チベットをめぐって 1
先週チベットの亡命政府が、インドのダラムサラで緊急会議を開いた。世界各地の亡命チベット人が集まって、対中国政策が話し合われた。従来の「高度の自治」を求める中道路線を継続する決議が採択されたが、ダライ・ラマ自身が認めるように中国との対話路線は行き詰まりを見せている。その進展の見られない実状に不満を募らせた独立派が擡頭してきた。穏健派と独立派との対立が深まると、亡命チベット人社会の結束が崩壊しかねない。今回はいちおう中道路線維持というところに落ち着いたが、独立派にはその発言力が無視できないほど支持が広がっている。会議に出席した日本在住のチベット人、ペマ・ギャルポ氏(桐蔭横浜大学教授)も独立派の一人である。
チベットは、文化も言語も漢民族とはまったく異なり、独自の歴史をもっている。古来よりチベットは中国の一部だと漢族はよく主張するが、ならば韓国も日本もベトナムもかつては中国に朝貢していたわけだから、みな中国の属国ということになる。チベットという国があっても当然だと俺は思うねえ。
だけど、北京政府がチベット独立を承認するはずがない。チベットのほかには異民族のウイグル自治区がある。さらに台湾という問題を抱えている。チベット独立を認めれば、現在の中国という国はばらけてしまう。それを恐れているんだろう。
独立派はどのような戦略で中国と渡りあっていこうと考えているのだろうか。独立を主張すれば、中国は歯牙にもかけないだろう。チベット自治区内にそういう動きがあれば、オリンピック前の暴動のときのように徹底的に弾圧するだけだ。穏健路線の主張する「高度な自治」でさえ、認めようとしないのだ。たとえ国際世論に訴えて支持を得られたとしても、内政干渉ということで退けられるだろう。中国が、人権を尊重しデモクラシーが浸透した国に生まれ変わらないかぎり、ダライ・ラマの求める高度な自治も実現できないと思う。それには国際的な圧力だけではむずかしいだろうね。やはり内側から変革がわきあがってくることを期待するしかないんだろうか
いまチベットでは中国化が進んでいる。亡命チベット社会では、祖国が失われつつあるという危機感が広がっているのだろう。この中国のチベットにたいする現状を見て俺は、かつて日本が中国でやったことと似ているんじゃないかと思うのだ。
チベットは、文化も言語も漢民族とはまったく異なり、独自の歴史をもっている。古来よりチベットは中国の一部だと漢族はよく主張するが、ならば韓国も日本もベトナムもかつては中国に朝貢していたわけだから、みな中国の属国ということになる。チベットという国があっても当然だと俺は思うねえ。
だけど、北京政府がチベット独立を承認するはずがない。チベットのほかには異民族のウイグル自治区がある。さらに台湾という問題を抱えている。チベット独立を認めれば、現在の中国という国はばらけてしまう。それを恐れているんだろう。
独立派はどのような戦略で中国と渡りあっていこうと考えているのだろうか。独立を主張すれば、中国は歯牙にもかけないだろう。チベット自治区内にそういう動きがあれば、オリンピック前の暴動のときのように徹底的に弾圧するだけだ。穏健路線の主張する「高度な自治」でさえ、認めようとしないのだ。たとえ国際世論に訴えて支持を得られたとしても、内政干渉ということで退けられるだろう。中国が、人権を尊重しデモクラシーが浸透した国に生まれ変わらないかぎり、ダライ・ラマの求める高度な自治も実現できないと思う。それには国際的な圧力だけではむずかしいだろうね。やはり内側から変革がわきあがってくることを期待するしかないんだろうか
いまチベットでは中国化が進んでいる。亡命チベット社会では、祖国が失われつつあるという危機感が広がっているのだろう。この中国のチベットにたいする現状を見て俺は、かつて日本が中国でやったことと似ているんじゃないかと思うのだ。
小泉毅とは何者だ?
