山の声を聴け -10ページ目

死後の霊 1

 ある年の大晦日、一人の先輩と明神岳をめざした。雪の少ない年だった。早朝、どんよりした曇り空のなか上高地を出発して、明神の取りつきに向かう。雪が舞いはじめた。気温は氷点前後で、あたたかく感じる。われわれのほかに、いくつかのパーティが同じルートをたどろうとしていた。
 俺は、混みあうノーマルルートをさけて、別のルートから登ることを提案する。先輩は反対せず、それもいいという。二人だけの気楽な山行だ。計画どおり登らなくてもいい、そのときの気分で変更してもいいというくらいのプライベートな山行だった。
 気まぐれに変更したルートを登りはじめた。枯れ葉が積もった斜面は弾力があり、湿った雪におおわれている。滑りやすく登りにくい。
 大きな岩が立ちはだかるように露出する、ちょうどその真下にきた。そこでいっぷくする。われわれ以外だれもいない。こんなルートを採る変わり者はわれわれだけということだ。
 そこでアイゼンをはけばいいものを、ずぼらをして登山靴のまま登りはじめた。大岩を右側からまいて登りきったところで、あまり滑るのでアイゼンをつけることにした。
 谷側に向いてアイゼンを取りつけ、立ちあがったとき、目と鼻の先の木の枝に人がぶら下がっているのに俺は気づいた。首が長く伸びている。顔は奥穂のほうに向いて、顔は見えない。先輩は、俺が「あれ」と指をさしたほうに目を向けると同時に、驚きの声を震わせた。俺たちはその異様な光景におののき、しばらく呆然と立ちつくした。
 自殺だということはすぐにわかった。その人の足もとにはザックが置かれ、細く長いピッケルがさし込まれている。
 俺たちは落ちつきを取りもどしてからザックを開けて、身元がわかるようなものを探した。そんなものはなかった。ただ、『芥川龍之介の世界』という本があって、表紙の裏に「わが心の穂高」という辞世の句のような歌がしるされていた。達筆だった。
 このまま見すごして明神に向かうわけにもいかず、上高地に下りて県警に知らせることにする。
 その日泊まることにした木村小屋に警察がやってきたのは、日の暮れた夕方だった。警官は今晩中に現場まで案内してくれという。口頭の説明だけでは正確な位置がつかめないからだ。俺たちは警官を連れて、ふたたび暗闇の現場を訪れた。警官はライトを照らしてくわしく見ていたが、俺たちは目を向けることはできなかった。
 それから大雪があって、その人の遺体はけっきょく翌年の春まで収容できなかった。
 その人の身元はやがてわかる。そして、死者の霊というのはほんとうにあるんじゃないかと思わせるような話を家族から聞かされた。

紅葉

 一昨日は山仲間と戸隠でしこたま飲んだ。いろいろな種類のきのこやイワナ、山菜などの山の幸を賞味し、新そばをすすった。彼らは大阪や福井や青森からやってくる。20年前、ともにヒマラヤの未踏峰に挑んだ連中だ。毎年、福井や長野で盃を酌み交わす。彼らも満足して帰ったようだ。
 紅葉の盛りはとっくにすぎていたが、黄に色づいた木々の葉がまだ映えていた。昨年10月に訪れたときは真っ盛りで、目の覚めるような紅葉はすばらしかった。標高1000メートルを越えると、スギの植林はなく、広葉樹の彩りの変化が見事なのだ。まさしく「赤いのはうんと赤く、黄色いのは、これ以上無理というほど黄色くて、絶頂の美しさだ」(武田百合子がこんなふうに富士山麓の紅葉を表現していた)。
 1950年代後半から70年の高度成長時代に、国策としてスギの植林が盛んに行われた。ナラやクリなどの広葉樹が伐採され、建築材としてもうけにつながるスギやヒノキが植林されたわけだ。やがて安い輸入材におされ、需要が減って、林業の担い手がいなくなる。そして日本の山はスギだらけになった。
 森林伐採は、明治のころより行われていた。近代登山のパイオニア小島烏水は失われる森を嘆いた。雪山登山の先駆者大島亮吉は、北海道の大雪山に登ったとき、森林を乱伐したために谷の両岸斜面が崩壊し、根こそぎになぎ倒された若木や巨岩が川床に累々と光景に驚愕している。1920年、大正9年のことだ。
 明治以前の山々の様子は現在とはだいぶ異なっていたのだろう。生みなぎる深緑が、寒くなるにつれて、山全体が赤く、黄色く燃え立つように装いを変えたんだろうねえ。

