M.M.(まっつん)の読書ノオト

M.M.(まっつん)の読書ノオト

日々に起こった事実を通して、色々な想いを「命の証」として思うがままに書き綴ります。

娘は小学校に通っています。

担任の先生に蛍光ペンを持ってきてと言われたので、

持っていき、授業中に使おうとしました。

そうしたら、授業見学をしに来ていたお偉いさんが

鉛筆箱に入っていた蛍光ペンを見て、

担任の先生だけでなく、校長先生も叱られたそうです。

蛍光ペンを使ってはいけない理由があるなら、

小学生にも理解できるように「根拠」を教えてほしいですよね。

いい大人なのですから、古くさい考えで「教育」を途絶えさせないでほしいです。

そもそも一人一台タブレットで学習している時代です。

蛍光ペン如きで学習効果が上がらないのでしょうか。

それより、タブレットやスマホで視力が落ちていることの方が

問題視すべきではないでしょうか。

何をもって「正しい教育」と呼ぶのか、難しいですよね。

リンゴはいったい何色なのでしょうか?

私が絵を描くとしたら、つい赤色一色で塗りつぶしてしまいそうですが、

実際には、たくさんの色が合わさっているのです。

というよりも、不思議に思ったことがあります。

リンゴの赤色というのは、リンゴで光が反射し、赤色だけを人間の目は認識しているのです。

つまり、反射されたものなのに、リンゴそのものの色と呼ぶには抵抗があります。

結局、どんな物であっても、目にしている色は反射した光です。

いやあ、考えても答えは出ません。複雑ですね。

しかし、目の前にしているリンゴが今、そこに、存在しているのかさえも怪しいです(笑)。

リンゴが実っていますが、食べているのは本当にリンゴでしょうか。

なんてことを暑い中、考えています。

通信『百色百光』を今週号を書きました。

タイトルは『生きる!!』です。

本当は高校の生徒さんに配布するものなのですが、

どうしてもある30代の青年に向けて何か伝えたい!

という衝動がありました。

なぜそう思ったのか。

理由もわからず陽性になり、部屋にこもり、

ずっと布団の中にいたので、色々考えることがあったのでしょう。

でも、一人に向けて書いたものが、

とりあえず読んでくださったみたいです。

ここ最近、Facebookにあまり反応されていなかったので、

ダメ元でしたが。

良かったです。

何が良かったのかと問われると答えにくいですが、

ひとりに届けようという想いって大切だなと改めて感じました。

 

文章だけを届けるのではなく、

やはり会いたいですね。

こう念じていたら、いつか会えると思っています。

6/25(日)、センジュ出版対話型講演会が沖縄で開催されました。
「認められる、とはどんなことを言うのだろう。」というテーマ。

この会に参加していないのですが、2022年1月に講演会を主催をさせていただいてから、

伝えたい、届けたい『テーマ』をずっと考えています。
いつの日か、また講演会を主催できたらと思っていますが…。
そして、他の方が掲げるテーマがいつも気になっています。
今回のテーマに、ぐっと吸い込まれました。

私は、小さい頃から、
誰かに「認められよう」として頑張ってきたように思います。
だから、正直苦しかったです。
でも、今は、他者に目を向けるのではなく、
自分に目を向けてあげることをなるべく意識しています。

がんばっている自分を自分が認めてあげないと、
自分がすねちゃいますから。
自分を勇気づけてあげられるのも、自分です。


とはいえ、今でも、文章を書いて、届けようとしているとき、
心のどこかで認めてもらえるかなって、気にしている自分もいます。

Facebookに載せる文章ではないとは思っている時点で、
気にしている証拠ですね。
やっぱり、むずかしい~。

昨夜の娘とのやりとりです。

「お父さん、欲しい本が2冊あるから、お小遣いで買っていい」

「もちろん、いいよ。」

「1万円は持っているけど、千円は持っていないんだよねえ」

「あと、100円コインとか持っていないし…」

こんなやりとりをしていて、答えを教えるのは簡単ですが、

ちょっと考えさせようと思ったのが、ひょんな方向へ。

「自分が持っているお金で買えるかどうか考えて、買えるんだったら買ってもいいよ。

 買えるかどうかわからないのに、買っていいよとはいえないからね。

 それから、本当に読むんだったらいいんじゃない。寝る前に漫画ばかり読んでいて、

 欲しい本があるからと言われても、本棚にしまわれてしまうだけだったら勿体ないよね。」

普段寝床に就く8時半を過ぎ、こんなお題を出してしまったがために、

独りでプリントにいろいろと書いた挙句、9時半に近づいたので、

「そろそろ寝ましょう」

今、娘は算数で億の位の勉強をしているのですが、それ以前の問題だと気づきました。

キャッシュレスになったら、その時代の人はお買い物できるでしょうか。

それより、金銭感覚が崩壊してしまわないでしょうか。

教えるって、難しいです。

久しぶりの投稿です。

最近というか、そういう報道が取り上げられているからなのか、

物騒な事件が頻繁に起こっているなと感じます。

現実に増えているかどうかは分かりませんが。

このたびは自宅の界隈(500mほど)で起こりました。

事件やら事故は、決して遠い存在ではなくなりました。

本当に日本は平和と呼んでいいのでしょうか。

周りに流されず、考えてみたいと思います。

お久しぶりです。

facebook、noteではないなと思い、このブログに書こうと思います。

先月から、とある勉強会に参加して、自分に向き合う機会が増えました。

アウトプットが大切と分かっていながらも、自分の中で対話することが増えたので、

いろいろな文章を思いつくのですが、果たしてそれを公開していいものか迷うようになり、

アップする頻度が減りました。

他人が読んで、心地よいと感じる文章とはどんなものでしょうか。

上司から、今後のビジョンを考えると、他の人が心地よく仕事ができるようにうまく調整

していくことがあなたには必要ですと言われました。難しいです。

でも、目の前に訪れた壁は、神様は超えられると思って出現させたのでしょう。

 

