山の声を聴け -11ページ目

黒い死の大母神

 シヴァ神の最初の妃サティは、父ダクシャのシヴァにたいする冷遇を悩み苦しみ、焼身自殺をしてしまう。シヴァは悲しみのあまり正気を失い、サティの亡骸を担いで放浪の旅に出る。そして行く先々の街を破壊しつくした。それをやめさせるために、ヴィシュヌは円盤を投げて、サティの遺体を切り刻んでしまう。51に刻まれたサティの遺体の破片はインド各地に散った。サティのヨーニ(女陰)が落ちたところがニーラチャーラの丘、すなわち現在カーマーキャー寺院のある丘である。
 この寺院はシャクティ(性力)信仰のメッカである。毎日多くの参拝者が訪れる。ここに祀られる女神は、黒い死の大母神カーリー女神と同一視されている。カーリーはシヴァ神の妃でもある。
 カルカッタにカーリー女神を祀る寺院(カーリー・ガート)がある。ギロチンがあって、毎日羊の首を切って、その首をカーリーにささげている。カーマーキャー寺院でも同じ儀式が毎日行われているが、ゲイトの『アッサム史』よると、以前は羊ではなく、人間の首がささげられていたという。何日か前に犠牲となる男が選ばれる。選ばれた男は最期の日までどんな贅沢も許され、食事でも女でも好きなだけ与えられた。カーリーは人間の血の犠牲を要求していたのだ。
 タグという秘密殺人集団があった。「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」のモデルにもなったタグだが、彼らは旅に出て、カーリー女神にささげるために人間を殺しまくった。獲物に狙いを定め、相手を油断させてから瞬時に黄色いハンカチーフで絞め殺す。遺体は前もって掘っておいた穴に埋め、身につけていた財宝は代償として得た。14世紀から500年で2千万もの人間をカーリーにささげたという。(山際素男『カーリー女神の戦士』)
 この黒く恐ろしい女神にはダーキニーという使いがいる。タントラ仏教の主役である。ダーキニーはカーストの最下層のアンタッチャブルの女たちで、マジカルな能力の持ち主と考えられている。チベットでは「空行母」といって、空を飛ぶ。異様な性的能力をもち、うまくなだめてヨーガすれば、この世ならぬ快楽を得られるが、怒らせると、頭から喰われてしまう。
 ダーキニーはグループをなしていて、グループ全体がカーリー女神の実在性をになっているという。この実在性というのは暗く恐ろしい原理、仏教でいうところの「無明」だというのだが、俺の理解はまだまだそこまでおよんでいない。
 ダーキニーのカルトというのがおどろおどろしい。森の奥にある死体遺棄所、日常の対極にあるもっとも厭うべき暗黒と汚穢の場所で、特定の日に集まって、飲めや歌えの饗宴を催す。
 儀式においてはダーキニーは8人一組になって、シヴァと目される男のヨーガ行者を真ん中に囲んでマンダラをつくり、一人一人性的ヨーガを行うのだが、そのとき8人の輪(チャクラ)に欠損ができるので、完全なマンダラにならない。そこで臨時の女性が外部から導入される。それがマハームドラー、16歳の生理中の美しい処女である。
 まず第一座において、マハームドラーが中央の導師とヨーガして、マンダラ全体の実在性を一身に託される。それから8人のダーキニーが交代に導師とヨーガし、マンダラの実在性を分担する。
 別座では、集会のスポンサーである在家信者のためにイニシエーションの儀式が行われる。マハームドラーと導師のヨーガによって生じた男性=方便の精液と女性=般若の月水の混合物、その滴を菩提心と同一視するのであるが、その滴を親指と薬指でつまんでイニシエーションの受者の口に落とす。これで受者に菩提を求める心が植えつけられたことになる。
 次に、その受者はマハームドラーとヨーガする。そうすると、こんどは受者の下腹部に菩提心が生ずる。それを、導師の教えにしたがって身体の中央の脉管の中を上昇させ、頭頂に達すると、大楽を得られる。それが菩提そのものということになる。
 これは、あくまでシンボリックな表象にすぎない。

アッサムの想い出2

 アッサムを訪れたときは、モンスーンがあけきらない9月だった。比較的晴天に恵まれたが、終日バケツをひっくり返したような土砂降りの日もあった。雨期のさなかはこんな日が続くのだろうと思うと、安宿にこもっていた俺は陰鬱な気分になった。アッサムは世界一の降雨量記録をもつ。
 アッサム州の北側はアルナチャルといって、鬱蒼たるジャングル地帯だ。ベンガル湾からの湿気を含んだ気流がヒマラヤにさえぎられて上昇し、多量の雨をもたらす。このジャングルにはさまざまな少数民族が細々と暮らしている。いまはインドが実効支配しているが、中国はチベット自治州の領内と主張している。
 アルナチャルの北辺がヒマラヤである。そこにカントという山がそびえる。当時写真がなかった。この山はどんな相貌そしているのか、どうしても目の当たりにしたくて、アッサムを訪れたのだ。
 いまは世界遺産になっているカジランガ国立公園で、はじめてカントに対面した。曇り空であったが、白い山容をはっきり見せていた。そのときこの山にいかれてしまった。この処女峰を必ず登ってやる、と思ったものだ。10年あまりでその思いはかなう。
 思い焦がれたカントの山頂に立ったとき、まったくの無感動であった。むしろ空しい。「いつも願った山頂を得たときに起こる心の空しさ」「淡い味気なさの気持」といった先輩の言葉を実感した。