元厚生次官を殺したといって自首した小泉毅という男について、生い立ちや人物像が少しずつわかってきたが、あのような事件を起こした動機、背景はまったく見えない。彼の中に、執念深く何度も刺して殺ろすほどの残虐さはどうして生まれたのか。なぜ年金担当の元厚生次官なのか。なぜ妻まで殺さなくてはならないのか。なぜ自首したのか。
誰でもいいという無差別殺人でもない。ペットが保健所に殺されたという動機では、関係のない役人をむごたらしく刺し殺す行為と乖離しすぎる。もしかしたら、単独犯ではないのかもしれない。
わからないことだらけだが、何が小泉毅という人間をつくりあげたのかということを、時間がかかっても究明してほしい。あの、小学校の児童を殺傷した宅間のように、どうしてあのような事件を起こしたのか解明されないまま死刑になってしまうことのないように。
誰でもいいという無差別殺人でもない。ペットが保健所に殺されたという動機では、関係のない役人をむごたらしく刺し殺す行為と乖離しすぎる。もしかしたら、単独犯ではないのかもしれない。
わからないことだらけだが、何が小泉毅という人間をつくりあげたのかということを、時間がかかっても究明してほしい。あの、小学校の児童を殺傷した宅間のように、どうしてあのような事件を起こしたのか解明されないまま死刑になってしまうことのないように。
暗い憤怒を感じる
元厚生次官の襲撃には、なにか底の知れない怒り、怨念がうごめいているに俺には思える。
情報が少ないためにいろいろな憶測、政治テロから怨恨説、国家陰謀説までさまざま飛びかっているが、家族まで容赦なく刺殺している状況を見ると、国民の生活を顧みずに税金を食いものにして天下り先をつくり、余生をゆうゆうと送っている官僚にたいする抑えがたい怒りが、あういうテロというかたちで噴出してしまったように見える。この事件にたいして、ネットの上では「ざまぁみろ」という拍手が圧倒的多数で起こっているそうだ。不満、不安、怨念というものが社会の気分になっているんじゃないか。それがひじょうに危険な水位に達しているような気がする。
これまでに官僚の職務怠慢や天下り、税金の無駄づかいなどが指摘され、きびしい官僚批判がされてきたにもかかわらず、いっこうに改善される気配はない。不祥事が発生しても、誰も責任をとらない。高級官僚は天下り先を転々と渡り、移るたびに数千万の退職金を得る。こんな役人の生態にたいして、格差社会といわれる底辺の層では、先の見えない暗い若者の生活があるのだ。
よくいわれるように、現在は1920年代後半から30年代の昭和初期の状況に似ている。アメリカでレーガン大統領が誕生した1980年代はじめにも、30年代の大恐慌以来の危機にあるといわれたが、現在のほうが深刻だと思う。
あのとき日本は歴史的な選択を迫られた。金解禁か金輸出禁止か、軍拡か軍縮か、行革の是非……。けっきょく金融恐慌から世界大恐慌という大不況におちいる。そして1931年、関東軍による満鉄爆破という謀略を口実に満州事変を起こし、日本は戦争の道を歩むことになるのだ。
情報が少ないためにいろいろな憶測、政治テロから怨恨説、国家陰謀説までさまざま飛びかっているが、家族まで容赦なく刺殺している状況を見ると、国民の生活を顧みずに税金を食いものにして天下り先をつくり、余生をゆうゆうと送っている官僚にたいする抑えがたい怒りが、あういうテロというかたちで噴出してしまったように見える。この事件にたいして、ネットの上では「ざまぁみろ」という拍手が圧倒的多数で起こっているそうだ。不満、不安、怨念というものが社会の気分になっているんじゃないか。それがひじょうに危険な水位に達しているような気がする。
これまでに官僚の職務怠慢や天下り、税金の無駄づかいなどが指摘され、きびしい官僚批判がされてきたにもかかわらず、いっこうに改善される気配はない。不祥事が発生しても、誰も責任をとらない。高級官僚は天下り先を転々と渡り、移るたびに数千万の退職金を得る。こんな役人の生態にたいして、格差社会といわれる底辺の層では、先の見えない暗い若者の生活があるのだ。