『”それ”は在る』という本は、今年一番ともいえるほどのいい本です。

今読むべくして、読んでいます。

ますます考えさせられます。

 

さて、勉強会には感想文があるのですが、それを考えていたら、ふと思ったことがあります。

折角考えついたことなので、それをここに書きます。

 

私は今まで、「教えること」は先人が受け継いできた智慧などを自分という媒介を通して

「伝えること」だと考えてきました。

たとえば、数学の楽しさを伝えるなどです。

しかし、もうすでに各々の生徒さんが持っている、内なるものに「気づいてもらうこと」が

より大切ではないかと感じています。

私が思っている楽しさを一方的に伝えるのではなく、内なる楽しさに気づいてもらえること

の方がしっくりくるのです。

「自分にしかできないことを、自分がやりたいようにやる」という信念があります。

他者のことを真似て、形だけ整えるのではなく、自分らしくありたいですね。

 

お久しぶりです。

アパートに一時的に戻ってきて、心穏やかな日を取り戻しつつあります。

毎日のように、KPOPを聴いています。

IVEの『LOVE DIVE』に惚れて、1000回くらい聴きました(笑)

ここ最近は、PURPLE KISSの『Pretty Psycho』に心地よさを感じています。

独特な音楽、魅惑のダンス。

虜になっています。

いいものはいいんです。

お義父さんがこんな言葉を言いました。

「いつお義母さんが退院してくるか分からないから、今のうちにリビングのワックスがけしておくかな。」

 

私たち家族は、お義母さんが退院してくることを願って、電話で会話したり、笑いを作ったりして、辛いところを必死に励ましています。

それにもかかわらず、夫であるお義父さんが早期退院を願っていない、この言葉を発したことに、妻と私は違和感を通り越し、憤りを感じました。

 

言葉によって、人は励まされるものです。

大杉日香理さんの著書『龍神とつながる強運人生』にもありましたが、言葉には力があります。

でも、相手を励まさない負の力もあるんだなと痛感しました。

本来、夫が妻を励まし、尽力すべきです。

仕事は大事かもしれませんが、それよりも大事なものがあります。

夫であるお義父さんは本当にお義母さんに快復してほしいと願っているのでしょうか。

病気のことも理解しようとしていない自分勝手で、医者そして他人任せである姿を見るとそう思わざるを得ません。

 

○食べたいものを自由に食べたいです。

 「マヨネーズの減りが早いな。」「お代わりして、ガツガツしているな。」

 「俺は美味しいと思うときには、美味しいというぞ。」

○お風呂に気兼ねなくゆっくり入りたいです。

○お掃除は汚れてしまうからやるものです。綺麗ならお掃除する必要はありません。

 「こんなところに髪の毛があるぞ。」「蛇口がヌルヌルしているな。きったねえ。」

FBを見ていたら、『人生を豊かにする!心に響く素敵な言葉』という投稿で

タイのCMがあって、すごい犬だなと思って感心しちゃいました。

https://fb.watch/bk6OBUzR4H/

 

私がお風呂に入った後に、あの御方がお風呂掃除をします。

(といっても、洗い場だけですが。)

私が上がるときには、必ず髪の毛一本残らずに片付けてから出てきます。

しかし、私が髪の毛を乾かしているのを知っていて、

敢えて大声で「おおい、髪の毛じゃねえか、きったねえなあ」と言っていました。

どこにそんな髪の毛があるのか教えてほしいですね。

ともあれ、私の前にあの御方もしっかりお風呂に入っています。

私たちだけが汚したわけではありません。

ようするに、綺麗だから、ブツブツ言うこともできないので、嘘八百を並べるわけです。

因みに、あの御方は苦情を言いに、警察に行く際、なぜかその時に飲酒運転していったのです。

警察に問われた時も、飲んでないと平気で嘘を言ったそうです。

残念ながら、平気で嘘がつける天才二重人格者なのです。

その言葉を聞いたときに手が震えてしまいました。プルプル。

 

御母さんは、「何言っても聞かないから、”動物”だと思えばいいのよ」とのこと。

『心感覚』を読んでVRゲームだと思い込もうとしましたが、少々失敗。

結局、事実を見て見ぬふりではダメなのでしょう。

それから、平澤興氏の「けしからんと怒るよりも、気の毒だなと許してあげる」ことも

意識してみましたが、あまりうまくいかず。

 

そして、『生命科学的思考』では、

「大人になってもわがままで自己中心的な視野が狭い人を見たら、この人はまだ自分の生存の可能性に安心できていないんだなと捉えて行動するとよいのかもしれません」と書かれていました。

御母さんは「大きい子どもだと思っていればいいのよ」と言っていました。

なるほど、このことと合致するなと思うのです。

 

CMのように、犬でも賢いことをします。

それにひきかえ、こちらの動物は…。

ああ、愚痴風の言葉なんて書きたくないのですが。

 

そもそも私の根っこには仲良く暮らしたいし、旅行もしたい気持ちがあるのです。

こころの隙間が、一言一言によって、段々小さくなっている気がします。

だから、あの御方と家族3人とはすれ違ったまま。

 

家族の絆だけが深まっていく気がします。

それで、いいのか。

なるようにしかなりません。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。