 州都ゴウハティにはカーマーキャー寺院という恐ろしくも蠱惑的な寺がある。

アッサムの想い出1

  きのうインドのアッサム州で、爆弾テロが連続して起こったと報道された。
 インドとパキスタンはカシミールをめぐって鋭く対立し、その対立がイスラム対ヒンドゥというかたちになって、最近テロの応酬が起こったが、アッサムの場合は宗教対立とは異なる。インドからの分離独立を主張し、武装闘争しているのである。その背景には貧困と民族のアイデンィティの問題がある。
 インド北東部は、ヒマラヤを貫いてチベットから流れ下るブラマプトラ河の河床平原をしめるアッサム州と、それを取り囲むようにアルナチャルプラデシュ、ナガランド、マニプール、ミゾラム、メガラヤ、トリプラの6州から成っている。この7州が連合して分離独立運動を開始したのは、たしか1980年だった。俺がはじめてアッサムに訪れた1977年から3年目に、州都ゴウハティで大暴動が起こったと記憶している。日本ではほとんど報道されなかったが、ヨーロッパでは大きく取りあげられ、とくにフランスの新聞は一面トップで報道していた。
 俺が訪れたころは平穏だったが、ある人は、不穏な動きがあって、もうすぐアッサムは荒れるといっていた。3年後にその意味がわかった。
 7世紀に玄奘三蔵がアッサムに訪れている。そこにはカーマルパという王国があった。三蔵は帰国する前にカーマルパのクマーラ(童子)王に招待されて、一カ月ほど滞在した。その土地や住民について『大唐西域記』に記している。「土地は低湿、農産物に富んでいる。住民は体格が小さく、容貌は黒く、言葉も中インドとはだいぶ異なる。粗野だが、学問に熱心で、デーヴァ(天神)につかえ、仏法は信じていない」。人々や言葉は、アーリア系と違い、モンゴロイド系のようだ。
 カーマルパのその後はよく知らないが、13世紀にアッサムにアホム王国が興る。シャン族だから、タイ系のモンゴロイドである。アホムは19世紀には衰退し、イギリスにアッサムを明け渡すことになる。 つづく

解散はいつだ

 きょう麻生が追加の経済対策を発表した。
 政策より政局が優先される時代じゃない、国民は解散より景気対策を望んでいる、と麻生はいうが、俺には、政策と解散・総選挙を並べて、優先度を決めるということがわからないのだ。比べるもんじゃないと思うんだが。
 それから記者会見のとき、解散・総選挙という事態になったときでも内閣は機能しているし、政治の空白にはならないというようなことをいっていた。だけど麻生は、総裁選のさなかにアメリカ発の金融危機が起こったとき、こういう状況下にあって政治空白は許されないといっていたんだよね。与謝野なんか、蚊に刺されたようなもんだと金融危機を軽く見ていた。政治家のいうことはいい加減なもんだとあらためて思ったね。どちらも、総裁選という茶番をやっていたときだ。茶番というのは、国民の意志とは関係のない党内選挙であり、麻生で決まりの出来レースだったからだ。
 麻生政権は選挙管理内閣であることはだれもが認めること。いったいいつ解散するつもりなんだ。おそらく麻生自身もそのつもりでいたであろう臨時国会冒頭を俺は期待していたが、党内調査で選挙をすれば惨敗という結果が出て、先送りになった。先におくったところで、展望があるわけでもなし。麻生というのは腹のすわっていない奴だということはよくわかった。

「介護日誌」終わり

「芥川だより」に連載してきた介護日誌は、もうすぐ発行される次号で終わることにした。はじめは介護の現実を具体的に書いたが、それも数回でネタがつき、次はお袋のプライバシーまで書いてしまった。脱線はさらに進み、介護とはまったく関係のない松井須磨子にまで話はおよんでしまった。もうこれ以上の脱線はつつしまなければいけない。介護日誌についてはこのへんで筆を置きます。今後は投稿というかたちで、介護のじっさいを報告します。
 とはいっても、これから最終回の原稿を書かなきゃいかんのだよ。どういうふうに終わらせようか。
 あー、そんなこと、どうでもええこっちゃね。