紅葉
一昨日は山仲間と戸隠でしこたま飲んだ。いろいろな種類のきのこやイワナ、山菜などの山の幸を賞味し、新そばをすすった。彼らは大阪や福井や青森からやってくる。20年前、ともにヒマラヤの未踏峰に挑んだ連中だ。毎年、福井や長野で盃を酌み交わす。彼らも満足して帰ったようだ。
紅葉の盛りはとっくにすぎていたが、黄に色づいた木々の葉がまだ映えていた。昨年10月に訪れたときは真っ盛りで、目の覚めるような紅葉はすばらしかった。標高1000メートルを越えると、スギの植林はなく、広葉樹の彩りの変化が見事なのだ。まさしく「赤いのはうんと赤く、黄色いのは、これ以上無理というほど黄色くて、絶頂の美しさだ」(武田百合子がこんなふうに富士山麓の紅葉を表現していた)。
1950年代後半から70年の高度成長時代に、国策としてスギの植林が盛んに行われた。ナラやクリなどの広葉樹が伐採され、建築材としてもうけにつながるスギやヒノキが植林されたわけだ。やがて安い輸入材におされ、需要が減って、林業の担い手がいなくなる。そして日本の山はスギだらけになった。
森林伐採は、明治のころより行われていた。近代登山のパイオニア小島烏水は失われる森を嘆いた。雪山登山の先駆者大島亮吉は、北海道の大雪山に登ったとき、森林を乱伐したために谷の両岸斜面が崩壊し、根こそぎになぎ倒された若木や巨岩が川床に累々と光景に驚愕している。1920年、大正9年のことだ。
明治以前の山々の様子は現在とはだいぶ異なっていたのだろう。生みなぎる深緑が、寒くなるにつれて、山全体が赤く、黄色く燃え立つように装いを変えたんだろうねえ。
紅葉の盛りはとっくにすぎていたが、黄に色づいた木々の葉がまだ映えていた。昨年10月に訪れたときは真っ盛りで、目の覚めるような紅葉はすばらしかった。標高1000メートルを越えると、スギの植林はなく、広葉樹の彩りの変化が見事なのだ。まさしく「赤いのはうんと赤く、黄色いのは、これ以上無理というほど黄色くて、絶頂の美しさだ」(武田百合子がこんなふうに富士山麓の紅葉を表現していた)。
1950年代後半から70年の高度成長時代に、国策としてスギの植林が盛んに行われた。ナラやクリなどの広葉樹が伐採され、建築材としてもうけにつながるスギやヒノキが植林されたわけだ。やがて安い輸入材におされ、需要が減って、林業の担い手がいなくなる。そして日本の山はスギだらけになった。
森林伐採は、明治のころより行われていた。近代登山のパイオニア小島烏水は失われる森を嘆いた。雪山登山の先駆者大島亮吉は、北海道の大雪山に登ったとき、森林を乱伐したために谷の両岸斜面が崩壊し、根こそぎになぎ倒された若木や巨岩が川床に累々と光景に驚愕している。1920年、大正9年のことだ。
明治以前の山々の様子は現在とはだいぶ異なっていたのだろう。生みなぎる深緑が、寒くなるにつれて、山全体が赤く、黄色く燃え立つように装いを変えたんだろうねえ。