詩ってなんだ? その2 | 山の声を聴け

詩ってなんだ? その2

 辻まことにとって、詩とは「ディクシオネエル」(辞書)の一冊を意味するという。こんなことをいっている。
 人が抱く疑問のなかには、辞書や百科事典に解答を期待できない性質のものがある。いくら完璧な解答を求めようとしても、せいぜい近似値を得るにすぎない。そういう重荷を背負った意識は、しばしばほかの人の努力に救われる。それが芸術である。詩は、言葉によって解答を与えてくれるもっとも賢明なものである。
 言葉によって、ものそのものを把握しようとするとき、もっとも愚劣な方法が論理にたよる方法である。言葉でディテールを追いかければ追いかけるほど、本質から遠ざかる。それはいつも、海の泳ぐイカを説明しようとしてスルメを提示するのに似ている。詩はちがう。生命をよくとらえるのだ。
 カッコウの声を、以前どこかで聞いた。自分の心はその声の言葉を理解することができなかった。だけど、いま金子光晴の「かつこう」というディクシオネエルの頁をのぞいたのだ。
 ロンドンの動物園で起きた話。子どもたちの友だちで従順なペットだった象があるとき突然凶暴になって暴れだした。手のつけられない状態になったとき、群衆の中から一人の老人が進み出て、何やら訳のわからないことをつぶやきながら近づいていくと、象は静かになり、老人に額をすりつけ、大粒の涙を流した。
 老人は軍人としてインドに滞在しているとき、病める象があると、象使いがその魂のためにとなえる経文というものがあって、その不思議な効果をしばしば眼にして経文を覚えたのである。
 言葉は人間に所属したものだが、詩の言葉は、赤ん坊の声より遠く、鳥獣にまで、いやもっと遠くへ届く、生命の本源につながるひびきが含まれているということを、この話は証明している。
と。ん……