いつまでつづけるんかねえ、インド洋給油
対テロ特措法の改正案が衆院で可決された。参院で否決されたあと、また衆院で再可決されるんだろう。自民党総裁選のとき、候補者5人が異口同音にインド洋での給油活動の重要性を強調して、継続を訴えた。これは国際貢献なんだ、テロとの戦いなんだ、国際社会が高く評価しているじゃないかというわけだ。
ほんまかいな、と俺なんか疑っている。アフガンへのテロリストや武器の流入を防ぐために海上活動をしている英米などの艦船に給油しているというのだが、英米はどこへどう転用しているかわかったもんじゃない。タリバーンじゃなくても、家族が殺されて復讐に燃えるアフガンの人々の眼には、日本の給油活動は米英のテロ掃討作戦という軍事プロセスの一環に見えるだろう。
それから集団的自衛権の行使につながるという問題がある。
テロ掃討というが、タリバーンはゲリラ戦を展開しているわけだから、人民の中にまぎれているタリバーンだけを掃討できるはずがない。罪のない人々も巻き込む。テロ掃討といいながら、テロを産みだしていることになる。ペシャワール会の中村哲さんは、アフガンは復讐社会だという。殺されたら殺し返す。目の前で家族が殺されたら、アフガン人でなくても、自爆テロをしてでも殺した連中を殺してやろうと思っても不思議じゃないだろう。軍事活動によって、アフガンをますます泥沼化しているではないか。
そういう軍事プロセスに参加することが、アフガンの人々に貢献することなのか、それが国際貢献なのだろうか。
民主党の小沢一郎はISAFは国連組織だから参加してもいいというようなことをいっていたが、それは軍事活動なんだから、給油よりもっとたちが悪い。ISAFのテロ掃討作戦に加わって、日本の自衛隊がアフガンの子どもたちを殺すことにもなりかねないのだ。
アメリカは、給油だけでは不十分だからアフガン本土派遣を検討せよとプレッシャーをかけてきている。じっさい防衛、外務の職員が、どのような活動が可能か現地で視察している。まあ、公明党は反対しているし、いまのところ本土派遣はむずかしいと思うがね。
法案の衆院可決、参院否決、衆院再可決、そして成立ということ、安倍が法案の強行採決を連発したこと、こんなことができるのは、小泉の郵政選挙のときに自民党が獲得した議席数がものをいっているわけだ。こんなんで重要法案が成立していいのかね。ものすごく危険だと思うんだが。まあ、それだけ議席を与えてしまったのはこの国の国民だからね。選挙のないまま、安倍・福田・麻生……とつづく。
福田は、いわゆる「ねじれ」た国会でもうどうにもならん、と政権を投げ出したけど、二院制なんだから、多数派が異なったって、そんなこと当たり前なんじゃねーか。カナダを見ろ。
―――――――――――――――――――――
きょうカーちゃんは5泊6日のショートステイがおわり、連れて帰った。介護行の再開だ。とくに苦痛に感じてはいないし、ストレスがたまっているわけでもない。こんな生活が6年続いている。
ほんまかいな、と俺なんか疑っている。アフガンへのテロリストや武器の流入を防ぐために海上活動をしている英米などの艦船に給油しているというのだが、英米はどこへどう転用しているかわかったもんじゃない。タリバーンじゃなくても、家族が殺されて復讐に燃えるアフガンの人々の眼には、日本の給油活動は米英のテロ掃討作戦という軍事プロセスの一環に見えるだろう。
それから集団的自衛権の行使につながるという問題がある。
テロ掃討というが、タリバーンはゲリラ戦を展開しているわけだから、人民の中にまぎれているタリバーンだけを掃討できるはずがない。罪のない人々も巻き込む。テロ掃討といいながら、テロを産みだしていることになる。ペシャワール会の中村哲さんは、アフガンは復讐社会だという。殺されたら殺し返す。目の前で家族が殺されたら、アフガン人でなくても、自爆テロをしてでも殺した連中を殺してやろうと思っても不思議じゃないだろう。軍事活動によって、アフガンをますます泥沼化しているではないか。
そういう軍事プロセスに参加することが、アフガンの人々に貢献することなのか、それが国際貢献なのだろうか。
民主党の小沢一郎はISAFは国連組織だから参加してもいいというようなことをいっていたが、それは軍事活動なんだから、給油よりもっとたちが悪い。ISAFのテロ掃討作戦に加わって、日本の自衛隊がアフガンの子どもたちを殺すことにもなりかねないのだ。