よくいわれるように、現在は1920年代後半から30年代の昭和初期の状況に似ている。アメリカでレーガン大統領が誕生した1980年代はじめにも、30年代の大恐慌以来の危機にあるといわれたが、現在のほうが深刻だと思う。
あのとき日本は歴史的な選択を迫られた。金解禁か金輸出禁止か、軍拡か軍縮か、行革の是非……。けっきょく金融恐慌から世界大恐慌という大不況におちいる。そして1931年、関東軍による満鉄爆破という謀略を口実に満州事変を起こし、日本は戦争の道を歩むことになるのだ。
奥田の暴言
先週のことだけど、年金や医療問題に関するマスコミのはげしい厚労省批判に対して、政府の懇談会座長を務める経団連名誉会長の奥田が「そんなにたたくんなら、マスコミに報復してやろうか」という暴言を吐いた。スポンサーを下りるという話だが、これはかなり重大な発言だと思うんだけどね。「ふしゅう」とか「みぞゆう」などの発言で麻生のバカさかげんをあげつらうより、よほど問題発言だと思うんだが、マスコミはベタ記事程度にしか扱わず、批判もしていない。やはりスポンサーの機嫌を損なうのはこわいんだろうねえ。
奥田は、テレビは朝から晩まで厚労省批判を毎日やっているというが、どのテレビ局が一日中厚労省の批判ばっかりやっているんだ? それだけ厚労省がたたかれるのは異常だともいっているが、年金記録改竄や薬害肝炎を引き起こした厚労省のほうがよほど異常だよ。たたかれて当たり前だろう。
さらに奥田は、批判をくり返すような番組には大企業はスポンサーにならない、せいぜい地方の中小企業だ、といっているが、その傲慢さにはあきれかえるよ。そんなにトヨタがえらいんかい。中小企業がいくつか集まって番組を支えている姿のほう がよほど健全だと思うがね。
奥田は、テレビは朝から晩まで厚労省批判を毎日やっているというが、どのテレビ局が一日中厚労省の批判ばっかりやっているんだ? それだけ厚労省がたたかれるのは異常だともいっているが、年金記録改竄や薬害肝炎を引き起こした厚労省のほうがよほど異常だよ。たたかれて当たり前だろう。
さらに奥田は、批判をくり返すような番組には大企業はスポンサーにならない、せいぜい地方の中小企業だ、といっているが、その傲慢さにはあきれかえるよ。そんなにトヨタがえらいんかい。中小企業がいくつか集まって番組を支えている姿のほう がよほど健全だと思うがね。
死後の霊 2
その人が奥穂と相対しながらくびれたのは10月、発見はそれから二カ月あまり後の12月31日である。おそらく彼は最期の場所をいろいろ探して、あそこにたどり着いたのだろう。
人がほとんど入らない小さな尾根上に大きな岩が露出する。そのうえは狭いながら平で、穂高をゆっくり眺められる。そのうえ、首をくくるに恰好の枝がのびている。しかも一般ルートからは死角となっていて、発見は困難である。生前の彼は、自らの遺体が発見されずに、そのまま朽ちて土に還っていくことを願ったのだと思う。
しかし、死者の霊は発見を望んだようだ。
俺たちの行動を振り返ると、遺体を発見するように動いている。というか、動かされているようにも思うが、まず、ルートを変更してあの尾根を登りはじめたことである。それから、大岩の上でなく下で休み、そこでアイゼンをつけることを怠ったことだ。アイゼンをつけていれば、そのまま登りつづけて、谷側を振りかえることもなかっただろう。けっきょく岩の上でアイゼンをつけた。つけ終わってから、俺は、ツェルトのようなものに包まれたザックをまず見つけた。たぶん誰かが冬山登山用にデポしたのだろう、と思っていた。一息ついて、そのまま立ちあがりながら視線を上に向けると、人がぶら下がっていたのだ。
彼の遺体は冬のあいだじゅうそのまま放置され、雪解けを待って春に収容された。夏ならば、すぐに首と胴体は離れてしまうが、低温が遺体の損壊をふせいだのだ。