田母神という愚劣

 改憲してはぜったいいけないということをあらためて思ったね。あんな極右が空自のトップにおさまるような自衛隊を軍にしたら、自衛のためだとか、国際貢献などといって、戦前に中国や東南アジアで旧日本軍がやったようなことを、世界中でくり返すだろう。いつか歩んだ道をまたたどるのか。
 それにかかる費用は莫大で、消費税は20%を超えることはまちがいない。国内は疲弊する。アメリカなみにテロの標的になる。中国や韓国との関係はそうとう緊張するだろう。なんてったって日本は侵略していないっていうんだから。
 歴史認識が間違っているとか、実証性に乏しい俗論といえばたしかにそうだが、戦前の皇国日本は、田母神にとっては信仰対象みたいなもんなんだろう。どんなことでも屁理屈をつけて正しいことをやったということにしたいわけだ。
 問題は、空自幕僚長が、公僕であるはずの空自のトップという立場をわきまえず、あんなトンデモ内容の駄文を書いたということだ。自衛隊そのものがそうとう危うい組織になっているんじゃないだろうか。自衛隊幹部にかぎらず自衛隊全体に、シビリアンコントロールなんていう意識はほとんどないんだろう。
 そもそも日本では、自衛隊にたいしてシビリアンコントロールが機能するようなシステムがきちんとできていないだろう。軍事機密ということで、なにもかも隠蔽されてしまっては自衛隊という組織が腐敗するだけだ。たしかに軍事機密として公開できないことも多いだろう。ならば、特別委員会なんかをつくって、限られた国会議員が要求する情報をそこで非公開で開示するとかすればいい。また、数年後に情報公開して、だれでも閲覧できるような制度をつくるとかすればいい。日本にはそんな制度がない。
 田母神と同じような思想というか信仰をもっている保守系議員がけっこういるようだ。安倍とか平沼とか稲田とか……。そういう考え方が日本の社会にじわーっと広がっていないだろうか。

また、飲みすぎた

 今週は京都、神戸で飲んだ。飲みすぎた。肝臓がそうとう弱って、傷んでいるようで、二日酔いにはこたえたね。いくらこたえても、また飲んでしまう、酒飲みの性。
 神戸では先輩にご馳走になった。早めに温泉に浸かって身体をほぐし、それから三宮に出て、信州の田舎もんにはまず口には入らないだろう海の幸、ハゲの刺身をいただき、それからウイスキーを飲みながら山の歌を歌い、ホテルに泊まった。先輩には深謝、深謝だ。
 歳は離れていて、いっしょに活動したことはないのだが、同じ部に所属していたという間柄だけで、垣根が低くなる。そんな先輩や後輩は多いが、もう二度と顔を見たくない先輩も何人かいる。
 実績があろうがなかろうが、自分の体面をたもつために後輩を道具のように利用し、その成果を我がものとする盗人のようなヤツ、一段うえにかまえて中身のないことを、さも意味のあるがごとく説教調にとうとうとぬかすバカ、こういうのは消えてなくなれ。
 そんなヤツを酒席の話題にのぼらせたから、悪酔いしたのかもしれない。
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 あの田母神とかいう元空自の幕僚長の論文って、なんだありゃ。低レベルで、あんな幼稚な作文がなんで最優秀なんだ?

オバマ

 アメリカに黒人の大統領が誕生したことは、やはり歴史的出来事だろうねえ。
 ここでちょっと、ん?と思うことは、「黒人」といってしまうことだ。オバマは白人の母と黒人の父のあいだに生まれた。半分ずつの血が流れている。白人でもなく黒人でもないともいえると思うのだが、黒人といわれる。見たところは黒人ふうだからか。ブッシュ政権のとき、パウエルはアフリカ系アメリカ人初の国務大臣だといわれた。では、ジンバブエのムガベのような、炭のように黒いアフリカ系アメリカ人でも大統領として選ばれるだろうか。黒人といっても、さまざまだ。
 オバマのように黒人と白人のハーフは、黒人側からも白眼視された。二重の差別を受けていたわけだ。高校のとき、自らの揺らぐアイデンティティに悩んで麻薬にはしったこともあることは本人も認めているが、この蔑視というのは、される側の生存を脅かすものだ。差別によってどれほどの人間が殺されてきたか。そういう差別を乗りこえ、若くして大統領にまで登りつめた男と評価していいのか、まだ俺にはわからない。
 いずれにせよ、現状はたいへんだよね。大恐慌寸前の金融危機、イラクからの撤退とアフガンへの派兵、環境やエネルギー問題、一つでもつまずいたら、どうなることやら。でもこの男なら、やってくれるのかもしれない、いややってくれるにちがいないという希望をアメリカ国民はオバマに託したということだろうね。