アメリカは、給油だけでは不十分だからアフガン本土派遣を検討せよとプレッシャーをかけてきている。じっさい防衛、外務の職員が、どのような活動が可能か現地で視察している。まあ、公明党は反対しているし、いまのところ本土派遣はむずかしいと思うがね。
法案の衆院可決、参院否決、衆院再可決、そして成立ということ、安倍が法案の強行採決を連発したこと、こんなことができるのは、小泉の郵政選挙のときに自民党が獲得した議席数がものをいっているわけだ。こんなんで重要法案が成立していいのかね。ものすごく危険だと思うんだが。まあ、それだけ議席を与えてしまったのはこの国の国民だからね。選挙のないまま、安倍・福田・麻生……とつづく。
福田は、いわゆる「ねじれ」た国会でもうどうにもならん、と政権を投げ出したけど、二院制なんだから、多数派が異なったって、そんなこと当たり前なんじゃねーか。カナダを見ろ。
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きょうカーちゃんは5泊6日のショートステイがおわり、連れて帰った。介護行の再開だ。とくに苦痛に感じてはいないし、ストレスがたまっているわけでもない。こんな生活が6年続いている。
酒は飲め飲め
上高地は二日つづけて快晴、紅葉は見ごろを迎えていた。上高地の紅葉は、紅葉(もみじ)のような文字どおりの鮮やかな紅にかける。紅より黄が勝っているのだ。この時期は穏やかで心地よいが、紅葉が終わり、秋がぐっと深まって初雪がやってくる直前の上高地がもっとも好きだ。ただ、深秋の寒さは身にこたえるようになったが。
早朝上高地に着いたわれわれは、小梨平に移動してテントを張る。カッパ橋の雑踏から5、6分ほど上流に行くだけだが、人々の賑わいからまばらになり、土の匂いがたちこめて、雰囲気は一変する。
テントを張り終わると、当たり前のようにプシュ、プシュとやりだす。缶ビールを飲み終えると、次はウイスキーだ。われわれ6人のうち2人はアルコールを受けつけない。4人で回し飲みし、一時間もかからずに8割方を空けた。
それから秘密の場所へ行って、ふたたび酒盛りだ。歩いて二時間かかる。すれ違った人は、朝のすがすがしい空気の中にただよう酒の匂いに眉をひそめたり、閉口したり、不快感を味わったかもしれない。いやはや、申し訳ない。
夜は小梨平にもどって、また宴会。盛大な焚き火を囲んで、うまいものを 食べ、うまい酒を飲み……。ああ、今年も大バカをやってしまった。
早朝上高地に着いたわれわれは、小梨平に移動してテントを張る。カッパ橋の雑踏から5、6分ほど上流に行くだけだが、人々の賑わいからまばらになり、土の匂いがたちこめて、雰囲気は一変する。
テントを張り終わると、当たり前のようにプシュ、プシュとやりだす。缶ビールを飲み終えると、次はウイスキーだ。われわれ6人のうち2人はアルコールを受けつけない。4人で回し飲みし、一時間もかからずに8割方を空けた。
それから秘密の場所へ行って、ふたたび酒盛りだ。歩いて二時間かかる。すれ違った人は、朝のすがすがしい空気の中にただよう酒の匂いに眉をひそめたり、閉口したり、不快感を味わったかもしれない。いやはや、申し訳ない。
夜は小梨平にもどって、また宴会。盛大な焚き火を囲んで、うまいものを 食べ、うまい酒を飲み……。ああ、今年も大バカをやってしまった。
悲しみの穂高
穂高連峰の南岳から東に向かって長い横尾尾根が、大蛇のようにゆるくうねりながら、その尾を梓川にたれている。この横尾尾根は、いまから26年前の冬、われわれの仲間の一人を呑み込んだ。
尾根の横っ腹には、鋭く刻印された急峻な谷が幾本かあらわにしている。そのなかの三のガリーと呼ばれる狭い谷を、9人のパーティが雪の舞うなか登りはじめた。次第に降雪が激しくなり、風もつよくなる。登るペースはなかなか上がらない。状況は悪化の一途をたどった。危機が迫っていた。
一時間ほど登ったときだ。それは何の予兆も示さず上部から襲ってきた。逃れる間もなく巻き込まれた。9人は雪の怒濤に翻弄されるがまま、なすすべがない。やがて雪の流れが次第に緩くなり止まったとき、全員が埋もれていた。幸い雪面近くにあった二人が脱出し、ほかのものを探す。
8人まで助け出した。9人目がどうしても見つからない。雪の中にテントのポールを差し込んで在りかをさぐるが、手がかりなく、時間だけが虚しく過ぎていった。この日はついぞ発見にいたらなかった。