身元が判明するのはそれからしばらくしてからだったと思う。四国の人だった。行方がわからなくなって、家族は心配していたようだ。彼をよく知る人は自殺したのではないかということも思いめぐらせていたという。
大晦日の昼ごろ、家族がそろった。話題が彼におよんだとき、玄関の戸が開く音がした。「〇〇が帰ってきた」と家族の誰かが叫んで、玄関にいってみると、戸が開いたまま誰もいなかった。
それは俺たちが発見してから2時間ほど後のことであった。
この事象をどのように考えればいいのか。単に偶然の重なり合いにすぎないのか。死後の霊というものがほんとうにあって、その霊のなせることなのか。どのように解釈して納得しようが、どちらがいいとか、悪いということでもない。偶然の重なり合いにすぎないのかもしれないが、そう考えてしまうと、そこで話は終わってしまうし、何かおもしろくない、味気ない。
木村小屋のオヤジが、「あの谷では自殺する人が多い。たぶんその人たちの霊が呼んでいるんだろうねえ」といっていた。俺もそのくらいに考えて、遺体を発見したのは霊に導かれたからかどうかわからないけれど、それで遺体が四国の家族のもとに帰ることができたし、霊がそう望んでいたんだろう、というふうに納得している。そのことに俺たちは少しばかり関わりをもっただけだ、と。
人がほとんど入らない小さな尾根上に大きな岩が露出する。そのうえは狭いながら平で、穂高をゆっくり眺められる。そのうえ、首をくくるに恰好の枝がのびている。しかも一般ルートからは死角となっていて、発見は困難である。生前の彼は、自らの遺体が発見されずに、そのまま朽ちて土に還っていくことを願ったのだと思う。
しかし、死者の霊は発見を望んだようだ。
俺たちの行動を振り返ると、遺体を発見するように動いている。というか、動かされているようにも思うが、まず、ルートを変更してあの尾根を登りはじめたことである。それから、大岩の上でなく下で休み、そこでアイゼンをつけることを怠ったことだ。アイゼンをつけていれば、そのまま登りつづけて、谷側を振りかえることもなかっただろう。けっきょく岩の上でアイゼンをつけた。つけ終わってから、俺は、ツェルトのようなものに包まれたザックをまず見つけた。たぶん誰かが冬山登山用にデポしたのだろう、と思っていた。一息ついて、そのまま立ちあがりながら視線を上に向けると、人がぶら下がっていたのだ。
彼の遺体は冬のあいだじゅうそのまま放置され、雪解けを待って春に収容された。夏ならば、すぐに首と胴体は離れてしまうが、低温が遺体の損壊をふせいだのだ。
身元が判明するのはそれからしばらくしてからだったと思う。四国の人だった。行方がわからなくなって、家族は心配していたようだ。彼をよく知る人は自殺したのではないかということも思いめぐらせていたという。
大晦日の昼ごろ、家族がそろった。話題が彼におよんだとき、玄関の戸が開く音がした。「〇〇が帰ってきた」と家族の誰かが叫んで、玄関にいってみると、戸が開いたまま誰もいなかった。
それは俺たちが発見してから2時間ほど後のことであった。
この事象をどのように考えればいいのか。単に偶然の重なり合いにすぎないのか。死後の霊というものがほんとうにあって、その霊のなせることなのか。どのように解釈して納得しようが、どちらがいいとか、悪いということでもない。偶然の重なり合いにすぎないのかもしれないが、そう考えてしまうと、そこで話は終わってしまうし、何かおもしろくない、味気ない。
木村小屋のオヤジが、「あの谷では自殺する人が多い。たぶんその人たちの霊が呼んでいるんだろうねえ」といっていた。俺もそのくらいに考えて、遺体を発見したのは霊に導かれたからかどうかわからないけれど、それで遺体が四国の家族のもとに帰ることができたし、霊がそう望んでいたんだろう、というふうに納得している。そのことに俺たちは少しばかり関わりをもっただけだ、と。