すがすがしい朝を迎えた。
 一日のうちでいちばん時間のかかる朝の介護セレモニーを終え、朝食もすませてしばらくすると、携帯が鳴った。飲み助、由ベエからだ。
 いま東山魁夷館に着いたから、すぐ来いという電話だ。由ベエは学生時代からの山の畏友である。もっともよく一緒に山に入り、もっともよく一緒に酒を飲んだ。
 いま魁夷の生誕百周年を記念して特別展覧会が開かれている。由ベエは女房といっしょに金沢、白馬をバスで巡って、いま会場に着いたところだ。俺は車で会場へ急いだ。10分ほどで到着し、俺たちは会場の中で再会した。
 由ベエの顔は明らかに二日酔い、酒が抜けきっていない。そのはず、朝から飲んでいるのだから。
 会場は、魁夷の人気を物語るようにたくさんの人が訪れていた。俺は魁夷の絵は写真でしか見たことがない。100点以上におよぶ絵をはじめて堪能したが、改めて魁夷の世界に魅了された。だいたいきれいすぎるんだ、生の自然なんてこんなもんじゃねえ、とケチをつけたくなるのだが、魁夷の描いた自然、草や木の枝一本一本が生きて呼吸をしている。枝に積もる雪はそのまま冷たい感触を伝える。痛いほどの冷たさではない。そんな絵の中にぐっと引きよせられてしまう。でも、やっぱりきれいすぎるよ、と思う。白馬が草をはむ森の風景もいいのだが、あまり好きにはなれない。深秋、冬、雪の残る春なんかの絵がいい。
 見終わってから、外に出て三人で茶を飲んだ。もちろん由ベエはビールだ。ちくしょう、俺も飲みてえんだ、という俺の気持ちなんか汲みもしないで、「うめー」といいながらぐいぐい飲んでいやがる。
 それからすぐに別れた。由ベエたちはこれから昼食、もちろんビール付きの。俺は帰って、昼食前の介護セレモニーが待っている。わずか一時間ほどの再会だった。

チベットの豚

 後輩が夫婦でやってきた。会うのは3年ぶりか。胴回りが一段と太く、ずんどうでぶよぶよで、見苦しいったらありゃしない。太ももは嫁のウエストほどある。まるで豚じゃねーか。
 20年前、一緒にヒマラヤへ登山に行ったときのこと。麓の村のいたるところで餌をあさる豚を見て驚いた。その後輩と同じ顔をしているではないか。それ以来、俺はそいつを「ブー」と呼んでいる。「ブー、飯つくれ」「こら、ブー、しばくどー」といった調子だ。
 そのころは、どうしてもだれよりも先に自分の足で踏みしめたい、惚れこんでしまった未踏峰というものがあって、そんな山に熱くなっていた。いまから思うと、気恥ずかしい感もあるが、そんなことに情熱を傾けられたということは幸せだったような気もする。
 昨夜はブー夫婦とうまいソバをげっぷが出るほど食った。勘違いした注文をして、胃袋が受けつける以上のソバを食う羽目になったということだ。
 今日はカーちゃん、デイサービスで風呂に入れてもらう日。その時間を利用して、ブーたちと戸隠に行って、忍者からくり屋敷で遊んだ。斜めに傾いた部屋があって、その部屋に入ると、足首が脱臼したようにバランスを失い、いままで意識せずにいた引力の不思議を感じさせてくれる。からくり屋敷は、子どもばかりか大人もけっこう楽しめる。
 ああ、戸隠まで行ってソバを食わずに帰る。遅めの昼飯は、冷やしうどんをつくった。――どうだ、ブー、ひでこ、なかなかうまかっただろう。ひでこがせっかく刻んだ大葉を入れ忘れたが。
 夕方、二人は京都へ帰っていった。俺は、いま、ほろ酔い程度にできあがっている。晩飯は軽く、ブーが買ってきてくれたおやき二つにしておこう。