その日の午後、一報が俺のもとに届く。そのときコーチであった俺は悔恨と憤懣で胸がいっぱいになった。全国から集まったOBによって組織された捜索隊が次々と現地に向かい、雪の中から遺体を発見するのは、二日後である。
彼は3メートル近い深みに仰向けになって、ねむっていた。呼びかければ起き上がってくるのではないか、もしかして呼吸をしているのではないかと思えるほど、生き生きした表情であった。
彼は窒息死でも圧死でもない、凍死である。数時間生きていたのだ。上のほうで捜索する仲間たちの足音を聞いていたにちがいない。そのうちに眠るように逝ったのだろう。まだ19の若者であった。彼の存在は胸に刻みつけて、一生忘れまいと思ったものだ。
あれから毎年穂高にかよい、今年で26年目になる。俺たちには、彼をいきいきとよみがえらせてくれる確かな場所がある。そこで、一緒に酒を飲み、飯を食う。一年のうちの一日だけだが、彼と向き合えるときだ。
そのときが今年もやってきた。あしたその場所で俺たちは集う。
尾根の横っ腹には、鋭く刻印された急峻な谷が幾本かあらわにしている。そのなかの三のガリーと呼ばれる狭い谷を、9人のパーティが雪の舞うなか登りはじめた。次第に降雪が激しくなり、風もつよくなる。登るペースはなかなか上がらない。状況は悪化の一途をたどった。危機が迫っていた。
一時間ほど登ったときだ。それは何の予兆も示さず上部から襲ってきた。逃れる間もなく巻き込まれた。9人は雪の怒濤に翻弄されるがまま、なすすべがない。やがて雪の流れが次第に緩くなり止まったとき、全員が埋もれていた。幸い雪面近くにあった二人が脱出し、ほかのものを探す。
8人まで助け出した。9人目がどうしても見つからない。雪の中にテントのポールを差し込んで在りかをさぐるが、手がかりなく、時間だけが虚しく過ぎていった。この日はついぞ発見にいたらなかった。
その日の午後、一報が俺のもとに届く。そのときコーチであった俺は悔恨と憤懣で胸がいっぱいになった。全国から集まったOBによって組織された捜索隊が次々と現地に向かい、雪の中から遺体を発見するのは、二日後である。
彼は3メートル近い深みに仰向けになって、ねむっていた。呼びかければ起き上がってくるのではないか、もしかして呼吸をしているのではないかと思えるほど、生き生きした表情であった。
彼は窒息死でも圧死でもない、凍死である。数時間生きていたのだ。上のほうで捜索する仲間たちの足音を聞いていたにちがいない。そのうちに眠るように逝ったのだろう。まだ19の若者であった。彼の存在は胸に刻みつけて、一生忘れまいと思ったものだ。
あれから毎年穂高にかよい、今年で26年目になる。俺たちには、彼をいきいきとよみがえらせてくれる確かな場所がある。そこで、一緒に酒を飲み、飯を食う。一年のうちの一日だけだが、彼と向き合えるときだ。
そのときが今年もやってきた。あしたその場所で俺たちは集う。
詩ってなんだ? その2
辻まことにとって、詩とは「ディクシオネエル」(辞書)の一冊を意味するという。こんなことをいっている。
人が抱く疑問のなかには、辞書や百科事典に解答を期待できない性質のものがある。いくら完璧な解答を求めようとしても、せいぜい近似値を得るにすぎない。そういう重荷を背負った意識は、しばしばほかの人の努力に救われる。それが芸術である。詩は、言葉によって解答を与えてくれるもっとも賢明なものである。
言葉によって、ものそのものを把握しようとするとき、もっとも愚劣な方法が論理にたよる方法である。言葉でディテールを追いかければ追いかけるほど、本質から遠ざかる。それはいつも、海の泳ぐイカを説明しようとしてスルメを提示するのに似ている。詩はちがう。生命をよくとらえるのだ。
カッコウの声を、以前どこかで聞いた。自分の心はその声の言葉を理解することができなかった。だけど、いま金子光晴の「かつこう」というディクシオネエルの頁をのぞいたのだ。
ロンドンの動物園で起きた話。子どもたちの友だちで従順なペットだった象があるとき突然凶暴になって暴れだした。手のつけられない状態になったとき、群衆の中から一人の老人が進み出て、何やら訳のわからないことをつぶやきながら近づいていくと、象は静かになり、老人に額をすりつけ、大粒の涙を流した。
老人は軍人としてインドに滞在しているとき、病める象があると、象使いがその魂のためにとなえる経文というものがあって、その不思議な効果をしばしば眼にして経文を覚えたのである。
言葉は人間に所属したものだが、詩の言葉は、赤ん坊の声より遠く、鳥獣にまで、いやもっと遠くへ届く、生命の本源につながるひびきが含まれているということを、この話は証明している。