男女の恋愛

 柳原白蓮や田村俊子、川上貞奴を少し書こうと思ったけれど、やめた。ネットで検索すれば、ある程度のことがわかるし、略歴はウィッキペディアにも書かれている。評伝もある。目新しいエピソードがあるわけでもないしね。
 長谷川時雨の「マダム貞奴」(『明治美人伝』)を読んでいて、「ん?」と思ったことがあった。
 時雨が貞奴の舞台に招待され、楽屋に訪ねていくと、このときすでに同居していた恋人の福沢桃介がいた。福沢諭吉の娘婿で、電力王といわれた実業家ある。まるで「飯事(ままごと)のように暮している新夫婦か、まだ夢のような恋をたのしんでいる情人同士のようであった」と時雨は感じた。
 時雨が見物席にもどってしばらくすると、後ろに桃介が来て、時雨に話しかける。「ねえ、僕が川上の世話を焼きすぎるといって心配したり、かれこれいうものがあるけれど、男は女に惚れているに限ると思うのです。これが男に惚れこんでごらんなさい。なかなか大変なことになる。印形も要る。名誉もかけなければならない。万が一のときは、俺は見そこなったのだなんていう事は逃口上にしかならない。一たん惚れたら全部でなければならないから――其処へゆくと女の望みは知れています。ダイヤモンド、着物、おつきあい、その上で家を買うぐらいなものだから」と。桃介は同性愛のことをいっていると俺は思った。
 時雨は、事業家の恋愛は妙な原則があるものだと感じると同時に、あべこべだと感じる。男同士が人物を見込んで結ばれた関係なんて、いまの世相から見て、命をかけたいわゆる武士道的な誓約はあろうはずがないから、物と社会上の位置とを失えば、それですんでしまう。男女の愛情はそうはゆかない。ダイヤモンドか、着物か、家ぐらいですむような、悲しい貧困なレベルにおかれた恋愛で満足している男女があるとすれば、実にお気の毒だ。全精神を打込んだ男女の恋愛のどん底は魂の交感であり、命の掴みあいである。死と生がそこにあるばかりで、何ものをもまじえることのできない絶対のものだ、と時雨はいうのだ。田村俊子や柳原白蓮、松井須磨子、ほかならぬ時雨自身も、そういう恋愛に身を投じたのだろう。
 だがやはり、桃介のいっているのは男色、同性愛であろう。女を見下しているような気配がある。案外時雨はそこをじゅうぶん承知して、いまどき武士道的な誓約なんて男同士の間にありはしないといっているのか。桃介がいう男同士というのは葉隠的な忍ぶ恋ともちがう。時雨は、桃介が「愛するもの」とはいわず、「惚れる」という普通軽くいいはなたれる言葉をつかったことに注意して、「そこに用意があるのかも知れない」という。どんな用意があるか知らんが、まあ、どうでもいいことか。全身全霊を込めた男女の恋愛を桃介は知らないと感じた時雨は、貞奴との関係をままごとのような恋だと思ったのだろう。

訪問看護 

 今日は週一回の訪問看護の日。看護婦がお袋の状態を見にくる。まず顔色をうかがいながら、大きな声で「みちこさ~ん!」と二度呼びかける。植物状態のお袋に反応はない。体温、血圧、脈拍、酸素飽和度を測る。
 血液中の酸素飽和度を測るのはパルスオキシメーターという小さな機械だが、これがなかなかの優れもので、指にはさんで2、30秒もすれば、飽和度と心拍数を数字で知らせてくれる。90以上あればまず心配はない。お袋はだいたい93、4である。ヒマラヤのような酸素の薄い高所で登山するときは、必携である。
 次に身体全体を、濡れタオルで拭きながらチェックする。褥瘡はできていないか、傷はないか、前回と変わったところはないか、爪の伸び具合はどうか、耳垢はたまっていないか、身体をすみずみまで見る。それから陰部をきれいに洗う。
 最後にお袋をベッドに座らせる。身体を起こすとき、お袋は大きなうなり声を上げ、思いきり目を開けて見あげている。すわらせてしばらくは目を見開いたままだ。俺が動くと瞳が俺を追うことがある。今日は見あげたままだった。二十分ほどすわらせておくのだが、自分ではバランスを取ることはできないので、横に看護婦が座って支えていなければならない。
 このとき看護婦からいろいろな経験談を聞くのだ。百近い母親を八十の息子が介護している様子とか、見たところまったくふつうなおばあちゃんが、訪ねてきたお客さんに「どうぞ」といって出した饅頭のようなものが、きれいに丸めた自分のアレだったとか、寝ている以外は大声でしゃべり続けているおばあちゃんとか、介護の現場はさまざまである。
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 大正をいろどる女たちは結婚という形にとらわれず、心うつろうままに恋をする。田村俊子、真杉静枝はじめ、伊藤野枝、山田順子、岡本かの子、長谷川時雨もそうである。大正の恋愛事件でもっとも人々の耳目を引きつけたのは、柳原白蓮だろうねえ……。

 最近詩を読んでいるんだが、ずしりずしりと言葉が響いてくる詩もあれば、いったい何なんだ、というちんぷんかんぷんの詩もある。そのほうが多い。要するに小説のように筋をたどろうとしてはいけないんだろうか。
 河野多恵子曰く、「詩は俳句・和歌と共に、本質的には自分自身のためのものである。詩歌・俳句は作者が作り、歌い、詠むだけでよいものである。発表はおろか、書き記すことさえ、本質的な行為ではない。もともと読者を想定するものではないからである」という。
 わかったような、わからないような……。谷川俊太郎の「定義」なんてほんとうに詩なの? と思ってしまう。
 大正の女はすごいのが多い。寂聴さんが田村俊子とか、岡本かの子とか、伊藤野枝については書いている。あの人の得意とする分野だ。あしたまた……