と。ん……
人が抱く疑問のなかには、辞書や百科事典に解答を期待できない性質のものがある。いくら完璧な解答を求めようとしても、せいぜい近似値を得るにすぎない。そういう重荷を背負った意識は、しばしばほかの人の努力に救われる。それが芸術である。詩は、言葉によって解答を与えてくれるもっとも賢明なものである。
言葉によって、ものそのものを把握しようとするとき、もっとも愚劣な方法が論理にたよる方法である。言葉でディテールを追いかければ追いかけるほど、本質から遠ざかる。それはいつも、海の泳ぐイカを説明しようとしてスルメを提示するのに似ている。詩はちがう。生命をよくとらえるのだ。
カッコウの声を、以前どこかで聞いた。自分の心はその声の言葉を理解することができなかった。だけど、いま金子光晴の「かつこう」というディクシオネエルの頁をのぞいたのだ。
ロンドンの動物園で起きた話。子どもたちの友だちで従順なペットだった象があるとき突然凶暴になって暴れだした。手のつけられない状態になったとき、群衆の中から一人の老人が進み出て、何やら訳のわからないことをつぶやきながら近づいていくと、象は静かになり、老人に額をすりつけ、大粒の涙を流した。
老人は軍人としてインドに滞在しているとき、病める象があると、象使いがその魂のためにとなえる経文というものがあって、その不思議な効果をしばしば眼にして経文を覚えたのである。
言葉は人間に所属したものだが、詩の言葉は、赤ん坊の声より遠く、鳥獣にまで、いやもっと遠くへ届く、生命の本源につながるひびきが含まれているということを、この話は証明している。
と。ん……
詩ってなんだ? その1
三十すぎの女性詩人の書いた小説が高い評価を受けている。彼女たちは詩と小説の違いをどのように考えているだろうか。蜂飼耳は「音やリズムを重視し、言葉そのものを追究して空白の部分を埋めていくのが詩。言葉で空間を埋めていくのが小説」という。日和聡子は「池に浮かんだ飛び石をぽんぽん跳び渡って表現するのが詩とすれば、小説は石の間の水の中も歩いて示すような感じでしょうか」という。詩から小説の世界にいった富岡多恵子や伊藤比呂美も同じように考えているのだろう。伊藤比呂美は二つの世界を往還している。
前にもふれたが、河野多恵子は「詩は俳句・和歌と共に、本質的には自分自身のためのものである。詩歌・俳句は作者が作り、歌い、詠むだけでよいものである。発表はおろか、書き記すことさえ、本質的な行為ではない。もともと読者を想定するものではないからである」という。
いずれの説明もそれはそれで理解できるのだが、詩とは何なのか、俺にはわからないのだ。あ、いいなと思うことがあっても、衝撃を受けたり、深く共感したり、癒されたりという詩に出合っていない。
詩という言葉の表徴について辻まことは、「かつこう」という金子光晴の詩に沿って解説している。辻は「かつこう」に強い衝撃を受けているのだ。
しぐれた林の奥で
かつこうがなく。
うすやみのむかうで
こだまがこたへる。
すんなりした梢たちが
しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
その霧がしづくになって 枝からしとしととおちるのを。
「かつこう」はこのように始まる。辻は、最初の3行だけで、人間の孤独と、孤独な人間の世界が、明確に表現されていることに驚嘆する。
前にもふれたが、河野多恵子は「詩は俳句・和歌と共に、本質的には自分自身のためのものである。詩歌・俳句は作者が作り、歌い、詠むだけでよいものである。発表はおろか、書き記すことさえ、本質的な行為ではない。もともと読者を想定するものではないからである」という。
いずれの説明もそれはそれで理解できるのだが、詩とは何なのか、俺にはわからないのだ。あ、いいなと思うことがあっても、衝撃を受けたり、深く共感したり、癒されたりという詩に出合っていない。
詩という言葉の表徴について辻まことは、「かつこう」という金子光晴の詩に沿って解説している。辻は「かつこう」に強い衝撃を受けているのだ。
しぐれた林の奥で
かつこうがなく。
うすやみのむかうで
こだまがこたへる。
すんなりした梢たちが
しづかに霧のおりるのをきいてゐる。
その霧がしづくになって 枝からしとしととおちるのを。
「かつこう」はこのように始まる。辻は、最初の3行だけで、人間の孤独と、孤独な人間の世界が、明確に表現されていることに驚嘆する。